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地公災基金鹿児島県支部長(M高校教員)心臓死事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
地公災基金鹿児島県支部長(M高校教員)心臓死事件【過労死・疾病】
事件番号
鹿児島地裁 − 昭和57年(行ウ)第1号
当事者
原告 個人1名
被告 地方公務員災害補償基金鹿児島県支部長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1986年12月02日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 N(昭和11年生)は、昭和34年に大学を卒業し、昭和36年4月から昭和43年3月までK農業高校教諭を務めた後、同年4月からM高校農業土木科教諭に就任した。M高校は、4年制の昼間定時制高校であって、3年次まで通常の全日制高校と同様に生徒を登校させて単位を取得させた後、4年次においては全国で現場実習をさせる制度であった。

 昭和51年度にNが担当した授業時間数は週16ないし18時間であって、うち6時間は主として屋外でなされる測量実習であった。Nは同年度4年生の担任になったところ、在校生はいないものの、全国に散らばっている生徒への連絡、家族への連絡による生徒の動向の把握、夏休みにおける自習先への出張、冬休みに帰省した生徒の接待などがあり、1年生ないし3年生の担任と実質的業務量は差がなかった。Nは同年度に教務主任となり、本来の職責である学校全体の教育カリキュラムのまとめ、教務全般の企画、行事予定の立案などのほか、時間割変更の仕事、不慣れな教頭に代わる関係団体、官公暑との連絡などを行い、その忙しさは1年を通じてさほど変動はなかった。また、同年度にはNは5月から12月にかけて校舎移転や創立30周年、農業教育研究会関係の仕事があったほか、生徒指導、3年生の就職指導、測量部顧問などの仕事も担当した。

 Nは、昭和48年7月、中等度の僧帽弁不全症との診断を受け、通常の職務の継続は差し支えないが、激しい運動を避けるよう注意を受け、それ以降、それまで1日1箱吸っていたタバコを止め、飲酒も極力控えるとともに、激しい運動も避けるようになったが、日常の公務についてはこれまでと同様の職務を継続した。

 昭和52年1月27日、Nは前日に卒業生の推薦書等の作成のため午前1時頃就寝したが、平常通り午前8時5分頃登校し、5時限目まで授業を行った後、PTA地区委員会に出席したところ、委員会開始約10分後の午後2時55分頃、突然意識不明となり卒倒した。Nは病院に搬送されて診察を受けたところ、脳血栓症との診断を受け、その後も発作が続き、午後9時15分、Nの死亡が確認された。
 Nの妻である原告は、Nの死亡は公務に起因するものであるとして、被告に対し、地方公務員災害補償法に基づき、公務災害の認定を請求したところ、被告はNの死を公務に起因したものとは認められない旨の決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消を求めて本訴を提起した。
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
 地方公務員災害補償法31条は、職員が公務上死亡した場合において、遺族補償として、職員の遺族に対して遺族補償年金又は遺族補償一時金を支給する旨規定しているが、ここにいう公務上の死亡とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病により死亡したことをいい、公務の遂行と死亡との間に相当因果関係が認められることが必要であると解される。そして職員がかねて基礎疾病に罹患しており、その増悪の結果死亡の結果を招いた場合であっても、基礎疾病の増悪について公務の遂行が相対的に有力な原因として作用し、その結果右基礎疾病を急激に増悪させて死亡の時期を著しく早めるなど、公務の遂行が基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を招いたと評価できる場合には、右公務の遂行と死亡との相当因果関係を肯認できるというべきである。

 しかし、Nの昭和51年4月以降の勤務状況は、週15時間の農業土木関係の授業及び週1時間のクラブ活動授業、4年生担任としての仕事、教務主任としての仕事、その他校舎移転関係等の仕事であったところ、週16時間の授業等は前年度と変わらず、かつ他の教職員とほぼ同程度の仕事量であり、1年生ないし3年生の担任とは異なり、担任生徒が在校することに伴う仕事からは解放されるので、4年生担任としての仕事が他の教職員と比較して特に過重であるとは認め難い。もっとも、同年度、Nは教務主任に就いたほか、例年にない校舎移転に係る仕事なども行い、同高校の中心的存在として活躍していたものであって、これらの仕事が加わったことにより、同年度においてNは相当多忙であったと認められる。しかし、これらの職務は、いずれも特段の肉体的労作を伴うものではなく、しかも、Nは教職に就いて以来15年間一貫して農業土木関係の授業を担当してきた中堅教師であり、右授業に相当習熟していたと認められる上、M高校勤務も8年に及び、同校の特殊事情にもかなり精通していたことが窺え、これらによると、担当授業や教務主任等の職務が同人の基礎疾病その他の健康状態を考慮してもNに過大の肉体的、精神的負担をもたらしたものとは未だ認め難いところである。

 また、Nは死亡前3ヶ月間ほぼ連日のように残業や帰宅後の仕事を行っているが、残業は約1時間程度で午後6時前後には帰宅しており、自宅も学校から近く出退勤に時間や労力を費やすこともない上、帰宅後の仕事もほぼ午前零時前後に終えて就寝しているのであって、これらがNに特段の肉体的、精神的負担をもたらしたとは考えられない。かえって、Nは同年度も年次休暇、病気休暇を併せて21日の休暇を取っている上、9月には連続1週間の自宅静養を取り、更に夏期休暇のほか10日間の冬期休暇があったことを考えれば、年末年始に訪問してくる4年生の接待に追われたことを考慮してもなお、かなりの休息を取り得たことが推認できる。

 更に、死亡当日のNの勤務状況を見ても平常と大差なく、特段肉体的、精神的に過激な公務の遂行を余儀なくされたとは認められない。他方、Nの基礎疾病である僧帽弁閉鎖不全症は、その幼年時に罹患したリューマチ性心内膜炎によって発症したものと推定されるから、右発症と公務の遂行との間に因果関係が認められないことは明らかである。そして、少なくとも昭和48年夏頃から昭和51年秋頃までは、基礎疾病たる僧帽弁閉鎖不全症そのものの顕著な増悪は認められないところ、同年秋以降上気道感染の罹患頻度がやや高まり、とりわけ11月末から12月にかけて、これによるかなり重い鬱血性心不全に陥ったが、遅くとも昭和52年1月21日には概ね寛解し、再び従前の病状に復していたものである。これによると、Nの病状は基礎疾患の緩やかな増悪が窺えるけれども、直ちにこれを公務に起因する増悪と認めることはできず、かえって、公務とは関連性のない上気道感染の罹患頻度の増加がその誘因となっていると解するのが相当である。
 以上の事実を総合して判断すると、Nの昭和51年4月以降の公務は比較的多忙であったものの、その遂行がNの基礎疾病たる僧帽弁閉鎖不全症を著しく増悪させ、その死亡時期を著しく早めるような過重なものであったとは未だ認められず、またその間の僧帽弁閉鎖不全症の推移も、右公務の遂行と相関関係を見出せるような顕著な増悪があったとも認められないから、Nの死亡と公務の遂行との間に相当因果関係は認められないものといわざるを得ず、右と同旨の判断をした本件処分は相当である。
適用法規・条文
地方公務員災害補償法31条、42条、45条
収録文献(出典)
495号80頁
その他特記事項
本件は控訴された。