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新宿労基署長(S銀行)女性行員頸肩腕症候群事件
- 事件の分類
- 職業性疾病
- 事件名
- 新宿労基署長(S銀行)女性行員頸肩腕症候群事件
- 事件番号
- 東京地裁 − 昭和63年(行ウ)第55号、東京地裁 − 平成元年(行ウ)第232号、東京地裁 − 平成2年(行ウ)第24号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1990年12月27日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却
- 事件の概要
- 原告は、昭和39年4月S銀行に雇用され、普通預金係、約定振替係、当座預金係、出納係、外国為替係の各業務を担当してきた女性である。
原告は、昭和48年秋口から、肩、右腕の付け根に激痛を感じるようになり、頸肩腕症候群と診断され、以後業務を続けながら治療を継続してきたが、昭和54年5月11日、仕事中に吐き気、めまいと首筋の激痛を感じ、翌日から出勤できなくなり休業するに至り、以後規則的な運動療法と鍼・灸治療を継続してきた。
原告は、昭和55年7月11日、被告中野労働基準監督署長(中野署長)に対し、労災保険法による休業補償給付及び療養補償給付の請求を行ったところ、同署長は同年9月12日付けで、原告の疾病を業務上の疾病と認め、昭和54年5月16日以降について休業補償給付及び療養補償給付を支給してきた。しかし、中野署長は、昭和58年3月30日付けの文書で、原告に対し、原告の症状は概ね固定し、治療による医療効果が期待できないとして、翌31日をもって治癒とし、その後の給付を行わない旨通知した。
これに対し原告は、右時点では治癒しておらず、引き続いて治療を継続したとして、中野署長に対し、平成元年3月31日以降は新宿労働基準監督署長(被告署長)に対し、それぞれ休業補償給付及び療養補償給付を請求したところ、いずれも、昭和58年3月31日治癒を理由とする不支給処分を行った。
また、原告は、中野署長が行った治癒認定及び各不支給処分は、いずれも故意又は過失により事実の認定を誤った違法なものであり不法行為を構成し、この不法行為によってS銀行の休業補償の打切り、賞与の減額査定を受けたなどとして、被告国に対し500万円の損害賠償を請求した。 - 主文
- 1 承継前の被告中野労働基準監督署長が原告に対し、昭和58年12月2日及び昭和60年8月21日付けでした労働者災害補償保険法による休業補償給付及び療養補償給付を支給しないとの各処分、昭和61年1月22日、昭和61年11月4日、昭和62年6月27日、昭和63年2月1日及び昭和63年8月26日付けでした同法による療養補償給付を支給しないとの各処分、並びに、被告新宿労働基準監督署長が原告に対し、平成元年9月25日付けでした同法による療養補償給付を支給しないとの各処分をすべて取り消す。
2 原告の被告国に対する請求を棄却する。
3 訴訟費用のうち、原告と被告新宿労働基準監督署長との間で生じたものは同被告の負担とし、原告と被告国との間で生じたものは原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 治癒認定及び不支給処分の違法性
中野署長の通知にいう「治癒」とは、原告が頸肩腕障害を発症する前と同じ健康状態に戻ったことを意味する「完治」を指すものではなく、頸肩腕障害の急性症状が消退して症状が安定し、慢性症状は残っていても最早医療効果を期待することができない状態に至ったという意味での「固定」を指すことが明らかであり、それが労災保険法の趣旨にも適合するところである。
原告の症状は、中野署長が治癒と認定した昭和58年3月31日の時点では、従前より軽減はしていたものの、他覚症状として頸背肩腰部の筋肉の緊張、硬結があり、自覚症状として右各部の疼痛、倦怠感などがあったのであるから、発病当時の頸肩腕障害がなお存続しており、しかもその症状自体は、次第に軽減しつつも、原告が休業補償給付及び療養補償給付を請求した全期間にわたって存続したものということができる。しかして、中野署長が治癒認定をしたのは、原告が休業に入った昭和54年5月から4年近く経過した時点であって、当然に急性期の症状は過ぎていたと見て差し支えがない上、その間の症状に大きな変化はなく、特に治癒認定に近接した期間については、治療の方法、内容もほぼ定型化され、回数も少ない状態が続いていたのであるから、今後同じような治療を繰り返しても、最早症状の改善を期待し得ない状況にまで達したものと解し得ないではなく、したがって。原告の症状は、右治癒認定の時点で、既に固定の状態にあったと見ることができないではない。
しかし、原告は治癒認定の当時は未だ休業中であって出勤もしていなかったのが、引き続き規則的な運動療法と鍼・灸治療を続けるうち、治癒認定から8ヶ月を経過した昭和58年12月から通勤訓練を開始し、昭和59年4月から職場復帰訓練に入り、次第に1日の勤務時間及び出勤日数を増加し、昭和60年4月から通常勤務扱い、昭和61年7月から就業規則通りのフルタイム体制となり、平成元年4月からは完全就労体制となったのである。このように、原告は、治癒認定から相当の長期間を必要とはしたが、休業状態から完全就労体制にまで漕ぎ着けたのであって、このような回復の原因としては、医師のもとでの規則的な運動療法と鍼・灸治療がその効果を現したものと見るほかはない。すなわち、規則的な運動療法と鍼・灸治療が「明らかな医療効果」を発揮したことになるのであって、このことは「今後治療を継続しても明らかな医療効果は期待できない」とした中野署長の予測・判断が、結果的には誤りであったことを意味する。
もっとも、原告の症状には相当に心因的と見られる部分があり、それが長期化の少なからざる要因をなしていると認められると共に、約1年4ヶ月という比較的短期間のうちに通常勤務扱いを受けるまでに回復したことについては、労災保険の打切りやS銀行から自然退職の通告を受けて精神的に追い詰められたことが逆にプラスとなった側面のあることも一概には否定することができない。しかし、業務起因性があるといえるためには、業務が疾病の唯一の原因である必要ななく、その業務が相対的に有力な原因であると認められれば足りると解されるし、原告は治癒認定後における治療継続の中で、明らかに頸背腰部等の筋緊張が緩和し、背筋力が改善しているのであるから、心因的要素は少なくないとしても、休業状態から完全就労体制にまで回復したのが、単なる自然的な時間の経過或いは原告の主観的な意欲の問題であるに止まり、規則的な運動療法と鍼・灸治療の効果とは無関係のものということはできず、ましてや、原告は治癒認定の時点で既に出勤することも可能な客観的状態にあったということもできない。
中野署長が治癒と認定した昭和58年3月31日の時点では、原告の症状は客観的には未だ固定しておらず、なお治療の効果を期待できる状態にあったことになるから、治癒認定は結果的にその判断を誤ったことになり、したがって、本件治癒認定並びにその後に中野署長及び被告署長が治癒を理由としてした休業補償給付及び療養補償給付の不支給処分は、すべて違法たるを免れないというべきである。
2 損害賠償請求について
業務に起因して生起する頸肩腕障害ないし頸肩腕症候群については、その発生原因が極めて複雑であることもあって、病理機序は十分に解明されているとはいえず、治療の手段、方法、期間などについても定まったものがない状況であることが認められ、加えて、労災保険の実務においては、頸肩腕症候群の業務上外の認定の指針として、「個々の症例に応じて適切な療養を行えば、おおむね3ヶ月程度でその症状は消退するものと考えられる」とされ、また業務上災害に対する鍼・灸の施術に係る保険給付については、原疾患の後遺症状の改善又は一般医療との併用による運動機能等の回復のため、医師が特に必要と認めた場合に、初療の日から9ヶ月以内に限って保険給付の対象とすることを原則とし、施術効果がなお期待し得るときは更に3ヶ月を限度に延長するものとされていた。そうすると、右のような頸肩腕障害ないし頸肩腕症候群を取り巻く医学の状況及び労災保険の実務の取扱いのもとでは、中野署長が、鍼・灸治療を伴う原告の治療について、最早その効果がないと判断したことは、当時の判断としては止むを得ないもので、それが結果的に誤りであったからといって、その過失を問題とするのは相当でないというべきである。
更に、中野署長は、昭和58年2月7日に開催された東京労災医員会議に検討を依頼し、その判定結果を受けて治癒認定の判断をしたもので、その手続きにも特に咎められる点はないことが認められる。労災医員会議は、労災保険法等の規定による災害補償に係る事務のうち医学に関する専門的知識を要するものの適正かつ迅速な処理に資する目的で、昭和55年1月23日に設置された常設の協議組織であって、整形外科2名、公衆衛生1名、脳神経外科及び外科各1名の合計5名の医員によって構成されているもので、頸肩腕障害の治癒認定をする適格、能力がないとはいえず、また検討を依頼するに当たっては、原告の主治医らから提出された意見書を含む資料を事前に提出していることが認められるから、その過程に中野署長の過失を窺わせるような事情は認められない。
以上のとおりであって、中野署長がした治癒認定及びこれを理由とする不支給処分については、不法行為の原因となるような過失があることは認められないから(中野署長がした治癒認定及び不支給処分とS銀行の休業補償の打切り及び賞与の減額査定による損害との間には、そもそも因果関係がないと解される)、原告の国に対する損害賠償の請求は理由がないというべきである。 - 適用法規・条文
- 労災保険法13条、14条、47条の2、49条、
国家賠償法1条 - 収録文献(出典)
- 労働判例578号25頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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東京地裁 − 昭和63年(行ウ)第55号、東京地裁 − 平成元年(行ウ)第232号、東京地裁 − 平成2年(行ウ)第24号 | 一部認容・一部棄却 | 1990年12月27日 |