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M社営業所長叱責自殺控訴事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
M社営業所長叱責自殺控訴事件【うつ病・自殺】
事件番号
高松高裁 - 平成20年(ネ)第258号
当事者
控訴人兼被控訴人 個人2名 A、B
被控訴人兼控訴人 株式会社
業種
建設業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2009年04月23日
判決決定区分
原判決破棄(控訴認容)
事件の概要
 道路建設を主たる業務とする被控訴人兼控訴人(以下「被控訴人」・第1審被告)の東予営業所長であったTは、受注高、原価等につき虚偽の数値を報告する不正経理を行ったところ、四国支店工務部長Mに気付かれ、正しい数値とするよう指示された。しかし、Tがこれを是正しないでいたところ、Mの後任者のJは1800万円の架空出来高の計上を把握し、これを段階的に解消する方針を示して、Tにそのやり方を指示した。平成16年9月の業績検討会議の席でJは不正経理を指摘し、Tに対しては「会社を辞めても楽にはならない」、「皆が力を合わせて頑張っていこう」などと言って、従業員全員を鼓舞したが、その3日後、Tは遺書を遺して営業所内において自殺した。

 Tの妻である控訴人兼被控訴人(以下「控訴人」・第1審原告)A及びTの子である控訴人Bは、Tの死亡は業務命令の限界を超えたノルマ達成を強要されたことによりうつ病を発症したことが原因であるとして、主位的には不法行為責任、予備的には安全配慮義務違反を理由として、Tについては逸失利益9752万円強、慰謝料2800万円、葬儀費150万円、原告Aについては慰謝料300万円、原告Bについては慰謝料200万円等の支払いを請求した。
 第1審では、1800万円の架空出来高を短期間に解消することは無理であるから、そのような是正策をTに対し厳しく求めた時点で、被控訴人はTが心理的負担から精神的障害を発症して自殺に至ることは予見可能であったとして、6割の過失相殺と労災保険の損失相殺を行って、控訴人Aについては522万円余、控訴人Bについては2602万円余の損害賠償の支払いを命じた。これに対し控訴人は損害賠償額の増額を求め、被控訴人は判決の取消しを求めて、それぞれ控訴した。
主文
1 原判決中、1審被告の敗訴部分を取り消す。
2 同部分に係る1審原告らの請求をいずれも棄却する。
3 1審原告らの控訴をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は、第1、2審とも1審原告らの負担とする。
判決要旨
1 上司らの行為が不法行為に当たるか

 控訴人兼被控訴人(1審原告)らは、上司らがDに対し、社会通念上正当と認められる職務上の業務命令の程度を著しく超えた過剰なノルマ達成の強要及び執拗な叱責をしたと主張する。しかしながら、被控訴人兼控訴人(1審被告)の営業所は、独立採算を基本にしており、過去の実績を踏まえて翌年度の目標を立てて年間の事業計画を自主的に作成していたこと、東予営業所の第80期の年間事業計画はDが作成し、四国支店から特に事業計画の増額変更の要請はなく、東予営業所における業績環境が困難なものであることを考慮しても、当初の事業計画の作成及び同計画に基づく目標の達成に関しては、上司らからDに対する過剰なノルマ達成の強要があったと認めることはできない。

 東予営業所においては、Dが営業所長に就任するまでは、営業所の事業成績に関するデータの集計結果を四国支店に報告する際に実際とは異なる数値を報告するといった不正経理は行われていなかったが、Dは同営業所長に就任した1ヶ月後の平成15年5月頃から、架空出来高の計上等の不正経理を開始し、同年6月頃、これに気付いた上司Uから是正するよう指示を受けたにもかかわらず、漫然と不正経理を続けていたため、平成16年7月にも、上司であるJ、R及びUから架空出来高の計上等の解消を図るよう再び指示ないし注意を受けていた。更にその当時、東予営業所においては、工事日報を作成しておらず、このため同年8月上旬、東予営業所の工事の一部が赤字工事であったことを知ったJから工事日報の提出を求められた際にも、Dはその求めに応じることができなかった。

 このように、上司から架空出来高の計上等の是正を図るよう指示されたにもかかわらず、Dはそれから1年以上経過した時点においてもその是正がされていなかったことや、東予営業所においては工事日報が作成されていなかったことなどを考慮に入れると、上司らがDに対して不正経理の解消や工事日報の作成についてある程度の厳しい改善指導をすることは、上司らのなすべき正当な業務の範囲内にあるものというべきであり、社会通念上許容される業務上の指導の班員を超えるものと評価することはできないから、Dに対する上司らの叱責等が違法なものということはできない。

 以上のとおり、上司らがDに対して行った指導や叱責は、社会通念上許容される業務上の指導の範囲を超えた過剰なノルマ達成の強要や執拗な叱責に該当するとは認められないから、Dの上司らの行為は不法行為に当たらないというべきである。

2 1審被告の安全配慮義務違反の有無

 1審原告らは、(1)恒常的な長時間労働、(2)計画目標の達成の強要、(3)有能な人材の配置等支援の欠如、(4)Dに対する叱責と架空出来高の改善命令、(5)業務検討会議における叱責、(6)メンタルヘルス対策の欠如等を挙げ、1審被告の安全配慮義務違反を主張する。

 (1)については、Dの死亡前直近6ヶ月のDの所定外労働時間の推計は、平成16年3月88.5時間、4月63時間から73時間、5月50.25時間から59.75時間、6月73.25時間から84.75時間、7月52.25時間から60.75時間、8月56.25時間から65.25時間であり、その平均は63.9時間から74.2時間であって、Dが恒常的に著しく長時間にわたり業務に従事していたとは認められない上、往復の通勤時間に約2時間を要することとなったのは、Dが東予営業所長就任後に松山市内に自宅を購入したためであるから、1審原告らの(1)の主張は採用できない。また、(2)、(4)、(5)については、上司らがDに対して過剰なノルマの達成や架空出来高の改善を強要したり、社会通念上正当と認められる職務上の業務命令の限度を著しく超えた執拗な叱責を行ったと認めることはできないから、1審原告らのこれらの主張は採用することができない。更に(3)についても、Dが上司らに対して東予営業所の所員の補強を要請した事実は認められない上、Hの東予営業所からの異動は、東予営業所の粗利益の向上等を目的としたものであって、Dもこれを事前に了解していたのであるから、1審原告らのの主張は採用の主張は採用できない。

(6)については、平成16年5月19日に四国支店において職場のメンタルヘルス等についての管理者研修が実施され、Dを含む管理者が受講しているのであって、1審被告においてメンタルヘルス対策が何ら執られていないということはできない。また、同年7月から9月にかけてのDの様子について、部下らにはDに元気がないと感じていた者はいたものの、Dが精神的な疾患に罹っているかもしれないとか、Dに自殺の可能性があると感じていた者はおらず、Dの上司らは、Dが行った架空出来高の計上額は1800万円と認識していたのであって、これを遅くとも平成16年度末までに解消することを目標とする業務改善の指導は、必ずしも達成が容易な目標ではなかったものの、東予営業所の業績環境に鑑みると、不可能を強いるものということはできないのであり、架空出来高の計上の解消を求めることによりDが強度の心理的負荷を受け、精神的疾患を発症するなどして自殺に至るということについては、Dの上司らに予見可能性はなかったというほかない。したがって、1審原告らの(6)の主張は採用することができない。
以上のとおり、安全配慮義務違反を基礎付ける事実として1審原告らが主張する事実はいずれも採用することができず、1審被告に安全配慮義務違反があったと認めることはできない。
適用法規・条文
民法415条、709条
収録文献(出典)
労働経済判例速報2044号3頁
その他特記事項