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三田労基署長(T社)虚血性心不全死事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- その他
- 事件名
- 三田労基署長(T社)虚血性心不全死事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 東京地裁 − 平成4年(行ウ)第209号
- 当事者
- 原告個人1名
被告三田労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1996年06月13日
- 判決決定区分
- 認容(控訴)
- 事件の概要
- K(昭和15年生)は、昭和49年9月に、日刊新聞等を印刷するT社に入社し、約12年間の制作部勤務を経て、昭和62年2月、印刷部に配転された。印刷部の通常の勤務時間は、1日目は16時から翌日4時まで夜勤、工場において5時間の仮眠時間後、2日目の9時から16時まで日勤に従事した後帰宅し、3日目と4日目はこれと同様の勤務をした後帰宅し、5日目は公休日であった。
T社は金杉工場を越中島工場に移転する計画を立て、昭和63年6月頃から漸次移転を開始し、同年末頃移転を完了させた。このため、同年6月より12月までの間、両工場を同時に稼働させ、これに対応するための「特別勤務体制」をとった。それは、3日目までは通常勤務と同じだが、4日目の16時に日勤終了後、工場において2度目の5時間の仮眠時間をとって、21時から翌日4時まで夜勤に従事してから帰宅するというものであった。特別勤務開始後の昭和63年6月分からKの実労働時間及び残業時間は増加し、特に残業時間の増加が著しかった。
Kは、同年9月10日に特別勤務に就いたが、翌11日は新聞休刊日、翌12日は公休日であったから、13日午前4時まで勤務せず、同月17日も休日であった。Kは18日午後4時から翌19日午前4時20分まで金杉工場で勤務し、仮眠後の午前9時45分頃からバスで越中島工場に移動し、午前10時20分頃から11時30分頃まで稼働してから昼食、休憩を取った後の午後1時55分頃、輪転機近くに倒れ、医師の診察を受けたが既に死亡していた。検視の結果、冠状動脈硬化症による虚血性心不全と検案された。
Kの妻である原告は、Kの死亡は過重な業務に起因するものであるとして、平成元年4月3日、亀戸労働基準監督署長に対し労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、同署長は被告に回送し、被告は平成2年8月3日、Kの死亡は業務上とは認められないとして、不支給決定処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として労災保険審査官に対し審査請求をしたが、3ヶ月を経過しても同審査官による決定がなかったため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対して平成2年8月3日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務の過重性について
T社の印刷部の印刷作業は、通常勤務体制下においては、夜勤と日勤を繰り返す交替制労働であり、生体リズムに反するものであって、作業内容も肉体的・精神的に疲労度が高いものであったが、Kは46歳になってから印刷部に配転となり、要領よく仕事をこなせるまでには至っていなかったのであるから、長い間軽作業に従事してきたKにとっては、通常勤務体制下の勤務が肉体的にも精神的にも負担であったことは否定できない。しかし、通常勤務体制下においては、5日間に3回の割合で定期的に自宅で夜間就寝することができていたのであり、Kにとって右配転から死亡までに約1年7ヶ月が経過しており、作業の一応の手順等には慣れていて、原告に日常的に疲労感を訴えるような状況になく、右配転以前から治療を受けていた糖尿病は良好にコントロールされており、健康診断でも他に異常はなく、自覚症状もなかったことからすると、通常勤務体制下の業務による負担が、本件動脈硬化症による虚血性心不全を発症させたり、促進させる原因になったものと認めることはできない。
ところで、特別勤務体制下の業務についてみると、労働者は3日目の午後4時から5日目の午前4時まで36時間拘束され、その間、5時間ずつ2度の仮眠をはさんで26時間勤務に従事することになり、勤務終了後入浴、休憩などに時間を取られるので、右仮眠時間まるまる仮眠できるわけではなく、また5日目の午前4時勤務を終了して帰宅することになって、完全に昼夜逆転の状態となり、かつ自宅では一晩しか睡眠を取れないまま通常勤務に戻るというもので、その労働時間は相当に過酷であったといわざるを得ない。また、その作業内容は、肉体的疲労度及び精神的緊張度の高い金杉工場における通常の印刷作業に加え、Kは特別勤務体制下においては、越中島工場において、より一段と肉体的負担の大きい印刷機の清掃業務にのみ長時間従事していたものであるが、そればかりでなく、両工場の間のバスによる移動によっても肉体的・精神的負担が加わり、更に特別勤務体制が夏季に向けて開始されたこともあって、特別勤務体制下のKの業務は、客観的に見て、肉体的・精神的な負担の大きい過重な態様であったものということができ、年齢が比較的高く、作業に習熟していないKにとって他の作業員よりも過重負荷が大きかったものと認めることができる。
2 Kの有する他の危険因子について
Kは昭和60年に動脈硬化症の危険因子の一つである糖尿病と診断され、以後食事療法及び投薬等の治療を受けていた。しかし、Kの糖尿病は罹患期間が短く、血糖値は良好にコントロールされており、Kについては、糖尿病は動脈硬化症の発症原因ないし促進因子としての意義は少ないものと認められる。また死亡直前の健康診断で、Kについて高血圧、高脂血、肝機能障害が指摘されているが、いずれもその数値はそれほど高くなく、また死亡1年前の健康診断では異常は指摘されておらず、数値の悪化は固定的ではないことからすると、これらの本件動脈硬化症の発生ないし促進に対する影響は少ないというべきであるし、業務の過重性による蓄積疲労の結果、これらの数値が上昇した可能性も否定できない。
3 相当因果関係について
以上によれば、Kは、通常の勤務体制の下でも肉体的、精神的負担のある業務に従事していたところ、昭和63年6月頃から開始された特別勤務体制下において、継続的に過重な業務に従事し、この過重な業務が恒常的な肉体的精神的な過度の負担となり、冠状動脈硬化症を自然的経過を超えて増悪させた結果、虚血性心不全を来たし死亡したものと認められる。そして、右認定の特別勤務体制下の業務の過重性、死亡前のKの疲労状態、Kの基礎疾患の内容等を総合すれば、死亡と右業務との間には相当因果関係があると認めるのが相当である。
被告は、新認定基準(平成7.2.1基発38号)に照らして、同僚との比較においてKの業務が過重ではないこと及び死亡前1週間前に突発的出来事が不存在しないことから、業務とKの死亡との間の相当因果関係は認められないと主張する。しかし、右認定基準の「認定要件の運用基準」に照らしてみても、Kの特別勤務体制下の業務は「通常の所定時間内の所定業務」に比して恒常的に過重であるし、Kの拘束時間や実労働時間は同僚労働者と比較して過重であったとはいえないものの、右同僚労働者らはKと比べて印刷部における経験年数が10年ないし20年も長いこと、Kは中年になってから印刷業務に配転になったことや死亡当時47歳であったこと、特別勤務体制下では越中島工場において同僚より過重性の大きい業務に従事していたことを考慮すると、同僚に動脈硬化症による虚血性心不全の発症者が認められなかったからといって、直ちにKの特別体制下の業務が特に過重でなかったということはできない。
以上によれば、Kの死亡には業務起因性が認められるから、これと異なる判断の上に立ってなされた本件処分は違法であって取消しを免れない。 - 適用法規・条文
- 労災保険法16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例698号18頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
東京地裁 − 平成4年(行ウ)第209号 | 認容(控訴) | 1996年06月13日 |
東京高裁 − 平成8年(行コ)第76号 | 控訴棄却(確定) | 1998年03月26日 |