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松本労基署長(S社)くも膜下出血死控訴事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 松本労基署長(S社)くも膜下出血死控訴事件
- 事件番号
- 東京高裁 − 平成19年(行コ)第149号
- 当事者
- 控訴人個人1名
被控訴人松本労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2008年05月22日
- 判決決定区分
- 原判決取消(控訴認容)
- 事件の概要
- 被災者(昭和34年生)は、昭和57年10月にS社に入社し、平成12年11月頃、TP生産技術部に配属された。
被災者は、平成13年2月以降、海外現地法人の人材育成業務を担当し、頻繁にフィリピン、インドネシア等に出張したほか、リワーク(製品の不具合、トラブル等が発生した際、現地へ赴き、原因究明、改善等を行う業務)業務のため、アメリカ、チリに出張した。
被災者は、平成12年11月から平成13年9月28日までの間、10回183日に及ぶ海外出張をし、インドネシアへの出張から帰宅した同月28日の2日後課長からの電話を受けて、翌1日東京台場へ出張した。台場倉庫では交替制で24時間の作業が続けられ、被災者は午前9時から午後5時までの所定時間勤務した。同月2日、3日も被災者は同様な勤務を行い、同日夜飲食した際、頭痛を訴えたりしたが、翌4日、午前7時の集合時刻になっても被災者は集合場所に姿を見せず、その後ホテルの部屋において死亡しているところを発見された。死因は、くも膜下出血と診断された。
被災者の妻である控訴人(第1審原告)は、被災者の疾病及びそれによる死亡は、業務に起因するものであるとして、平成13年10月、被控訴人(第1審被告)に対し労災保険法に基づき遺族補償年金及び葬祭料の支給を請求したが、被控訴人は被災者のくも膜下出血と業務との因果関係が認められないとして、いずれも不支給とする決定(本件処分)を行った。控訴人は本件処分の取消しを求めて審査請求をしたが棄却の裁決を受け、更に再審査請求をしたが請求後3ヶ月を経過しても決定がなされなかったことから、本件訴訟を提起した。
第1審では、被災者の業務は、時間外労働時間が月間30時間以内であること、業務の内容も特に過重な負荷を与えるものとはいえないことなどから、過重な業務とはいえないとして、原告の請求を棄却したため、控訴人はこれを不服として控訴した。 - 主文
- 1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が平成14年7月23日付けで控訴人に対してした遺族補償年金不支給決定処分及び葬祭料不支給決定処分をいずれも取り消す。
3 訴訟費用は、第1、2審を通じて被控訴人の負担とする。 - 判決要旨
- 労災保険法による遺族補償年金給付及び葬祭料が支給されるためには、労働者に生じた傷病等が「業務上」(同法7条1項1号、労働基準法75条1項)のものであることが必要であるところ、労働者の疾病等と労働者が従事していた業務との間に相当因果関係が認められることが必要である。また、労災保険制度が、業務に内在又は随伴する危険が現実化した場合に、それによって労働者に発生した損失を補填することを目的とするものであることからすれば、上記の相当因果関係が認められるためには、労働者が従事していた業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として、当該疾病が発症したものと認められることが必要である。
ところで、くも膜下出血を含む脳・心臓疾患は、基礎的病態(動脈瘤ないし血管病変)が、生体が受ける日常的な通常の負荷によって、徐々に進行及び増悪するといった自然経過を辿って発症するものであり、労働者に限らず一般の人々の間にも普遍的に数多く発症する疾患であるから、業務についても、それが日常的なものに留まるときは、それにより基礎的病変があったとしても自然経過の範囲内と考えられるが、一方業務による過重な負荷が加わることにより、基礎的病態を自然経過を超えて著しく増悪させ、脳・心臓疾患を発症させる場合があることは医学的に広く認知されている。そうだとすると、被災者が過重な業務により、基礎的病態を自然経過を超えて著しく増悪させ、くも膜下出血を発症したと認められる場合には、業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものと評価して、被災者の疾病(解離性動脈瘤の破裂によるくも膜下出血)の業務起因性を認めるのが相当である。
認定事実によれば、被災者の長期的業務について、労働時間、業務内容、勤務体制、国内・海外出張先の労働環境、生活環境などの点を見れば、被災者の心身に大きな負荷があったとは窺われない。すなわち、被災者の発症前1ヶ月ないし6ヶ月間にわたっての1ヶ月当たりの時間外労働時間数はいずれも30時間未満であり、土日の休日も確保され、勤務途中に待機時間や仮眠時間があるわけでもなく、拘束時間が長時間に及ぶということもなかった。しかしながら、被災者は、平成12年11月以降、頻繁な海外出張を繰り返すようになり、平成13年9月28日までに10回にわたり合計183日の海外出張をして、技能検定業務、リワーク業務に従事している。
上記の海外出張は、航空機等による長時間の移動や待ち時間を余儀なくされ、宿泊先のホテル等での生活は、日本食が食べられるとはいっても、環境、食事、睡眠などの面で不規則となり、夜間や休日における過ごし方も単調で、自宅で過ごすのとは質的に違い、精神的・肉体的に疲労を蓄積させるものであることは明らかである。のみならず、被災者が海外出張して行う業務のうち、技能検定業務は、知識や技能を評価し、育成するものであるが、個人差や言葉の違いのほか、生活風習面も異なることから、通訳を介してもなかなか見極めるのが難しい仕事であり、被災者らは数値目標を達成するため、自ら現地教材用の資料に手を加えるなどして業務に取り組んでいたものであり、その業務自体も精神的緊張の伴う性質のものであったとみることができる。また、被災者のアメリカ、チリへの出張はリワーク業務のためであるが、リワーク業務については、製品の不具合があるときは急遽現地に赴いて原因究明と改善を行う必要があり、相当の精神的緊張を伴うものであったと認められる。被災者は、平成13年8月19日から9月6日までのフィリピン出張から帰国し、実質的に2日間だけ自宅で過ごした後、同月9日から28日までインドネシアに出張しており、インドネシア滞在中、同僚に頭痛がある旨話しているのであって、この頭痛は解離性動脈瘤の前駆症状であった蓋然性があると認められる。被災者に相当の疲労の蓄積があったことは、被災者がインドネシアからの帰国の翌々日、上司からの出張の要請に対し、嫌悪感を露わにし、虚偽の口実を設けて翌日出発にしたこと、子供のサッカー練習の観戦もせずに車で横になって休んでいたことにも現れている。
台場において被災者が従事していたリワーク業務は、梱包等の作業の管理やチェックであり、肉体的に過重な負荷のかかる業務とまではいえないものの、立ち仕事ないし動き回る仕事であり、プリンター発売開始日が迫っていることから、当番制により24時間態勢で業務に従事していたことが認められ、台場倉庫での作業においてはやや混乱した状態も生じていた可能性が高いと推測されるのであって、被災者にとって、その業務は緊急性のあるものとして精神的に相当な緊張が伴うものであったと推認される。加えて、ホテル住まいで、仕事が終わった後もゆっくりくつろぐ環境にはなかったと認められるから、被災者は多数回にわたる海外出張業務で蓄積した疲労が解消しないまま、気が進まない台場での出張業務に従事したことにより、疲労は増加し、ストレスが溜まる一方であったと推認される。そして、被災者は、同年10月2日と3日にしきりに頭痛を訴え、特に3日は作業中や休憩中に両手でこめかみを押さえながら「頭が痛い」と言い、その翌日午前1時頃にくも膜下出血を発症し、死亡するに至っていることからすれば、被災者の上記愁訴は、くも膜下出血の前駆症状であったと推認するのが相当である。24時間2交替制の勤務体制がとられている中、応援を依頼された被災者にとっては、頭痛を訴えて業務の交替を申し出ることがはばかられたことから、頭痛をこらえて業務に従事し、業務終了後は飲酒をして頭痛をまぎらわしていたと推認することができる。
一方、被災者は、飲酒習慣があり、健康診断において、飲酒癖に伴うと推定される高脂血症、肝機能障害を指摘され、要治療とされていたほか、くも膜下出血のリスクファクターとなるべき年齢的要素、遺伝的要素を有しており、発症直前の10月2日と3日の夜、相当量のアルコールを摂取していたことが認められる。しかし、被災者の血圧は正常で、発症時の年齢は41歳で普通体重の範囲内に収まっており、産業医から禁酒ないし節酒の指導を受けてはいたものの、就業を制限する指示もされていなかかったものである。
被災者は、インドネシア出張時に頭痛があると話していたものの、帰国後自宅で休暇を取っている際には子供のサッカーの練習に同行するなど、平穏に過ごしており、この時点では頭痛の要因と推測される解離性動脈瘤の症状は緩解していたことが窺われる。
以上検討したところに医師の意見を併せ考慮すれば、被災者がくも膜下出血の発症した当時、同人の解離性動脈瘤の基礎的な血管病変が、その抱える個人的なリスクファクターのもとで自然の経過により何時くも膜下出血が発症してもおかしくない状態まで増悪していたとみるのは困難であり、むしろ被災者はフィリピンやインドネシアでのほぼ連続した出張業務に従事し疲労が蓄積した状態であったところ、インドネシアからほとんど日を置かず台場でのリワーク作業に従事せざるを得ず、かつその業務従事中、解離性動脈瘤の前駆症状の増悪があったにもかかわらず、業務を継続せざるを得ない状況にあったものであり、それらのことが上記基礎的疾患を有する被災者に過重な精神的・身体的な負荷を与え、上記基礎的疾患をその自然の経過を超えて増悪させ、その結果、解離性動脈瘤の破裂によるくも膜下出血が発症するに至ったとみるのが相当である。そうすると、被災者のくも膜下出血の発症と業務との間には相当因果関係があり、被災者は業務上の事由により死亡したものというべきである。以上の次第で、控訴人に対する遺族補償給付等を不支給とした本件各処分は違法として取り消されるべきである。 - 適用法規・条文
- 労働基準法75条、
労災保険法7条1項 - 収録文献(出典)
- 労働経済判例速報2011号3頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
長野地裁 − 平成15年(行ウ)第10号 | 棄却 | 2007年03月30日 |
東京高裁 − 平成19年(行コ)第149号 | 原判決取消(控訴認容) | 2008年05月22日 |