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札幌東労基署長(H銀行)くも膜下出血死事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 札幌東労基署長(H銀行)くも膜下出血死事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 札幌地裁 - 平成15年(行ウ)第24号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 札幌被害労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2006年02月28日
- 判決決定区分
- 認容(控訴)
- 事件の概要
- H銀行は北海道を基盤とする地方銀行であり、M(昭和18年生)は、昭和37年4月にH銀行に入行し、幾つかの支店を経験した後、平成11年11月から、N支店の営業課長として勤務していた女性である。
H銀行は、T銀行の破綻に伴い、同銀行から営業譲渡を受け、T銀行のシステムに一本化するため、Mはその対応に追われたほか、研修受講のため自宅に研修資料やマニュアルを持ち帰り、その習得に努めていた。平成12年5月8日に勘定システムが統合された後は、通帳の切替え業務等も加わって、Mを含め行員には精神的、肉体的負荷が相当程度かかっていた。
同年7月19日、Mは始業時から通常の業務に従事していたところ、同日午後6時10分頃、支店長室のソファの上に、身体に変調を来して座しているのを同僚に発見され、救急車で病院に搬送されて入院治療を受けたが、同月21日午後3時13分に死亡した。動脈瘤の形成、破裂に至る機序、Mの臨床経過やCT所見などに照らすと、Mの死因は、右椎骨動脈瘤の破裂によるくも膜下出血と推認された。
Mの夫である原告は、Mの本件疾病の発症及び死亡は、業務の過重負荷によるものであるとして、被告に対し、平成13年1月29日付けで、労災保険法に基づく療養補償給付、遺族補償給付及び葬祭料の支給を求める申請を行ったところ、被告は平成14年10月21日付けで不支給とする決定(本件処分)を行った。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が、平成14年10月21日付けで原告に対して行った労働者災害補償保険法による療養補償給付、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 Mの業務従事状況
Mは、H銀行から、それなりの分量のある本件システム統合それ自体及びその後の事態に対処するためのマニュアル等について、同システム統合日までの限られた期間内に習得することを求められていた。そのため、Mは支店の各行員とともに、ゴールデンウィークの期間中に休日出勤をしてまで勉強会を開き、その習得に努めていたものであって、個人ごとに設定されていた研修スケジュール及び勉強会以外には、通常の業務時間内にこれらを習得するための時間が格別設けられていたわけではなく、また営業課長としての通常の検印業務の合間にこれらマニュアル等の習得に努める時間的なゆとりがあったことを窺うことはできず、更には、同マニュアルについての理解度テスト等も実施されていたことなどの事情に照らすと、Mとしては、マニュアルや事務取扱要領のコピー等を自宅に持ち帰った上でその習得に努めざるを得なかったと認められるから、Mの持ち帰り学習には業務性が認められるというべきである。自宅におけるMの学習時間を客観的に明らかにする証拠は見当たらないが、原告の目撃状況やMの日頃の業務状況等を総合すると、平成12年1月頃から本件システム統合のあった同年5月8日までの間、1日最大限で2時間程度の持ち帰り残業を行っていたと推認することもあながち不適切とまでいうことはできないというべきである。
T銀行が破綻し、H銀行がその営業譲渡を受けたことにより、営業店の業務量が増大していたことに加え、本件システム統合が実行されたため、N支店のようなH銀行系の営業店では、日常業務に加え、従前と全く異なるシステムへの対応を余儀なくされることになり、これに対処するために様々な研修が実施され、同システム統合後は、通帳の切替え業務等も加わって、他の同僚労働者にとっても、精神的、肉体的負荷は相当程度かかっていたと解されるところである。もっとも、N支店における本件発症前6ヶ月間の時間外労働時間を比較すると、Mの時間外労働時間が他の労働者に比べて特に多いとまでいうことはできない。2 業務起因性の有無
発症当日及び発症前日、Mは通常通りの営業課長としての業務に従事していたものであり、特段支障もなく、その発症の直前から前日(18日)までの24時間に、業務に関連する異常な出来事に遭遇した事実は認めるに足りない。発症当日は始業より通常の業務に従事し、午後6時10分頃本件疾病が発症したものであり、この日の労働時間は8時間45分であって、業務が特に過重であるとは認められない。発症前1週間については、所定休日を2日間取得しているほかは通常の業務に従事しており、この間最も労働時間が長い日が9時間5分であり、発症前1週間における労働実時間は44時間25分と通常程度のものであった。なお、平成12年7月14日、N支店長が、同支店が廃止統合されることが決まったと行員に発表し、Mが落ち込んでいたことが認められるが、支店の統廃合自体は既に予想されていたこと、Mは他店へ異動しても営業店課長職として処遇されていたものと推測されていることなどを併せ考慮すると、N支店の年内の統廃合の実施がMにそれなりの衝撃を与えたと推認できるとしても、それにより強度の精神的負荷を与え、これのみによって本件疾病を発症させたとまでは認めるに足りない。その他、Mの業務内容、作業環境から見て、上記期間内に特に過重な身体的、精神的負荷があったことはこれを認めるに足りないというべきである。
新認定基準によれば、(1)発症前1ヶ月間ないし6ヶ月間にわたって、1ヶ月当たり概ね45時間を超える時間外労働が認められない場合は業務と発症との関連性が弱いが、概ね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できるとされ、(2)発症前1ヶ月間に概ね100時間又は発症前2ヶ月ないし6ヶ月
間にわたって、1ヶ月当たり概ね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できるとされているところ、Mの時間外労働は、発症前1ヶ月間で17時間40分、同2ヶ月前の1ヶ月間で21時間10分であるが、同3ヶ月前の1ヶ月間で56時間50分、同4ヶ月前の1ヶ月間で39時間50分、同5ヶ月前の1ヶ月間で50時間25分、同6ヶ月前の1ヶ月間で24時間40分である上、Mは持ち帰り残業として、自宅においてそれなりの時間をかけて時間外労働をしていたものと推認できることをも併せ考慮すると、本件システム統合日である平成12年5月8日までの4ヶ月間にわたり、1ヶ月間当たり概ね45時間を超える時間外労働があったものと推認でき、多い月には80時間を超える時間外労働をしていた可能性も窺えるが、持ち帰り残業の時間をある程度考慮しても、新認定基準の認定要件を充足するとまではできないといわざるを得ない。
もっとも、新認定基準の認定要件を満たさないからといって、労基規則35条別表第1の2第9号所定の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に当たらないとまで直ちにいえるものではなく、労働時間、勤務形態、作業環境、精神的緊張の状態等に照らして、更に総合的に判断するのが相当である。そして、Mの発症前3ヶ月ないし6ヶ月間は、概ね45時間を超える時間外労働をしていたことが推認できるところである。
また、Mは、平成11年11月に営業課長に配置換えになったが、通常業務の精神的緊張に加え、全く経験したことがなかった本件システム統合に向けた作業が開始、続行される途中での配置換えであり、Mは必ずしも営業に明るいわけではなく、本件システム統合の実質的な責任者とはいえないものの、営業課長の果たすべき役割は大きかったということができ、しかも、同システムの統合は失敗を許されない極めて重要なプロジェクトであって、統合日の遵守及びその成功は至上命題であったことも考慮すると、本件システム統合日に至るまでの間は、Mは精神的にも強い緊張状態にあったものと推認できる。しかも、本件システム統合自体が無事終了し、業務が比較的落ち着いたところで、更にN支店が統廃合の対象となり、その時期も年内の11月であることが判明したことにより、ある程度予想していたとはいえ、それによる精神的緊張状態も強かったものと推認でき、このような勤務の継続がMにとっての精神的、身体的にかなりの負担となり、慢性的な疲労をもたらしたことは否定し難いところである。
更にMは、その死因となったくも膜下出血の発症の基礎となり得る疾患(脳動脈瘤)を有していたと認められるところ、本件疾病の発症前の勤務状況からすると、動脈瘤が破裂したのは、一過性の血圧上昇によるものである可能性が強いといえる上に、Mは当時56歳の女性で脳動脈瘤発症の好発年齢にあったものではあるが、他方、高血圧等の症状は特段見当たらず、また多量の飲酒、喫煙等の嗜好もなかったのであって、性別、年齢の点を除けば、脳動脈瘤の進行を促進・増悪させるリスクファクターというべきものは格別見当たらない。
Mは、死亡前3年間の健康診断で、特段の異常は指摘されておらず、基礎疾患の内容、程度、Mが本件発症前に従事していた業務の内容、態様、遂行状況に加え、脳動脈瘤の血管病変は慢性の疲労や過度のストレス状態が発症の原因の一つとなり得るものであることを併せ考慮すると、Mの基礎疾患というべき脳動脈瘤が徐々に形成されていたとはいえ、本件当時、その基礎疾患が確たる発症因子がなくてもその自然の経過によって動脈瘤が破裂寸前にまで進行していたとみることは困難というべきであって、他に確たる増悪要因を見出せない本件においては、Mが本件発症前に従事した業務による過重な精神的、身体的負荷がMの基礎疾患をその自然の経過を超えて脳動脈瘤の増悪を促進させたということができ、Mが本件疾病を発症するに至ったのは、同人が本件システム統合の過程でN支店の営業課長としての業務に従事したことにより、業務に内在する危険が現実化したことによるものと認められ、Mに発症した疾病は「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当し、その業務と本件疾病の発症及び死亡との間には相当因果関係があるというべきである。
以上によれば、Mの業務と本件疾病との間には相当因果関係が認められ、労基法75条2項、労基規則35条別表1の2第9号に規定する「業務に起因することの明らかな疾病」に当たると認められるから、療養補償給付等を不支給とした本件処分は違法であり、原告の請求は理由がある。 - 適用法規・条文
- 労働基準法75条2項、労災保険法13条、16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例914号11頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
札幌地裁 - 平成15年(行ウ)第24号 | 認容(控訴) | 2006年02月28日 |
札幌高裁 - 平成18年(行コ)第5号 | 控訴棄却(確定) | 2008年02月28日 |