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名古屋東労基署長(S社)喘息死控訴事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 名古屋東労基署長(S社)喘息死控訴事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 名古屋地裁 − 平成6年(行ウ)第33号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 名古屋東労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1999年09月13日
- 判決決定区分
- 認容(控訴)
- 事件の概要
- K(昭和22年生)は、大学卒業後の昭和45年にS社の前身であるT社に入社し、電気設備工事技師として働いていた者である。
Kは、昭和52年7月頃、咳が止まらない状態となり、気管支喘息と診断され、同年9月23日から29日まで入院した。またKは昭和59年12月から昭和61年10月まで電気設備工事の現場副代理人業務に従事したが、この頃から喘息発作の回数が増え、時々発作のため夜眠れない日もあるようになった。Kはこの頃から継続的に通院・治療を受けていたが、昭和63年8月、自動車で帰宅途中、気管支喘息発作に見舞われ、急遽入院し、酸素吸入、点滴治療を受けたほか、同年10月末には自動車を運転して帰宅する途中に喘息発作に見舞われて、自動車を電柱に衝突させる事故を起こしたりした。
Kは平成元年1月後半から18時ないし19時まで残業するようになり、特に同月31日から2月17日までの18日間は、休みは1日で労働時間の合計は153時間に及んだ。また、Kは同年5月9日から20日まで連続して勤務し、その間は連日18時から20時までの残業であり、同月21日に休みを取った後も27日間連続勤務に従事し、この間20時以降まで残業した日数は12日間あり、特に同月6日及び7日は23時まで、14日は24時まで残業し、5月9日から6月17日までの40日間の労働時間は合計411時間に及び、その間の休日は1日で、竣工検査を控えて労働密度も濃かった。
同年11月5日、Kはソフトボールの試合から帰宅した後、午後12時過ぎに就寝し、翌午前3時頃苦しみ始め、原告が救急車を呼んだが、病院に搬送される前に死亡した。
Kは、喫煙の習慣があり、少なくとも死亡する15年以上前から毎日1箱程度喫煙しており、医師から禁煙指導を受けたが禁煙できなかった。Kは昭和63年3月頃から、医師に無断でメジヘラ(携帯用スプレータイプの気管支拡張剤)を使用していたが、メジヘラは長期間、大量に使用すると、その副作用によりかえって喘息発作が抑えにくくなるにもかかわらず、Kは咳をしないときにも使用し、適正使用量の15倍を使用していた。
Kの妻である原告は、Kの喘息発作の発生及びこれによる死亡は業務に起因するものであるとして、労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料を請求したところ、被告は本件疾病は業務上の事由によるものではないとして不支給の決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求をしたが、3ヶ月経過しても裁決がなされなかったことから、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対して平成5年6月24日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務と疾病の発症又は増悪との間の相当因果関係
労基法及び労災保険法に規定されている労災補償制度の趣旨は、労働災害が発生する危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に通常内在ないし随伴する危険性が発現し労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず被災労働者の損害を填補するとともに、被災労働者あるいはその遺族等の生活を保障しようとするものであると解するのが相当である。そして、労基法及び労災保険法が、保険給付の要件として、労基法75条において、「業務上負傷し、又は疾病にかかった」、労災保険法1条において、「業務上の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病、障害又は死亡」と各規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすれば、業務と傷病等との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と傷病等との間に相当因果関係が認められることが必要であり、かつこれをもって足りると解するのが相当であって、この理は労基法施行規則35条別表第1の2第9号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定、すなわち非災害性の気管支喘息等の業務起因性の有無の判断を行う上においても何ら異なるところはないと解するのが相当である。
しかして、非災害性の気管支喘息の発症及び増悪については、業務と直接関係のないアトピー素因やアレルゲン等日常生活上の危険因子が複合的・相乗的に影響し合って発症に至ることが多いことに鑑みれば、業務と右気管支喘息の発症及び増悪との間に相当因果関係を肯定するためには、単に気管支喘息が業務遂行中に発症したとか、あるいは業務が気管支喘息の発症及び増悪の一つのきっかけを作ったなどという一事のみでは足りず、当該業務に通常内在ないし随伴する危険が顕在化したものと認められることが必要であると解すべきである。しかるところ、肉体的・精神的緊張等に基づくストレスないし疲労の蓄積が、気管支喘息を誘発あるいは増悪させる危険因子の一つであることが認められるものの、ストレス等の発生要因は種々であって、その発生機序については医学上も未だ解明されていない分野であり、現在の医学的知見によっては、ストレス等の蓄積と気管支喘息の発症及び増悪との因果関係を医学的に明らかにすることは難しいといわざるを得ない。
しかしながら、訴訟上の因果関係については、かかる医学的な証明まで必要とされるものではなく、論理法則、経験則に照らしての歴史的証明で足りるのであることからみれば、業務と気管支喘息の発症及び増悪との間に相当因果関係があるといえるかどうかを判断するに当たっては、当該被災労働者の基礎疾患の内容、程度、発症前後の業務の状況、生活状況等の諸事情を具体的かつ全体的に考察し、これを当該被災労働者の疾病発生原因及び増悪についての医学的知見に照らし、社会通念上、当該業務が当該被災労働者にとって過重負荷と認められる態様のものであり、これが被災労働者の基礎疾患を自然的経過を超えて著しく増悪させ、それにより喘息発作による死亡の結果を招いたと認められる場合に相当因果関係を肯定するのが相当である。
2 相当因果関係の立証責任
遺族補償給付及び葬祭料を受けようとする遺族あるいは葬祭を行う者は、右請求に係る各給付について自己に受給資格があることを証明する責任があるといいうべきであって、右遺族ないし葬祭を行う者が遺族補償給付あるいは葬祭料を請求するには、「労働者が業務上死亡した」ことを証明しなければならないものと解するのが相当である。
もっとも、訴訟上の因果関係の立証は、自然科学的な証明ではなく、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることで足りる。してみれば、Kの業務と死亡との相当因果関係を立証するにおいても、Kの基礎疾患を自然的経過を超えて著しく増悪させたと認めるに足りる過重な業務の存在を立証すれば足り、被告から、本件基礎疾患が重篤な状態にあったこと、あるいは業務外の肉体的・精神的負荷が原因となって本件疾病が発症及び増悪したことについて特段の反証がない限り、本件疾病は労務に通常内在ないし随伴する危険性が顕在化したものと認められ、業務と本件疾病の発症及び増悪との間に相当因果関係を肯定することができるものと解するのが相当である。
3 本件死亡の業務起因性の有無
Kが気管支喘息に罹患し、いつ重積発作が起きてもおかしくない状態になったのは、平成元年8月からの東郷サービスエリア電気設備工事を担当するようになってからの、Kにとっては過重な業務と、喫煙習慣や、長期間大量のメジヘラ使用による気管支喘息のコントロール不良が相乗的に影響し合った結果であり、その中でも気管支喘息のコントロール不良が大きな要因であったと考えられるが、他方、Kは重症の気管支喘息に罹患しており、本人も希望していたように内勤への配置転換が必要であったところ、現場代理人が不足していたため現場業務に従事せざるを得なかったこと、また平成元年12月末日までの竣工期日の厳守が要請されていたところ、工事が予定よりも2日間程度遅れていたこともあって、11月3日、4日と連日休日出勤をしなければならなかったこと、すなわち、Kは10月下旬の時点では重症の気管支喘息の治療に専念するために早急に休養を取るべき状態であったのに、それが取れない実状にあったことを考慮すると、右の過重な業務もかなりの影響を及ぼしていたものと認めるのが相当である。
Kは、基礎疾患(気管支喘息)が、過重な業務、喫煙習慣及びメジヘラの長期間、大量使用による気管支喘息のコントロール不良の相乗効果によって重症化し、その状態の中で発生した重篤な発作による呼吸不全により死亡したものであるが、気管支喘息が重症化したのは、平成元年3月当時の白鳥住宅電気設備工事における極めて過重な業務が相当大きな要因となっていたこと、そして短期間の内勤では右の症状が十分に改善されないまま再び現場代理人となり、死亡直前の頻繁な喘息発作の発症についても、東郷サービスエリア電気設備工事におけるKにとっては過重な業務がかなりの影響を及ぼしていたことを総合的に考慮すると、Kの死亡は、業務が基礎疾患をその自然的経過を著しく超えて悪化させたことにより発生したものと認めるのが相当である。したがって、Kの死亡と業務との間には相当因果関係の存在を肯認することができる。
なお付言するに、Kの死亡については、Kにも度重なる医師の禁煙指導に従わなかったり、医師に無断でメジヘラを安易に乱用するなどの重大な過失が存在するから、労災保険法12条の2の2第2項により、保険給付の全部又は一部を行わないことができる場合に該当する。労働基準監督署長は、通達により、遺族補償等については給付制限をしない取扱いのようであるが、当裁判所としては、疾病等の発症、増悪に複数の要因が関与している場合は、むしろ因果関係の判断を緩やかにして、労災保険法12条の2の2第2項により給付制限をすべきであると考える。 - 適用法規・条文
- 労働基準法75条、
労災保険法1条、12条の2の2第2項 - 収録文献(出典)
- 労働判例776号8頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
名古屋地裁 − 平成6年(行ウ)第33号 | 認容(控訴) | 1999年09月13日 |
名古屋高裁 - 平成11年(行コ)第30号 | 控訴棄却(確定) | 2002年03月15日 |