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地公災基金愛知県支部長(Z小学校教員)脳内出血死控訴事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 地公災基金愛知県支部長(Z小学校教員)脳内出血死控訴事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 名古屋高裁 − 平成2年(行コ)第1号
- 当事者
- 控訴人 地方公務員災害補償基金愛知県支部長
被控訴人 個人1名 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1991年10月30日
- 判決決定区分
- 原判決取消(控訴認容)
- 事件の概要
- K(昭和19年生)は、昭和42年4月に教員として採用され、昭和53年4月から新設校である尾張旭市立Z小学校に教諭として勤務していた。
Kは6年1組の担任で、学年主任であり、その他多くの委員等を担当していた。Kは昭和53年10月以降、授業の前後、土曜日は午後にポートボールの練習指導を行ったほか、同年10月24日からの1泊2日の修学旅行に当たって、中心となって準備、引率・指導を行った。
Kは校長の命令により、特別教育活動研究会に参加し、レポートの作成・発表を行ったほか、自主的な研究会として「子供の本について語る会」を結成し、報告などの活動を行っていた。Kは、同年10月28日午前7時47分頃登校し、ポートボールの練習をし、授業を行った後、午後1時頃試合出場の児童を同乗させて試合会場に行き、練習試合の審判を務めた。Kは試合の前半が終了したハーフタイムの午後2時10分頃、膝をつきうずくまるようにして倒れて意識不明となり、特発性脳内出血と診断されて血腫除去の緊急手術を受けたが、同年11月9日、入院先の病院で死亡した。
Kの妻である原告A並びにKの子である原告B及び同Cは、Kの死亡は公務上のものであるとして、地方公務員災害補償法に基づく、被告に対し遺族補償及び葬儀料の支給請求をしたところ、被告はKの死は公務外であるとして、不支給とする処分(本件処分)をした。そこで原告らは審査請求、更には再審査請求をしたがいずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
第1審では、Kは過重な公務が共働原因となって特発性脳内出血を発症して死亡に至ったとして、本件処分を取り消したことから、控訴人がこれを不服として控訴した。 - 主文
- 原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第1、第2審とも被控訴人の負担とする。 - 判決要旨
- Kの死亡は、同人の頭部皮膚下の脳内微小血管に先天的に形成されていた血管腫様奇形等が破裂することに至ったことによるものであるが、この破裂要因については医学的に殆ど解明されていないとはいえ、精神的肉体的負荷ないしこれからくる高血圧が原因となる可能性を全く否定することもできないところであるから、司法的判断としては、当該発症前の公務の遂行状況によっては、同人の死亡につき公務起因性を肯定すべき場合もあると考えられる。公務と素因等の発症との間に何らかの関連性があるというだけでは未だ公務起因性を認めることのできないことは当然で、公務の遂行が相対的に有力な原因になっている場合に初めて起因性が認められると解すべきものである。そして、被災前に遂行されていた公務による精神的肉体的負荷の過重の程度その他の具体的状況によっては、たとえ死亡した当該公務員の死亡原因が医学的に不明であったとしても、司法的判断としては、公務による精神的肉体的負荷が相対的に有力な原因となったものと判断して、公務起因性を肯定することも場合により許されると考えられる。そうすると、公務による精神的肉体的負荷の過重性を、被災前に遂行されていた公務を担当する平均的な健康度の公務員を基準として考えるべきか、現実に当該公務を遂行していた被災公務員の現実の健康度を基準として考えるべきかが問題となる。
Kは日頃極めて健康で、健康診断においても何の異常もないと診断されていた。Kは昭和53年4月、新設校であるZ小学校へ移り、学年主任及び学級担任として精勤してきたが、同年9月までは職務の内容が相当密度の濃いものであったとは認められるものの、それはKのような経験を有する小学校教員の職務に通有的なものと言える範囲であり、また担任クラスの生徒数が比較的少なかったことに照らせば、決して過重なものではなく、事実同人の勤務は基本的には所定時間内に止まっていた。ただ、同年10月に入ると、ポートボールの指導や修学旅行の準備等のために、同人の繁忙度はそれ以前に比べかなり増大したものと判断される。このようにKの遂行してきた公務の量は、かなり密度の濃いものであったとはいえ、標準的な教職員との比較からしても、少なくとも同年10月初め頃までは過重なものではなかった。ただ、同月11日からはポートボールの練習指導のため、それ以前に比してある程度勤務時間が増えたが、Kにのみ特有のことではないと認められ、過重とまではいえない。更に修学旅行では平時の勤務よりも遙かに高い肉体的精神的負荷を受け、疲労の度合いもその時点においてかなり高かったことは明らかであるが、修学旅行は全国の小中学校で定例的に行われており、同行教職員にとって負担が極端に重いというものではなく、事後の回復措置により健康への影響を避けることができるとの認識が一般的であり、同人も帰宅当夜は約11時間の睡眠を取り、かなり疲労度を解消できたものと考えられる。事実、翌26、27日の夜には、本来公務とはいえない「子供の本について語る会」の準備のため午前2時頃まで起きているなどし、新たな疲労を来したものと考えられるが、これを公務起因性有無の判断対象とすることはできない。こうして見ると、同人の10月初めから10月28日午前までの間に遂行してきた公務量は、小学校教職員の標準的な公務量や従前同人が全く支障なく遂行してきた同人自身の健康度にふさわしいと考えられる公務量に比べても、同人に過重な精神的肉体的負荷がかかる程に特段に多かったと認めることはできない。
Kの先天的素因である血管腫様奇形等の破裂誘因については医学的に解明されておらず、例えば入院して安静にしているような時に破裂することもあるとの医学的知見からすると、精神的肉体的負荷、あるいは、これからもたらされる高血圧が原因で特発性脳内出血が発症することを医学的に証明できていないのであるが、さりとてこれらが原因となり得ないことも医学的に証明されているわけでもないことから、公務による精神的肉体的負荷の過重の程度その他の具体的状況によっては、それが相対的に有力な原因となったとの司法的判断ができる場合もあることは前記のとおりである。しかし、Kの公務遂行の状況及びこれによりもたらされたと考えられる精神的肉体的負荷の程度はこれまで認定してきたとおりであって、これをもってしては、司法判断としても同人の有していた脳内微小血管の先天的奇形が破裂したのは、自然的経過を超えて右負荷が相対的有力な原因となったと見て、同人の死亡につき公務起因性を肯定することは未だ困難であると言わざるを得ない。 - 適用法規・条文
- 地方公務員災害補償法31条
- 収録文献(出典)
- 労働判例602号29頁
- その他特記事項
- 本件は上告された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
名古屋地裁 − 昭和58年(行ウ)第6号 | 認容(控訴) | 1989年12月22日 |
名古屋高裁 − 平成2年(行コ)第1号 | 原判決取消(控訴認容) | 1991年10月30日 |
最高裁 − 平成4年(行ツ)第70号 | 破棄・差戻し | 1996年03月05日 |
名古屋高裁 − 平成8年(行コ)第5号 | 原判決取消(控訴認容) | 1998年03月31日 |