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岸和田労基署長(N病院)看護婦長脳内出血事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 岸和田労基署長(N病院)看護婦長脳内出血事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 大阪地裁 − 平成7年(行ウ)第77号
- 当事者
- 原告個人1名
被告岸和田労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1998年05月27日
- 判決決定区分
- 棄却(確定)
- 事件の概要
- 原告(昭和13年生)は、昭和46年9月、N病院にパート看護婦に採用され、昭和49年10月に正看護婦となった後、昭和53年4月から看護婦長として稼働していた。
N病院では、昭和59年5月1日当時、看護婦に関する業務全般を所管する看護課が設置され、その下に各科が配置され、看護婦長が全看護部門を統括し、原告は看護婦の管理・監督に附随して、看護婦の悩みを聞いたり、看護婦と患者とのトラブルを仲裁するなどしたほか、手術の介補等の業務にも従事した。
原告の労働時間は、タイムカードの記載によれば、本件発症直前は1ヶ月当たり261時間30分ないし224時間21分であり、1ヶ月当たり4日ないし7日の休日を取得していた。また原告は、個室の婦長室を与えられ、ここで業務に従事していた。
昭和59年4月、N病院はそれまで98床だったベッド数を206床に増床し、看護婦を増員すべく募集したが、思うように募集できなかった。同月頃、N病院で見習いしながら看護学校に通っていた看護学生3名が、准看護婦の資格を取得した後、N病院を退職して進学したことから、原告は院長から管理監督不行届きとして厳しく叱責された。
原告は、同年5月22日、午前8時19分頃N病院に出勤し、午後1時30分頃から5時30分頃まで、他の3名の看護婦とともに全身麻酔手術を介補した。原告は午後6時頃、男性の入院患者から病室の移転について大声でなじられ、涙を流し、その後婦長室に戻ったが、午後7時頃、同室内において高血圧性脳内出血(本件疾病)を発症させて意識を失い、翌23日午前9時頃半昏睡の状態で発見された。原告は直ちに応急措置を受けた上大学病院に搬送され、同日午後1時30分頃より手術を受け、その後N病院においてリハビリテーションを行ったが、右片麻痺、失語症が後遺症として残った。
原告は、本件疾病は、過重な業務に従事しながら、入院患者から大声でなじられるなどのトラブルに見舞われ、ストレスが限界に達したことにより発症に至ったのであるから、業務に起因することは明らかであること、発症後早期に治療すれば婦長として復帰できるはずだったのに、原告が婦長室という孤立した部屋において業務に従事した結果、本件発症後14時間も発見されずに悪化したことを主張し、昭和59年7月19日、被告に対し、労災保険法に基づき休業補償給付の支給を請求した。これに対し被告は、昭和60年2月13日、不支給処分をしたことから、原告はこれを不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件不支給処分の取消を求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 因果関係
労基法による災害補償制度の趣旨は、使用者が、労働契約を通じて労働者をその支配下に置き、使用従属関係のもとで労務の提供をさせるわけであるから、その過程において、業務に内在ないし随伴する危険性が発現し、被災者に傷病が発生した場合には、使用者は、過失の有無に関わらず、被災労働者の損害を填補するとともに、被災労働者及びその遺族の生活を保障することにあるものと解される。また、労基法84条で、労災保険法に基づいて保険給付が行われるべき場合には、使用者は災害補償責任を免れるものと規定することからすると、労災保険制度は、使用者が被災労働者に対して負う労基法上の災害補償責任を担保するための制度であると解される。そして、業務と傷病との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と傷病との間に相当因果関係が必要であり、かつこれで足りると解するのが相当である。
業務と傷病との間に相当因果関係が認められるためには、まず業務に傷病を招来する危険性が内在ないし随伴しており、当該業務が係る危険性の発現と認めるに足りる内容を有すること、すなわち当該業務が過重負荷と認められる態様のものであることが必要と解される。また本件疾病のような脳血管疾患の発症については、もともと被災労働者に素因又は基礎疾患等に基づく動脈瘤等の血管病変が存在し、それが何らかの原因によって破綻して発症に至るのが通例であると考えられるところ、右血管病変等は、医学上先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその主要な原因であると考えられており、右血管病変等の直接の原因となるような特有の業務の存在は認められていないこと、また、右血管病変等が破綻して脳内出血等の脳血管疾患が発症することは、右血管病変等が存在する場合には常に発症する可能性があるものであり、右脳血管疾患を発症させる危険を本来的に内在する特有の業務も医学上認められておらず、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いことに鑑みれば、単に業務がその脳血管疾患の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りないというべきである。当該業務が過重負荷と認められる態様のものであるか否かを判断するに当たっては、平均的な労働者、すなわち、たとえ何らかの基礎疾患を有しつつも、特に負担を軽減されることなく、通常の勤務に従事することが期待される労働者を基準とすべきであると解される。
2 本件業務の過重性
原告は、看護課婦長として、N病院の全看護部門を統括していたが、全7科に所属する看護婦への指導、管理は各科の主任看護婦が行っており、婦長は各主任看護婦を通じて間接的に看護婦を統括し、その他各看護婦の時間外労働時間数の集計、看護学生の教育等を担当していたに過ぎず、また原告は管理業務のほかに、手術の介補等を行ったが、その手術数は1ヶ月当たり2件ないし9件であり、そのうち特に負担の大きい全身麻酔使用の手術も1ヶ月当たり1件ないし3件に過ぎなかった。また原告の所定労働時間数は、1日7時間30分であり、本件疾病発症6ヶ月前からの労働時間は、261時間30分ないし224時間21分であったものの、原告は他の看護婦と異なり夜勤がなかったこと、1ヶ月当たり4日ないし7日の休日を取得したことからすると、長時間労働ではあったが、業務が過重とまではいえない。N病院ではベッド数を倍増させたが、これに伴う看護婦の増加等が思うようにいかなかったこと等から、原告は相応の心労を受けていたものと推認されるが、N病院では右増床にもかかわらず、看護婦数が基準を下回る等その数が足りなかったことはなく、また、外来、入院とも患者数に増減の幅は小さかったので、右増床に伴う原告の業務はそれほど大きな変化はなく、原告にストレスが蓄積したとは認められない。
原告の本件発症当日の業務自体は、日常業務と異なるところはなく、原告が約6年間婦長として勤務し、日常的に患者や看護婦のトラブル等を処理してきたことに鑑みると、トラブルの処理が原告にとってそれほどの負担になったとは考えられない。
以上の事実からすれば、原告の本件業務は過重であるとまではいえない。
3 既往歴の影響
原告は、昭和54年3月以降昭和58年12月まで、合計27回の血圧測定のうち、25回は高血圧であった。また原告は、高血圧症の治療のために投薬治療を受けていたが、服用は断続的であって、依然として高血圧の状態が続いていたことに鑑みれば、原告の血圧は十分にコントロールされてはいなかったというべきである。
以上の事実によれば、原告の発症した高血圧性脳出血は、高血圧の状態が継続することにより、脳内の細動脈の平滑筋層に変性を生じて血管壊死の状態となり、血管壁が構造的に脆弱となった場合に極めて発生しやすい疾病であるところ、原告は昭和54年3月以降、常時高血圧の状態にあり、昭和55年2月には高血圧症、心拡大と診断され、薬も処方されたが、服用は断続的で、依然として高血圧の状態が改善されなかったことが認められるのであるから、原告の血管壁は、本件疾病発症時、長期間にわたる高血圧症により、既に脆弱化した状態にあり、そのため、生理的な血管変動によっても脳出血等の疾病が発症し得る状態、すなわち、いつ本件疾病が発症しても不自然ではない状態にあったというべきである。したがって、本件疾病は、原告の長期間にわたる高血圧症という基礎疾患を主たる原因として発症したものというべきである。
4 発見の遅れ
本件疾病を発症させた原告の発見が遅れ、そのために悪化した疾病の部分が業務に起因したというためには、原告が業務に従事した場所自体に、発見の遅れの危険性が内在すること、すなわち、病院婦長室が、外部との連絡が遮断・隔離された特別な環境下にあり、そのため、婦長室において業務に従事することが、被災労働者の治療機会の喪失をもたらす客観的危険性を有していたことが必要である。
これを本件においてみるに、そそも婦長が個室の婦長室を与えられ、ここで業務に従事すること自体は一般的なことであり、婦長室は病院の2階南西に、病室と事務長室にはさまれた位置に病室を改造して設置されたこと、婦長室と廊下を仕切る壁にはすりガラスがはめ込まれ、扉の上部に換気用として回転ガラス窓が設置された構造になっていたこと、現に婦長に相談を持ちかける看護婦や患者、その他職員、セールスマンが婦長室を訪れることがあったことが認められるのであるから、婦長室が外部から隔離・遮断された特別な環境にあったとはいえない。したがって、原告が婦長室において業務に従事したことが、被災労働者の治療機会の喪失をもたらす客観的危険性を内在していたとは認められない。
5 結 論
以上の事実によれば、原告の本件業務は過重負荷であったとはいえないし、原告は、本件疾病発症当時、長期間にわたって高血圧症に罹患していたので、既に血管壁が脆弱化した状態にあり、そのため、いつ本件疾病を発症しても不自然ではない状態にあったというべきであるから、本件業務が本件疾病発症の原因であったということはできないし、原告が与えられた婦長室が外部から隔絶・遮断された特別な環境にあったとはいえないので、原告が本件疾病発症後、約14時間発見が遅れ、そのために本件疾病が悪化したとしても、これをもって本件疾病に業務起因性があるとはいえない。 - 適用法規・条文
- 労災保険法14条
- 収録文献(出典)
- 労働判例746号28頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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