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北大阪労基署長(S社)自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
北大阪労基署長(S社)自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
大阪地裁 - 平成17年(行ウ)第248号
当事者
原告 個人1名
被告 国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2008年05月12日
判決決定区分
認容(確定)
事件の概要
 Tは、昭和36年3月本件会社に入社し、平成11年4月から、生産本部営繕チームのリーダーとして勤務していた。

 Tは、平成7年2月24日、自動車にはねられ、頭部打撲、前庭機能低下の傷害を負い、1ヶ月近く入院して一旦は退院したが、めまい、吐き気等の症状が続き、同年3月20日から同年4月8日まで再入院し、その後も平成8年12月まで2週間に1回の割合で通院した。また、Tは平成8年3月、焦燥感、不安感、不眠、食欲不振、意欲低下等を訴えて受診し、うつ病との診断を受け、同年6月まで治療を受けた。

 Tは、平成12年2月、本件会社徳庵工場(大阪市)のフェノール樹脂関係部門を中国の現地法人に移管するプロジェクト(本件プロジェクト)に参加することになり、その工場建屋の建築を始めとする設備担当の責任者になった。Tは平成12年9月から現地法人に出向することが決定され、同年3月から9月までの4回にわたり、合計99日間、中国に出張したが、同年9月25日午後10時20分頃、マンション7階から飛び降り自殺した。遺書には「もう疲れました。机上の計画ばかり先走りして実体が追いつかない。進言しても聞く耳を持たない」と記載されていた。
 Tの妻である原告は、平成13年3月14日、本件自殺が業務上の事由によるものであるとして、北大阪労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき、遺族補償給付及び葬祭料給付の請求をしたところ、同署長は、同年9月20日、これらをいずれも支給しない旨の決定(本件処分)をした。原告は本件処分の取消しを求めて審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて、本訴を提起した。
主文
1 北大阪労働基準監督署長が原告に対し平成13年9月20日付けでした遺族補償給付及び葬祭料の支給をしないとの処分を取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
判決要旨
 労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の死亡等について行われるところ(労災保険法7条1項1号)、労働者の死亡等を業務上のものと認めるためには、業務と死亡との間に相当因果関係があることが必要である。また労災保険制度が、労働基準法の危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることからすれば、上記の相当因果関係を認めるためには、当該死亡等の結果が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得ることが必要である。

労災保険法12条の2の2第1項は、労働者が故意により事故を生じさせたことによる死亡の場合を労働者災害補償保険の給付対象から除外しているため、自由な意思によって自殺した場合には業務上死亡した場合と認められないが、自殺が業務に起因して発生した精神障害の症状として発現したと認められる場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として故意による事故に該当せず、業務上死亡した場合と認められる。そして、精神障害の発症については、環境由来のストレスと、個体側の反応性、脆弱生との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという「ストレス-脆弱生」理論が広く受け入れられており、精神障害の業務起因性が認められるためには、ストレスと個体側の反応性、脆弱生を総合考慮し、業務による心理的負荷が、社会通念上、客観的にみて、精神障害を発症させる程度に過剰であるといえる必要がある。

Tが平成12年6月の3回目の出張の際、設備のデータが揃っていないことを気にしていたこと、この出張から帰国した際、原告に「なかなか計画どおり進まない」とこぼしていたこと、同年9月20日、4回目の出張からの帰国後、「中国の仕事を辞めたい」などと考え込む様子で漏らしていたこと、翌21、22日に疲れた様子であったこと、同月25日に自殺をしたこと等からすると、Tは精神障害を発症しており、その発症は同年7月頃であると推認される。その病名は、ICD&-10診断ガイドラインに照らすと「うつ病エピソード」であるが、Tの既往歴を考慮すると、ICD&-10診断ガイドラインの「F33 反応性うつ病性障害」であるとも認められる。

判断指針は、複数の専門家の検討結果に基づくものであり、一応合理的なものであり、少なくともこの判断指針により精神障害の発症が業務上と認められるものについては、業務起因性を認めるべきである。なお、原告は、判断指針における「同種の労働者」について、日常業務を支障なく遂行できる同種の労働者の中でも最も脆弱な者を基準とすべきである旨主張する。しかし、業務と死亡との間に相当因果関係が肯定され、労災保険の対象とされるためには、客観的にみて、通常の勤務に就くことが期待される平均的な労働者を基準にして、業務自体に一定の危険性があることが必要というべきである。

Tは、それまで徳庵工場の営繕チームにいたところ、平成12年2月、本件プロジェクトの設備面の責任者となったのであるから、判断指針別表1の「配置転換」があった場合に該当するといえるが、本件会社において海外に新工場を建設するというプロジェクト自体は、通常行われない、その存立に係る重要な事業というべきであり、むしろ実質的には新規事業の担当になったともいうべきであり、その平均的ストレス強度は「2」に該当し、Tはこの出来事の後である平成12年7月末に「うつ病エピソード」若しくは「反復性うつ病性障害」を発症している。

本件プロジェクトは、多額の投資を行って中国に新工場を建設し、これを稼働させ、コスト高の徳庵工場の生産を中止するというものであり、本件プロジェクトが遅延することによる本件会社の損害は大きい。仮にこれらの遅延の原因がTの責任とはいえないにしても、本件プロジェクトの設備担当の責任者であった以上、設備関係の中心ともいえる工場建屋の建築が最初の段階から遅延することにより、本件プロジェクト自体が遅延することについて、Tが強い心理的負荷を受けていたと認めるべきである。そして、Tの反応は、むしろ平均的な労働者にとって通常の反応というべきであり、これを個人の脆弱性に帰することは相当ではない。

以上によると、Tが本件プロジェクトの担当となり、3回目の海外出張を終える頃までの間に受けた心理的負荷の強度は、何度も計画が変更され、本件プロジェクト自体が遅延していったことの事情を加えることにより「3」に修正されるべきである。
几帳面で真面目であるTの性格は、「うつ病親和的性格」であり、実際にTは平成8年にうつ病を発症している。これからすると、Tの個体側に脆弱性があったことは否定できないが、その後回復し、症状が現れることなく勤務していたこと、本件プロジェクトの担当になった当初は張り切ってこれに取り組んでいたこと、その後総合評価として「強」といえる心理的負荷が加わったため本件発症に至ったことが認められる。そうすると、本件発症は、Tの上記脆弱性が有力な原因となって発症したと認めることはできない。他方、本件発症当時、業務外の心理的負荷が存した形跡も窺えず、本件発症の業務起因性を否定することは相当ではない。以上によれば、Tが受けた心理的負荷の程度は強かったといえ、Tが発症した精神障害に業務起因性を認めるべきである。
適用法規・条文
労災保険法7条1項、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例968号177頁
その他特記事項