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海上自衛隊三曹自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 海上自衛隊三曹自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 長崎地裁佐世保支部 - 平成13年(ワ)第140号
- 当事者
- 原告個人2名 A、B
被告国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2005年06月27日
- 判決決定区分
- 棄却(控訴)
- 事件の概要
- Dは、平成9年3月高校卒業後海上自衛隊に入隊し、同年10月に一等海士、翌10年4月に海士長になった者である。
平成11年4月から2ヶ月間、Dは当直海士として見習教育を受けたが、指導には素直に従うものの、仕事に対して消極的であるとの評価を受け、8月まで見習教育機関が延長された。しかし、Dは期間延長後も知識・技能の習得に対する積極的な姿勢が見られず、技能練度が向上しているとはいえないとの評価を受けた。
同年8月末頃から、Dは同僚に対し、「自分は馬鹿で仕事が覚えられない」などと口にするようになり、9月初め頃からは機器の取扱説明書を読むなど勉強する姿がよく見られ、勉強のため普段より1、2時間程度遅く帰宅することが2、3回あった。同年10月初旬、Dは岳父に対し、班長らから、分からないことを質問されたり、機械の分解などわからないことを部下の前でやらされたりして、非常にきついなどと落ち込んだ声で話したりした。
同月初旬頃、K班長は、Dと他の士長に対し、「ゲジ2が2人揃うとるな」と言った上で、Dを自宅に招待する目的もあって、「焼酎いつ持ってくっとや」と聞き、Dのことを「百年の孤独要員」と呼んだ。その頃から。Dは直属のL班長から「三曹らしい仕事をしろ」、「おまえは覚えが悪いな」、「馬鹿かおまえは、三曹失格だ」などと言われ、「分からないところを聞いても教えてもらえない」と、妻に言うようになった。
同月13日、Dは妻とともに、「百年の孤独」などを持参してK班長宅を訪問したが、K班長はその席でDに対し「お前はとろくて仕事ができない、自分の顔に泥を塗るな」などと言ったり、士長を丸刈りにした話などをした。
同年11月初旬、Dは同僚らと雑談した際、「眠れない」、「落ち着くところがない」、「仕事に集中できない」などと話したが、同僚らはDの様子が普段とさほど変わらなかったことや、これらの発言はそれまでにも見られたことから、上官には報告しなかった。同月8日午前0時から4時まで、DはK班長らと共に当直を行い普段通り仕事をこなし、次直と交替した。そして同日午前10時頃、Dが首吊り自殺をしているのが発見された。
Dの両親である原告らは、Dの自殺は、(1)上官らのいじめが原因であること、(2)上官らにはDの自殺を防止すべき安全配慮義務があったこと、(3)海上自衛隊佐世保地方総監部の自殺原因についての調査結果は、Dを組織的に自殺に追い込んだものを個人的な自殺にすり替えたもので、その公表は原告らの名誉権等を侵害することを主張し、不法行為に基づく謝罪、損害賠償各5000万円の支払い、軍事オンブズパーソン制度の設置を要求した。 - 主文
- 1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。 - 判決要旨
- 1 いじめの有無及び自殺との因果関係
Dは、佐世保入隊中に体力測定及び水泳検定1級という、自衛隊内でも140人に3人程度という高い評価を受けたり、英語弁論大会の出場者に選出されるなど、一般的能力には高いものが見られたものの、機器等の理解や取扱いはやや不得手だったことが窺われる。平成10年7月、8月の造水装置起動テストで及第点を取れなかったこと、やや事務処理能力が低いことが指摘されていることなどを併せ考慮すると、Dは平均的な隊員に比べ、機器に関する技量の習得が遅延する傾向にあったことが窺える。そして、Dは三曹というプレッシャーから、分からないことがあっても質問できない心理状態にあったというのであって、職務態度が消極的であるという上官らの評価につながったものと推察される。
ある行為がいじめに当たるか否かは、行われた行為の有する社会的意味、行為の相手方の認識及び精神的苦痛の程度、行為者の意図や認識等を総合的に考慮し、社会的に見て相当な範囲を逸脱するといえるか否かによって判断するのが相当である。
原告らは、K班長がDに対し、仕事ができないという意味で「ゲジ2」と呼んだり、「百年の孤独要員」と呼んで焼酎を持って来訪するよう半ば強制したり、妻の前で「お前は仕事ができない。俺の顔に泥を塗るな」などと述べてDを威圧したなどと主張するところ、これらの発言は上官の部下に対するものとしては不適切なものであったことは否定できないが、それが違法・不当ないじめと評価できるか否かが問題となる。DとK班長は当初良好な関係にあったことからすれば、K班長が、Dの否定的な感情を察知しないまま、従前通り良好の関係にあると考えてDに接したと推察されること、Kは「ゲジ2」を軽い冗談のつもりで使用したにすぎないと説明し、いじめの意図があったとは認め難いこと、焼酎を強要する意図があったとは認め難く、妻の前でのDが仕事ができない旨の発言をしたことは決して適切とはいえないが、Dに発奮を促す趣旨で述べられたものと考えられ、Dを中傷する意図での発言とは認め難いこと、丸刈りの話は酒の席での一つの話題として語られたにすぎなかったと窺えることの諸点に照らせば、K班長の上記言動の1つ1つは不適切なものであるとしても、その発言の目的や経緯に照らすと、上記言動をもって、違法・不当ないじめ行為に当たると評価することはできない。
原告らは、平成11年9月始め頃から、L班長らがDに対して未知の質問を浴びせたり、ガミガミときつい物言いをしたり、見せしめ的に居残り仕事をさせたり、「バカかお前は」等と暴言を吐いてDをいじめたと主張する。しかし、知識や技能の習得の有無を確認するために質問をしたり作業をさせたりすることは、通常とられる教育方法の一つと窺われるところ、Dは知識及び技能の点で十分でない点があったのであるから、これをもって指導・教育の範囲を逸脱する不当な手法であるとはいえない。更に、Dが遅く帰宅したのは2、3回であり、かつ1、2時間遅かったに過ぎず、その理由も勉強のためというのであるから、見せしめ的に居残り仕事をさせられたと認めるのは困難である。以上の諸点に照らせば、Dが妻や母親らに説明したような上官らの行為があったとは認められない。
Dは、妻や母親に対し、上官らからバカと言われ、「覚えが悪い」「三曹失格だ」などと責められたと述べているところ、被告はこれらの発言を否定するが、これらはノートやメモの記載で裏付けられる上、発言内容が具体的であることかれすれば、上記発言に沿う事実があったと認めるのが相当である。しかしながら、上記発言が行われた経緯を見るに、Dが合格水準に達せず、見習教育期間を延長した後も勤務態度に積極性が見られず、実力の伸びも余り感じられなかったことなどから、上官らは9月初め頃より厳しい指導・教育を行うこととされたと窺われ、かかる経緯のもとに上記発言等が行われるようになったと推察される。そして、Dは海上自衛隊の機関員として、鑑の安全航行に関わる重要な作業を行う立場にある関係上、ある程度の厳しい指導・教育にさらされることはやむを得ないといえるから、上記の指導・教育方針のもとに厳しい指導・教育がなされたこと自体は、社会的に見て不相当であったとはいえない。
以上の諸点に照らせば、上官らの不適切な言動が一部に見られたとしても、それらも含めたDに対する指導・教育の過程を全体として見る限り、それが社会的に相当な範囲を逸脱するものであったとは解されないから、Dに対し、原告らが主張するような違法・不当ないじめ行為があったと評価することはできない。
2 安全配慮義務違反について
一般に、被用者が生命・身体の安全を害する可能性を有する具体的な状況にある場合には、使用者は、被用者の生命・身体の安全を守るべく配慮して行動しなければならないという一般的な注意義務を負うものと解されるから、被用者の生命・身体の安全を害するおそれのある具体的状況があるのに、使用者がその危険性を除去すべき必要な措置をとらなかったときは、上記生命・身体の安全に配慮すべき義務に違反するものとして、被用者に対して不法行為責任を負うことがあるものと解すべきである。なお、原告らが主張する、隊員一般のうつ病による自殺を予防するために、自衛隊が組織として隊員の健康悪化の防止に配慮し、うつ病罹患等を早期に発見できる体制づくりに努める義務などは、特別の社会的接触関係を前提として初めて生じるものであり、不法行為規範から生じる一般的注意義務の範囲を超えるものと解される。
ところで、Dの自殺について上官らに安全配慮義務違反があるといえるためには、Dがうつ病に罹患していて自殺のおそれがあることを上官らが予見し得たことが必要となる。Dは、10月に入ると「不眠」を訴え、「精神運動性の制止」や「気力の減退」が認められ、11月に入ると、「焦燥感」や「集中力の減退」、「食欲の減少」と「自殺企図」を行っているのであるから、Dにはうつ病の症状があったといえる。しかし、他方で、Dは本件事故前日まで欠勤もなく、当直をこなし、技量にも成長が見られる状態にあり、当直時間外には同僚らと将棋や雑談をしたり、積極的に勉強したりしており、これらの事実を併せ考慮すれば、Dにはうつ病が重症化していたものとはいえないと判断される。Dの「集中できない」等の発言や元気のない様子などは、個々の隊員はその一部を認識していたに過ぎなかったこと、Dの訴えていたような悩みは多かれ少なかれ他の隊員も経験していたこと、特にDがそれらに耐えられないような性格面での脆弱性を有しているとは認識されていなかったこと、妻や母親もDがうつ病を罹患していたとまでは認識していなかったことが認められる。これらの事情を併せ考慮すれば、個々の隊員らが自ら見聞きした事実をもって、Dがうつ病に罹患しており、したがって自殺の危険が切迫していると認識するのは困難であったといわざるを得ない。
以上のように、同僚隊員らは、Dのうつ病罹患の事実や、Dの自殺の具体的な危険性があることを認識・予見できたとはいえないのであるから、上官らが、部下からの情報を通じて、Dのうつ病罹患の有無及び自殺の危険性を予見することは困難であったと判断される。そうすると、上官らには、Dの自殺について予見可能性があったとはいえないから、Dの自殺を防止すべき注意義務(安全配慮義務)の存在を認めることはできない。
3 名誉権侵害の有無
本件調査報告書は、Dの自殺原因は、いじめによるものではなく、Dが三曹という階級とそれに見合う自己の技能練度の乖離に苦悩し、焦りを徐々に募らせていったことにあるとの内容であり、Dは乗艦当初は仕事に対する積極性に欠け、単独で仕事を任せられる状態ではなかったなどの事実を摘示するものである。この内容は、Dの社会的評価を低下させるものであり、ひいては、同人の両親である原告らの社会的評価をも低下させる可能性があるものである。しかし、他方で、名誉毀損に当たる行為であっても、(1)その行為が公共の利害に関する事実にかかり、(2)その目的が専ら公益を図るものである場合において、(3)示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき、又は真実であるとの証明がなくても、行為者がそれを真実と信じるについて相当の理由があるときは、不法行為は成立しないものと解される。
本件事故は、当初より大きく報道され、その後の報道では、自衛隊内のいじめが疑われていることや、艦内飲酒等の規律違反や、隊員に丸刈りを課した指導方法の当否等についても取り上げられ、Dの自殺との関連が取りざたされていたこと、報道各社は自衛隊や原告に対し継続的な取材活動を行っていたこと、国会レベルでの検討がされている状況であったこと等が認められる。これら事実からすると、本件調査報告書のDの自殺原因に関する記載は、自衛官の自殺について、自衛隊に問題がなかったかどうかが問われる正に公共の利害に関する事実の記載というべきである。また、その公表は、自衛隊として国民に対する説明を欠くことはできない状況下でこれを行ったものであって、専ら公益を図る目的での公表であったというべきである。そして、本件調査報告書の内容については、真実であるとの証明があったというべきであるから、本件調査報告書を公表したことが原告らの名誉を毀損するとしても、その行為に違法性はなく、不法行為の成立を認めることはできないから、名誉権侵害に関する原告らの主張は採用できない。
4 人格的利益の侵害の有無
本件調査報告書の内容は、Dの技量等の不足という、いわゆるプライバシーを内容とするものであることから、名誉毀損とは別個に、上記事実が公表されることによる同人の両親である原告らの人格的利益をも侵害するものではないかが問題となる。しかし、プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し、前者が後者に優越する場合に不法行為が成立すると解される。
原告らは、本件調査報告書の公表に先立ち、原告らに開示するよう求めていたにもかかわらず、開示されないまま公表され、しかも自殺の原因がいじめではなく、Dの技量不足にあったことを内容とするものであったことなどからすると、耐え難い苦痛を味わったものと推察される。しかし、本件事故に対する社会的関心が極めて高かったことなどに照らすと、これを公表する高度の必要性があったといえる。とりわけ、遺族らが考える自殺の原因と、本件事故調査委員会が把握するに至った自殺原因とが全く異なるものであったことからすると、同委員会が本件調査結果を公表するに当たり、本件事故原因に関する結論を示すだけでなく、調査方法や結論に至った筋道を詳しく求められていたというべきである。そして、本件事故調査報告書の内容は概ね事実に即したもので、氏名や家族との関係などはマスキングされており、必要以上にプライバシーを暴露する内容になっていないことも併せ考慮すれば、これら事実を公表されない原告らの法的利益とこれを国が公表した理由とを対比して、前者が後者に優越するとはいえない。以上によれば、本件調査報告書の公表が原告らの人格的利益を違法に侵害するとはいえない。 - 適用法規・条文
- 収録文献(出典)
- 労働経済判例速報2017号32頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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長崎地裁佐世保支部 - 平成13年(ワ)第140号 | 棄却(控訴) | 2005年6月27日 |
福岡高裁 - 平成17年(ネ)第771号 | 原判決変更(一部認容・一部棄却) | 2008年08月25日 |