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地公災基金愛知県支部長(Z小学校教諭)脳内出血死控訴事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 地公災基金愛知県支部長(Z小学校教諭)脳内出血死控訴事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 名古屋高裁 − 平成8年(行コ)第5号
- 当事者
- 控訴人 地方公務員災害補償基金愛知県支部長
被控訴人 個人1名 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1998年03月31日
- 判決決定区分
- 原判決取消(控訴認容)
- 事件の概要
- 小学校の教諭であるK(昭和19年生)は、昭和53年10月28日、特発性脳内出血により倒れ、入院し手術を受けたが、同年11月9日死亡した。
Kの妻である被控訴人(第1審原告)は、Kの脳内出血発症及びそれによる死亡は公務に起因するものであるとして、控訴人(第1審被告)に対し、公務災害の認定と遺族補償給付等の支給を求めたが、控訴人はこれを公務外として不支給処分とした(本件処分)。そこで被控訴人は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたことから、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
第1審では、Kの死亡は公務が共働原因となって起こったとして、本件処分を取り消したことから、控訴人がこれを不服として控訴した。第2審では、Kの死亡は公務に起因するものではないとして、原判決を取り消したことから、被控訴人はこれを不服として上告したところ、最高裁では、審理が十分でないとして、高裁に差し戻した。 - 主文
- 1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟の総費用は、被控訴人の負担とする。 - 判決要旨
- 1 Kの特発性脳内出血の発症と死亡との因果関係
当裁判所も、Kは特発性脳内出血を発症し、脳内血腫除去手術後、吐物誤嚥による呼吸不全により死亡したものであるところ、右特発性脳内出血とKの死亡との間には相当因果関係があると認めるのが相当と判断する。
意識障害があり自力で摂取能力のない患者においては、吐物を誤嚥し、これが気道を閉塞することがままあり、時としてこれにより死に至ることがあること、そのような事態に対応して事前事後の医療措置が適切に実施されることにより最悪の事態を回避できる場合も多いものの、本件のような事態も皆無とはいえないこと、Kの手術は成功したものの、吐物誤嚥が発生した昭和53年11月3日(手術6日後)当時同人は依然として重篤な状態にあったといえることなどが認められ、病院の措置に重大な不手際があったと認めるに足りる事情もないから、結局、Kに発生した吐物誤嚥及びこれによる死亡という事態は、当時の同人の病状が持つ固有の危険の1つが、その通常の経過を辿って発現したものと認めるのが相当である。よって、Kの特発性脳内出血と吐物誤嚥による死亡との間には相当因果関係があると認めることができる。
2 Kの特発性脳内出血開始の公務起因性
特発性脳内出血は、脳の細動脈、細静脈に先天的に存する血管腫様奇形による病変が、生化学的に変性することを基礎として発生するものであり、日常生活の中で、自然に発症するものが大半であるということができる。しかし、血圧の上昇が先天的な血管腫様奇形部分の脆弱性を促進し、あるいは血圧の上昇がその血管部分の破裂を引き起こしたと評価できる場合が全くないとは断定できない上、労働の肉体的精神的負荷が血圧の上昇を起こすことがあることが認められるから、結局本件においては、医学経験則を踏まえ、公務による過重な負荷が、Kの脳の細動脈、細静脈における先天的血管腫様奇形による病変ないし疾患を自然的経過を超えて著しく急激に増悪させたことにより、右出血が開始したと認められる場合には、これにより公務に内在する危険が現実化したものとして、公務と特発性脳内出血の開始との間に相当因果関係があり、特発性脳内出血の開始について公務起因性があると認めるのが相当である。
Kの昭和53年4月以降の実際の勤務時間は、概ね所定時間内に留まっており、同年10月中の勤務時間は、ポートボールの練習指導のため、出勤が午前7時45分頃と早くなり、土曜日の退勤時刻が午後4時頃と遅くなったものの、平日の退勤時刻はほぼ定刻の午後5時15分頃であり、休日勤務は1日だけであり、翌日が代休に充てられていた。同年10月24日及び25日に修学旅行が実施され、Kは学年主任であることから、事前の下見や説明等中心的に行うなどした。右修学旅行は、途中事故もなく、予定通り実施され、Kは帰宅後11時間の睡眠を取った。右修学旅行は定例的なものであり、スケジュールも児童の体力に合わせて設定されており、標準的な体力を有する引率者にとっては、極端に重い肉体的負担を伴うものではなかった。
Kは、同月に教育研究集会で発表をし、同月1日に運動会に参加し、児童を指導した他、Kは自ら呼びかけて「子供の本について語る会」を結成し、その報告のため、同月26日、27日は午前2時頃まで準備に当たったが、同会は自主的な勉強会であって、準備作業を公務の遂行と評価することはできない。
同年5月に実施された定期健康診断によれば、Kはほぼ標準的な体型であり、血圧も正常値であったこと、同人の勤務状況に問題はなく、既存の疾患もなく、本件発症までの間、Kの健康状態には何の異常もなく、同人は健康であると判断していたことが認められる。Kは、日頃極めて健康で、同年9月までの職務の繁忙度は、職務の内容がある程度濃いものであったとはいえるものの、Kのような経験を有する小学校教員の職務に通有的なものと評価すべき範囲内のものであり、過重なものであったということはできない。同年10月に入ってからポートボールの練習指導が加わり、Kの繁忙度はかなり増大したが、運動の指導は他の教員によっても行われており、Kに特有のものではなかったことが認められる。また、修学旅行においては平時の勤務よりもはるかに高い肉体的精神的負荷を受け、疲労の度合いもかなり高かったと認められるが、修学旅行は全国の小中学校で定例的に行われ、その実施方法も確立しているから、同行職員にとって負担が極端に重いというものではなく、Kも帰宅当夜の約11時間の睡眠により、疲労をかなり解消できたものと考えられる。発症当日である同月28日午前中の公務も、Kに過重な肉体的精神的負荷がかかるようなものであったとはいえない。このようにみてくると、10月初めから28日午前までのKの公務量は、小学校教職員の標準的公務量や、同人自身の健康状態に即応した公務量に比べても、同人に過重な肉体的精神的負荷がかかる程に特段に多かったと認めることはできない。
以上によれば、Kの公務による精神的肉体的負荷が過重なものであったと認めることはできず、結局、公務により、同人の有していた脳内微小血管の先天的血管腫様奇形の病変が自然的経過を超えて増悪し、破裂して出血したものと認めることはできない。
3 公務起因性の判断基準
特発性脳内出血開始後の血腫の増大ないし大出血は、通常、当初の小出血に基づく血腫の半凝固化、出血に起因する浮腫や腫脹等による環流障害によって、奇形血管の拡張、急激な透過性亢進を引き起こし、これが極限に達して血管が次々に破裂し、大血腫を形成するという病態生理学的過程であると認めるのが相当であり、その意味では、通常の場合には、血圧ないし血圧の上昇が血腫増大ないし大出血の原因であるとはいえない。しかし、全身血圧の上昇が、血腫の増大にいかなる意味でも全く関与しないとまで断定することは相当ではないから、本件において、医学的経験則を踏まえ、出血開始後においてKが公務に従事せざるを得ず、安静にしていることができなかったことにより、全身血圧、ひいては脳内の血圧を上昇させるなどし、これが原因ないし引き金となって、右のような血腫増大の機序における血管病変が自然的経過を超えて増悪し、死亡の原因となる重篤な血腫の増大が引き起こされたと認められるときは、公務に内在する危険が現実化したものとして、公務と右血腫の増大との間に相当因果関係があり、右血腫の増大について公務起因性があると認めるのが相当である。
10月28日午前中の公務の内容は、ポートボールの練習指導、朝の会、授業、清掃指導、下校指導等であり、質量ともに標準的な公務内容と変わらず、日常生活における血圧変動とは異なった血圧上昇をもたらすようなものであったとは到底認められない。結局、医学経験則に照らし、これらKの公務の遂行が、前記のような血腫増大の機序における血管病変を自然的経過を超えて増悪させ、死亡の原因となる重篤な血腫の増大を引き起こしたものと認めることはできない。
被控訴人は、Kがポートボールの審判をすることによって血圧の上昇をきたし、かつ血液量を増加させ、血腫を増大させたと主張する。しかし、体重の移動を伴う動的運動は、全身血圧の上昇は少ないこと、特に余り強くない運動では、血圧は最初少し上昇するだけで、やがて安定状態に落ち着く性質があることが認められ、ポートボールの審判は「余り強くない運動」に当たると認められる。そして、このような事情に加え、Kがもともと極めて健康な34歳のスポーツマンで、血圧に異常もなく、以前から実際に実技の指導にも当たり、審判にも熟練していたことを併せると、本件のポートボール審判によって、Kが大きな肉体的精神的負荷を受け、これにより、通常の日常生活における血圧変動の幅を超えて、大きく全身血圧が上昇するような事態があったとは認めることができない。したがって、右血腫の増大ないし大出血は、公務に内在する危険が現実化したものとはいえず、公務起因性があるとはいえない。
被控訴人は、大出血発症前に医師の診療を受けていれば、脳内出血等の病変を疑われ、早期治療や安静確保により、重篤な血腫の形成を避けることができたと主張する。しかし、本件の血腫の増大は、特発性脳内出血の大血腫形成の病態生理学的機序における自然の経過の範囲内の経過をたどって発生したものと認めるのが相当であるから、Kが公務から離れ、安静にしたとしても、全く同一の経過をたどった可能性も相当に高く、安静にすることにより、血腫の増大を招かなかった可能性が高いとまでは認めることができない。Kは、当日公務に従事していると否とにかかわらず、当日発症したと同様の意識障害等の神経症状を呈して後、初めて脳神経外科で受診し、治療を受けることになった蓋然性が高いこと、Kは当日午後2時10分頃倒れた後、I病院を経て午後4時30分頃公立病院に搬送されて入院したこと、同病院では、諸検査を経て、Kは午後7時30分頃手術室に入室し、午後8時23分頃から血腫除去手術を受けたこと、意識障害を起こしてから手術までの経過時間は6時間であり、このような脳内出血に対する手術としては順調な時間的経過をたどったものといえることの事実を認めることができる。
したがって、当時Kがポートボール審判等の公務に従事したことにより、診察、治療の機会を喪失し、これにより死亡するに至ったものと認めることはできず、この点からKの死亡に公務起因性があると認めることはできない。 - 適用法規・条文
- 地方公務員災害補償法31条
- 収録文献(出典)
- 労働判例739号71頁
- その他特記事項
- 本件は上告されたが、棄却された(最高裁平成10年(行ツ)196号 2000年4月21日判決)
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
名古屋地裁 − 昭和58年(行ウ)第6号 | 認容(控訴) | 1989年12月22日 |
名古屋高裁 − 平成2年(行コ)第1号 | 原判決取消(控訴認容) | 1991年10月30日 |
最高裁 − 平成4年(行ツ)第70号 | 破棄・差戻し | 1996年03月05日 |
名古屋高裁 − 平成8年(行コ)第5号 | 原判決取消(控訴認容) | 1998年03月31日 |