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岡山労基署長(生命保険会社入院中社員)心臓死事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
岡山労基署長(生命保険会社入院中社員)心臓死事件【過労死・疾病】
事件番号
岡山地裁 − 平成9年(行ウ)第20号
当事者
原告個人1名

被告岡山労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2002年09月04日
判決決定区分
認容
事件の概要
 A(昭和19年生)は、昭和61年2月頃、営業職員としてS生命に入社した。S生命において、営業職員は、入社後7回目の査定の前月まで12万円の給与の保障があり、査定は毎年5、8、11、2月に行われ、前3ヶ月間の成績により査定されるところ、Aは昭和62年7月まで上記給与が保障されていた。

 昭和61年9月1日、Aは業務中に発生したバイク事故により右脛骨々幹骨折等の傷害を負い入院したが、同年10月頃から保険契約の獲得活動を始め、松葉杖で病室を廻ったり、外出して市営住宅を廻ったりしたほか、同室の患者等から保険契約を獲得したりした。同年11月26日、Aは腸骨移植手術を受け、更に3ヶ月の入院が必要である旨告げられたが、同年12月12日頃から松葉杖をついての歩行が可能となった。

 同月25日、Aの妻らが見舞いに来た時、S生命支所からAに電話があり、その後Aは松葉杖を床に投げつけて「訳のわからないことを言う」と呟いて黙ってしまった。翌26日、Aは本人及び妻を保険契約者とする2件の自己契約をし、翌27日、病院を出て知人を訪問した。Aは、S生命から9月2日から12月31日までの月額休業補償立替金として、月額19万円余の支払いを受けていた。

 同年12月30日午後2時過ぎ、Aは妻が運転する車でS生命支所事務所へ行き、配布用のカレンダーを受け取った上、午後8時頃まで40軒以上の顧客宅を廻りカレンダーを配布した。Aは妻と帰宅し、食事、風呂などを済ませた後苦しみだし、救急車が駆けつけたときには既に意識はなく、心停止・呼吸停止の状態であった。その後Aは病院に搬送されたが、翌31日午前2時45分頃、急性心不全により死亡と診断された。
 Aの妻である原告は、被告に対し、労災保険法に基づき遺族補償年金の支給を請求したが、被告は不支給処分(本件処分)とした。原告は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたことから、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 被告が、原告に対し、平成3年4月19日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償年金の不支給処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
 Aは、安静にして治療に専念しなければならない入院中も、病院内の病室を廻ったり、外出してS生命の保険募集業務を行っていたことが認められる。S生命において、業務上の災害により欠勤する者に対しては、給与は支給されないが休業補償立替支払金が支給され、また休業前の給与額及び資格は復職後も保障されており、2ヶ月連続で獲得保険契約件数がなくても、退職になる制度の適用はなかった。しかも、休業中に新規保険契約を獲得しても、休業補償立替金の額が上がるわけでもなかった。それにもかかわらず、Aは松葉杖をつかなければならない状態で新規保険契約の獲得までしており、資格が保障されている入院中に、A及び妻を保険契約者とする自己契約を同時に2件もしていることなどからすれば、AはS生命において営業職員が長期休業した場合の給与及び資格の保障の制度等を知らなかったと推測される。

 これらの事実に加えて、Aは、上記のとおり保険募集業務を行い、新規保険契約を獲得し、自己契約までしていること、年末の30日に新規保険契約獲得を目的にカレンダーを配布していること、Aの入院中、支所長又はその指示を受けた従業員が頻繁に入院中のAに電話を架けていたこと、同月25日頃、AがS生命からの電話の後、「訳のわからないことを言う」などと言い、怒りを示したことからすれば、Aが上記一連の営業活動を行っていたのは、支所長の指示によるものと認められる。

 本件カレンダー配布業務は、午後2時30分頃から午後8時30分頃まで行われ、日の入り時刻が午後5時頃であることから、3時間は日が暮れてから行われたものであり、Aは40軒以上もの顧客宅を廻るために暖かい自動車内と寒い屋外の出入りを繰り返したことになる。Aは12月30日頃は、松葉杖をついての歩行で右足への部分荷重が可能となったばかりの状態であったこと、Aが歩行したところは、片道120mの道、23度の勾配の坂及び階段を含み、坂の部分を除き、1人で配布用のカレンダーや保険契約獲得に必要な書類等を持って移動していたこと、帰宅途中「田舎に帰ってもいいな」と言うほど疲れを感じていたことが認められる。このように、本件カレンダー配布業務の内容は、松葉杖をついて、通常営業社員が何日かかけてする業務を短時間に、しかも厳しい条件の下に行ったもので、肉体的に、日常業務の範囲を超える過重な業務であったと認められる。

 生命保険の募集業務に従事する営業社員は、歩合給であることから、通常、多かれ少なかれ精神的なストレスを負っているものであるが、未だ幼い2人の子と妻を扶養しているAにとって、復職後の資格及び給与が保障されないことの不安は大きいものと認められるし、入院中で松葉杖をつかなければ歩けないにもかかわらず営業活動を指示され、更に、新規保険契約を獲得したにも関わらず年末に業務を指示された理不尽さに対する憤懣の情も大きいものと認められるから、Aの負っている精神的ストレスは、通常の営業社員よりも過大なものであったと認めることができる。

 Aの死亡の医学的原因としては、心筋梗塞、肺塞栓等が考えられるところ、医学的な死因の断定的判断はできないことが認められる。しかし、因果関係の問題は、医学的な判断ではなく、法的な判断であり。必ずしも厳密に医学的な証明を要するものではないから、与えられた医学的知見の枠組みの中で、基礎疾患の有無、程度、外傷の程度、外傷の前後の被災者の身体的状況等を総合的に考慮して、相当因果関係があるか判断すべきである。

 そこで検討するに、専門家会議による「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱いに関する報告書」によれば、虚血性心疾患の危険因子には、大因子として、高脂血症や食事習慣、高血圧、喫煙、肥満等が、小因子として経口避妊薬や座業、性格、精神的・社会的緊張が挙げられること、心筋梗塞の発症の時期は労作と関係することもあるが、関係ないときの方が多いこと、労作と関係ないときは、夜の安静時、就寝中にも出現することがあること、この場合には日中に過度の心身の負荷があったときがあること、季節は冬季が多い傾向にあることが認められる。そして、Aの入院当初の9月2日では通常の値を示していた総コレステロール値、中性脂肪値、尿酸値が、12月26日には全て基準値を超え、高脂血症、高尿酸血症の状態であったことや、喫煙を除けばAには自然的経過により心筋梗塞を発症させるような特段の心疾患の病歴等を有していなかったこと、Aは過重な精神的ストレスの下で、本件カレンダー配布業務という過重な業務に従事した後、その約6時間後に死亡したこと、他にAに心筋梗塞を含む心疾患を発症させる有力な原因があったとは認められないことからすれば、本件カレンダー配布業務が有力な原因となって心筋梗塞が発症したと認めるのが自然であり、カレンダー配布業務とAの死亡との間に相当因果関係があると認められる。
 以上により、Aの死亡には業務起因性が認められるから、これが認められないとして原告の遺族補償年金の支給請求を認めなかった本件処分は違法であるから、取り消すべきである。
適用法規・条文
労災保険法16条の2
収録文献(出典)
その他特記事項