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S郵便局副課長脳出血死控訴事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
S郵便局副課長脳出血死控訴事件【過労死・疾病】
事件番号
名古屋高裁 − 平成元年(ネ)第604号 地位確認請求控訴、名古屋高裁 − 平成2年(ネ)第428号 同附帯控訴
当事者
控訴人(附帯被控訴人) 国
被控訴人(附帯控訴人) 個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1992年03月17日
判決決定区分
原判決取消(控訴認容)、附帯控訴 棄却
事件の概要
 H(昭和2年生)は、昭和18年9月郵便局職員として採用され、昭和52年7月から名古屋市S郵便局郵便課副課長として勤務してきた国家公務員である。

Hは、身長153cm、体重64kgの肥満体で、喫煙は1日約20本、飲酒は日に日本酒2合くらいの嗜好があった。Hは昭和43年の定期健康診断で血圧が174/108を記録して以来高血圧の症状を呈し、その後一進一退を繰り返した後、昭和52年4月の健康診断において152/90となり、判定区分要指導と変更された。Hは昭和52年10月に血圧が196/110に上昇したため、血圧降下剤の投薬を受けたが、その後は通院しなかった。

同年11月16日にHは午前10時に出勤し差立作業の応援業務に従事し、午後6時50分頃夕食のために外出したところ、食堂を出た時点で倒れ、救急車で病院に搬送されたが、人事不省のまま、翌17日未明脳出血によりに死亡した。

 Hの妻である被控訴人(附帯控訴人・第1審原告)は、Hの死亡は過重な公務に起因するものであるとして、国家公務員災害補償法に基づき、控訴人(附帯被控訴人・第1審被告)に対して公務災害の認定を請求したが、控訴人はこれを公務外とする決定(本件処分)を行った。そこで被控訴人は、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
 第1審では、本件脳出血の発症は、過重労働に起因するものであるとして、本件処分の取消しを求めたことから、控訴人はこれを不服として控訴した。
主文
1 原判決を取り消す。

2 被控訴人の請求を棄却する。

3 本件附帯控訴を棄却する。
4 訴訟費用は第1、2審を通じて被控訴人の負担とする。
判決要旨
 職員の死亡の公務起因性が認められるためには、公務と死亡との間に相当因果関係が存在することが必要であるが、相当因果関係があるというためには、条件関係があるだけでは足らず、当該疾病のもろもろの原因のうち公務が相対的に有力な原因であったことを要する。しかし公務が最も有力な原因であるとまでは必要でなく、他に競合又は共働する原因があって、それが同じくらい相対的に有力な原因であったとしても相当因果関係を肯定する妨げとならず、公務の相対的有力性については、経験則に照らして当該公務が脳出血を生じさせる危険があったと認められるか否かにより判断すべきである。

 Hの本態性高血圧症は、昭和43年5月にその診断がなされて以降、死亡までの9年半の間、高血圧重症度4度から1度の間を数回にわたり回帰的に往来していたが、昭和51年6月から同52年10月まで通院治療を受けず、降圧剤の服用状況が不良であり、体重の著しい増加もあったことからすると、右の間に血圧のコントロールが十分になされず、遂にその10日後に脳出血により死亡したものであること、本態性高血圧症の治療方法として降圧剤服用が最も重要であること、ストレス、疲労のような環境因子を血圧の上昇、症状の増悪に直接結びつけるのは個人差も大きく、その評価が未だ定まっていないことの諸事情から総合的に考察すると、脳出血の原因となった高血圧症の増悪は、死亡前約1年3ヶ月に及ぶ血圧コントロールの不良が有力な原因であり、公務上のストレス、疲労の堆積は、仮にそれがあったとしても、死亡に結びつくような増悪原因として評価するのは困難であるといわざるを得ない。

 Hの副課長としての職務は、週夜勤5日、日勤1日、週休1日のサイクルで繰り返され、夜勤日は午前10時から午後9時30分までに及び時間的には相当過重な勤務であったということができるが、Hの前任、前々任の副課長がこれと同一の勤務体制をさしたる問題なく勤め終えていること、夜勤日については休息45分、休憩28分が与えられ、その他にも昼食時間について45分以上の休息時間が事実上認められていること、管理職の分野についてHが熱心でなかったこともあって、精神的に特に過重負荷となるような公務とは認められず、Hは勤務時間の大部分を充てていた差立業務には熟達しており、時季的にも郵便物の少ない時期であったことから、副課長として肉体的・精神的に過重労働と認め得るような業務内容ではなかった。また、死亡前1ヶ月間の職務内容を見ても、特に過重性を指摘できるようなものは見当たらず、11月7日から発症当日の16日まで連続10日間勤務した(うち夜勤9日)こと、発症前々日及び前日の不結束数が連続して多かったことが挙げられるが、Hは右連続勤務や不結束の発生によって疲労の回復が著しく困難となったとか、従前に比して公務の密度、緊張度が著しく高まったという過重な負荷があったとまでは認めることは困難である。また、発症当日についてみると、Hの従事した職務内容自体には、脳出血につながるような肉体的負荷や精神的緊張をもたらすものは認められない。

 被控訴人は、控訴人が使用者として、Hの健康状態の異常の有無の確認義務と異常発見時の適正措置義務の二つの内容の安全配慮義務を負担しているところ、控訴人はこれに違反して、Hに適切な治療の機会を与えず、また過重な業務を引き続き従事させたため基礎疾患が急激に悪化して死亡に至らしめたのであるから、このような場合には公務と死亡との間に相当因果関係があると評価すべきであると主張する。右の安全配慮義務が控訴人に課せられているかについては暫く措き、右義務違反を理由とした債務不履行責任を追及する損害賠償訴訟においては兎も角、本件のごとき国の過失の有無を問題としない公務上の災害補償責任を請求する訴えにおいては、右の安全配慮義務に違反したか否かを公務上の災害の判断基準の1つとして導入することは相当でない。

 けだし、安全配慮義務、健康状態の異常確認義務あるいは適正措置義務などは、債務不履行による民事上の損害賠償請求権を基礎づけるために構成された概念であり、過失論の分野に属するものであって、同義務違反による賠償の範囲も賠償額自体に制限がなく、物的損害、精神的損害も含まれ、過失相殺の適用もあるのに対し、公務災害補償制度は、国の無過失責任を前提とし、補償の範囲も公務員の身体的損害に限定され、額も定型化し、補償額の上限も法定されて過失相殺などの制度も認められていないことから、安全配慮義務違反といった過失責任を災害補償分野に持ち込むことは、公務上災害という相当因果関係をめぐる問題に限定して、過失責任を問うものではない災害補償制度と根本的に相反することになるからである。したがって、被控訴人の右主張は採用しない。
 以上認定の事実を総合すると、Hの死因である脳出血は、Hの公務と全く無関係であると断定することはできないとしても、公務の遂行が相対的に有力な原因に当たると評価して相当因果関係があるものと認めることは困難であり、むしろHの脳出血は、昭和51年6月2日から同52年10月11日までの間、定期的な医師の診察治療を受けなかったこと、降圧剤の服用をしなかったこと、食事、運動療法等をしなかったことによる血圧のコントロール不良により高血圧症の増悪を来したことが最も有力な原因であるとみるのが合理的であると考えられる。してみると、Hの死因である脳出血が、公務に起因することの明らかな疾病に該当するという証明はなかったことに帰する。
適用法規・条文
国家公務員災害補償法15条
収録文献(出典)
労働判例618号66頁
その他特記事項