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地公災基金愛知県支部長(名古屋市立T中学校教員)心臓死事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 地公災基金愛知県支部長(名古屋市立T中学校教員)心臓死事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 名古屋地裁 − 昭和63年(行ウ)第1号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 地方公務員災害補償基金愛知県支部長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1996年05月08日
- 判決決定区分
- 主位的請求却下、予備的請求認容
- 事件の概要
- Kは、昭和29年4月、名古屋市立M中学校に教諭として採用され、昭和52年4月から同市立T中学校に勤務するようになった。
T中学校は、市内でも有数の大規模中学校であった上、特に昭和57年9月以降は問題行動が発生し、荒れた中学校の様相を呈していた。Tは昭和53年4月から約5年間生徒指導主事の職にあり、生徒指導の総括責任者として、生徒指導の企画立案に当たるとともに、実際の問題行動についての生徒指導と事後処理にも第一線で当たっていた。Kは授業以外の時間は生徒の問題行動がないかどうかを確認しながら、校内外を見て回ったりし、午後7時頃まで居残ることが多く、問題が生じたときは午後8時ないし9時頃まで居残っていたほか、夜間も生徒の父兄や住民から相談を受けることが多かった。
Kは昭和57、58年度は3年生の副担任を務め、生徒指導主事としての仕事が多いことから、授業の担当は理科など10時間に軽減されていた。なお、市教委は、荒れたT中学校への対応として、昭和58年4月には気鋭の校長を登用し、女性教諭の転入を避け、生徒指導に関心の深い男性教諭を2名配置するなど人事面でも配慮を加えていた。
T中学校においては、昭和58年2月以降、3年生男子4名による男性教師への暴行・傷害、3年生女子の家出・捜索、2年生女子2名による女性教師への暴行、職員室への不法侵入、3年生女子による女性教師への暴行・傷害、オートバイによる交通事故、3年生女子の家出・捜索などの事件が発生し、Kはそれらの事件の処理に対応したほか、卒業式での非常警戒、修学旅行への付添、学園際での防犯対策等に関わった。
Kは、昭和58年6月27日朝、校舎の外周を巡視し、職員打合せの後午前9時頃再度校内を巡視した。その際出歩いていた3年生数名の指導に当たったり、シンナー吸引の情報を得てその発見に努めるなどした。また、Kは、午前10時45分頃から校内を巡視したところ、空き教室でトランプをしていた5、6名の生徒を指導し、昼に校外に抜け出ようとしていた生徒を注意するなどした。Kは昼食後、校舎内外の巡視に出かけ、その後行方不明との連絡を受けた生徒の対応について話し合い、家庭に連絡をとったりし、午後5時20分に帰宅したが、同僚教諭5名とともに学区内のパトロールを行って、今後の生徒指導について話しあった。その後Kは同僚から誘われ、午後8時10分頃から10時50分頃まで同僚2人と麻雀をし、コーヒーを飲んで午後11時50分頃帰宅し、入浴後の翌28日午前1時頃就寝したところ、暫くして胸の痛みを訴えて救急車で病院に搬送されたが、同日午前3時15分、急性心筋梗塞により死亡した。
Kの妻である原告は、Kの死亡は公務によるものであるとして、被告に対し地方公務員災害補償法に基づく遺族補償給付及び葬祭補償給付の請求をしたところ、被告はKの死亡は公務上の事由によるものとは認められないとして、不支給の処分(本件処分)をした。
原告は、本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けた。そこで原告は、主位的には、本件処分はKの死亡が公務上の事由によるものと認められるにもかかわらず、これを認められないとの判断に基づいてされた点で違法であること、予備的にはKの死亡は公務上の死亡に当たることを主張して、本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対し昭和60年5月31日付けでした地方公務員災害補償法に基づく遺族補償給付及び葬祭補償給付を支給しない旨の処分の取消しを求める訴えを却下する。
2 被告が原告に対し昭和60年5月31日付けでした地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分を取り消す。
3 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 公務と死傷病との間の相当因果関係
地公災制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する公務に従事する者について、右公務に内在ないし随伴する危険性が発現し、公務災害が生じた場合に、任命権者の過失の有無にかかわらず、被災公務員の損害を填補するとともに、被災者及びその遺族の生活を保障しようとすることにあるものと解される。そして災害補償の要件として、法31条、42条において「公務上死亡し…た場合」と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすると、公務と死傷病との間に公務起因生があるというためには、当該公務により通常死傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち公務と死傷病との間に相当因果関係が認められることが必要であり、かつこれをもって足りるものと解するのが相当である。そしてこの理は本件疾病のような虚血性心疾患等の非災害性の公務災害に関しても何ら異なるものではない。
労基法75条2項が業務上の疾病の範囲を命令で定めることにした趣旨は、業務上の疾病に関する相当因果関係は傷害の場合ほどに明確でないため、その点を命令で明らかにしようとしたことにあるのであって、「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関する認定基準についても、それはあくまで下部行政機関に対する運用のための通達であって、行政の適正、迅速処理のための判断基準を示したものに過ぎないから、相当因果関係の存否の判断を直接拘束するものでないことはいうまでもない。
2 相当因果関係の判断基準
前記地公災制度の趣旨から明らかなとおり、公務起因性が認められるためには、公務に内在ないし随伴する危険性が発現したものと認められることが必要であるが、本件疾病のような虚血性心疾患の発症については、もともと被災公務員に、冠動脈硬化、冠動脈内腔の狭窄等の欠陥病変が存在し、それが何らかの原因によって閉塞して発症に至るのが通常であると考えられるところ、右血管病変は、医学上先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその主要な原因であると考えられており、右血管病変の直接の原因となるような特有の公務の存在は認められていない。また、右血管病変が増悪して虚血性心疾患が発症することは常に起こり得る可能性が存するものであり、右虚血性心疾患を発症させる危険を本来的に内在する特有の公務というものも医学上認められていない。したがって、虚血性心疾患発症の相当因果関係を考える場合、まず当該公務が公務に内在ないし随伴する危険性の発現と認めるに足りる内容を有すること、すなわち公務の過重性が必要であり、更に虚血性心疾患の原因としては加齢や日常生活等も考えられ、公務そのものを唯一の原因として発症する場合はまれであり、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いことに鑑みると、「相当」因果関係が認められるためには、単に公務が虚血性心疾患の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りず、当該公務が加齢その他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要であるというべきである。
一般に因果関係の立証は、「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつそれで足りる」と解されていること、とりわけ医学的な証明を必要要件とすると、被災公務員側に相当因果関係の立証について過度の負担を強いる恐れがあり、殆どの場合公務と虚血性心疾患との因果関係が否定される結果になりかねないこと、このような結果は、現在の社会の実情に照らし、地公災制度の趣旨にも合致しないと考えられるからである。
3 公務起因性の判断基準
以上によれば、冠動脈硬化、冠動脈内腔の狭窄等の基礎疾患を有する公務員の公務過重性については、その基礎疾患が当該公務に従事することが一般的に許容される程度のものであり、その程度の基礎疾患を有する公務員がこれまで格別の支障もなく同業務に従事してきているといった事情が認められる場合は、当該公務員を基準にして、社会通念に従い、当該公務が公務員にとって自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断するのが相当である。そして、このような過重負荷の存在が認められ、これが原因となって基礎疾患を増悪させるに至ったことが認められれば、右過重負荷が自然的経過を超えて基礎疾患を増悪させ死傷病等の結果を招来したこと、すなわち公務と結果との間に因果関係の存することが推認されるのみならず、右過重負荷が発症に対し相対的に有力な原因であることも推認され、その結果、基礎疾患が自然的経過をたどって発症するほどに重篤な状況にあったこと、公務外の肉体的・精神的負荷その他公務の過重負荷以外の原因が公務に比較して相対的に有力なそれとして基礎疾患を増悪させたこと、当該公務員が、発症の危険性があることを自ら認識しながらこれを秘匿するなどして敢えて公務に従事したこと等の特段の事情について主張立証のない限り、公務と結果との間の相当因果関係を肯定することができると解するのが相当である。
4 公務起因性
Kは、尋常とは思えない荒れた状況にあるT中学校において、生徒指導主事として、勤務時間中はもちろん、時間外の夜間までいつ発生するかわからない生徒の非行や問題行動又は父兄等からの相談に常に備え、一旦事が発生したら直ちにこれに当たり、それ故に不規則な勤務形態が恒常化している状況にあって、しかも昭和57年以降は年次休暇も全く取らず、休日も返上して生徒指導を兼ねた行動に出ていたなど、その心身の休養を図る暇もなく、正に働きづめの状態にあったというべきであり、特に突発的に発生する事件等に備えて常に緊張状態にあったことが窺われることからすれば、その公務の事態は健康に何の問題もないような者にとってさえ過重というべきであって、これを本件血管病変という基礎疾患を有するKが遂行したことにより、身体的・精神的疲労とストレスを蓄積させ、その疲労の回復やストレスの解消も図られることなく、慢性的、恒常的な過労とストレス過多の状態に陥ったまま本件発症前日に至ったことが認められる。
Kは、本件発症前日までに既に慢性的、恒常的な過労とストレス過多の状態に陥った身体状況にあったところ、本件発症前日である昭和58年6月27日の午前7時50分から午後5時20分頃までの間、授業の合間に繰り返し校舎の内外を巡視して生徒指導を行う等の勤務に従事し、その後引き続き同僚とともに午後6時20分頃まで校外パトロールを行ったが、これを終えた際には疲労の様子が窺えたというのであって、これら本件発症前日の就労の状況、その際におけるKの身体の状態等の事実を総合考慮すると、本件血管病変の基礎疾患を有するKにとって、本件発症直前の公務の内容は日常の公務に比較して著しく過重であり、本件血管病変を急激に増悪させるに足りるものであったことが認められる。Kは、パトロールを終えて軽食を摂った後、同僚と麻雀をした事実が認められるが、恒常的にストレス過多の状況にあったKが、そのストレス解消を図って気晴らしに麻雀をすることは格別不自然とも思われず、これをもって認定を左右するには足りない。
Kは、著しく過重な公務により精神的・身体的疲労を回復することなくこれを蓄積させ、その結果、本件血管病変を進行・増悪させて急激な冠動脈内腔の狭窄ないし閉塞を起こしやすい身体的状態のまま本件発症前日に至り、本件発症前日にも、勤務時間における勤務のみならず、その終了後にも校外パトロールに当たるなどの過重な公務に従事したことが認められる。これらの事実によれば、右過重な公務によりKの本件血管病変(冠動脈硬化及び冠動脈内腔の狭窄)が自然的経過を超えて急激に進行し、その結果、心筋の変性、壊死の結果を招来し、本件発症に至ったこと、すなわち公務と本件発症との間の相当因果関係が存在した事実を推認することができるというべきである。
以上によれば、Kの死亡には公務起因性が認められるから、これと異なる判断に基づいてされた本件公務外認定処分は違法であり、取消しを免れない。 - 適用法規・条文
- 地方公務員災害補償法31条、42条、45条
- 収録文献(出典)
- 労働判例696号41頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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名古屋地裁 − 昭和63年(行ウ)第1号 | 主位的請求却下、予備的請求認容 | 1996年05月08日 |
名古屋高裁 − 平成8年(行コ)第11号 | 控訴棄却(確定) | 1998年10月08日 |