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八戸労基署長(労災病院薬剤師)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 八戸労基署長(労災病院薬剤師)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 東京地裁 - 平成19年(行ウ)第130号
- 当事者
- 原告個人1名
被告国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2008年11月13日
- 判決決定区分
- 棄却
- 事件の概要
- C(昭和36年生)は、昭和56年6月にR事業団に入団し、平成9年4月から青森労災病院に勤務していた薬剤師である。
Cは、本来の主任薬剤師としての業務に加え、西暦2000年問題に対応できない従来の薬剤管理システムから、新たな薬剤管理システム(新システム)への移行について中心的な役割を果たしたほか、同僚とともに「薬と労働災害」の研究に取組み、発表したりした。Cは、平成11年10月に研究発表のために1泊2日と日帰りの出張をしたほか、同年11月には5泊6日の東京への研修出張をした。Cにとって親しい先輩であったE部長が同月に死亡したところ、Cは日記に「巨星墜つ」と記載し、ショックを表した、また、同年12月の日記に、「眠れず、先程目を覚ます」、「職場は空中分解しそうな感じ」、「私自身、空になったり、操り人形の感じがするときがある」、「私の存在理由がこの街に対して全くなくなった」などと記載した。
Cは東京近郊への異動を希望していたところ、平成12年3月に異動の内示はなく、日記に「人事へのショックはある」、「心の傷は思ったより深い」などと記載した。Cは同年4月19日、脳梗塞と診断され入院し、同年5月9日に退院して年休を取得した後、同月19日に職場復帰したが、同月21日の日記に「私は廃人だからか、もう死にたい、Aが憎い」などと記載し、同日薬物を多量に服用し、急性薬物中毒と診断された。Cは、同年6月5日に職場復帰し、抑うつ状態と診断され、同月12日に入院し、同年8月15日退院したが、その後Cは同年9月19日まで実家近くの釧路の病院で療養した後、八戸に戻り、同年11月7日に職場復職し、午前中のみの半日勤務を継続した。
Cは同年11月の日記に、「何とか仕事に帰りたい」、「仕事復帰に対してのプレッシャーがかかる」、「疲れ方はひどい」、「生きているのが辛い」、「私の行き先はもうどこにもない」などと記載し、同年12月10日、最後に「こんなに疲れているのだろうか。ボーナスのこと。将来のこと。」と記載した。Cは同日八戸市内のホテルに宿泊し、E部長の妻に対し、「自分はもうすぐ別の世界に行く」などと電話をし、連絡を受けたD部長らがかけつけたが、Cの呼吸、脈拍等の乱れはなかったとしてホテルを出たところ、Cは翌11日未明、向精神薬の過剰服用による急性薬物中毒を原因として死亡した。
Cの妻である原告は、Cのうつ病発症と死亡は業務に起因するものであるとして、平成13年3月27日、八戸労働基準監督署長に対し、労災保険法による遺族補償給付及び葬祭料を請求したが、同署長は平成15年2月18日、これらを支給しない旨の決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求を行ったが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 Cのうつ病エピソード発症の業務起因性
労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の死亡等について行われるが(労災保険法7条1項1号)、同法による補償制度は、業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に死亡等の結果がもたらされた場合には、使用者に過失がなくとも、その危険を負担して過失の填補をさせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであることからすれば、労働者の死亡等を業務上のものと認めるためには、業務と死亡等との結果発生との間に条件関係があるだけではなく、業務に内在する危険性が原因となって結果が発生したという相当因果関係があることが必要である。
精神障害の発症・増悪が業務上のものと認められるためには、単に業務が精神的障害を発生・増悪させた一つの原因であるというだけでは足りず、当該業務自体が、社会通念上、当該精神障害を発症・増悪させる一定程度の危険性を内在し、その危険性が原因となり精神障害を発症・増悪させたと認められることが必要である。この危険性の有無は、発症前後から災害に至るまでの当該労働者の業務が、通常の業務に就くことが期待されている平均的な労働者を基準として、労働時間、業務の質、責任の程度等において過重であるために当該精神障害が発症・増悪する程度に心理的負荷が加えられたといえるかどうかによって判断するのが相当である。
平成11年6月時点で薬剤師として16年、主任薬剤師として5年強の経験を有するCにとって、業務自体が困難で強度の心理的負荷をもたらすものとは到底いえないし、Cが担当していた各種会議等も、その開催頻度等からして、強度の心理的負荷をもたらすものとはいえない。Cは、「薬と労働災害」の医学研究をしたこと、平成11年9月に同研究に係る調査をしたが、その後は研究に関わっていないこと、予算はついていないことが認められ、そうすると「薬と労働災害」についてはCの業務と認めるのは困難であり、この研究が強度の心理的負荷をもたらしたと認めることはできない。以上のとおり、Cには、強度の心理的負荷をもたらす日常業務や研究があったとはいえない。
時間外勤務命令簿によれば、出張中の休日に1日8時間労働したとして計算すると、Cの時間外労働は、平成11年6月20時間、7月29時間、8月16.75時間、9月21.5時間、10月51.25時間(命令簿上は27.25時間)、11月31.5時間(命令簿上23.5時間)、12月22.5時間、平成12年127.25時間、2月27時間、3月41.25時間(命令簿上は28時間)、4月8.5時間であり、命令簿上の時間外労働を月30時間以内に収めるようにしたと推認されるものの、月30時間を超えて時間外労働をした場合には、代休を取る等したことが窺えること等からすれば、Cが恒常的に長時間労働をしていたとは評価できない。
Cは、新システムの構築において中心的役割を果たしていたところ、新システムは西暦2000年問題に対応するために限られた期間内に完成させることが求められていたから、ある程度の心理的負荷があったとは推認されるが、Cは経験を活かしてコンピューターシステム構築への参加を希望していたこと、平成11年10月から12月頃まで、午前中は新システムの業務に専念し、業務が忙しいときは午後は通常業務を行っていたことが認められる。そうすると、新システム構築業務には、Cにうつ病エピソードを発症させるほどの強度の心理的負荷があったということはできない。
Cは、「薬と労働災害」の研究発表のため、平成11年10月の土日に1泊2日で仙台及び日帰りで青森へ出張し、同年11月に研修のため5泊6日の東京出張をし、同年10月に11日連続、同年11月に6日連続して出勤していることが認められ、ある程度の心理的負荷があったと推認されるが、これら出張がうつ病エピソードを発症させるほどの強度の心理的負荷をもたらすものであったとは評価できない。また、転勤希望がかなえられなかったことや、有珠山噴火に伴う救援支援業務は、一定程度の心理的負荷があった可能性があるに留まるのであり、平成12年1月以降も恒常的に長時間の労働をしていたわけではなく、Cにおいて、業務上うつ病エピソードを発症させるような強い心理的負荷があったとはいえず、業務とCのうつ病エピソード発症との間には相当因果関係が認められない。
判断指針は、精神障害発症前概ね6ヶ月の間に、当該精神障害の発病に関与したと考えられる業務によりどのような出来事があったのかを具体的に把握し、その出来事が別表1(1)欄のどの「具体的出来事」に該当するかを判断して、平均的な心理負荷の強度を「1」(日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理的負荷)、「2」(1と3の中間に位置する負荷)、「3」(人生の中で希に経験することもある強い心理的負荷)のいずれかに評価するところ、判断指針によっても、いずれの業務も心理的負荷の強度が「2」に留まり、いずれも「特に過重」とは評価できないから、総合評価しても業務による心理的負荷が「強」であるとは評価できず、Cのうつ病エピソード発症及び死亡には、業務起因性を認めることはできない。
2 Cのうつ病エピソード増悪及び自殺と業務起因性
うつ病は、多少動揺しながら悪化し、そこに達してしばらく持続し、その後徐々に回復するという過程を経るのが一般的であり、希死念慮はうつ病の一般的症状の一つで、うつ病は自殺の危険性が高いところ、うつ病発症後の出来事が契機で希死念慮が生じるのではなく、希死念慮が既に前から存在していて自殺企図や自殺が起こるのであって、うつ病の自然経過の中で、うつ病の精神状態が自殺企図や自殺を引き起こすことが認められる。本件において、Cはうつ病エピソードを発症した後の平成12年11月7日から職場復帰し、同年12月10日に自殺しているが、Cがうつ病エピソードにより生じた希死念慮により自殺したことをもって、うつ病が増悪したとは認められない。
また、Cの職場復帰後の業務は、午前中のみの半日勤務で、単純な業務とされ、F部長はCに対し休業を継続するよう勧めていたのに、Cの強い希望により職場復帰することになったことが認められる。このようなCの業務内容からして、復帰後の業務により、うつ病エピソードが増悪したとの業務起因性を認めることはできない。
3 D部長らの救護義務違反と業務起因性
D部長らは、日曜日である平成12年12月10日に、不審な電話をしたCの安否を確認するため、ホテルへ行ってCの状態を確認したのであるところ、仮にD部長らにおいて、何らかの救護義務違反が認められたとしても、勤務時間外に勤務場所以外の場所での救護義務違反によって、業務に内在する危険が現実化したとは到底評価できない。 - 適用法規・条文
- 収録文献(出典)
- 労働経済判例速報2024号29頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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