判例データベース
中央労基署長(S社競馬記者)心不全死事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 中央労基署長(S社競馬記者)心不全死事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 東京地裁 − 平成11年(行ウ)第24号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 中央労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2002年02月27日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- K(昭和22年生)は、昭和47年4月にS社に入社し、編集局特信部に配属され競馬担当記者となった。その後プロ野球などを担当した後、昭和58年から再び競馬担当となり、中央競馬の取材、記事執筆等を担当してきた。
Kが死亡する前1年間である昭和60年7月25日から昭和61年7月24日まで、勤務日数280日のうち160日(57%)が出張であり、昭和60年8月は25日中22日、昭和61年7月は21日の全部が出張であった。Kは、札幌競馬等の取材のため昭和61年6月25日から7月28日まで33泊34日の予定で単独で北海道に出張した(本件出張)。本件出張中の同年7月20日、Kは「札幌3歳ステークス」出走の有力馬を取材するなどしたが、食欲がなく、夕食をほとんど口にせず、21日は公休日であるが、特集記事を午後4時頃まで執筆した。22日は週のメインレースである「札幌3歳ステークス」関係を主に取材、執筆、送稿したほか、高校野球北海道大会決勝の取材をし、執筆、送稿した。23日は、午前5時30分頃、競走馬の調教を取材し、夕食時には食欲がなく、疲労を訴えた。24日は、札幌競馬場で午後1時頃から5時頃まで取材、執筆、送稿を行い、午後6時から「札幌3歳素テークフェア」に参加し、その後ホテルで夕食を取った。その後Kはカラオケで歌い、翌25日午前2時30分頃ホテルに着いたが、同日Kは午後2時を過ぎ、ホテルのベッドで死亡しているのが発見された。死体の所見では、全身に外傷等異常はなく、顔面、頸部は冷汗湿潤、髄液は水様透明であった。
Kの妻である原告は、Kの死亡は過重な業務に起因するものであるとして、昭和62年9月17日、労災保険法に基づき、被告に対し、遺族補償給付及び葬祭料を請求したところ、被告は平成2年1月17日付けで、Kの死亡は業務に起因するものではないとしてこれらを不支給とする処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が、平成2年1月17日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 因果関係の判断のあり方
労災保険法の定める労災補償制度は、使用者が労働者をその指揮監督の下に業務に従事させていることから、その過程において業務に内在する各種の危険に労働者が遭遇することが不可避的であることに鑑み、労働者保護の見地から、使用者の過失の有無にかかわらず、その危険が現実化して疾病等の災害が発生した以上、その災害によって労働者が受けた損害は使用者が負担すべきものであり、使用者に対し労働力の毀損に対する損失の填補を行わせることが衡平にかなうとして、その補償義務を課したものと解される。このような労災保険法の立法目的、労災補償の趣旨からして、労働者に生じた疾病等が業務上の疾病等であるといえるためには、法的にみて業務に内在する危険が現実化したといえるほどの関係、すなわち労災補償を認めるのを相当とする関係がなければならないから、業務と疾病等との間に相当因果関係があることを要すると解するのが相当である。その判断に当たっては、当該労働者の業務の内容・性質、作業環境、業務に従事した期間等の労働状況、当該労働者の疾病発症前の健康状況、発症の経緯、発症した症状の推移と業務との対応関係、業務以外の当該疾病を発症させる原因の有無及びその程度等の諸般の事情を総合的に判断して、経験則上、業務に内在する危険が現実化したといえるほどの関係があるといえるほどの関係があるといえるかにより決するのが相当である。
2 Kの死因
Kの急性心不全の直接の原因としては、心筋梗塞、重症不整脈が考えられるが、Kの死亡時の状況は痛みを感じたようには見えないから、心筋梗塞の可能性は低く、重症の致死的不整脈と推認するのが相当である。重症不整脈は、心室細動によるものと考えられるが、Kには不整脈発症の基礎と考えられる心臓疾患はなく、危険因子として喫煙があるが、その量も多くはないし、他に特段の危険因子はないこと、Kの心臓に極めて短い期間に心臓疾患が発生したことを認めるに足りる証拠もないから、この心室細動は、心臓疾患が存在しないと思われていた人に突然起こったもの、すなわち特発性心室細動であると推認するのが相当である。
3 Kの死亡の業務起因性
特発性心室細動は、各種検査などにおいて明らかな異常を認めない状態の心室細動をいうものに過ぎないし、医学知見上、過労やストレスと重症不整脈との関係を肯定する見解も多くあること、医師も過重な負荷は心室細動の誘因とまり得るとしていることからすれば、Kが過労の状態にあったものとすれば、それが誘因となってKに心室細動を引き起こし、致死的不整脈をもたらして急性心不全で死亡に至った高度の蓋然性を認めることができるというべきである。
競馬記者としてのKの業務は、著しく出張業務が多く、その期間も1ヶ月を超えることが度々あること、出張時は、追い切り調教を取材する時は午前5時頃に起床せざるを得ないなど、職務時間が変則的であるし、注目馬の動向も注視していなければならないこと、取材対象、取材内容、取材場所がほぼ特定されているとはいえ、初対面の人にも取材しなければならないこと、出張時は長期の一人暮らしであって、自宅とは環境を大いに異にすることからすると、精神的、肉体的に相当負担のある業務であったというべきである。
本件出張は33泊34日という長期にわたるもので、Kは単独取材し、取材、執筆、送稿を滞らせないための精神的緊張感があったということができる。Kの執筆量は他社の記者のそれと比べて圧倒的に多いことが認められ、Kが相当負担のある業務に従事していたと認めるに足りるものである。またKは、死亡3日前には、早朝より取材した後、仮眠を取らないまま約4時間にわたり高校野球の取材をし、執筆、送稿しているが、過去に5年間の野球担当としての経験があるとはいえ、本来の競馬取材等とは異なるのであるから、その精神的、肉体的負担があったものと認められる。更に、死亡前日には、公開の「札幌3歳ステークスフェア」に出演し、多数の観客の面前で発言することから、一時的とはいえ精神的な負担はあったと認められる。
死亡前日から1週間のKの実労働時間は、昭和61年7月24日は約7時間30分、23日は9時間30分、22日は11時間、21日は3時間、20日は8時間30分、19日は6時間30分、18日は5時間30分で、平均7時間20分強である。原告は、この間Kは休憩時間や夕食後も、取材整理、原稿書きなどの業務に従事していたとしてその具体的時間数を主張するところ、具体的時間数についてはこれを認めるに足りる証拠はないが、この間のKの記事執筆量やKがホテルの室内で原稿を執筆していたとの証言からすれば、Kは前記労働時間を相当程度上回る時間、記事の執筆等の業務に従事していたものと推認することができる。
以上検討したKの業務の内容・性質、作業環境、労働状況、Kの急性心不全発症前の健康状況、発症の経緯、発症した症状の推移と業務との対応関係、業務以外の当該疾病を発症させる発症させる原因の有無及びその程度等の諸般の事情を総合すると、Kの急性心不全の直接の原因と推認される特発性心室細動は、仮にKの心臓に何らかの素因があったとしてもその自然的経過を超えて進行増悪して発症したものであり、Kの過重な業務が誘因となって発症したもので、Kの死亡と業務との間には、経験則上、業務に内在する危険が現実化したものとして、相当因果関係があるものと認めるのが相当である。
なお、不整脈による突然死等は本件認定基準の対象とする虚血性心疾患の一つとされているし、Kの発症前1週間以内の業務は日常業務を相当程度超えていると認めることができ、またそれより前の業務も過重であったということができるから、Kの死亡の業務起因性については、本件認定基準に照らしても肯定することができる。
以上によれば、Kの死亡は、Kの従事した業務に起因するものというべきであるから、これを業務上の死亡と認めなかった本件処分は違法である。 - 適用法規・条文
- 労災保険法1条、7条、12条の8
- 収録文献(出典)
- 労働判例825号32頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|