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名古屋西労基署長(タクシー会社)急性心筋梗塞事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 名古屋西労基署長(タクシー会社)急性心筋梗塞事件
- 事件番号
- 名古屋地裁 − 平成3年(行ウ)第34号
- 当事者
- 原告個人1名
被告名古屋西労働基準監督署長 - 業種
- 分類不能の産業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1996年03月27日
- 判決決定区分
- 認容
- 事件の概要
- 原告(昭和14年生)は、他の会社でタクシー運転手として勤務した後、昭和60年2月から、タクシー、ハイヤーによる旅客交通運輸事業を営むF社で勤務してきた。
原告の勤務形態は、3人の乗務員が2台の営業車により交替で乗務し、4日間連続して勤務した後2日間連続して休むという2車3人制であった。
昭和63年5月25日は、4日間連続勤務の3日目で、原告は午前7時45分頃営業車で自宅を出発し、午後8時45分頃左胸部に痛みを感じ、一旦車両を停車させたが、大事とは思わずにその後も勤務を続け、翌26日午前2時30分頃に帰宅した。帰宅後、原告は就寝したところ、午前5時頃激しい胸痛で目を覚まし、立ち上がったが倒れ、救急車で病院に搬送されて急性心筋梗塞と診断され、そのまま入院し、同年7月19日に退院したが、身体障害者1級に認定された。
原告は、本件疾病は業務に起因するとして、労災保険法に基づき、被告に対し、休業補償給付の請求をしたところ、被告は本件疾病は業務上の事由による疾病とは認められないとして不支給処分(本件処分)とした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対して平成2年11月5日付でなした労働者災害補償保険法による休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労働者災害補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生じる危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に内在ないし随伴する危険性が発現し、労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災労働者の損害を填補するとともに、被災労働者及びその遺族の生活を保障しようとすることにあるものと解される。そして、労基法及び労災保険法が、労災補償の要件として、労基法75条、79条等において「業務上負傷し、又は疾病にかかった(死亡した)」、労災保険法1条において「業務上の事由により」と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすると、業務と死傷病との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつこれをもって足りるものと解するのが相当である。そして、この理は、脳血管疾患あるいは本件疾病のような虚血性心疾患等の非災害性の労災に関しても何ら異なるものではない。
被告は、脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する業務起因性については、規則35条別表第1の2第9号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」と認められることが必要であり、その認定に関しては、新認定基準にいう「業務による明らかな過重負荷」等の基準に該当する事実の存在することが必要である旨主張する。しかし、労基法75条2項が業務上の疾病の範囲を命令で定めることにした趣旨は、業務上の疾病に関する相当因果関係は傷害の場合ほどには明確でないため、その点を命令で明らかにしようとしたことにあるのであって、これにより相当因果関係の認められた範囲を拡張したり、制限しようとしたものではないというべきである。また、「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関する新認定基準についても、それはあくまで下部行政機関に対する運用のための通達であって、行政の適正、迅速処理のための判断基準を示したにすぎないものであるから、相当因果関係の存否の判断を直接拘束するものでないことはいうまでもない。
本件疾病のような虚血性心疾患については、もともと被災労働者に血管病変等が存在し、それが何らかの原因によって閉塞等を起こして発症に至るのが通常と考えられるところ、血管病変等は、医学上、先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活における諸種の要因がその主要な原因と考えられており、血管病変等の直接の原因となるような特有の業務の存在は認められていない。また、血管病変等が増悪して虚血性心疾患が発症することは常に起こり得る可能性が存するものであり、右虚血性心疾患を発症させる危険が本来的に内在する特有の業務も医学上認められていない。したがって、こうした虚血性心疾患の発症の相当因果関係を考える場合、まず当該業務が業務に内在ないし随伴する危険性の発現と認めるに足りる内容を有すること、すなわち、業務過重性が必要であり、更に虚血性心疾患の原因としては、加齢や日常生活上の要因等も考えられ、業務そのものを唯一の要因として発症する場合は稀であり、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いことに鑑みると、相当因果関係が認められるためには、単に業務が虚血性心疾患の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りず、当該業務が加齢その他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要というべきである。
ところで、新認定基準に沿って業務過重性を判断することにも一定の合理性があるが、右新認定基準が、業務過重性について、日常の業務に比して特に過重な肉体的、精神的負荷と客観的に認められる業務でなければならないとした上、客観的とは、「医学的に」「急激で著しい増悪」の要因と認められることをいうものであるから、被災労働者のみならず「同僚労働者又は同種労働者」にとっても、特に過重な肉体的、精神的負荷と判断されるものでなければならないとしている点は、結果として相当因果関係の判断に特別の要件を付加することになるのであって採用できない。なぜなら、一般に因果関係の立証は、「自然科学的証明ではなく、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得ることで足りると解されていること、とりわけ、医学的な証明を必要要件とすると、ストレスや疲労の蓄積が糖尿病等の基礎疾患に及ぼす影響や、基礎疾患と虚血性心疾患の発生機序について、医学的に十分な解明がなされているとは言い難い現状においては、殆どの場合業務と虚血性心疾患との間の相当因果関係が否定される結果になりかねないこと、このような結果は、現在の社会情勢に照らし、労災補償制度の趣旨にも合致しないと考えられるからである。
しかして、糖尿病等の基礎疾患を有する労働者の業務過重性の判断に当たっては、それが当該業務に従事することが一般的に許容される程度の疾患等を有する労働者であり、これまで格別の支障もなく同業務に従事してきているといえる事情が認められる場合は、当該労働者を基準にして、社会通念に従い、業務が労働者にとって自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断するのが相当である。そして、このような過重負荷が認められ、これが原因となって基礎疾患等を増悪させるに至ったことが認められれば、当該被災労働者が、発症の危険性のあることを知りながら、これを秘匿するなどして敢えて業務に従事したなどの特別の事情のない限り、原則として業務と結果との間に因果関係の存することが推認されるとともに、基礎疾患が重篤な状況にあったこと、あるいは業務外の肉体的、精神的負荷等が原因となって発症したものであること等につき、特段の反証がない限り、右過重負荷が発症に対し相対的に有力な原因であると推認し、相当因果関係を肯定することができるものと解するのが相当である。
2 本件疾病の業務起因性
昭和63年当時、労働省により、自動車運転者の労働条件の最低基準(改善基準)が定められており、ハイヤー・タクシー業における隔日勤務以外の自動車運転者に関する規定は、1日の拘束時間は2週間を平均して1日14時間以内、1日の最大拘束時間は16時間、勤務と次の勤務との間の休息期間は8時間以上、休日労働は2週間を通じ1回を限度とされている。
原告は、事実上のノルマに追われ、4日間連続勤務の間は、改善基準にも大幅に違反する長時間の拘束を受け、発症直前約8週間を見れば、最大拘束時間21時間20分、同労働時間20時間10分、1日当たり平均拘束時間18時間、同労働時間16時間53分という過酷な労働に従事していたものであり、このため連続勤務の2日目以降は、慢性的な睡眠・休養不足に陥ったままタクシー運転労働に従事していたことが認められる。しかも、タクシー運転労働は、乗務員を身体的・精神的に疲労させ、その精神的緊張を高めるものであると解されるところ、原告は、かかる労働に長時間にわたって従事していたこと、更に右ノルマに追われること自体が心理的ストレスになり、常に精神的重圧を受けていたことが認められ、原告はかかる過重な業務に従事したことにより、身体的・精神的疲労を蓄積させ、その後もその疲労を十分に回復させることなく、慢性的、恒常的な過労状態に陥ったまま発症前日に至ったと認めることができる。更に、発症前日の勤務も、拘束時間18時間15分、労働時間17時間01分、走行距離270kmに及び、他方休憩時間は1時間07分という過重なものであった上、心筋梗塞の前駆症状と推測される胸痛を覚えたにもかかわらず、更に約5時間も勤務を続けたものであり、この日の勤務もまた過重な業務であったことが認められる。そして、これら発症直前の勤務の拘束時間、労働時間等とその勤務内容、原告の健康状態等諸般の事実を総合考慮すると、原告が発症前日まで従事していた業務は、本件基礎疾患を有していた原告にとって、その疾患を自然的経過を超えて急激に増悪させるほどに過重な業務であったと認めることができる。
以上検討したところによれば、原告が発症前日まで従事していた業務による過重負荷が、本件基礎疾患により発生していた冠動脈の血管病変を、自然的経過を超えて急激に増悪させた結果、本件疾病を発症させたものと推認することができ、本件においては他に特段の事情が認められない以上、原告の業務と本件疾病の発症との間には、相当因果関係が存在すると認めるのが相当である。
以上により、原告の本件疾病の発症には業務起因性が認められるから、これと異なる判断に基づいてなされた本件処分は違法であり、取消しを免れない。 - 適用法規・条文
- 99:その他 労災保険法14条
- 収録文献(出典)
- 労働判例693号46頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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