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中央労基署長(K社)くも膜下出血死事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 中央労基署長(K社)くも膜下出血死事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 大阪地裁 − 平成17年(行ウ)第241号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2007年06月06日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- T(昭和27年生)は、昭和53年4月、米国で生産される自動車の部品に使用する裸・メッキ鋼線等を製造するK社に入社し、昭和62年にK社の100%出資の子会社である本件会社に出向した。平成5年頃から、米国内の好景気の影響を受けて本件会社は人手不足となり、Tはその最中の平成7年3月に同社の技術担当の副社長に昇進した。
本件会社は、人手不足・定着率の悪化に直面したほか、設備の老朽化等と相まって深刻な業績不振に陥っていたことから、Tは始業より15分早く出勤して業務をし、自宅でも仕事をしたほか、日曜出勤、米国内出張、日本出張などを行い、技術・生産に関する指揮監督のほか、工場において機械の点検・修理、技術指導、製品の点検、苦情処理など多岐にわたる業務を担当していた。
平成7年5月22日14時30分頃、Tは部内打合せ会議中突然痙攣様の発作を起こして倒れ、病院に搬送されたが、同月25日9時55分死亡した。Tの死亡原因は、脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血と診断された。
Tの妻である原告は、Tの疾病は業務に起因するものであり、Tの死亡は業務上災害に当たるとして、平成7年9月25日、労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき、遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、同署長は平成12年2月25日付けで不支給とする本件処分を行った。原告はこれを不服として、労災保険審査官に対する審査請求、更には労働保険審査会に対する再審査請求を行ったが、いずれも棄却されたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 中央労働基準監督署長が平成12年2月25日付けで原告に対してなした遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労災保険法に基づく保険給付は、労働者の「業務上」の死亡について行われるが、労働者が業務上死亡したといえるためには。業務と死亡との間に相当因果関係があることが必要である。また、労働者災害補償制度は、業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に疾病等をもたらした場合には、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失の填補の責任を負わせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものである。かかる制度趣旨に照らすと、業務と疾病との間の相当因果関係の有無は、経験則、科学的知見に照らし、その疾病が当該業務に内在又は随伴する危険の現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。
ストレス反応は個々人によって異なり、血圧上昇、心拍数の増加、不眠、疲労感などの生理的な反応、生活習慣、疾病休業、事故などの行動面での反応など多様である。また、一般的な日常の業務等により生じるストレス反応は一時的なもので、休憩・休息、睡眠、その他の適切な対処により、生体は元に復し得るものである。しかし、恒常的な長時間労働等の負荷が長期間にわたって作用した場合には、ストレス反応は持続し、かつ最大となり、ついには回復し難いものとなる。これを一般に疲労の蓄積といい、これによって生体機能は低下し、血管病変等が増悪することがあると考えられている。もっとも、血管病変等の形成、進行及び増悪は、基本的には加齢、日常の生活習慣等と大きく関連するものであることから、業務による疲労の蓄積が血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ、その結果、脳・心臓疾患が発症したと認められる場合に限って、業務起因性が認められるというべきである。したがって、本件疾病における業務起因性の成否については、Tが従事した業務が、血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ、発症に至らせるほどの過重負荷になるものであったか否かという観点から判断するのが相当である。
2 Tの労働時間
原告は、Tの出勤時刻について、7時10分頃家を出た旨供述しており、通勤に約20分を要することからすれば、Tは遅くとも毎朝7時30分頃には出社し、業務を開始していたというべきであり、休憩時間は1時間として労働時間を算定する。
発症前6ヶ月の各月の時間外労働時間は、発症前1ヶ月90時間10分、2ヶ月33時間30分、3ヶ月80時間、4ヶ月82時間30分、5ヶ月45時間、6ヶ月34時間30分となり、Tの勤務形態は渡米以来変わることなく、少なくとも平成5年上期以降は、発症前6ヶ月と同様、常に所定労働時間を超え、土日も出勤することがほとんどで、出張や深夜勤務などの特別な業務がない月の場合、80時間前後の時間外労働は平均的なものであり、Tは発症前2年間はこれと同程度の時間外労働を続けていたものと推認することができる。
3 Tの健康状態
Tは、発症当時42歳であり、定期健康診断の結果によれば、身長165.1cm、体重59.49gであったこと、血圧も正常範囲内であったことが認められる。したがって、Tには、脳動脈瘤を有していた以外に、特段基礎疾患といえるものはなかったというころができる。Tは、もともと1日に4〜5本の喫煙習慣があったところ、発症前2ヶ月頃からは急に喫煙量が増え、1日10本程度になっていたことが認められるが、この程度の喫煙はくも膜下出血のリスクファクターとしては小さいものということができる。
4 本件疾病の業務起因性
Tの労働時間は、本件会社に出向使渡米してから発症までの8年間にわたり、常に所定労働時間を超え、土日も出勤することがほとんどで、24時間操業の工場で何か問題が起きると深夜に呼び出されることもあり、本件発症前6ヶ月を見ると、多くの月で1ヶ月かの時間外労働が80時間前後に達していたことが認められ、平成5年上期以降の2年間の勤務実態も変わりがなかったことが窺われる。また発症前1ヶ月の時間外労働時間は90時間を超え、とりわけ発症2週間前の日曜日から発症前日の日曜日までの3週間は、4時間の日曜深夜勤務が続いた上、翌月曜日も通常通り出勤し、3時間半の残業まで行う状況にあった。
Tの業務内容は、生産・技術部門の指導・教育・設備管理に加え、生産に不可欠な従業員の管理・確保・教育指導と多岐にわたり、操業当初からTとともに技術を担当していたCが異動して以降は、唯一の日本人技術者としてTの負担は増し、副社長に任命されてからは、名実共に生産・技術部門の責任者としての役目を期待される状況にあった。しかし、平成5年以降、米国内の景気が回復するに従い、生産に必要な最低人員が確保できず、未熟練工の増加により作業効率も低下し、好景気による高い需要に対応できない深刻な事態に陥った。Tは、現場作業員の確保と未熟練工のトレーニングに努めたが、一向に収まらない欠勤者数や定着率の悪さに疲弊し、平成7年度上期の報告書では生産量の縮小を示唆せざるを得ない状況下にあった。
このように、Tは、発症前1ヶ月間の90時間に及ぶ時間外労働に加え、8年間もの長期に渡り恒常的な長時間労働に従事し、発症前2年間は1ヶ月80時間前後の時間外労働が常態化していたと窺われること、唯一の日本人技術者であり、かつ生産・技術部門の副社長として責任ある立場にあったこと、生産量を維持するために安定した労働力の確保が急務であり、労務管理に腐心していたもののその成果が上がらず、雇用状況ひいては生産量の改善の見通しが立たないという業務遂行が困難な状態にあったことを総合してみれば、Tが発症前に従事していた業務は、本件疾病の基礎疾患である脳動脈瘤をその自然経過を超えて著しく増悪させ、発症に至らせるほどの過重負荷になるものであったと認めることができる。そして、Tには脳動脈瘤以外の基礎疾患はなく、喫煙もその量からして明らかなリスクファクターとはいえないことからすれば、Tの従事していた業務が過重であることが原因となって、Tの有していた血管病変をその自然経過を超えて著しく増悪させ、本件疾病を発症させたと認めることができる。
以上によれば、Tの業務と本件疾病の発症との間には相当因果関係があり、本件疾病には業務起因性が認められるから、本件処分は違法なものとして取消を免れない。 - 適用法規・条文
- 労災保険法7条1項、16条、17条、33条、36条
- 収録文献(出典)
- 労働判例952号64頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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