判例データベース
東京(性同一性障害患者診察)提訴・報道事件
- 事件の分類
- セクシュアル・ハラスメント
- 事件名
- 東京(性同一性障害患者診察)提訴・報道事件
- 事件番号
- 東京地裁 − 平成15年(ワ)第4783号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 個人2名 A、B
被告 株式会社M新聞社 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2005年03月14日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(控訴)
- 事件の概要
- 原告は、S医科大学(S医大)総合医療センター形成外科の教授を務め、性同一性障害等の医療分野における先駆的立場にある医師であり、被告Aは平成8年11月21日に原告の診療を受けた女性、被告Bは被告Aによる原告への損害賠償請求事件(前提事件)において被告Aの訴訟代理人の地位にあった弁護士である。
被告Aは、出生後男性として養育されていたが、思春期の頃から女性としての身体的特徴が発現し、成人に達する前から女性としての生活を送るようになった。原告は、被告Aが膣形成手術を希望していたことから、詳細に問診をした上で、同被告を半陰陽と診断し、手術について一般的な説明をしたが、被告Aはその手術方法に不満を抱いた。原告は、平成10年10月16日、医療行為として正式に承認されたものとしては国内最初の性転換手術を実施し、マスコミに取り上げられるようになったが、被告Aはこれを売名行為と受け止め、週刊Bの編集部に対し、原告からセクハラまがいの診察を受けた旨情報を提供した。これを受けたP記者は、被告Aから取材を行い、原告から胸を触られたり、前屈して股間から顔を出した姿勢での写真撮影を強要されたなどの供述を受けた。一方原告は、P記者の取材に対して、被告Aの診察時の状況は記憶していないこと、被告Aの言うようなセクハラ行為はしていないことを返答し、性同一性障害患者の中には精神分裂病を併発する者もおり、こういうことを言うのは分裂病なのだろうなどと回答し、P記者に対し良識ある対応を求めた。
P記者は原告及び被告Aからの取材を踏まえて原稿を執筆し、週刊Bは平成11年6月10日号にこの記事を掲載した。その後被告Aは、原告が診察する際に、「前屈して股間から顔を出した姿勢で写真撮影を強要した」ことなどを理由に損害賠償を請求した(前提事件)。また、被告Bは、平成12年3月7日の記者会見で前提事件の訴状を配布して事件の説明を行い、被告M新聞社は、同日付けの新聞で、前提事件の提訴につき原告の実名を明かして記事を掲載した。
前提事件は被告Aの敗訴になり判決が確定したところ、原告は、被告Aに対して不当提訴を理由に慰謝料500万円、被告A及び同Bに対し、記者会見等につき名誉毀損、プライバシー侵害を理由に慰謝料1000万円、被告M新聞社に対し、記事の掲載につき名誉毀損、プライバシー侵害を理由に慰謝料1000万円と謝罪広告の掲載を請求したほか、被告らに対し弁護士費用として210万円を請求した。 - 主文
- 1 被告Aは、原告に対し、金330万円及びこれに対する平成12年1月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告Bは、原告に対し、金55万円及びこれに対する平成12年3月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告株式会社M新聞社は、原告に対し、金110万円及びこれに対する平成12年3月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 原告のその余の請求を棄却する。
5 訴訟費用は、これを50分し、その6を被告Aの、その2を被告株式会社M新聞社の、その1を被告Bの、その余を厳酷の負担とする。
6 この判決は、第1ないし第3項及び第5項に限り、仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 セクシャル・ハラスメントの主張について
被告Aは、訴え提起の時点においては、原告から「前屈して股間から顔を出した姿勢(天橋立の姿勢)で写真撮影を強要」された旨主張していたが、陳述書や本人尋問においては、「ベッドの上で、右手で右膝を、左手で左膝を抱えて股間から顔を出す姿勢で、性器と顔とを一緒に撮影させる」ことを繰り返し要求されたと供述するに至っており、これらの態様は重要な部分において相違するから、被告Aの主張にはその核心部分において不合理な変遷があるといわざるを得ない。また、被告Aが供述するように原告が問診を行わないまま乳房や下半身の触診を行ったというのは極めて不合理であり、原告が被告Aの乳房を弄ぶような性的嗜好の発露としか解し得ない挙動に出た後、一旦これを中断し、着衣を整えた同被告に所要の問診を行ってから性器等の触診や写真撮影を強要したというものであり、同供述に係る事実経過も不自然であって措信し難い。
このように、セクシャル・ハラスメントに関する被告Aの供述は、あいまいかつ不自然であって、極めて信用性に乏しいものである一方、これと相反する原告の供述には特に不合理な点は見出せず、かえって一貫性、整合性が認められることからすれば、原告から乳房を鷲掴みにされ、顔と性器の同時撮影を強要され、被告Aがこれに応じず顔写真の撮影のみ承諾して事態が収束したとの被告Aの主張は、事実的根拠を欠くものと認められる。よって、原告のセクシャル・ハラスメントに関する被告Aの主張は虚構の事実に基づく著しく不当なものといえ、同被告がそのような主張に依拠して提訴に及んだことは、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものというべきである。
2 名誉毀損及びプライバシー侵害の主張について
天橋立の姿勢で写真撮影を要求するというような荒唐無稽なことを述べる人物は精神分裂病の可能性もあると示唆するとの原告の本件発言部分は、当該患者を被告Aと特定して行ったものではなく、同患者を精神分裂病と断定したものでもなく、その慎重な確認の必要性を強調したものである。したがって、被告Aの名誉毀損及びプライバシー侵害の主張は、事実的、法律的根拠を欠くものというべきである。また、週刊B記事の掲載は、被告A自身の情報提供に基づくものであって、その内容からして同記事の掲載が原告の意向に反するものであることは容易に想像がつくことからすれば、同記事を目にした同被告が憤怒の余り原告の発言が自己の名誉ないしプライバシーを侵害すると理解したとしてもやむを得ない面がないとまではいえない。したがって、被告Aが、自己の名誉毀損ないしプライバシー侵害に基づく請求が法律的根拠を欠くことを知って又は一般人であれば容易に知り得たのに、敢えて当該主張したとまで評価することは困難であり、被告Aの名誉毀損ないしプライバシー侵害に基づく請求については、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものとまではいい難い。
ところで、複数の請求の客観的併合がなされている場合においうて、そのうちの請求の一つが裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときには、右請求が適法なその余の請求と基礎となる事実に共通性がなく別途の防御活動を要するものである限り、訴えを提起して当該請求をしたことを違法な行為と評価することができると解するのが相当である。これを本件についてみると、被告Aのセクシャル・ハラスメントに基づく請求は、前記のように著しく相当性を欠くと認められるところ、名誉毀損ないしプライバシー侵害に基づく請求とはその基礎となる事実が異なり別途の防御活動を要するものであるから、被告Aは、提訴したセクシャル・ハラスメントに基づく損害賠償を請求したことにつき、不当提訴として不法行為責任を負うものといえる。
被告Aの右不法行為の結果、原告は心理的負担から不眠に悩まされるなど多大な精神的苦痛を受け、また最終的な決着まで約2年半もの間このような訴訟の当事者たる立場にあることを余儀なくされたことから、相当な時間的損失を被った。また、原告は弁護士費用として約200万円の出援を余儀なくされたところ、そのうちセクシャル・ハラスメントに基づく出援分としては、少なくとも120万円程度とみることができる。右に加え、本件に現れた一切の事情を総合考慮すれば、被告Aの前記不法行為により原告に生じた損害は総額300万円と評価するのが相当である。
3 本件記者会見等による不法行為の成否
被告Bは、平成12年3月7日、被告Aに知らせず、記者会見を行い、被告Aが原告に対し名誉毀損及び診察上のセクシャルハラスメントを理由として訴えを起こした旨記者会見で発表した。このことにより原告による名誉毀損等及びセクシャルハラスメントの事実があったとの印象を与えたとまで認めるのは困難であるが、名誉毀損や診察上のセクシャルハラスメントを理由として訴訟を提起されたとの事実が摘示されれば、少なくとも原告においてセクシャルハラスメントと受け取られるような何らかの行為があったのではないかという印象を与えるものであり、本件記者会見等は原告の社会的評価を低下させ、その名誉を毀損するものといえる。
被告Bは、本件記者会見等は弁護士の訴訟活動の一環として相当な態様でなされたものだから、違法性が阻却される旨主張する。しかしながら、記者会見等は訴訟を遂行する上で必要不可欠な行為とはいえないから、これを訴訟上の主張立証活動と同視することはできない。本件記者会見等によって、原告が名誉毀損等及び診察中のセクシャル・ハラスメントを理由に被告Aから提訴を受けたとの事実が、被告Bを通じて報道関係者に知られるところとなり、実際にニュースがテレビ放映されている。もっとも右放送においては原告の実名や顔写真は報道されていないこと、被告M新聞社の本件記事は本件記者会見等に依拠して執筆、掲載されたものではないことからすれば、本件記者会見等自体によって原告に生じた損害については、これを50万円と評価するのが相当である。
4 本件記事による不法行為の成否
一般に、ある記事が他人の名誉を毀損するものとして不法行為を構成するか否かは、一般の読者の普通の読み方を基準としてその記事の意味内容を解釈した場合、その記事が当該他人の社会的評価を低下させるものといえるかどうかによって判断すべきである。本件記事は、「診察でセクハラ行為」との大見出しと並んで「医科大学教授相手に提訴」との小見出しが掲げられており、被告Aが原告を相手取り、慰謝料1000万円等を要求する訴訟を提起した旨の内容になっており、記事の最後の部分は「答弁書を提出しているなどと話し、争う姿勢を見せている」との原告のコメントで締めくくっている。以上によれば、本件記事は、その大見出しのみに着目した場合、原告が診察中にセクシャルハラスメントを行った事実を報道したとの印象を与える余地がないではないが、客観的かつ中立的な記述になっており、これらの事情を総合すると、本件記事は、一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、全体として、原告がセクシャルハラスメント等の行為を行ったとの事実を摘示したとみることは困難である。以上のとおりであるから、本件記事による名誉毀損については、違法性がなく、不法行為は成立しない。
個人の私的領域に属する事柄については、それが一般に知られておらず、かつ、一般人の感受性を基準として公表を欲しないと認められる場合には、当該個人は法的保護に値するプライバシー利益を有するものと解される。これを本件についてみると、原告がセクシャルハラスメント等を理由として民事訴訟を提起されたとの事実は、本件記事の掲載当時において一般には未だ知られておらず、また同訴訟は強制わいせつ等の犯罪に準ずる破廉恥行為の存否を問題にするものであって、著名な医師である原告において、自己の医療行為に関連する恥辱的な不祥事を理由に訴訟を提起されたことは、一般人の感受性を基準として公表を欲しないであろうと認められる私的領域に属する事柄といえる。したがって、原告は、その患者から診察中のセクシャルハラスメント等を理由に提訴された事実をみだりに公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していたというべきである。したがって、本件記事の掲載は、原告のプライバシーを侵害するものと認められる。
5 原告の損害の有無及びその額並びに謝罪広告の要否
本件記事は、発行部数が約400万部にのぼるM新聞の朝刊に掲載されたものであり、これにより原告が少なからぬ損害を被ったことが認められる一方で、本件記事は、報道内容それ自体ではなく、原告の実名を使用し、セクシャルハラスメントを不当に強調する体裁を用いるなどした点で、プライバシー侵害の違法性が肯定されるものであること、その他本件に現れた一切の事情を併せて考慮すると、被告M新聞社の不法行為により原告に生じた損害は、これを100万円と評価するのが相当である。また、本件記事の掲載は原告のプライバシーを侵害する不法行為に当たるところ、謝罪広告の掲載によっては右侵害以前の状態を回復することはできないものであるから、同方法による現状回復処分による救済はプライバシー侵害には適さないというべきである。よって、謝罪広告の掲載を求める原告の請求は理由がない。
被告Aの不当提訴と因果関係のある弁護士費用は30万円、被告Bの名誉毀損と因果関係のある弁護士費用は5万円、被告M新聞社のプライバシー侵害と因果関係のある弁護士費用は10万円とそれぞれ認めるのが相当である。 - 適用法規・条文
- 民法709条、723条
- 収録文献(出典)
- 判例時報1893号54頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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