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平塚労基署長(H社)事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- その他
- 事件名
- 平塚労基署長(H社)事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 横浜地裁 − 平成9年(行ウ)第26号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 平塚労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2000年08月31日
- 判決決定区分
- 認容(控訴)
- 事件の概要
- 原告は新聞・雑誌の委託販売などを業とするH社に勤務し、平成元年1月当時、相模原営業所で勤務していたところ、出勤日数が24日なのに対し、早出及び残業時間数が計24時間、朝刊業務回数が13回(65時間)、2月は出勤回数が20日、早出・残業時間数が計29時間、朝刊業務回数は10日(50時間)、3月は出勤回数25日、早出残業時間数が44.5時間、朝刊業務回数は12日(60時間)であった。 原告は、相模原営業所在勤中、営業所から約10分の距離に居住していたことからつ通常業務後翌日の朝刊業務開始までの間及び朝刊業務後通常業務開始までの間は必ず帰宅していたが、平塚営業所に異動してからは電車・バスの乗継ぎで1時間30分、自動車でも約1時間を要したため、翌日朝刊業務を控えた場合には仮眠室で宿泊することとが多くなり、同年4月17日から6日間連続で朝刊業務に従事していた間はほとんど帰宅しなかった。また、原告は、平塚営業所では集金業務を指示され、所長らとともに新聞店・販売店を訪ねて回った。 原告は、昭和62年2月の定期健診の結果、不整脈の疑いが指摘されたが、再検査を受けなかった。平成元年4月28日、被控訴人は朝から勤務した後、夕方体調の悪さを我慢して集金に回り、午後8時頃帰宅したが、食事中に突然意識を失い、搬送先の病院において、「WPW症候群に伴う発作性上室性頻脈症から心室細動・心停止への移行、無酸素症」と診断されて入院、治療を受けた。原告は、この疾病が業務に起因するものであるとして、被告に対し休業補償給付等の支給を請求したが、被告は平成6年4月30日付けで不支給決定したため、原告はこの決定の取消しを求めて提訴した。
- 主文
- 1 被告が平成4年6月30日付けで原告に対してした、労働者災害補償保険法による休業補償給付及び休業特別支給金を全部支給しないとする処分は、これを取り消す。2 訴訟費用は被告の負担とする。
- 判決要旨
- 心疾患の発症の原因となる特定の業務の存在は医学経験則上認められておらず、これらの疾患と業務との関連性は一般的に希薄なものといわざるを得ない。また、WPW症候群は、11.5ないし39%の割合で心房細動を発症するところ、証人によれば、そのうち約60%については特に誘因がないことが認められる以上、原告についても何の誘因もなく心房細動を発症し、そこから心室細動に至る可能性があることは否定できない。しかし、個別的事案によっては、本来的には私病である右疾患が業務上の諸種の要因により期外収縮を増加させ、その結果、心房細動を経て心室細動に至ることも考えられないではない。 本件会社では、昼間勤務への従事を前提として、1週間に2回程度夜間(朝刊)勤務を行う勤務体制を取っており、しかも朝刊業務は、自ら自動車を運転して目的地に到着した上、60ないし80kgの重量物を背中に担ぎ、階段を昇り降りして相当距離を運搬するという内容であって、その期務が過重なものであることは、昭和62年9月に相模原営業所で実施された健康診断の際の心電図検査の結果、原告を除く従業員9名中4名という高い確率で心臓に関し何らかの異常が発見されたことからも、客観的に明らかである。 原告は、平成元年4月8日以降本件発症当日の28日までの間、19日間勤務し、1週間平均0.6日の休日しか取っていなかったことに比べ、同年1月から3月までの間は1週間で平均1.6日の休日を取っていたことを考慮すると、原告の4月の勤務シフトは、以前に比べ格段に密になっていたということができる。原告は、4月8日から13日までは、相模原営業所での昼間の通常勤務をこなしながら平塚営業所開設準備のため、両営業所間を往復するという変則的な業務に従事した。しかも、朝刊業務に4回従事し、そのうち3回は月、水、木曜日に当たっていたので、通常の運搬物に加えて雑誌600kgを搬送した。更に原告は、同月14日の平塚営業所開設に伴って異動したが、アルバイトを雇用できない等会社の都合から、相模原営業所時代に比して急増した仕事量を負担し、原告自身も他の従業員も行ったことのない6日連続の朝刊業務に従事することになり、なおこの間毎日昼間の通常業務にも従事したのである。このような状況から、原告は右集中的な朝刊業務への従事を終えた頃には、過度に疲労が蓄積したことがあったことが容易に推認できる。この間原告は会社に宿拍したが、仮眠室は必ずしも熟睡を確保できる施設ではなく、朝刊業務終了後次の通常業務開始までの間に、疲労が十分に回復されたとは認め難い。 原告は、同月23日に1日の休暇を取った後に、24日以降毎日通常業務に就き、25日、27日には朝刊業務を行っており、原告の本件疾病発症前1週間の業務量は、休日明けの5日間で朝刊業務が2日であって、これは日常業務を少し上回る程度の業務量であるが、右日常業務自体が早朝・深夜業務を含む過重なものである上に、25日から通常業務の合間を縫って、得意先への挨拶廻り及び集金業務を開始したのであって、22日までの集中的な朝刊業務従事による肉体的疲労の相当部分が回復されないまま疲労が蓄積されたものと推認できる。そして、原告は25日以降毎日挨拶廻り及び集金業務を行い、27日の朝刊業務に就いたのであるから、原告の疲労の程度は更に増していったことは容易に推認し得る。そのような状況のまま28日に至り、原告は所長と待ち合わせて挨拶廻り及び集金業務をすることになっていたところ、所長が30分遅れて到着したとき、原告が具合が悪くなって社用車で休んでおり、所長に対し具合の悪さを訴えたものの、挨拶廻りと集金業務を続け、しかも営業所に帰ってからも精算業務を行ったというのである。このような状態にあっては、原告はまさに疲労困憊の状態だったと認めることができる。 原告とA子は新婚といっても、前年中から同棲しており、生活形態に変化はなかったのであって、結婚による精神的ストレスは考える必要がない。また、A子は妊娠5ヶ月を迎え、性交渉はなかったから、これによる夜更し、睡眠不足も考えられない。更に原告の飲酒の傾向も、非常に薄い焼酎のウーロン茶割りを2、3杯飲む程度であり、長期の飲酒による心房筋の変性の可能性も重視すべきではない。 以上説示した原告の身体の状態に、原告の基礎疾患やストレスの影響を当てはめれば、原告に、古典的な顕性WPW症候群という基礎疾患を有していたところ、4月22日までの集中的な過重な業務が続いたことによる極度の肉体的疲労及び新設営業所への異動等精神的疲労による強いストレスを受け、カテコールアミンの分泌が起こり、心拍数増加、血圧上昇のほか、自律神経のバランスが崩れ、交感神経、副交感神経の調節機能が低下したことにより、カテコールアミンの分泌が更に増えたと推認することができ、心房性、心室性の期外収縮の機会が著しく増え、副伝導路の不応期短縮、心室筋の電気的不安定性の高騰が生じ、時折房室回帰性頻拍又は心房細動を生じるに至ったと推認される。それでも原告は充分に疲労を回復させる暇もなく業務遂行を続け、従前とほぼ代わらない仕事量の業務に加えて、不慣れな挨拶廻り及び集金業務に従事したため、新たな疲労を蓄積させることとなり、これが更に大量のカテコールアミンの分泌を促し、本件発症当日午後4時頃にも房室回帰性頻拍又は心房細動発作を生じさせたものというべきである。それにもかかわらず、原告はその後も勤務を続け、車を運転して帰宅し、翌日の朝刊業務に備えて早々に食事を開始したところ、それまでの疲労によるストレスに起因して自律神経のバランスが崩れていたため、間もなく疲労の程度が最高潮に達し、副伝導路の伝導が相当程度促進されるとともに心室筋の電気的不安定性の高騰が生じ、その結果、心房細動発作が起き、今度は心室の早期興奮が伴うなど、それまでの心房細動に比較して極めて重い症状を生じ、本件疾病へと至ったものであると推認し得る。 そうすると、原告の本件疾病の発症については、一般人に比較して期外収縮、心房細動の機会が多く、重症不整脈を生じさせる可能性が高いWPW症候群という原告の基礎疾患を前提としても、本件の具体的な状況の下においては、同人が従事していた本件会社における業務が著しい疲労をもたらす性状のものであり、同人がかかる業務を継続した結果、過度に疲労が蓄積されたものと認められるような事情が存在する一方で、他に原告について心室細動を生じさせる個別的な因子も特に見当たらないことから、右業務が原告の基礎疾患の自然の経過を超えて急激に増悪させ、その結果本件発症に至ったものとみるのが相当である。 以上によれば、本件疾病は、労働基準法施行規則35条別表第1の2第9号にいう「業務に起因することの明らかな疾病」に該当すると認められるから、業務起因性が認められないとしてした被告の本件処分は取消しを免れない。
- 適用法規・条文
- 労働基準法75条、76条、労災保険法14条
- 収録文献(出典)
- 判例タイムズ1102号166頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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横浜地裁 − 平成9年(行ウ)第26号 | 認容(控訴) | 2000年08月31日 |
東京高裁 − 平成12年(行コ)第274号 | 控訴棄却 | 2001年12月20日 |