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厚木労基署長(T社)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
厚木労基署長(T社)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
大阪地裁 - 平成19年(行ウ)第122号
当事者
原告 個人1名
被告 国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2008年11月17日
判決決定区分
棄却
事件の概要
 D(昭和39年生)は、昭和60年5月、アセチレン、LPガス、液体酸素、特殊ガスの製造・販売等を行う本件会社に正社員として採用された者であり、当初厚木工場の特殊ガス製造課に配属され、その後平成元年4月、同工場業務部業務課に配転された。

 Dは、平成9年10月以降、標準ガス部門のチーフとして、概ね、(1)顧客の苦情受付及び回答業務 1日2時間ないし3時間、(2)納期の調整及び回答業務 1日2時間ないし3時間、(3)原料ガスの受払業務 月末から月初の2日間で合計10時間、(4)容器の受入及び発注 2、3日間で合計6時間、(5)受注及び内容確認 1日1時間ないし2時間、(6)帰着容器の整理 1日1時間ないし3時間の業務に従事していた。Dが担当した上記業務のうち比較的負担の重い(1)及び(2)について、面接の際、Dは仕事量が「多すぎる」、「難しい」と表明したこともあって、業務量を減らす措置が採られた。

 本件会社は、従業員に自己申告書を提出させていたところ、Dの平成9年度は、仕事量は「やや多い」、難易度は「やや難しい」であったものが、平成11年度、12年度には、それぞれ、「多すぎる」、「難しい」に変わった。

 Dは、平成12年1月27日に初めて受診し、うつ病と診断され、通院しながらの精神療法により治療を受けた。Dの症状は軽減方向にあり、安定した推移をたどっていたが、同年3月14日、父親が脳梗塞で倒れて同月18日に死亡し、Dは同年4月16日午後10時頃、自宅のワンルームマンションで首を吊って自殺した。
 Dの母親である原告は、Dの自殺は業務に起因するものであるとして、平成14年2月4日、労働基準監督署長に対し遺族補償給付及び葬祭料を請求したが、同署長は平成15年3月31日、いずれも支給しない旨の決定処分(本件処分)をした。そこで原告は、本件処分を不服として審査請求、さらには再審査請求をしたがいずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
 原告は、タイムカードによっても平成11年4月以降、Dが平均して1日10時間仕事に拘束されていた上、退勤の打刻時刻以降も業務に従事していた旨主張する。確かに、Dが友人に宛てたメールには、毎日サービス残業で帰りが遅い旨の記載があるが、同内容から直ちに同内容に沿う事実があったとまで認めることはできない上、厚木工場では従業員の労働時間管理をタイムカードによって行っていたこと、部長はDの残業について気をつけていたこと、Dの終業時刻は概ね午後7時前後であり、Dがタイムカード打刻後仕事をしていたのを見たことがない旨の同僚の供述を総合すると、Dの労働時間はタイムカード記載の時間であったことが推認される。

 原告は、Dと課長との間に品質会議出席を巡るトラブルがあり、掴み合いにまでなった旨主張する。平成10年11月以降、Dと課長は同会議に同席していないこと、Dは会議の席での質問に答えられずに課長と口論になったことが認められることから、同トラブルはDが品質会議に出席した平成10年11月頃であったと推認される。また、Dと課長は、上記トラブルの後、関係が悪化したこともないこと、課長はDについて優しい穏やかな性格で将来幹部になる人物と評価していたことなどが認められ、そうすると原告の主張を認めるに足りる証拠はない。

 また、Dは実習生Hが電話を取らなかったことを激しい口調で注意し、その際掴み合いの喧嘩をした事実は認められるが、その時期は明らかでない。更にDはたばこを吸っていたIに対し注意したことが窺われるが、仮にその事実が存在したとしても、トラブルといえるような状況ではない。

 労災保険法に基づく保険給付は、労働者が業務上死亡等した場合に行われるところ(同法7条1項1号)、労働者の死亡等が業務上のものと認められるためには、業務と死亡等との間に相当因果関係が認められなければならない。労災保険制度が労働基準法の危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることからすると、相当因果関係が認められるためには、当該死亡等の結果が、当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得ることが必要と解するのが相当である。ところで、労災保険法12条の2の2第1項は、労働者が故意に死亡等の原因となった事故を生じさせたときは労災保険の給付対象から外している。したがって、労働者が自由意思によって自殺した場合には業務上死亡した場合とは認められない。しかし、労働者の自殺が業務に起因して発生した精神障害の症状として発現したと認められる場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺を思い止まる精神的抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定されるため、原則として故意による事故に該当せず、業務上死亡したと認めるのが相当である。

 精神障害の発症について、環境由来のストレスと、個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が決まるという「ストレス-脆弱性」理論が合理性を有しているところ、同理論の下、精神障害の発症について業務起因性が認められるためには、ストレスと個体側の反応性、脆弱性を総合考慮し、業務による心理的負荷が、社会通念上、客観的に見て、精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合に、業務に内在する危険が現実化したものとして、当該精神障害の発症について業務起因性を肯定することができると解するのが相当である。

 Dは、平成9年以降、顧客の苦情受付及び回答業務を担当していたし、平成9年度以降の自己申告書には仕事量、難易度について、やや多いから多すぎると、やや難しいから難しいと、そして異動希望についても現職を続けたいから変わりたい旨記載し、同記載を踏まえて部長は、Dの業務内容のうち、顧客の苦情受付及び回答業務並びに納期の調整及び回答業務について減らす方向で配慮している。しかし、Dは顧客から直接苦情を受けることはほとんどなく、同じ課内で苦情を受けていた同僚の件数(年間5、6件)とそれほど相違がなかったことが窺われる。また納期の調整についても、困難なものがどの程度あったのか不明である上、顧客から一定の要望を受けたり、他の部門の者に依頼して調整をすることはどのような仕事の中でも日常的によくある局面であり、Dはその調整方法についても経験を積み、現にDの業務遂行について特段問題となることはなかった。Dは標準ガス部門のチーフであって、同部門を担当していた中では最もその経験があったこと、同業務を特段問題となる出来事もなく遂行していたこと及びDの労働時間を踏まえると、Dに対して、その担当業務について、業務支援をしなければならない状況であったとまでは認めることはできない。
 以上の事実を踏まえると、Dが躁うつ病発症当時ないしそれ以前に担当していた業務は、日常において通常直面する以上の過重な精神的負荷となるような業務ないし出来事であったとまでいうことはできない。そうすると、Dの業務内容それ自体が社会通念上、客観的に過重な精神的負荷をもたらすものであった旨の原告の主張は理由がない。したがって、本件処分は適法といわなければならない。
適用法規・条文
労災保険法7条1項、12条の2の2第1項、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働経済判例速報2029号20頁
その他特記事項