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名古屋南労基署長(Y社)脳出血死事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
名古屋南労基署長(Y社)脳出血死事件【過労死・疾病】
事件番号
名古屋地裁 − 平成元年(行ウ)第9号
当事者
原告 個人1名
被告 名古屋南労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1994年08月26日
判決決定区分
認容(控訴)
事件の概要
 Kは、昭和52年3月に冶金関係の専門家としてY社に取締役として入社した者であり、開発部部長として、3Eメーター(鋳造工場において溶解された鋳鉄の成分を分析する装置)に関する業務に従事していた。

 3Eメーターの販売業務は、当初代理店に委託していたが、その後開発部が直接担当することとなり、K及び2名の部下でその業務を担当した。開発部では、3Eメーターに関する立会(3Eメーターを現場に持参して実際に溶湯を測定する)や、顧客からのクレーム対応も担当しており、その業務は出張を伴うものであった。

 昭和58年に入って、Kは1月6日から2月9日までの35日間に述べ20カ所17日出張し、そのうち10日は遠方出張であった。当時のKは勤務日報上では残業及び休日出勤をしていないことになっていたが、実際には残業がしばしばあり、顧客の都合により帰宅が深夜2時頃に及ぶこともあり、恒常的に時間外業務に従事していた。

 同年2月15日、Kは午前2時頃まで韓国出張の準備をした上で、昼頃釜山空港に着き、2時間ほど商談をした後宿泊した。翌16日、原告は3Eメーターの取扱の説明及びテストを行い、終日立会、調整等の業務に従事した。翌17日もKは3Eメーター関係の業務に従事した後、韓国における販路拡大のため、韓国の関連メーカーと協議を行った。当初予定では3日の出張予定であったが、1日延長した翌18日、Kはデータ作業に従事した後、4社を訪問し、工場見学なども行った後ホテルに戻り、夕食会に出席したところ、その席上で突然倒れ、病院に搬送されたが、同月22日、脳出血により死亡した。

 なお、Kは高血圧であり、昭和56年には、血圧値が200/90となって治療を受け始め、降圧剤の投与を受けて、継続的な通院治療により、概ね130〜160台の間を推移するようになったほか、タバコは吸わず、酒もほとんど飲まなかった。
 Kの妻である原告は、Kの死亡は業務上の事由によるものであるとして、昭和58年6月2日、被告に対し、労災保険法に基づく遺族補償年金給付及び葬祭料の請求をしたところ、被告はこれを業務上のものとは認められないとして、昭和59年5月17日付けをもって不支給の決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消を求めて本訴を提起した。
主文
1 被告が原告に対して昭和59年5月17日付けでなした労働者災害補償保険法による遺族補償年金給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 業務起因生の判断基準

 労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に内在ないし随伴する危険性が発現し、労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災者の損害を填補するとともに、被災者及びその遺族の生活を保障しようとすることにあるものと解される。そして労基法及び労災保険法が労災補償の要件として、労基法75条、79条等において「業務上負傷し、又は疾病にかかった(死亡した)」、労災保険法1条において「業務上の事由により」と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすると、業務と死傷病との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常死傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつこれをもって足りるものと解するのが相当である。そしてこの理は本件脳出血のような非災害生の労災に関しても何ら異なるものではない。

 被告は、脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する業務起因性については、規則35条別表第1の2第9号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」と認められることが必要であり、その認定に関しては新認定基準に該当する事実の存在することが必要である旨主張する。しかし、労基法75条2項が業務上の疾病の範囲を命令で定めた趣旨は、業務上の疾病に関する相当因果関係は傷害の場合ほどに明確でないため、その点を明らかにしようとしたことにあるのであって、これにより相当因果関係の認められる範囲を拡張したり、制限しようとしたものではないというべきである。また、「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関する認定基準についても、それはあくまで下部行政機関に対する運用のための通達であって、行政の適正、迅速処理のための判定基準を示したに過ぎないものであるから、相当因果関係の存否の判断を直接拘束するものではないことはいうまでもない。

 脳血管疾患等の発症の相当因果関係を考える場合、まず第一に当該業務が業務に内在ないし随伴する危険性の発現と認めるに足りる内容を有すること、すなわち当該業務が過重負荷と認められる態様のものであること(業務過重性)が必要であり、さらに脳血管疾患の原因としては加齢や日常生活等も考えられ、業務そのものを唯一の原因として発症することはむしろ稀であり、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いことに鑑みると、「相当」因果関係が認められるためには、単に脳血管疾患等の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りず、当該業務が加齢その他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要であるというべきである。

 新認定基準は業務起因性について医学的、専門的知見の集約されたものとして一定の合理性を有するが、業務過重性について、右認定基準が、日常の業務に比して特に過重な肉体的、精神的負荷と客観的に認められる業務でなければならないとした上、客観的とは、「医学的に」「急激で著しい増悪」の要因と認められることをいうものであるから、被災者のみならず、「同僚又は同種労働者」にとっても、特に過重な肉体的、精神的負荷と判断されるものでなければならないとしている点は、結果として相当因果関係の判断に特別の要件を付加することになるのであって採用できない。なぜなら、一般に因果関係の立証は、「自然科学的証明ではなく、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることで足りると解されていること、とりわけ医学的な証明を必要要件とすると、被災労働者側に相当因果関係の立証に過度の負担を強いる恐れがあり、現在の社会の実情に照らし、労災補償制度の趣旨にも合致しないと考えられるからである。

 しかして、高血圧症等の基礎疾患を有する労働者の業務過重性の判断に当たっては、それが当該業務に従事することが一般的に許容される程度の疾患等を有する労働者であり、これまで格別の支障もなく同業務に従事してきているといった事情が認められる場合は、当該労働者を基準にして、社会通念に従い、業務が労働者にとって自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断するのが相当である。そして、このような過重負荷の存在が認められ、これが原因となって基礎疾患等を増悪させるに至ったことが認められれば、当該労働者が、結果発症の危険性のあることを知りながらこれを秘匿するなどして敢えて業務に従事したなどの特別の事情のない限り、原則として、業務と結果との間に因果関係の存することが推認されるとともに、被告側から特段の反証がない限り、右過重負荷が結果発症に対し相対的に有力な原因であると推認し、相当因果関係を肯定することができるものと解するのが相当である。

2 本件脳出血発症の業務起因性の有無

 医学上、脳出血の危険因子として、一般的には、高血圧、糖尿病、肥満、タバコ・酒、年齢等が挙げられるところ、Kは高血圧ではあったが通院治療により概ね130台から160台の間を推移しており、血糖値に異常はなく、肥満体ではなく、タバコは吸わず、酒もほとんど飲まなかった。

 肉体的疲労、精神的緊張のストレスが高血圧を増大させ脳血管疾患等を増悪させる危険因子の一つであり、これらストレスないし疲労の蓄積が正常者に比してより大きく作用し、容易に血圧の上昇を招くことが医学的に知られている。もっとも、ストレスないし疲労の発生要因は種々であって、個体差が存し、ストレスないし疲労の蓄積と高血圧症の増悪との間の因果関係を医学的に肯定することはできないとも見方も生ずるが、法的因果関係は必ずしも厳格に医学的な証明を要するものではなく、ましてストレスないし疲労の蓄積が定量的に把握できなければ因果関係を肯定することができないといった性質のものではなく、むしろ、ストレスないし疲労の蓄積と高血圧症の増悪との間の因果関係についても、通常人の目から見て日常の業務により受ける程度を超えたストレスないし疲労の蓄積が認められ、これが高血圧症を増悪させたものと判断され、また医学的にも、厳密にその機序、程度を証明することまではできないにしても、そのような作用のあることが矛盾なく説明された場合には、因果関係を推認して妨げないものと解される。

3 Kの死亡の業務起因性

 Kは、Y社の取締役兼開発部長として、3Eメーターの立会調整やクレーム処理に携わっており、立会調整は売買契約が終了した後のものとはいえ、顧客先の炉の溶湯を正確に測定できるかどうかを確認する重要な職務であって、一定の精神的負担を負っていたとは認められるが、肉体的負担は問題とすべき程度ではなかったというべきである。しかしながら、Kは開発部の中で主に遠方の出張を担当していた上、月の半分程度を出張業務に従事し、残りが社内業務であったことに照らせば、その頻度からいって出張に伴う肉体的、精神的負担は多大であったというべきである。

 ところで、右出張に伴う肉体的、精神的負担が本件発症の直接の原因となる程度に過重であったとみることは、本件発症の直前に出張回数や出張距離が特に増加したとは認められないこと等に照らして相当ではないが、特に韓国出張直前の2月の出張状況は、2日及び3日に連続して日帰りの出張をし、7日から9日までの間に3県に宿泊を伴う出張を行っているのであるから、これらの期間の出張はKにとって肉体的、精神的負担となり、疲労が蓄積されていたとみるのが自然である。しかも、2月10日以降韓国出張前日の14日までの間も、13日の日曜日を除いて、祝日も含めて通常業務していることに照らせば、韓国出張の出発前にこれら出張業務に伴う肉体的、精神的疲労が十分回復していたと見るのは社会通念上相当でない。加えて、Kは韓国出張当日午前2時頃までその準備をして睡眠不足であったことからすれば、Kが韓国出張に出発したとき、Kは相当高度の疲労状態にあったものと推認できる。そして、Kにとって、韓国出張は初めての海外出張であり、そのこと自体が相当な肉体的、精神的負担であったことに加え、国内出張に比べ長期間滞在しなければならないため、自宅に戻ってストレスを発散させ、疲労回復を図ることができないことによる疲労の蓄積も存したと認められ、出張期間を1日延ばさざるを得なかったことも、Kの肉体的、精神的負担を増大させたと認めることができる。しかも、Kが韓国出張に出向いた頃、韓国は寒冷期であり、本件発症当日は急に冷え込んで氷点下となったのであり、死亡当日の気象条件すなわち寒冷によるストレスは、Kに対する肉体的負担であったと認められる。

 以上のとおり、Kはそれまで従事していた業務により、既に相当の疲労を蓄積させた身体状況にあったところ、本件韓国出張に伴い肉体的、精神的負担が重なり、これが高血圧症の基礎疾患を有するKにとって脳出血を発症させる危険性のある過重負荷となったこと、このような過重負荷がKの高血圧を急激に増大させ、もって自然的経過を超えて、基礎疾患たる脳血管病変を悪化させた結果、本件脳出血を発症させたものであり、したがって、他に特段の事情の認められない本件においては、本件韓国出張とKの死亡との間には相当因果関係が存したものと認めるのが相当である。
 そうすると、Kの死亡は業務起因性が認められるから、これと異なる判断の上に立ってなされた本件処分は、違法であって取消を免れない。
適用法規・条文
労働基準法75条、79条、労災保険法16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例654号9頁
その他特記事項
本件は控訴された。