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T社長期出張社員うつ病罹患事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
T社長期出張社員うつ病罹患事件【うつ病・自殺】
事件番号
名古屋地裁 − 平成18年(ワ)第1736号
当事者
原告 個人1名
被告 株式会社(T社)、株式会社(D社)
業種
製造業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2008年10月30日
判決決定区分
一部認容・一部棄却
事件の概要
 被告T社は自動車等の製造・販売を目的とする株式会社、被告D社は自動車等の電気・電子部品等の製造・販売等を目的とする株式会社であって、原告は、工業高等専門学校を卒業後の昭和60年4月にD社に入社した者である。

 原告は、平成11年8月24日から平成12年8月29日までの間、被告T社へ長期出張(本件出張)し、被告らが共同開発するコモンレール式エンジンの開発業務に従事した。本件出張中の原告の時間外労働時間は、1ヶ月当たり37時間30分から84時間であり、被告D社勤務時代よりも相当長くなったほか、通勤時間も大幅に延び往復2時間程度になった。ただ、原告は本件出張中、休日出勤はなく、有給休暇も消化していた。

 本件出張期間中、原告は週1回E主査に業務報告をしたが、原告の業務の進捗状況等について厳しいフォローをし、原告の作成した報告書には「followシートいつできる」、「同じことを何度もやるな」などの書込みや、口頭での厳しい叱責があった。同年11月15日の会議の席上、E主査は原告に対し、参加者全員の前で、「もうD社に帰っていいよ。使い物にならない人はうちはいらないから」と言い、一生懸命に仕事をしているのに自分がD社社員であることから叱られたと衝撃を受けた原告は、翌日から2日間会社を休んだ。また、同年12月、原告は主担当員に対し、現在の負荷は自分一人では対応できない旨伝えたが、主担当員は、原告の能力がないということか、他のグループの人はそれくらい抱えてやっている、今は人がいないからやれるだけやってくれと伝えた。

 平成12年4月上旬、D社の主任部員がD社チームを作ることになり、原告も参加することになったと告げたところ、原告は本件出張期間は1年の約束だとしてD社への復帰を希望した。原告は同月頃うつ病を発症し(第1回うつ病)、翌月結核菌を保菌しているとの診断を受けたことから、D社に対し通院のための配慮を求め、D社は通院の配慮をした。同年6月、原告は精神科を受診し、「うつ状態」との診断を受け、その症状は同年8月の夏休み前には小康状態を保っていたが、夏休みの後半から悪化し、同月30日から2ヶ月間の休養を要する旨の診断を受けた。

 原告は、平成13年1月で治療を終了したが、平成14年5月頃からD社のチームの一員として初めて第2世代コモンレール式エンジンの部品設計に携わり、チーム内でシステム制御系の知識を持っている者が原告だけであったことから、原告に負担がかかった。同年7月の開発会議の席上で、原告の報告に対し、T社のE主査は「D社はやる気があるんですか」と発言し、D社のS室長も原告に対し「R部員がやっていた時に比べて仕事の進捗が遅い」と叱責した。原告は、同月頃、新たな精神障害である「反復性うつ病性障害」を発症した(第2回うつ病)。原告は、本件うつ病発症まで、精神疾患に関する既往歴はなく、平成12年4月頃、「男子不妊症、精子減少症、虚弱体質」と診断されていた。
 原告は、うつ病を2度にわたって発症し、休業を余儀なくされたところ、これらうつ病の発症及び再発は、被告らの原告に対する健康上の安全配慮義務違反によるとして、被告らに対し、主位的には債務不履行、予備的に不法行為に基づき、休業損害148万2893円、2回の休業による人事考課査定の不利益等による逸失利益565万0800円、慰謝料1000万円、弁護士費用170万円を請求した。
主文
1 被告らは、原告に対し、各自金150万5328円及びこれに対する平成18年5月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。

3 訴訟費用は、これを10分し、その9を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
判決要旨
1 被告らの原告に対する安全配慮義務の存在

 原告は、被告T社内で、被告T社の施設及び器具を使い、被告T社の従業員の指示に従って業務を遂行していたのであるから、被告T社には、信義則上、原告の業務の管理について、原告の生命及び健康等を危険から保護するように配慮すべき安全配慮義務を負っていたと認めるのが相当である。また、被告D社は原告を雇用し、自らの業務の遂行のために原告を被告T社に出張させ、その間も原告の労働時間の管理等を行っていたのであるから、原告に対し、雇用契約上の付随義務として、健康上の安全配慮義務を負っているものと認めるのが相当である。

 そして、被告らの負うべき安全配慮義務は、労働者を自己の指揮命令下においてその業務に従事させるについて、業務内容を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことのないよう注意すべき義務であり、その具体的内容は、当該労働者の置かれた具体的状況に応じて決定されるべきものであるから、通常であれば、被告らには原告の業務が、社会通念上、客観的にみて平均的労働者をして精神障害等の疾患を発生させるような過重なもの(客観的過重労働)にならないように注意すれば足りるとしても、それに至らない程度の過重な業務に従事させている労働者がそのまま業務に従事させれば心身の健康を損なうことが具体的に予見されるような場合には、その危険を回避すべく業務上の配慮を行うべき義務があり、これを怠れば債務不履行となるものというべきである。そして、精神障害の成因については、環境から来るストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるとするいわゆる「ストレス脆弱性」理論によるのが相当であり、これによれば、客観的過重労働に至らないものの、業務が相当に過重であり、かつ、その程度の過重労働により精神障害を発症し得る程度に労働者側の反応性、脆弱性が存在することを使用者が認識し得る場合に具体的な安全配慮義務の存在を肯定することが相当である。

 また、労災認定は、労働者災害補償保険法等に基づき、使用者に何の過失がなくても業務に内在する危険が現実化した場合に労働者に生じた損害を一定の範囲で填補させる危険責任の法理に基づくのに対し、債務不履行に基づく損害賠償請求は、使用者の安全配慮義務や過失の存在を前提とし、損害額についても過失相殺や素因減額による調整が図られるのであるから、両者における相当因果関係の意義は同一でなければならないものではなく、当該業務が共働原因となったというに過ぎない場合であっても、相当因果関係が認められる余地はあるというべきである。

2 業務の過重性

 原告は、本件長期出張中、平成11年10月に70時間、11月に72時間、12月に60時間、第1回うつ病発症直前である平成12年2月及び3月には1ヶ月当たり80時間を超える時間外労働をしており、通勤時間も往復で約2時間と、いずれも長期出張前に比べて大幅に増えた上、労働時間が長期化する傾向にあった。他方、原告は本件長期出張期間中、休日出勤はせず、有給休暇も消化していたから、原告は疲労回復のための休養が取れない状況にはなかった。以上、原告の労働時間は、それだけではうつ病発症の危険性を大きく高める程度ではないものの、その通勤時間も考慮すると、個体側の要因と相まってその危険を招来する程度には優に達しているというべきである。

 原告は、部品メーカーであるD社から車両を製造するT社に長期出張し、これまで担当したことのないコモンレール式エンジンの開発業務に携わることになったから、原告の仕事環境及び業務内容には相当程度の変化があったものといえる。原告が担当していたサプライポンプ等は、平成11年9月頃から不具合が散発したため、原告が行っていた業務は非常に緊急度が高いことから、労働密度が高く、長時間の残業も生じやすい状況にあった。また、平成12年4月までは、原告とG主担当員しか配置されておらず、Gは管理職として席にいないことが多かったため、原告は随時質問して解決できる状況にはなかったこと、E主査が誰に対しても厳しい上司であり、しばしば叱責とも評価できる厳しい指導を行っていたことも認められる。そうすると、原告の業務は、質的にみても客観的過重労働には至らないものの、個体側の要因と相まってその危険を招来する程度には達しているというべきである。

 E主査が原告に対し、パワーハラスメントと評価されるような指導を日常的に繰り返していたとまでは認めるに足りる証拠はないが、平成11年11月15日の会議で、原告がE主査から厳しい叱責を受け、翌日から2日間仕事を休んだことについては、その叱責の理由が正当でないとはいえないまでも、その表現は過酷でパワーハラスメントと評価されても仕方のないものであり、それによって、原告のように従業員として経験も積み、一定の評価も得た人物が、2日間にもわたって会社を休むことは異常な事態と評価し得る。他方、E主査が特に原告にのみ厳しかったという事情はなく、同月から第1回うつ発症まで5ヶ月間が経過しており、その間原告がE主査から個人的に厳しい叱責を受けたという事情は存在しない。以上によると、E主査の叱責は、原告に対し重い精神的負荷を与えたとはいえるものの、第1回うつの発症に直接寄与したとは言い難い。

3 業務外の発生要因

 原告が、不妊症治療において精子減少症等と診断されたことは、通常は精神的負担となるであろうが、これを受け容れてくれる配偶者であれば、著しい負荷とはいえず、それ自体が発症要因になるとまでは認め難い。原告の性格についてみると、執着性格、森田神経質に分類される性格傾向を示すようであるが、それ自体を発症要因として取り上げる程度のものと認める証拠はない。しかしながら、このような性格は、上司からの業務上の依頼を断れずに引き受けてしまう、他の社員に仕事の督促をできない、業務上必要な事項の質問ができないことになり、また本来できるはずの仕事が回らなくなってしまったり、招来に不安を抱くおそれがあるというべきである。

4 第1回うつ発症の予見可能性、相当因果関係及び被告らの安全配慮義務違反の存否

 第1回うつは、客観的過重労働には至らないものの、かなり重い業務による負荷と原告の性格に加え、2日間会社を休んだ後にD社部長に訴えた際、最長3ヶ月で帰社させる旨の約束を得ながら、3ヶ月後には緊急性の高い不具合対応のため、月間時間外労働が80時間を超え、約束の期間が過ぎても帰社することができず、かえって12月までの延長を承諾してしまったことから発生し、更に結核の通院を開始したものである。このような事実経過は、被告らにおいて概ね認識し得るものであり、原告は平均的な社員よりも精神的に脆弱であったこと、原告にとって業務が過重になっていて、業務負担を軽減しなければ原告が第1回のうつを発症し、これが悪化して休職に至るおそれがあることを予見することができたというべきである。

 前記のとおり、被告らが原告に行わせた業務の遂行ないし、これを軽減する措置をとらなかったことと第1回うつ発症・悪化との間には、いわゆる条件関係が認められるほか、原告の業務上の過重負荷が第1回うつ発症等に相当程度寄与しており、原告の性格等と共働原因となってこれを招来したというべきであるから、相当因果関係も認められる。

 平成11年12月、原告が主担当員に対し、「現在の負荷では、私一人では対応できません」と述べたことにより、被告T社は、原告に対し、業務の軽減その他何らかの援助を与えるべき義務が生じ、その後も、原告の業務遂行状況や健康状態に注意し、援助を与える義務があったというべきであり、それにもかかわらず、少なくとも原告が第1回うつを発病するまでこれを怠っていたのであるから、T社には安全配慮義務の不履行がある。

 被告D社は、平成11年11月には、原告に対し、業務の軽減その他何らかの援助を与えるべき義務が生じ、その後も原告の業務遂行状況や健康状態に注意し、援助を与える義務があったにもかかわらず、少なくとも原告が第1回うつを発病するまでこれを怠り、また遅くとも平成12年3月には被告D社に帰社させるべきであったのに、かえって長期出張の延長をしたのであるから、安全配慮義務の不履行がある。

 ところで、原告の業務は、客観的過重労働には至っておらず、第1回うつ発症には、原告の精神的脆弱性や性格も影響していると考えられ、民法722条の類推適用により、被告らの安全配慮義務違反による損害賠償額を算定するに当たって、この事情も斟酌すべきである。

5 第2回うつ発症にかかる被告らの安全配慮義務の存否

 安全配慮義務とは人的物的環境の整備義務であるところ、原告は、本件長期出張終了後は被告D社内で業務を行っていたものであり、被告T社が直接原告の業務を指揮したことはなく、かつ、被告T社から被告D社へ依頼された作業が原告の分担となるのは被告D社内の業務分担の問題であることから、原告の業務について人的物的環境を整備していたのは被告D社であり、被告T社に原告に対する安全配慮義務があったものとはいえない。したがって、被告T社は、第2回うつによる原告の損害について賠償義務を負わない。

 原告は、第2回うつ発症前、平成14年1月は59時間30分、2月は52時間、3月は43時間30分、4月は33時間、5月は47時間、6月は64時間30分、7月は45時間の時間外労働を行っているが、休日出勤はなく、有給休暇も取得していることに鑑みると、精神障害の成因となり得るものとは考え難い。

 原告は、平成14年5月中旬以降、被告らの共同開発車の設計開発に携わるようになり、

原告は第2世代コモンレール式エンジンの部品設計を本格的に扱うのは初めてであったことなどから、その業務内容は従来に比べて困難なものに変化があったといえるが、この時期は他社への長期出張中という事情はなく、原告の業務がそれほど重い負担となったとは認めることはできない。同年7月頃、開発会議での原告の報告に対し、被告T社のE主査が「D社はやる気があるのですか」と発言したこと、被告D社のS室長が原告に対し、「R担当部員がやっていた時に比べて作業の進捗が遅い」などと叱責したことは、原告に一定の精神的負担となったことが認められる。しかしながら、E主査の発言は、被告D社ないし主担当部員に向けられたものと理解され、S室長の叱責も原告個人ではなくチームに向けられたと理解するのが相当であるから、原告の負担もそれほど重いものではなかったとみるのが相当である。

 第2回うつ発症・休職は、原告の業務内容が変わってから極めて短期間に進行しているところ、前記程度の業務内容の変化や負担の増加でごく短期間のうちに原告の心身の健康に障害が生じるおそれがあると予見することは困難であり、また被告D社は、原告のうつ病が再発したという報告を受けた後は業務負担軽減を行っている。そうすると、被告D社には原告の第2回うつ発症及び休職を予見し、適切な配慮を行うべき義務を怠ったとは認められないから、原告に対する安全配慮義務違反があったと認めることはできない。

6 損害額

 原告の平成12年8月30日から同年10月29日までの休業損害は、平均賃金に年休を使った日数を乗じた45万0468円となり、慰謝料は150万円となるが、公平の見地から3割の減額をし、7割の限度で認容するのが相当である。したがって損害額は136万5328円となり、弁護士費用は14万円と認めるのが相当である。
適用法規・条文
民法415条、709条、715条、722条2項
収録文献(出典)
労働経済判例速報2024号3頁
その他特記事項