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名古屋南労基署長(Y社)脳出血死控訴事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
名古屋南労基署長(Y社)脳出血死控訴事件【過労死・疾病】
事件番号
名古屋高裁 − 平成6年(行コ)第23号
当事者
控訴人 名古屋南労働基準監督署長
被控訴人 個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1996年11月26日
判決決定区分
控訴棄却(確定)
事件の概要
 Kは、昭和52年3月にY社に入社し、開発部部長として、3Eメーターに関する業務に従事していた。3Eメーターの販売業務は、K及び2名の部下で担当し、立会や顧客からのクレーム対応も担当しており、その業務は出張を伴うものであった。

 昭和58年に入って、Kは1月6日から2月9日までの35日間に述べ20カ所17日出張し、顧客の都合により帰宅が深夜2時頃に及ぶこともあり、恒常的に時間外業務に従事していた。

 同年2月15日、Kは午前2時頃まで韓国出張の準備をした上で、昼頃釜山空港に着き、2時間ほど商談をした後宿泊した。16日及び17日、3Eメーター関係の業務に従事したが、当初予定では3日の出張予定であったところ、1日延長した翌18日、工場見学なども行った後ホテルに戻り、夕食会に出席したところ、その席上で突然倒れ、病院に搬送されたが、同月22日、脳出血により死亡した。

 なお、Kは高血圧であり、昭和56年には、200/90となって治療を受け始め、降圧剤の投与を受けて、継続的な通院治療により概ね130〜160台の間を推移するようになったほか、タバコは吸わず、酒もほとんど飲まなかった。

 Kの妻である被控訴人(第1審原告)は、Kの死亡は業務上の事由によるものであるとして、昭和58年6月2日、控訴人(第1審被告)に対し、労災保険法に基づく遺族補償年金給付及び葬祭料の請求をしたところ、控訴人はこれを業務上のものとは認められないとして不支給の決定(本件処分)をした。被控訴人は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消を求めて本訴を提起した。
 第1審では、特に韓国出張前におけるKの業務が過重であったこと、韓国出張はKにとって初めての海外出張であり、販路拡大など重要な使命を負っていたこと、急激な寒冷気候に見舞われたことなどを理由に、Kの脳出血を業務上災害と認め、本件処分を取り消したことから、控訴人がこれを不服として控訴に及んだ。
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
判決要旨
1 業務起因生の判断基準

 労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に内在ないし随伴する危険性が現実化して労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災労働者の損害を填補するとともに、被災労働者及びその遺族の生活を保障しようとすることにあるものと解される。そこで、当該労働者の疾病に業務起因性があるというためには、当該業務に疾病の発症という結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と疾病の発症等の結果発生との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつこれをもって足りるものと解するのが相当である。

 しかるところ、業務とそれに直接関連性のない基礎疾患とが協働して当該疾病が発症した場合において、業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして相当因果関係が肯定されるためには、単に当該疾病が業務遂行中に発生したとか、発症の一つのきっかけを作ったとかいうだけでは足りず、当該業務に内在ないし随伴する危険が当該疾病の発症について相対的に有力な原因となっていることが必要というべきである。そして、労働者が業務により肉体的、精神的に過重な負荷を受け、これにより当該基礎疾患が自然経過を超えて著しく増悪し、疾病が発症したと認められる場合には、当該業務に内在ないし随伴する危険が当該疾病の発症について相対的に有力な原因になっているものというべきである。なお、当該労働者の業務の過重性の判断に当たっては、発症した当該労働者と同程度の年齢、経験等を有し、日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある労働者を基準としてこれを行うのが相当である。

 労働と脳出血の発症との間に相当因果関係があるといえるかどうかを判断するに当たっては、当該被災者の死亡原因、死亡直後の具体的状況、基礎疾患の内容・程度、発症前の業務の状況、生活状況等関連する諸事情を総合的かつ全体的に考察し、これを当該被災者の死亡原因についての医学的知見に照らし、業務による過重な負荷が、被災者の基礎疾病を自然経過を超えて増悪させ。それにより脳出血を発症したと認められるかどうか、したがって、労働の過重負荷が脳出血発症について相対的に有力な原因となっているかどうかを検討するのが相当である。

2 業務過重性について

 出張業務についてみると、Kは開発部の中で遠方の出張を専ら一人で担当し、併せて近い場所への出張をも適宜担当していたもので、社内業務に比較して、同人の肉体的・精神的負担は多大であったというべきである。特にKの出張は、目的が立会調整や売込活動であることから、勢い先方の都合を優先せざるを得ないし、ましてクレーム処理である場合には、Kに時と場所を選択する余地のないものであったということができ、Kの出張は拘束性の強いものであったと評するのが相当である。また、遠方出張の日程は非常に窮屈になっている場合が多く、したがって帰宅が深夜になる場合が多かったし、自宅を早朝に出発せざるを得ない場合も少なくなかったことが明らかである。このように、通常の時間帯には出張先での業務に従事し、その前後の時間帯に長距離、長時間をかけて移動することは、通常の社内業務に比較して、大きな肉体的、精神的負担を伴うものであったというべきである。

 Kは、疲労が相当高度に蓄積した状態で韓国出張に出かけたものであったが、同人にとって韓国出張は初めての海外出張であり、そのこと自体が相当な肉体的、精神的負担であったというべきである上、出張の目的は、納入した3Eメーターの立会調整に止まらず、海外への販路拡大を兼ねたものであり、ライバル会社が現れ、売上げが思うように伸びないという状況下では、販売責任者であるKにとって非常に重要なものであり、その用向き及び時期の設定から考えて、本件は相当拘束性の強い、かつ強度の負担感を伴う出張で、これによる精神的負担もまた大きかったと認めるべきである。こうした負担に加え、近距離とはいえ、初めての海外出張であって、到着後直ちに業務を遂行し、それが4日間継続したことによる疲労の蓄積は、韓国への渡航経験が豊富な者と同行したことや、日本語使用が可能であったこと等によってある程度緩和されたとしても、なお相当高度なものがあったと考えられる。さらに3Eメーターの立会業務の都合上、出張を1日延ばさざるを得なかったことも、Kの肉体的、精神的負担を増大させる要因であったと考えられる。しかも、Kが韓国出張に出向いた頃は、韓国は寒冷期で、Kの出張中の2月15、16、17日はむしろ暖かいといえる気候であったが、18日は一転して急に冷え込み、1日中氷点下の気温となり、死亡当日の寒冷ストレスは、Kに対しする肉体的負担になり得るものであったというべきである。

3 相当因果関係の存否について

 Kの出張業務、特に遠方への出張業務は、以前から全体として大きな肉体的、精神的負担を伴うものであったというべきであるところ、昭和58年に入ってからの出張業務は、韓国出張に近づくに従ってKの肉体的、精神的負担を格段に増加させ、疲労を高度に蓄積させたものというべきである。そして、Kはこの疲労を回復させることなく、さらに韓国出張直前には徹夜に近い状態で準備をして韓国に出かけ、この出張がKにとっての初めての海外出張であって、販路拡大の用向きも併せて重要な出張用務であったこと等から、Kの韓国出張に伴う精神的負担は大きかったというべきであり、しかも本件発症当日の気象条件は急激な寒冷により、高血圧を増悪させるストレスになり得るものであったということができる。そうすると、これら昭和58年2月に入ってから本件脳出血発症当日までの業務によりKが受けた労働負荷は、医学的知見に照らし、Kと同程度の60歳を超えた年齢、経験等を有し、日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある労働者を基準にして、基礎疾患である血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ得る過重なものであったというべきである。

 これに対し、Kには脳出血の危険因子である高血圧症の基礎疾患があったが、同人の血圧値は、継続的な通院治療を受けていたことにより、ほぼ正常範囲にコントロールされていたし、韓国出張に出かける前にも医師の診断を受け、出張に差し支えがない旨の判断を得、薬を出張に持参していたから、同人の高血圧は、当時自然の経過により増悪し脳出血発症を引き起こすことが危惧される程度には至っていなかったというべきである。

 以上を総合すると、これらの業務、特に昭和58年2月に入ってから韓国出張直前までの業務によるKに対する高度の肉体的、精神的負担及びこれによる疲労に、韓国出張による精神的負担及び脳出血発症の日の寒冷ストレスがさらに加わり、これらが高血圧症の基礎疾患を有するKにとって脳出血を発症させる危険性のある過重負荷となり、この過重負荷がKの高血圧症を自然経過を超えて増悪させ、基礎疾患である脳血管病変を著しく増悪させて脳出血を発症させたものと認めるのが相当である。そうであれば、Kの業務による過重負荷が同人の脳出血発症について相対的に有力な原因となっているものというべきであり、結局、同人の脳出血発症による死亡は同人の業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものということができる。したがって、Kの業務と脳出血発症による同人の死亡との間には相当因果関係があり、同人の死亡は業務に起因するものと認めるのが相当である。
適用法規・条文
労災保険法16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例707号27頁
その他特記事項