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半田労基署長(Y社)脳出血死事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 半田労基署長(Y社)脳出血死事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 名古屋地裁 − 平成元年(行ウ)第14号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 半田労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1996年08月01日
- 判決決定区分
- 棄却
- 事件の概要
- K(昭和12年生)は、昭和36年4月Y社に入社し、主任研究員等を経て昭和56年11月、同社T工場化薬研PO第1グループのグループリーダー(GL)に就任し、以後有機過酸化物製品の改良等の業務に従事していた。
Kは、昭和51年4月の健康診断において、血圧が188&;#45;110を記録し、昭和52年2月から降圧剤の投与を受けた。Kは昭和52年5月、6月に気分が悪くなり、診察を受けたところ、左心室肥大も認められたが、血圧値は最高140台に落ち着いてきて、血圧硬化剤の投与回数も減ってきた。Kは昭和54年9月以降降圧剤投与の間隔は開き、昭和55年3月には180-118となった。
Kは、昭和57年11月以降は、中間管理職として、専らグループ員が研究するテーマに関しての管理業務に従事していた。Kの所定労働時間は実働7時間15分であり、日曜日及び祝日以外に、昭和57年の場合、土曜日を含めて年間36日の休日があった。また、Kの通勤時間は徒歩10分程度で、午後5時30分から6時頃の間に退社し、残業はほとんどなかった。
昭和57年11月29日、Kは午前7時55分頃出社し、午前8時30分から11時30分頃まで研究発表会に、午後12時30分から3時まで月例文献報告会にそれぞれ出席した。これらの月例の会議は特に紛糾することもなく進行し、Kはいつものように発言が少なく、特に変わった様子は見られなかった。午後3時から5時まで、Kは業務打合せを行い、午後6時頃Kはまだ残って仕事をしており、変わった様子は見られなかったが、午後9時50分頃、GL室でいびきをかいて倒れているKを守衛が発見し、病院に搬送して手術をしたが、翌30日午前8時36分脳内出血により死亡した。
Kの妻である原告は、Kの死亡は業務に起因するものであるとして、被告に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたが、被告はKの死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして、不支給の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労基法及び労災保険法による労災補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に内在ないし随伴する危険性が発現し、労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災労働者の損害を填補するとともに、被災者及びその遺族の生活を保障しようとすることにあるものと解される。そして、労基法75条、79条等において「業務上負傷し、又は疾病にかかった(死亡した)」、労災保険法1条において「業務上の事由により」と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすると、業務と死傷病との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常死傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつこれをもって足りるものと解するのが相当である。そしてこの理は本件脳内出血のような脳血管疾患及び虚血性心疾患等の非災害性の労災に関しても何ら異なるものではない。
業務と死傷病との間に相当因果関係が認められるためには、まず業務に死傷病を招来する危険性が内在ないし随伴しており、当該業務がかかる危険性の発現と認めるに足りる内容を有すること、すなわち、当該業務が過重負荷と認められる態様のものであること(業務過重性)が必要であり、また本件脳内出血のような脳血管疾患の発症については、もともと被災労働者に、素因又は基礎疾患等に基づく動脈瘤等の血管病変等が存し、それが何らかの原因によって破綻して発症に至るのが通常であると考えられるところ、右血管病変等は医学上、先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその主要な原因であると考えられており、右血管病変の直接の原因となるような特有の業務の存在は認められていないこと、また右血管病変等が破綻して脳内出血等の脳血管疾患が発症することは、右血管病変等が存する場合には常に起こり得る可能性があるものであり、右血管疾患を発症させる危険を本来的に内在する特有の業務も医学上認められておらず、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いことに鑑みれば、単に業務がその脳血管疾患の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りず、当該業務が加齢その他の原因に比べて総体的に有力な原因と認められることが必要であるというべきである。そして、業務過重性の判断に当たっては、それが当該業務に従事することが一般的に許容される程度の基礎疾患等を有する労働者であり、これまで格別の支障もなく同業務に従事してきているといった事情が認められる場合は、当該労働者を基準にして、社会通念に従い、当該業務が労働者にとって自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断するのが相当である。2 業務の過重性
Kは、開発研究課長に就任する以前である昭和51年頃から高血圧症に罹患し、これが本件発症に至るまで継続し、その治療ないし血圧の適切な管理がされないまま、本件発症前にはいつ脳内出血が発症しても不思議でない程に重篤な状況に陥っていたこと、他方、昭和54年4月以降本件発症時までの3年以上の間は、終始一貫してPO関係の研究開発等を担当する部署の責任者としての業務を特段の支障もなく遂行していたこと、その勤務の状況は、出張等の業務もあるものの、いずれも通常の業務として予定された仕事で、回数も毎月2、3回に止まり、それ以上特に肉体的、精神的疲労を蓄積させ、これを休日等の取得によって回復できないような過激な仕事に就くことはなかったこと、本件発症当日の業務内容も平常の仕事の域を出るものではなかったことが明らかであり、これらの事情を総合すれば、Kの業務が、Kが当時罹患していた高血圧症をその自然的経過を超えて急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程に過重であったとは到底認めることはできない。
なお、原告は、使用者の安全配慮義務違反は業務起因性の判断要素になると主張するが、このような見解は無過失責任主義に立つ労災補償の建前に反するものであり、採用することはできない。仮にこの点を措くとしても、Kは午後6時を過ぎて残業することは稀であり、その業務自体、Kの高血圧症をその自然的経過を超えて急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程に過重であったとは認めることができない以上、Y社においてKの高血圧症を悪化させないようその勤務時間及び職務内容について何らかの措置を講ずべき安全配慮義務が存するのにこれを怠ったとの原告の主張は失当である。また、Y社では、毎年定期的に実施される一般健康診断において従業員の血圧値を測定しており、Kの血圧値が従前に比して大幅に高くなった昭和51年以降、昭和53年から昭和54年にかけての一時期を除き、自己の血圧値が高血圧症の重症度の高い値であることを十分認識していたのであるから、その治療ないし血圧管理はK本人が配慮すべきであったといわざるを得ず、Y社においてKの血圧管理を適切に行うべき安全配慮義務が存するのにこれを怠ったとの原告の主張もまた失当である。したがって、Kの業務が本件疾病についての相対的に有力な原因であるといえないことは明らかであって、本件疾病につき業務起因性を認めることはできないというべきである。 - 適用法規・条文
- 収録文献(出典)
- 労働判例691号29頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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名古屋地裁−平成元年(行ウ)第14号 | 棄却 | 1996年08月01日 |
名古屋高裁 − 平成8年(行コ)第1号 | 棄却 | 1997年03月28日 |