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Nホテル脳出血事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- その他
- 事件名
- Nホテル脳出血事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 神戸地裁 − 平成17年(ワ)第1902号
- 当事者
- 原告 個人3名 A、B、C
被告 ホテル会社 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2008年04月10日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(確定)
- 事件の概要
- 原告A(昭和29年生)は、昭和57年に被告に入社し、平成13年9月より、新規開業するNホテル(被告ホテル)の準備室営業課長として同ホテルの開業準備を行い、平成14年4月に同ホテルが開業した後は、営業部販売グループ課長として、主として修学旅行生の受入業務に従事していた。
原告Aは、従前修学旅行業務を担当したことはなく、その他営業部員7名の中にも同業務経験者はいなかった。平成14年10月から繁忙期を迎えI課長が営業部に配属され、原告Aとともに修学旅行業務を担当することになったが、Iは修学旅行業務の経験がほとんどなく、その後も原告Aが中心となって同業務を行っていた。平成14年秋は被告ホテル開業後初めて迎える繁忙期で、原告Aの時間外労働時間は、同年10月で198時間25分、11月で129時間、12月の3週間で55時間25分であった。
原告Aは、同年12月22日から25日及び平成15年1月1日を除き公休を取ったが、休暇中の同月4日に神戸市内の風俗店内で倒れ、「高血圧性脳出血」と診断され、入院治療及び通院治療の後、平成16年9月30日、運動性失語障害及び右半身に高度の麻痺を残して症状が固定し、平成19年9月13日、要介護3の認定を受けた。
原告Aは、本件疾病は業務に起因するものであるとして、労災保険法に基づき療養補償給付及び休業補償給付を請求し、後遺障害につき障害補償給付を請求したところ、業務上災害として療養・休業補償給付の支給決定を受けたほか、障害等級1級3号に該当すると認定され、障害補償年金、障害特別支給金及び障害特別年金の支給を受けた。
原告A、原告Aの母親である原告B、原告Aの妹である原告Cは、原告Aの本件疾病の発症は過重な業務に起因したものであり、被告には安全配慮義務違反があったとして、原告Aに対し、逸失利益7700万円強、慰謝料3950万円、休業損害1190万円強、過去・将来の付添看護料6920万円強、弁護士費用1000万円など総額2億1288万9848円、原告B及び原告Cそれぞれに対し、慰謝料及び弁護士費用330万円を支払うよう請求した。 - 主文
- 1 被告は、原告Aに対し、5561万0792円及びこれに対する平成17年10月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告Aのその余の請求並びに原告B及び原告Cの各請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用はこれを4分し、その1を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 被告における業務の過重生
原告Aが担当していた修学旅行業務は、大勢の宿泊客、しかも大人ではなく様々な面において注意を要する学生を扱う点で、受入の準備段階から打合せや手配すべき事項も多く、受入当日においても円滑な滞在を全うするために配慮を要するものであることは想像するに難くない。加えて、原告Aは従前修学旅行業務を担当したことがなかったこと、平成14年4月に開業した被告ホテルにとっては、同年の秋が初めて迎える本格的な修学旅行シーズンであり、ホテル全体が修学旅行客の受入に慣れていなかったこと、当時の営業部には修学旅行業務の経験者はいなかったこと、Iの配属前は原告Aが単独で同業務を行っていたこと、Iの配属後も原告Aが中心となって業務を行っていたこと等の事実も併せれば、原告Aにとって、修学旅行業務は相当程度に負荷のかかる業務であったと認められる。
また、原告Aの労働時間は、平成14年10月で375時間25分(所定外労働時間198時間25分)、同年11月で300時間10分(同129時間10分)、同年12月で187時間05分(3週間で同55時間25分)、平成15年1月で9時間20分となる。そうすると、原告Aの労働時間の面から見ても、原告Aの業務は、平成14年10月から12月中旬においては著しく過重であったと認められる。また平成14年9月については、修学旅行受入校数が15校と同年12月より多いことなどから、相当程度労働時間も長かったと推測される。他方で、原告らは、原告Aが実際に確保できた休憩時間は15分ないし30分程度であったと主張するが、仮に昼に取得できた休憩時間が30分であったとしても、そこから午後10時や11時までの勤務の間に夕食の時間も含め1度も休憩を取らなかったとは認め難いこと、また原告Aの業務内容に照らしても、常時拘束される性質のものではなく、原告Aは管理職であり業務時間内においても適宜休憩を取れる立場にあったことなどに照らせば、1日1時間程度の休憩は得ていたと認めるのが相当である。
以上によれば、原告Aが従事していた修学旅行業務は、年間を通じて繁閑の差が極めて大きく、閑散期においてはその業務は質量ともに過重とは認められないものの、繁忙期には質量ともに相当程度過酷なものであったと認められる。
2 業務と本件発症との因果関係
厚生労働省労働基準局長が平成13年12月12日に新たに定めた「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準」(新認定基準)は、業務による明らかな過重負荷と認められるものとして、「異常な出来事」、「短期間の過重負荷」及び「長期間の過重業務」に区分して要件を定めている。そのうち疲労の蓄積について最も重要な要因である労働時間については、(1)発症前1ヶ月間に特に著しいと認められる長時間労働(概ね100時間を超える時間外労働)、(2)発症前2ヶ月ないし6ヶ月間にわたって著しいと認められる長時間労働(1ヶ月当たり概ね80時間を超える時間外労働)に継続して従事した場合には、業務と発症との関連性が強いと判断できるとしている。
新認定基準は、危険責任の法理に基づく労災保険の認定の基準であって、使用者等の過失(安全配慮義務違反)を前提とする不法行為責任や本件のような債務不履行責任の場合には必ずしもそぐわないが、疲労の蓄積と血管病変との相当因果関係については相当の医学的根拠に基づく合理的なものということができ、本件における業務と本件発症との相当因果関係の有無を判断するに当たっても考慮に値すべきものであるといえる。
原告Aは、本件発症の日を含め、直前14日間は平成14年12月25日及び平成15年1月1日を除いて業務に従事しておらず、被告での業務が本件発症の直接の原因でないことは明白である。原告Aは風俗店において脳出血を発症しているところ、本件発症の直接の原因は、それが性行為そのものによるものか、原告の主張するようにシャワーを浴びたための血圧の上昇かはさておくとして、かかる状況下での血圧の急激な亢進にあったと認めるのが相当である。しかしながら、性行為ないしシャワーによる血圧亢進のように、通常人であれば脳出血に至らない程度の血圧亢進で原告Aの脳動脈が破綻したことは、それ以前に既に原告Aに血管壊死等の血管病変が相当程度進行していたことを表すものとみざるを得ない。
原告Aの所定外労働時間は、労災保険の新認定基準において業務と発症との関連性が強く推定される月80時間をはるかに上回っており、業務の内容についても原告Aにとって相当程度に負荷のかかるものと認められる。他方、高血圧について、原告Aは平成7年に異常を指摘され、その後平成8年、9年には改善し、平成13年頃から再び治療を要する程度にまで悪化している。また原告Aは糖尿病について再検査を指摘されているものの、これを原因とする血管病変が生じていた可能性がないことが認められ、その他喫煙、飲酒について原告Aが習慣を有していなかった。そうすると、原告Aは高血圧という危険因子を有しており、それが本件発症の要因となっていると認められるものの、それが要治療とされた平成7年や平成13年においても脳出血が発症していないこと、平成7年から本件発症時までの間継続して悪化傾向にあったわけではないこと、平成14年10月から12月中旬頃までの過重な勤務の後に本件発症が生じたという経緯も併せ考慮すれば、原告Aの血管病変が自然経過として発症直前の状態にまで増悪していたのではなく、平成14年10月以降の被告における過重な業務が、原告Aの血管病変をその自然経過による増悪の程度を超えて著しく増悪させた主たる要因であると認めるのが相当である。以上によれば、原告Aの被告における業務と本件発症との間には相当因果関係があるといえる。
3 被告の安全配慮義務違反
使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を雇用契約上の信義則に基づき負うと解するのが相当である。また、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の同注意義務の内容に従って、その権限を行使して、労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務がある。具体的には、使用者は、労働時間、休憩時間、休暇等について適正な管理を行い、各労働者の年齢や健康状態に応じて、当該労働者が従事する業務の負担軽減や労働時間の短縮等につき適切な措置をとるべき義務を負う。
被告は、原告Aの年齢を始め、健康状態を把握していたのであるから、部長をして、適宜業務量を調整し、原告Aの心身の健康を損なわないように配慮すべき義務があった。部長自身は健康診断の結果を知らなかったが、原告Aの平成14年10月から12月中旬までの労働時間が異常に長時間に及んでいることを把握していたのであるから、原告Aが管理職として自身の勤務時間を管理する立場にあったことを考慮しても、原告Aの労働時間を適正範囲にまで短縮すべき措置をとる注意義務があったというべきである。
Iの配属により、作業分担がなされ、これが負担の軽減となった側面があることは否定できないが、他方で、Iが修学旅行業務の経験に乏しいことに鑑みれば、着任当時は引継ぎや指導等の負担が増加することも否定できず、平成14年10月ないし12月の時期に限っていえば、原告Aの勤務時間を見る限り、Iの配属により原告Aの業務負担が大きく軽減されることはなかったというべきである。
以上によれば、部長には、労働時間の短縮、業務内容の変更、業務内容の変更、労働量の削減等原告Aの業務負担を軽減するための適正かつ有効な措置を十分にとっていない点で注意義務違反があるといわざるを得ない。被告にもこの点で安全配慮義務違反が認められるとともに、部長の使用者として、使用者責任を負う。
4 損 害
本件発症により原告Aが被った損害は、治療関係費97万3133円、入院雑費39万円、症状固定前の通院・介護等交通費194万4160円、付添看護費381万円、休業損害739万6296円、逸失利益(67歳まで17年間就労可能としてライプニッツ方式で算定)7496万5110円、入通院慰謝料400万円、後遺障害慰謝料3000万円、将来の付添看護費1037万1941円(ヘルパー代373万1065円、親族による介護も必要であることから、原告Cが福岡から月2回・6日間福岡から来る前提で、664万0876円)、将来の付添交通費1128万9490円等合計1億4592万4339円となる。原告Aが失語症にあるとはいえ、未だ意思疎通能力を欠いているとはいえないし、生命維持に必要な身体動作について常時介護が必要であるわけではなく、死亡した場合にも比肩すべき場合とまではいえないこと、原告B及び原告Cが今後常時原告Aの介護に当たるものとは認められないこと等諸般の事情を考慮すれば、本件について原告B及び原告Cに慰謝料を認めるのは相当でない。
5 過失相殺・素因減額、損益相殺
原告Aは、自身の健康状態について最も良く知り得る立場にあり、具体的な指示も受けていたのであるから、閑散期に医師の診断を受けたり、生活習慣の改善に努めるなどの努力をすべきであったし、繁忙期においても、体調に異常を感じたのであれば、その旨申し出るなどすべきであったにもかかわらず、医師の診断を受けることもせず、自己の健康維持・管理に努めなかったと見受けられる。したがって、これらの原告Aの素因及び自己の健康管理懈怠等を考慮して、その損害額の4割を控除するのが相当である。よって、過失相殺・素因減額後の原告Aの損害は8755万4603円となる。
原告Aは、労災保険から、休業補償給付、介護補償給付金、労災保険年金合計1578万3967円を受給し、被告から、グループ保険、総合福祉団体定期保険及び労働災害保険合計2115万9844円を受給しているから、これらを控除し、弁護士費用を500万円を認める。 - 適用法規・条文
- 民法415条、418条、709条、722条2項
- 収録文献(出典)
- 労働判例974号68頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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