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品川労基署長(C社)くも膜下出血死事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
品川労基署長(C社)くも膜下出血死事件【過労死・疾病】
事件番号
東京地裁 − 昭和57年(行ウ)第103号
当事者
原告 個人1名
被告 品川労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1989年03月01日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 Sは、昭和38年4月工業高校卒業後、電気工事技術者として、本件会社の元請会社に入社し、昭和45年9月同社を退職して別の会社に勤務した後、昭和50年2月に本件会社に再入社し、以降工事課長代理として、また昭和53年9月以降工事課長として、会社の主たる業務である電気工事業務に携わっていた。

 本件会社は、従業員15名程度の電気工事会社であるが、昭和53年4月から9月までの間に男子社員10名中5名が退職し、新規採用は未経験の新卒者2名のみであることから、会計事務も工事課長であるSの負担となった。

 Sの業務は、現場に出向いて行うものが多いことや限られた期間内に集中して行われるものが多いことから、残業あるいは早朝勤務が多く、深夜にわたる勤務や稀に徹夜業務を行うこともあった。Sの業務に伴う移動の地域範囲は、都内のみならず近県にもわたっていたが、工事課長就任後は、都外に自動車に出向くことは、多くて月5、6回であった。

 Sの死亡前2ヶ月間は、同人の担当現場はそれ以前より増えて9ないし10件程度になり、その中には積算、打合せ、監理等にかなりの負担を伴うもの、遠方の現場に定期的に出向く必要のあるもの、本件会社が官公庁から直接受注する初めての工事であってSが主任管理技術者に指定されたものがあるほか、この間2回程度の休日出勤があり、残業も相当に多かった。Sの死亡前1週間については、月の後半で、Sが各種会計処理のまとめを行うべき時期に当たっており、その分の業務負担があったこと、同人は昭和54年4月13日から16日まで、弟の結婚式のため帰省し、帰京後その負担が加わったほか、同月18日には事故処理のため厚木に出向き、現地で深夜まで働き、そのまま職泊した。

 死亡当日、Sは他の従業員と共に、米軍基地へ出入りするパスポート取得のため横須賀へ出向き、午後3時頃終了して帰社の途中で喫茶店に立ち寄り、部長らとビールを飲み、帰社後1人残って伝票整理を行っていたが、排便の際脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血により死亡した。
 Sの妻である原告は、Sの死亡は業務上の死亡に該当するとして、被告に対し、昭和54年7月6日、8月17日に、それぞれ労災保険法所定の葬祭料、遺族補償年金の請求を行ったところ、被告は昭和55年6月11日、各給付を支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の意味及びその立証責任

 疾病の発生につきいわゆる業務起因性があるというためには、業務と疾病との間に相当因果関係のあることが必要であり、労働者に疾病の基礎疾患ないし素因がある場合には、少なくとも業務がこれと共働原因となって発症をみたといえることが必要である。そして、従来、基礎疾患等がある場合について、業務が共働原因となって早期に発症し又は顕著に増悪したとか、あるいは業務が疾病の諸原因のうちで相対的に有力なものである必要があるとかいわれているのも、結局、法的因果関係の明確性の一つの徴表として右のような事情を要求しているにすぎず、業務と疾病との間に法的な因果関係以上の要件として前記のような事情が必要であるとするものではないと解される。またこの点については、労働基準法75条に基づく労働災害補償責任が、無過失責任であり、また労働者災害補償保険法における保険給付の主たる原資が事業主の負担する保険料とされていることからすると、業務起因性について、原告主張のように、通常の損害賠償とは別異に解して、相当因果関係ではなく合理的関連性をもって足りるとか、あるいはその存在について一定の事由がある場合には事実上の推定を働かせ、これを否定する立証がない限り業務上の発症と認定すべきであるといった考え方をとることはできず、被災労働者において業務と疾病の間の法的因果関係の存在を立証する責任を負うものと考えられる。

2 本件における業務起因性

 工事課長としてのSの業務は、一般的にみればかなり負担の重いものであったということができ、また死亡に近接した2ヶ月間が、同人の工事課長就任以降、大きな工事が輻輳していたこと等から、相当に忙しい時期であったことは明らかである。しかし、この期間の同人の業務が、量的にみて疲労の回復が著しく困難であるほどに重いものであったとか、質的にみて、従前に比しはるかに密度、緊張度の高いものであったとまでの事情は、なお認めることができないし、また右2ヶ月間のうちより死亡に近接した時点においてよりその負担が重くなっていたことも同様に認めることはできない。

 更に、死亡当日についてみると、一過性の急激な血圧上昇の原因となり得るような極度の肉体的負荷や精神的緊張をもたらすものとは認められないし、原告がそのように主張する米軍基地における面接についても、これから脳動脈瘤の破裂までの間にはかなりの時間的間隔があり、しかも相応の休憩を取っていることが明らかである。一方、Sの脳動脈瘤破裂は、我が国においては殊に誘因の一つして挙げられることが多く、かつ経験的にみて一過性の血圧上昇を伴いやすい排便時に起こっていること、同人には脳にも全身にも動脈硬化が見られず、その脳動脈瘤の形成については、血管の脆弱性等の後天的要因の一つと考えられる高血圧については、既に昭和50年の本件会社入社直後から認められること、また同人には血管の脆弱性を高める数多くの基礎疾患があったことについては、いずれも明確に認められるところである。

 以上を総合して考えると、Sの脳動脈瘤の形成ないし破裂については、業務が全く無関係であると断定することはできないとしても、それが共働の原因又は相対的に有力な原因に当たるとして、法的な意味で因果関係があると認めることは困難であり、むしろSの脳動脈瘤は、同人に存した先天的要因に高血圧等の後天的要因が加わって形成され、さらにこれが業務とは直接に関係のない排便時の一時的かつ急激な血圧上昇によって破裂するに至ったとみるのが最も合理的と考えられる。したがって、本件処分の取消しを求める原告の請求は理由がない。
適用法規・条文
労災保険法16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例537号51頁
その他特記事項
本件は控訴された。