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渋谷労基署長・中傷ビラ配布自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 渋谷労基署長・中傷ビラ配布自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 東京地裁 - 平成19年(行ウ)第727号
- 当事者
- 原告個人2名 A、B
被告国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2009年05月20日
- 判決決定区分
- 認容
- 事件の概要
- D(昭和22年生)は、昭和46年2月に各種飲食店や社員食堂等を運営するR社に入社し、営業第2部給食事業で勤務し、平成7年6月に料理長に就任した。
Dは、新宿第2店員食堂店長であった平成7年頃、採用に当たってFを推薦したが、Fは、平成8年4月頃、契約期間が1年から半年になり、同年10月頃パート従業員とされるなど、その処遇に不満を抱いた。Fは平成9年2月、Dが、(1)社員食堂の食券を再利用して売上げを着服している、(2)管理していた食堂の金庫から1万5000円を盗んだ、(3)部下の女性従業員を尾行したり、夜中に部屋を訪ねて口説くなどのセクハラをした、(4)部下らが倉庫から窃取したビールを飲んだ、(5)部下Jが女性と不適切な関係を持ったり、商品を駅長室に持ち出して、切符をもらう等の不正をした、等を内容とする中傷ビラ(本件ビラ)をO百貨店の労働組合に持ち込んだ。このため、R社はO百貨店及び労働組合から社員の規律について強い疑念を示され、調査を行うこととし、G部長らがDの上司である支配人I、D、部下J等から事情聴取をした。そして、R社はその結果を踏まえて、Jに対し減給処分、Iに対し監督責任としての譴責処分を行うとともに、Fに対しては厳重注意とした始末書を提出させた。Dに関する不正は確認されなかったため、Dは懲戒処分は受けなかったが、店長職の兼務を解かれた。
平成10年2月頃、R社はO百貨店から、給食事業の委託の打切りもあり得るとして、事業改善を強く求められ、これを受けてDは給食事業料理長として、店員食堂改善案を作成し、同年3月6日頃にO百貨店に提出した。この頃Fは、平成10年度の雇用契約更新に当たり、再び本件ビラをR社の社長に送付し、問題を蒸し返した。そのため、R社は再度調査を行うこととし、G部長らはDの事情聴取を行ったほか、Dに対しO百貨店への出入りを禁じた。
Dは、同月以降、手帳に詳細な記載を始め、自宅近隣にビラをまくとの脅しがあること、処分は必至であること、死について考えること、家族を守らなければならないことなどを記載した。Dは、同年4月16日付けで営業第1部レストラン第1事業の事業付料理長に配置転換され、約10年ぶりに調理現場に戻された。そして、Dは同月24日、自宅を出た後、体調が悪いから休む旨職場に連絡して所在不明となり、同日、長野県南安曇郡の雑木林において、原告らに対する遺書を遺して縊死した。
Dの子である原告A、Bは、Dがうつ病を発症して自殺したのは業務に起因するとして、渋谷労働基準監督署長に対し、労災保険法による遺族補償給付の支給を請求したところ、同署長からこれを支給しない旨の処分(本件処分)を受けた。原告らは本件処分を不服として、審査請求、再審査請求をしたが、請求を受け入れられなかったことから、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 渋谷労働基準監督署長が原告らに対して平成15年10月27日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 労働基準法及び労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の死亡について行われるが、業務上死亡した場合とは、労働者が業務に起因して死亡した場合をいい、業務と死亡との間に相当因果関係があることが必要であると解される。また、労働者災害補償制度は、業務に内在する各種の危険が現実化して労働者が死亡した場合に、使用者に過失がなくとも、その危険を負担して損失の補填の責任を負わせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであるから、業務と死亡との相当因果関係の有無は、その死亡が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。
そして、当該労働者の置かれた具体的状況における心理的負荷とは、精神障害発症以前の6ヶ月間等、一定期間のうちに同人が経験した出来事による心理的負荷に限定して検討されるべきものではないが、ある出来事による心理的負荷が時間の経過とともに需要されるという心理的過程を考慮して、その負荷の程度を判断すべきである。また、精神疾患を引き起こすストレス等に関する研究報告書等を踏まえるときは、心理的負荷を伴う複数の出来事が問題となる場合、これらが相互に関連し一体となって精神障害の発症に寄与していると認められるのであれば、これらの出来事による心理的負荷を総合的に判断するのが相当である。
Dは、遅くとも平成10年3月下旬頃にはうつ病を発症していたと認めるのが相当であるところ、同月の本件ビラ問題は、Dの部下であるFによるものであり、前年に生じた本件ビラ問題の蒸し返しであって、その内容については、Dに関する部分については事実であると確認できていないのであるから、これを厚生労働省労基準局長通達による「判断指針」にいう「仕事上のミス」ということはできない。しかしながら、Fが労働組合に本件ビラを持ち込んだことで、顧客であるO百貨店からR社の給食事業の管理責任を問われることに発展し、平成9年には上司の支配人Iや部下のJが懲戒処分を受けるとともに、Dも自らが疑われた金銭の管理に関する事項を含む始末書を提出させられた上、当時兼務していた店長職を解任されているし、平成10年3月には店員食堂改善案を提出しているところ、これはR社の給食事業の委託の継続に向けて責任の一端を負わされたものであるということができる。G部長らの事情聴取は、本件ビラの内容が事実でないとしながらも、約2時間にわたり逐一詳細にDに尋ねており、相当に糾問的であったといわざるを得ない。そして、Dは、平成10年3月末までの間に、自らの手帳に「自分に対する処分は必至」などと記載し、給食事業から外されることを予想しているが、O百貨店との関係悪化の責任を感じさせられていること及び同年4月には給食事業から外されていることからすれば、同年3月当時のDの予想は、そのように受け止められるものであったと認めるのが相当である。加えて、DはFを雇用契約時に推薦していたことがあり、R社にとってのトラブルメーカーを積極的に推薦してしまった負い目を感じていたとしても不自然ではない。
このように、平成10年本件ビラ問題についてDがG部長等から事情聴取を受けたことは、判断指針における「会社で起きた事件について責任を問われた」に該当するとしても、その心理的負荷の強度は、事件の内容、関与・責任の大きさを考慮して修正されるべきであるし、これに伴う変化としても、自らが長年従事していた給食事業を外されるという仕事の質の変化が客観的に予想される事態であったことを考慮するのが相当である。加えて、Fが本件ビラをR社の社長あてに送付したり、家族への脅迫を疑わせる行動をしたことは判断指針の「部下とのトラブル」に該当するし、本件ビラ問題がR社とO百貨店との関係悪化の要因となったことは「顧客とのトラブル」にも該当するところ、これらは相互に関連するものであって、一体となってDに心理的負荷を与えたと認められる。してみると、平成10年本件ビラ問題についてDがG部長等から事情聴取を受けたことが判断指針における「会社で起きた事件について責任を問われた」に該当するとしても、その心理的負荷の強度は、「3」に修正されるべきであり、この出来事に伴う変化として、給食事業から外されるという仕事の質の変化が客観的に予想される事態であったこと、Fの言動による「部下とのトラブル」、O百貨店との関係悪化の要因となった「顧客とのトラブル」とも一体となってDに心理的負荷を与えたと認められることから、その心理的負荷の総合評価は「特に過重」なものとして「強」であるというのが相当である。
Dは、発病後の平成10年4月16日付けでレストラン第一事業事業付料理長に配置転換されているところ、同年3月の事情聴取後に行われた人事異動であること、同時期にされた支配人Iの配転は監督不行届を理由とした降格であったこと、事業付料理長という例外的な地位への移動であったこと、Dが長年従事してきた給食事業(の管理業務)から外れ長年離れていた現場作業(調理)を担当することになったこと、異動理由が明確に告げられておらず、将来的に管理業務に戻ることが予想されていたことも告げられていなかったこと、上層部が給食事業を担当していた者を疎ましく思うような態度を示したことからして、「左遷」と受け止められても不自然ではない異動であったと認めるのが相当である。そうすると、Dの平成10年の配置転換による心理的負荷の程度については、少なくとも「中」であり、既に罹患していたうつ病を悪化させる可能性があったとはいえ、逆に軽減させるものではなかったと評価するのが相当である。
以上、Dのうつ病発症前の業務の心理的負荷の総合評価は「強」であり、うつ病の発症につながる業務以外の心理的負荷やDの個体側の要因もないのであるから、判断指針によっても、Dのうつ病発症が同人の業務に起因するものと認めることができる。また、Dのうつ病発症後の業務の心理的負荷の強度についても、少なくとも「中」程度のものであって、うつ病に特徴的な希死念慮の他にDが自殺をするような要因・動機を認めるに足りる証拠はないから、Dの自殺についても、同人が従事した業務に内在する危険が現実化したものと評価するのが相当である。
以上によれば、Dの精神障害の発症及び自殺は、Dがその業務の中で、同種の平均的労働者にとって、一般的に精神障害を発症させる危険性を有する心理的負荷を受けたことに起因して生じたものと見るのが相当であり、Dの業務と同人の精神障害の発症及び自殺との間に相当因果関係の存在を肯定することができる。したがって、Dの精神障害の発症及び自殺は業務上の事由によるとは認められないとして原告らに対する遺族補償給付を支給しないとした本件不支給処分は違法であり、取消しを免れない。 - 適用法規・条文
- 労災保険法16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働経済判例速報2045号3頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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