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Mトラストシステムズ新入社員うつ病自殺控訴事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- Mトラストシステムズ新入社員うつ病自殺控訴事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 東京高裁 - 平成18年(ネ)第5606号
- 当事者
- 控訴人 個人2名 A、B
被控訴人 株式会社 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2008年07月01日
- 判決決定区分
- 控訴棄却(上告)
- 事件の概要
- K(昭和47年生)は、大学理学部卒業後の平成8年4月、被控訴人(第1審被告)会社にシステムエンジニアとして採用され、集合研修、部内研修を受講した後、受信共通・技術支援チームに配属され、日銀与信明細票プログラムを与えられた。Kは同プログラム保守作業が終了した後体調を崩して欠勤し、同年8月29日に受診した際に感冒性胃腸炎と診断され、9月に入ると更に体調不良が継続したことから、上司の指示により連続休暇を取得した上、同月24日に出勤した際退職を申し出た。Kは、9月30日付けで退職することになっていたところ、9月25、26日に自席においてコンピューター以外の業務に従事していたが、26日午後7時頃、公団団地ビルから飛び降り自殺した。
Kの母親である控訴人(第1審原告)A、弟である控訴人B(Kの父親の死亡により訴訟を承継)は、Kが、不十分な研修で過重な負荷を受けたことによりうつ病に罹患し、自殺に至ったとして、安全配慮義務違反を理由として、被控訴人に対し総額1億4000万円強の損害賠償を請求した。
第1審では、被控訴人の研修プログラムが不十分とか配属が不適切ということはできず、Kに与えられた業務が特に過重ともいえないなど、Kの精神障害の発症は個人的素因によるところが大きく、業務に起因するとは認められないとして、控訴人らの請求を棄却したことから、控訴人らはこれを不服として控訴した。 - 主文
- 1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務の過重性
平成8年度にKが受けた集合研修は、期間の短縮によって多少「詰め込み式、駆け足的」になった部分があったことは否定できず、また「手取り足取り式の親切研修」であったとは認められないが、そもそも僅か数ヶ月の間に新入社員集合研修でその後の配属部での実際の仕事に即時に役立つ知識や技術を完全に習得させることはおよそ不可能であり、集合研修においてはソフトウェア労働に必要な基礎的な事項の理解と、自主性の養成に重点を置き、その後の部内研修やOJTによって戦力として養成していくという被控訴人の新入社員集合研修方針は合理的と認められるのであって、Kの受けた集合研修が客観的にみてその内容や期間において不十分ないしは不適切なものであったあるいはKにとって過重なものであったとはいえないというべきである。
被控訴人は、集合研修の成績等を考慮することなく、社員番号順に交互に営業第3部と営業第4部に新入社員をそれぞれ配属している。しかしながら、集合研修の趣旨・目的に照らせば、集合研修の成績等によって配属先を決めることが必ずしも適切とは考えられないし、また受信・共通技術チームには過去にも新入社員が配属されたことがあり、特段問題が生じたことがなかったのであり、Kの積極的な研修態度等からみても、Kを営業4部のベストグループに配属し受信・共通技術支援チームに置いたことが客観的にみて不適切であったとはいえないものである。
日銀与信明細票プログラムの保守等の作業は、Kにとって決して容易な作業ではなかったと認められるが、それは新入社員であるKとCにのみ与えられたものであり、コンピューター経験がなく集合研修及び部内研修を受けただけのKにとっても過重なものであったとはいえないというべきである。
8月20日頃にKとCが本来焼却すべき顧客リストを一般ゴミとして廃棄したことについては、ゴミ処分方法について事前の説明がなされていなかったことによるものであって、これについてKとCが特に過大な責任を感じる必要はないものであり、Kが上司とともに取引先に謝罪に赴いたことや資料の廃棄ミスが社内メールで氏名を伏せて掲載されたことについても、Kが特に過大な責任を感じる必要はないものである。
以上のとおり、Kの集合研修、営業第4部のベストグループへの配属、部内研修、日銀与信明細票プログラムの保守等の作業、それ以外の業務のいずれについても、それがKにとって客観的に見て過重なものであったとはいえず、またこれらを総合しかつ上記資料の廃棄ミス及び被控訴人の指揮を併せ考慮しても、これらが客観的に見てKに過度の心理的負荷を与えるものであったとはいい難いものというべきである。2 うつ病罹患の有無と業務との相当因果関係
Kは、7月中旬頃から活力の減退や疲労等の症状が出始め、7月下旬から8月上旬にかけて睡眠障害、食欲減退、自信喪失等の症状が加わり、診察を受けた8月29日には、軽症うつ病エピソードを発症しており、うつ病に罹患していたものと認めるのが相当である。すなわち、Kは遅くとも8月下旬にはうつ病に罹患しその後徐々にこれが悪化していったものと認められる。
相当因果関係とは、Kが実際に遂行した業務の遂行によって一般的にその遂行者がうつ病に罹患することが通常であるかを問い、それが肯定される場合に相当因果関係があるものとしてうつ病罹患についての帰責性・有責性を肯定するものであり、そしてその判断の基礎となる事情は、客観的に存在した全事情のうち被控訴人がその当時において認識していた事情及び認識し得た事情である。
Kが入社してからうつ病に罹患するまで間に遂行していた業務は、いずれも客観的には過重なものとはいえないものであり、大学の理学部を卒業した通常の新入社員にとっても過重なものとはいい難いものであるが、Kは実際にはうつ病に罹患している。労働者はその業務の遂行によって大なり小なり疲労と心理的負荷等を不可避的に受けるものでるが、Kは客観的にみて過重とはいえない業務の遂行によって実際には心理的負荷を過度に蓄積させていき、うつ病に罹患したものと認められる。そうとすれば、Kがうつ病に罹患した最大の原因はKの心の脆弱性にあったものといわざるを得ない。すなわち、今日の精神医学においては、精神障害の成因は、疾患により程度の差はあるとしても、環境要因と素因とであるとされており、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こり、逆に個体側の脆弱性が大きければストレスが小さくても精神障害は起こることとされている(ストレス-脆弱性理論)。
Kはこれまで精神疾患の既往歴はなく、家族関係も良好であり、何ら社会生活への不適合性を示す兆候はなかったが、Kは正義感や責任感が強く、真面目で几帳面な性格であり、精神医学上は「執着性格」、「メランコリー親和型性格」という比較的うつ病に罹患しやすい面を持っていたと認められる。そしてKは入社当初から「オンリーワン」になる高い目標を掲げ、それを実現すべく、集合研修においては、部長が「同期の中で一番元気のいい男」との印象を持つほどに、積極的に行動していたのである。ところが、Kはその後の部内研修や日銀与信明細票プログラムの保守等の作業において、同期のCらに比べて作業が遅れがちになり、このことについてKは過度の劣等感を持つに至り、目標と能力とのギャップに苦しみ、焦燥感や自責の念を強くしていったものである。実際のKの能力は平均的な新入社員と比較して決して劣っておらず、何ら問題はなかったにもかかわらず、Kは平均的な新入社員となることに妥協することができず、Cらとの比較における理解度の低さや作業の遅れに過度の心理的負荷を感じ、これを過度に蓄積させていき、これがKのうつ病罹患の最大の原因であると考えられる。そして、Kの入社後の言動に徴すると、被控訴人においてKのこのような心の脆弱性を知ることはできず、それに気付くこともできなかったものである。
以上を総合すると、Kが入社してからうつ病に罹患するまでの間に遂行していた業務の遂行によって一般的にその遂行者がうつ病に罹患することは通常ではないと考えられるから、Kの業務の遂行とうつ病罹患との間には相当因果関係はないというべきである。3 安全配慮義務違反の有無
たとえ業務の遂行とうつ病罹患・増悪との間に相当因果関係がない場合であっても、使用者はその雇用する労働者に業務を遂行させるに際しては、これによって疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者がその心身の状況に応じた配慮をすべき義務(安全配慮義務)を負っているものと解される。
しかしながら、本件においては、(1)Kが受けた集合研修がその内容や期間において不十分なものであったとはいえず、コンピューター経験のないKにとっても過重なものであったとはいえず、(2)Kを営業4部のベストグループに配属し受信・共通支援チームに配置したことが不適切であったとはいえず、(3)Kが受けた部内研修がその内容や期間において不十分なものであったということはできず、(4)日銀与信明細票プログラムの保守等の作業が新入社員に対し初めて与えられる本番の作業として不適切なものであったとは認められず、(5)日銀与信明細票プログラム保守等以外の業務がKにとって過重なものであったとも認められないのである。結局、Kに課された業務がKに疲労と心理的負荷等を過度に蓄積させるものであったとは認め難い。
控訴人らは、Kは遅くとも8月下旬頃までにはうつ病を罹患していたのに、被控訴人は精神障害が発生したことを早期に発見すべき義務を怠った旨主張するが、Kは8月中旬頃からは帰宅しても食事をしないことが多く、体調が悪い旨の言葉が毎日のように出るようになったが、このことを被控訴人が知っていたとは認められず、8月29日には吐き気を訴えて医師の診察を受けているが、その際に医師から精神科を受診するよう勧められた事実はない。これによると、同日以前において、被控訴人が長期間労務に継続して従事していたわけではないKがうつ病に罹患していることを知っていたと認めることはできず、また通常の注意をすれば知ることができたものと認めることはできないから、被控訴人において、少なくとも8月29日までのKの健康管理について安全配慮義務違反があったとはいえないというべきである。
控訴人らは、被控訴人がメンタルヘルス対策を怠っていた旨主張するが、平成8年6月当時、Kの勤務場所である建物に診察室が置かれ、この診察室には水曜日を除く平日に看護婦が常駐し、更に火曜日には医師も勤務する体制になっていたのであり、緊急時の診察のみならず健診後のフォローや疾病の管理等を行っていたことが認められるから、被控訴人においては一般的に社員の健康について相応の配慮をしていたものということができ、被控訴人がメンタルヘルス対策を怠っていたということはできない。
控訴人らは、被控訴人は遅くとも9月上旬にはKが精神的疾患を発症していることを認識したのであるから、以後これを増悪させてはならない義務を負っていたところ、Kに適切な治療を受けさせなかったばかりか、Kに勤務を命じ、一人異なった仕事をさせて役割喪失感という新たなストレスを増大させ、うつ病をますます深刻化させ、Kに自殺を決意するに至らせたと主張する。しかしながら、被控訴人は、9月5日にKが体調不良であったことを知った後、6日〜8日、10日に休暇を取らせ、更に13日〜23日まで連続休暇を取らせているのであって、この間Kは診察を受けており、Kに無期限の休憩を許可したりしているのであって、これらによれば、Kの体調不良を知った後の被控訴人の対応や措置に控訴人らが主張するような看護・治療義務違反があったとはいえないというべきである。
被控訴人が出社するか否かをKの選択に任せ、出社を選択したKの気持ちを尊重してKの出社を取り止めるよう指示しなかったことをもって、被控訴人がうつ病増悪防止義務に違反したものということはできない。仮に「9月25日及び26日の出社」と「Kのうつ病の本件自殺を決意するほどまでの増悪」との間に相当因果関係があるとした場合においても、上記のような経緯に徴すると、被控訴人において9月25日以降にKが出社することによってKのうつ病が本件自殺を決意するほどまでに急激に増悪することを予見することはできなかったものである。そうとすれば、そのような予見義務を前提とした安全配慮義務を被控訴人に課すことはできないものである。
Kの健康状態の推移は上記のとおりであって、これによれば、たとえ「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すること、労働者の心身の健康を損なう危険のあること」が周知のところであるとしても、被控訴人が9月上旬以降においてKがうつ病に罹患していること、あるいは近い将来において自殺を決意するような心的状態に至っていることを知っていたと認めることはできない。以上のとおりであり、控訴人らの本件請求は棄却を免れない。 - 適用法規・条文
- 収録文献(出典)
- 労働判例969号20頁
- その他特記事項
- 本件は上告された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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東京地裁八王子支部 − 平成15年(ワ)第1513号 | 棄却(控訴) | 2006年10月30日 |
東京高裁 - 平成18年(ネ)第5606号 | 控訴棄却(上告) | 2008年07月01日 |