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小樽労基署長(O自動車学校)喘息発作死控訴事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
小樽労基署長(O自動車学校)喘息発作死控訴事件【過労死・疾病】
事件番号
札幌高裁 - 平成20年(コ)第11号
当事者
控訴人 国
被控訴人 個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2009年01月30日
判決決定区分
控訴棄却(確定)
事件の概要
 T(昭和37年生)は、昭和62年2月、本件会社に雇用され、本件発症当時、教務係長として技能教習指導、検定等の業務に従事していた。本件会社における指定前講習は、平成13年6月27日から開始されたところ、Tは現場責任者という立場から一番仕事が多い状態にあった。

 Tは、以前から喘息に罹患しており、同年10月19日午後9時過ぎに帰宅したところ、午後11時頃「呼吸が苦しい」と病院に搬送され、「気管支喘息、重積発作」との診断を受け、救急治療を受けた。しかし意識が回復しないことから、他の病院に搬送されて入院治療を継続したが、平成14年9月17日、急性呼吸不全により死亡した。

 Tの妻である被控訴人(第1審原告)は、労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき遺族補償年金及び葬祭料の請求をしたが、同署長は、Tの本件疾病は業務に起因して発生したとは認められないとして不支給処分(本件処分)とした。被控訴人は本件処分を不服として審査請求をしたが棄却され、更に再審査請求をしたが3ヶ月を経過しても裁決がなされなかったため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
 第1審では、Tの本件喘息発作及びこれによる死亡は業務上災害であるとして、本件処分を取り消したことから、控訴人(第1審被告)である国はこれを不服として控訴した。
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断基準

 労災保険法が労働者の業務上の負傷、傷病等に対して補償するとした趣旨は、労働災害発生の危険性を有する業務に従事する労働者が、その業務に通常伴う危険の発現により傷病等を負った場合に、これによって労働者が受けた損害を填補するとともに、労働者又は遺族等の生活を保障しようとするものである。したがって、保険給付の要件として、使用者の過失は要しないとしても、業務と傷病等との間に合理的な関連性があるだけでは足りず、当該業務と傷病等との間に当該業務に通常伴う危険性が発現したという相当因果関係が認められることが必要である。

 これを基礎疾患を有する労働者についてみると、社会通念上、当該業務が当該労働者に過重な負荷を課するものであり、これが当該基礎疾患をその自然な経過を超えて増悪させたと認められる場合には、当該業務に内在し又は随伴する危険が現実化したものとして、業務と傷病等との間に相当因果関係を肯定することができ、業務起因性を認めることができると解すべきである。なお。この場合に業務による負荷が過重なものであるか否かは、当該労働者と同程度の年齢、経験等を有する健康な状態にある者のほか、基礎疾患を有するものの、日常業務を支障なく遂行できる労働者にとって過重な労働であるか否かという観点から判断すべきである。2 業務起因性の判断

 ストレス及び過労が、喘息症状ないし発作に対する増悪因子となること、更には喘息死の誘因となることは、厳密な機序やその客観的・定量的な相関関係が医学的に明らかになっているとまではいえないものの、臨床的には裏付けられた見解であって、医学上も十分に合理的な関連性が肯定されていると評価することができる。

 過労及びストレスを気道感染とともに喘息死の三大誘因としたガイドラインの記載について、N医師らは科学的根拠に欠ける旨述べるが、訴訟上の因果関係については、一点の疑義も許されない自然科学的証明が要求されるわけではなく、ストレスや過労が喘息の増悪・喘息死をもたらす機序が医学的に証明されていなくても、その関係が経験則に照らして高度の蓋然性をもって是認される限り、因果関係を肯定し得る。そして、ガイドラインの記載は、多くの専門医が協同作成した喘息に関する指導的な文献の中で、臨床医の知見に基づき過労やストレスが喘息死の誘因とされている。またガイドラインには、過労やストレスが生体の防御機能を低下させて喘息症状を増悪させるとの発生機序に関する見解も記載されている。以上によれば、過労やストレスと喘息症状の増悪や喘息死との間には相当因果関係を肯定することができるというべきである。しかしながら、たとえ過重な業務上の負荷の存在が認められたとしても、気道炎症その他業務以外の確たる増悪要因があった場合には、相当因果関係は否定されるというべきである。

 以上によれば、Tの基礎疾患である気管支喘息をその自然的経過を超えて増悪させるに足りるストレス過労を伴う過重な業務の存在が立証されるならば、Tの気管支喘息がその自然的経過により僅かな誘因でも重積発作をもたらすほどに重症化していたこと又は他に確たる増悪要因があったことについての格段の反証がない限り、Tの死亡は、当該業務に内在し、又は随伴する危険が現実化したものとして、業務との間に相当因果関係を肯定することができると解すべきである。

 本件喘息発作発症前6ヶ月間のTの時間外労働時間は、6ヶ月前22時間、5ヶ月前45時間50分、4ヶ月前49時間20分、3ヶ月前67時間、2ヶ月前72時間、1ヶ月前92時間20分となっている。控訴人は、手待ち時間を除くと、本件喘息発作発症3ヶ月前の学研時間外労働時間は、最大でも25時間50分に過ぎない旨主張するところ、確かに午前中の教習と午後の教習との間に4、5時間程度の空き時間が生じることが多く、この手待ち時間が時間外労働時間の増大をもたらしていることは明らかである。

 以上によれば、上記手待時間については、本来の業務に継続的に従事していた場合と全く同等に評価することはできないが、すべて休憩時間としてこれを労働時間と評価しないのが不当であることは明らかである。すなわち、指定前教習で出張し、始業から終業までの拘束時間が15時間を超える勤務に従事したのが、発症4ヶ月前から1ヶ月間に3回、3ヶ月前5回、2ヶ月前6回、1ヶ月前10回と漸増しており、これらは全て始業時刻が午前4時40分、終業時刻が午後8時か9時頃であり、帰宅後の睡眠はせいせい4時間程度に過ぎなかった。かかるTに対し、いきなり手待時間に、自宅での睡眠不足を解消するため慣れない仮眠を摂ることを求めるのは酷である。結局、手待時間を含むとはいえ早朝から夜遅くまでの拘束は、特に発症2ヶ月前頃からは、Tに休日によっても解消されない慢性的な睡眠不足を生じさせていたと考えるのが相当であり、これによって、気管支喘息の基礎疾患を有しながらそれまで日常業務をこなしてきたTの身体は、その基礎的疾患を自然的経過を超えて増悪させるに足る過重な負荷を受けたと評価するのが相当である。

 そして、喘息症状の重症度は、発作の強度や症状の頻度等に基づき判断されるところ、その判断基準として一般的に用いられている「発作強度と重症度分類」に基づき判断すると、平成13年9月16日も発作時よりも前のTの症状の重症度は、ステップ1「軽症間欠型」と評価するのが相当であり、自然的経過により僅かな誘因でも重積発作をもたらすほど重症化していたものとは認められない。

 これに対して、同日にTが発作を起こして受診した後は、(1)発作が中等度であったこと、(2)当日の診療医は救急担当医であったこと、(3)結果的にその1ヶ月後に重積発作である本件喘息発作を起こしていること、(4)Tの同僚が本件喘息発作発症日の日中にはTが肩で息をしているのを目撃していること、(5)S医師も、不良・不安定な状態が続き、適切な治療管理が必要な状態ではなかったかと考えていること、(6)N医師も、Tの症状については中等度以上と評価できると断定していることから総合的に判断して、Tの症状は、長期管理が必要なステップ3の中等症持続型に該当すると評価すべきである。

 控訴人が主張するアレルゲン、気道感染、気象及び喫煙が、一般的可能性として喘息の増悪要因となり得ること、Tが本件喘息発作前に気道感染に罹患していたとすれば、それが喘息死につながる重篤な本件喘息発作を引き起こした可能性が高いことは認めることができる。喫煙については、Tに喫煙の習慣があり喫煙歴は15年にも及ぶこと、本数は1日1箱程度であったことは認められるところ、指定前教習開始以前からのTの喫煙が、その一般的危険性を超えて、この時期にTに致命的な本件喘息発作を発症させたことが具体的に立証されているとはいえない。以上によれば、Tの喫煙により、本件喘息発作の業務起因性を否定するのは相当でないというべきである。

 喘息発作が季節の変わり目の秋や春に多いこと、気温の急激な変化は喘息増悪因子として重要であることが認められる。Tの喘息発作は、本件喘息発作を含めて7月から11月に起こっており、季節的要因が発作に何らかの影響を与えたであろうことは完全には否定できないが、本件喘息発作の業務起因性を否定するまでの確たる増悪因子ということはできない。Tが特定の物質に対してアレルギーを有していたとする証拠はない。

 控訴人は、本件喘息発作時に既にTには気道感染があったと推認され、この気道感染が本件喘息発作の誘因となった可能性が極めて高く、本件喘息発作には業務起因性がない旨主張する。しかしながら、白血球の増加及びCRP値の増加は、気道感染の存在を直接的に推認させるものではないし、Tが本件喘息発作になる前の当日の症状としては発熱や咳、濃性痰喀出等気道感染を疑わせる臨床的な症状を認めるに足る証拠は一切ない。以上によれば、本件喘息前にTが気道感染を発症していたことが証明されているとはいえず、気道感染がその後の本件喘息発作の原因となったとの控訴人の主張は採用できない。

 以上によれば、業務以外の増悪要因として控訴人が主張する事由は、そのいずれの存在についても確たる立証はないというべきである。

 喘息が、現在では薬物によるコントロールにより、難治性の喘息を除けば、死亡等の重大な結果の発生を避けることのできる病気であることは認定のとおりであり、Tは本件喘息発作に至るまで、発作の都度受診し、薬物投与等により発作が収まると治療を止めることを繰り返していたと認められる。しかし、Tの喘息症状は、平成13年9月16日までは軽症間欠型であったと認められ、ガイドラインによれば、一般に長期間管理薬を必要とせず、喘息症状がある際に刺激薬を吸入すれば足りるとされている。また、同日からは、Tの症状は中等症持続型に悪化しており、長期管理薬治療が必要な状態になっていたが、それでも、未だ自然的経過により僅かな誘因でも重積発作をもたらすほどに重症化していたとは認められない。以上に加えて、N医師も、仮に長期管理治療を行っても薬0%の患者は治療に難渋する旨述べていることからすれば、平成13年9月16日の時点ですら、その後の過重業務がなければ長期管理薬治療をしなくても本件喘息発作・死亡には至らなかった可能性が認められる。本件喘息発作は、Tの基礎疾患たる気管支喘息に、指定前教習開始後本件喘息発作当日までの過重な業務が加わって発症したというべきであって、長期管理薬治療不実施の故に、業務と本件喘息発作・死亡との間の条件関係が否定されることとはならないというべきである。

 なお、控訴人は、業務と本件喘息発作・死亡との条件関係が肯定されたとしても、長期管理薬治療を行っていれば高い確率で本件喘息発作・死亡を防ぐことができたといえるから、Tには重大な治療懈怠があり、その治療懈怠により業務と本件喘息発作との間の相当因果関係が否定される旨主張している。しかし、長期管理薬の有用性が認識されていたからといって、Tに治療懈怠があったといえるかどうか疑問があり、また仮に治療懈怠が認められたとしても、労災保険法12条の2の2第2項は、労働者が重大な過失により療養に関する指示に従わないことにより傷病等の原因となった事故を生じさせ、又は傷病等程度を増進させ若しくはその回復を妨げたときは、保険給付の全部又は一部を行わないことができる旨規定しており、労災保険法は、労働者の治療懈怠が仮に重大な過失に当たるとしても、これにより業務起因性を否定するのではなく、給付制限の事由として考慮すべきとしていると解される。したがって、治療懈怠を他の増悪要因と同等に取り扱って、結果発生への寄与度を考慮することは許されないというべきである。
 以上によれば、Tの基礎疾患たる気管支喘息は、Tが平成13年6月27日以降に従事した指定前教習の過重な負荷により、その自然的経過を超えて増悪して重積発作たる本件喘息発作に進行し、その結果としてTは死亡するに至ったということができ、その死亡には業務起因性が認められる。
適用法規・条文
労災保険法12条の2の2第2項、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例980号5頁
その他特記事項