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R会病院小児科医うつ病自殺損害賠償請求控訴事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- R会病院小児科医うつ病自殺損害賠償請求控訴事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 東京高裁 − 平成19年(ネ)第2615号
- 当事者
- 控訴人 個人4名 A、B、C、D
被控訴人 R会 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2008年10月22日
- 判決決定区分
- 棄却
- 事件の概要
- F(昭和30年生)は、昭和62年4月から被控訴人(第1審被告)の設置する病院(被控訴人病院)に小児科医として勤務していた者であり、控訴人(第1審原告)AはFの妻、B、C、DはいずれもFの子供である。
Fは、平成11年1月31日に小児科部長代行に就任した直後、医師の退職が相次いだため、宿直回数が増加するなど小児科は多忙を極め、後任医師の確保などの対応に追われた。Fは平成8年頃から宿直の前後に睡眠導入剤を服用していたが、平成11年3月になると服用回数も増加し、痛風も悪化し、家庭でも過敏に反応するようになった。その後、Fは家庭での喜怒哀楽が激しくなり、夏期休暇の最終日である同年8月15日に控訴人Aに対し宿直当番である旨告げて被控訴人病院に行き、翌16日朝、同病院の屋上から飛び降り自殺した。
控訴人らは、Fの自殺は業務に起因するものであり、被控訴人には安全配慮義務違反があったとして、逸失利益、慰謝料等控訴人Aに対し1億2395万円余、同B、C及びDに対し各4351万円余を支払うよう要求した。
第1審では、Fの業務過重性が認め難い上、業務以外に一定の心理的負荷を与える出来事も認められるとして、Fのうつ病の発作と業務との間の相当因果関係は認められないとして、被控訴人の責任を否定したことから、控訴人らはこれを不服として控訴した。 - 主文
- 1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は、控訴人の負担とする。 - 判決要旨
- 1 Fのうつ病発症と業務との相当因果関係の有無
被控訴人病院の日当直時における小児科の急患患者数は、1日当たり平均で、準夜帯(11時15分頃まで)が2.7名から7.0名程度、深夜帯(概ね11時以降)が約1.1名から1.9名程度であったから、間断なく患者が来院するような状況ではなかった。また、Fの入院患者受持延べ数は、平成10年8月から平成11年7月までの間、1日平均約3.3名、同年4月は5.43名であり、小児科の他の医師とさほど差はなく、それらをもって業務の過重性を根拠づけることは困難である。しかし、このような患者数の動向や推移だけから直ちに業務の過重性を否定するのは相当でなく、当直中の小児科医は、いつ来院するか分からない患者に1人で対応しなければならず、殊にFは真面目で責任感が強い性格であったから、十分な休息を取ることもできなかったと考えられる。特に当直回数について、被控訴人病院の他の小児科医と比較するとFが最も多かったこと、小児科学会等が行う調査による平均と比較すれば月6回という当直回数は多いといえることに照らすと、Fのこの時期の当直勤務を軽いということはできないが、他方、被控訴人病院の小児科医には週1回の研究日と当直明けの休みの制度が認められていたこと、Fの住宅は病院から近くに用意され、午前8時過ぎに自宅を出て、午後6時から7時頃までの間には帰宅していたことを考えると、平成11年2月までのFの勤務を全体的に過重なものであったとまでは評価できない。
これに対し、Fは平成11年3月には月8回の当直を担当しており、際だって多く、時間外労働時間は83時間に及び、それまで最も多かった同年2月の54時間の1.5倍強であって、明らかに過重なものであった上、翌4月から6月まで当直回数は5、6回、月間時間外労働時間は60時間を連続して超えていることから、Fの同年3月と4月の勤務は過重であって、5月と6月の勤務負担は多少緩和されたものの、それまでの過重な勤務により疲弊し、Fに与える負荷は大きなものであったというべきである。
更にFは、平成8年頃から不眠を訴えて睡眠導入剤の処方を受けていたが、従前は1度の服用で足りていたものの、平成11年3月頃からは就寝前と深夜の2回にわたって服用することが多くなったものであり、その頃からうつ病の重大な要因である睡眠障害ないし睡眠不足が顕著に増悪したことは明白であり、その原因は過重な業務の影響によるものと考えるべきである。
以上を総合勘案すれば、Fは主として平成11年3月以降の過重な業務により、加えて常勤医や日当直担当医の減少という問題解決に腐心せざるを得なかったことにより、大きな心理的負荷を受け、それらを原因とした睡眠障害ないし睡眠不足の増悪とも相まってうつ病を発症したというべきであり、Fの業務の遂行とうつ病発症との間には条件関係が認められる。そして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは周知のところであり、またFの業務外の要因により多少の心理的負荷があったとしても、うつ病発症の主因とはならない程度のものであると認められるから、Fの業務の遂行とうつ病発症との間には相当因果関係も肯定することができる。
2 被控訴人の安全配慮義務違反及び注意義務違反の有無
雇用契約において、使用者は、報酬支払義務に留まらず、労働者が労務の提供のため設置された場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っているものと解される。また、労働者が長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険性があるから、使用者はその雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、かつ指揮監督を行う権限を有する者は、使用者のこの義務の内容に従ってその権限を行使すべきである。使用者が上記の義務に違反した場合は、労働者に対し、雇用契約上の債務不履行に基づく損害賠償責任を負うとともに、不法行為に基づく損害賠償責任を負い、被控訴人の代理監督者である病院長や事務長らが上記の義務に違反した場合は、被控訴人は民法715条所定の使用者責任を負うことになる。
控訴人らは、上記安全配慮義務等を問う際の予見義務に関し、被害法益の重大性に鑑みれば精神障害の発症・増悪に至る具体的な認識可能性まで必要でなく、健康障害が生じることの抽象的な危惧感に関する認識可能性で足りると主張する。しかしながら、本件のような事案においても、労働者にうつ病が発症することを具体的に予見することまでは必要でないものの、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積することにより、Fの心身の健康が損なわれて何らかの精神障害を起こすおそれについては、具体的客観的に予見可能であることが必要とされるべきである。
平成11年3月から6月までは、Fの月間時間外総労働時間は継続して60時間を超え、特に3月は83時間に及び、月8回の当直をこなしており、翌4月においても時間外総労働時間が69時間に達し、連続勤務が度重なるなど、Fに著しい負荷を与えたということができ、部長代行に就任したこと自体によって顕著な心理的負担を背負ったなどとはいえないが、常勤医や日当直担当医の減少の事態に直面し、心理的負荷を受けていたものである。しかし、平成11年2月までのFの勤務状況が過重とまでいえるものではなく、同年5月、6月の月間時間外労働時間は60時間を大きく超えるものではなく、同年7月の時間外労働時間は50時間を割り込み、当直回数も減少しているから、同年3月及び4月の過重な業務負担は一時的なものであったとみることができる。また、被控訴人病院小児科では、Fを含めた医師は平日に週1回の研究日を取得することができ、公休のような性質を有していたし、日当直の割り振りは、従来からFが担当しており、特に部長代行に就任してからはFの裁量の巾が大きいものであったことは疑いない。
以上によれば、平成11年3月から4月にかけてのFの勤務は過重であったといえるが、
その過重性はある程度はFの意思で解消できるものであったし、その過重さが継続する状況にはなく、時間外労働時間数も減少する傾向にあったといえるものであり、Fの勤務が過重であったとしても、被控訴人側において、Fが心身の健康を損なうことを具体的客観的に予見することはできなかったものというべきである。
Fは、部長代行に就任して間もなく、2名の常勤医が退職するなどしたことから、当直を多く担当しなければならなかったが、常勤医の確保や外医の採用は実質的にはFの権限で行われるところ、Fは知人の医師らに派遣や紹介を要請する以上のことをした形跡はなく、病院に対しても相談をしたり、窮状を訴えたりしたこともない。しかも、I医師の尽力により新たな常勤医の勤務が確定すると、担当医師の減少の懸案は一応解決したものである。そうすると、Fが常勤医や日当直担当医の減少により心理的負荷を受けたといっても、それは一時的なものに過ぎず、直ちにその問題は解決したといえること、常勤医の確保等についてFから病院側に何らの働きかけもなかったことなどを合わせ考慮すると、被控訴人側において、Fが上記の問題による心理的負荷等を過度に蓄積させて、心身の健康を損なうことを具体的客観的に予見することはできなかったというべきである。
Fは、平成11年3月頃から6月頃までの間にうつ病を発症したと考えられるが、うつ病に罹患した者は基本的に病識がなく、医師のもとを訪れることがあっても、自分からは精神的苦痛を述べず、表情や態度に問題を感じさせないため、精神科医であってもその発症を見抜くことは極めて困難であること、Fも局面的にはうつ病の症状を呈していたが、全体として業務をそれなりにこなし、無断欠勤等をすることもなかったので、周囲の者がうつ病と思わなかったのもやむを得ないと考えられること、Fは実際に精神科を受診したことはなかったし、被控訴人病院の産業医に相談したこともなかったことの事実が認められる。
Fについては、その頃家庭において控訴人Aらが異変を感じていたが、控訴人Aも精神科医である実兄にも相談したことはなく、病院関係者の間では、Fは特に変わった様子や落ち込んだ様子も見られなかったし、Fが病院で疲れた様子や怒りっぽい態度を示したことが現認されているものの、Fと親しい医師の目からもFの異変に気付くことのなかったことは疑いないものである。したがって、被控訴人側において、Fが心身の健康を損なっていたり、精神的な異変を来していることを認識することはなかったし、かつ認識することもできなかったものというべきである。
以上を考え合わせると、平成11年3月から4月にかけてのFの勤務は過重であり、また部長代行に就任した早々に常勤医や日当直医の減少という事態に直面し、Fはそれらによって相当な身体的又は心理的負荷を与えられたということができるが、被控訴人側において、それらの問題によってFが疲労や心理的負荷等を過度に蓄積させ、心身の健康を損なって何らかの精神障害を起こすおそれを具体的客観的に予見することはできなかったものであり、かつFが精神障害を起こしていることはもとより、精神的な異変を来していることを認識することもできなかったものである。したがって、本件において、被控訴人が前記の安全配慮義務ないし注意義務に違反したということはできず、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償責任を負うものではない。 - 適用法規・条文
- 収録文献(出典)
- 労働経済判例速報2023号7頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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東京地裁 − 平成14年(ワ)第28489号 | 棄却 | 2007年03月29日 |
東京高裁 − 平成19年(ネ)第2615号 | 棄却 | 2008年10月22日 |