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神奈川(建物明渡)強要事件

事件の分類
その他
事件名
神奈川(建物明渡)強要事件
事件番号
横浜地裁 − 昭和60年(ワ)第3234号
当事者
原告個人1名

被告個人3名 A、B、C

被告M物産株式会社

被告株式会社D社
業種
卸売・小売業・飲食店
判決・決定
判決
判決決定年月日
1990年05月29日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(控訴)
事件の概要
 原告は、昭和42年10月、被告M物産株式会社(M社)の幹部であった被告Aから、同人所有の本件建物を賃借し、同年11月以降これを住居として使用してきた。原告は、それ以前被告株式会社D社(D社)の借上げ社宅に住んで、同被告から住宅費の補助を受けていたが、本件建物を個人的に賃借することになった後も、D社に対し社宅退去の届出をすることなく、従来と同様に住宅費の補助を受け続けた。

 被告Aは、昭和56年11月の契約更新期を迎え、原告に本件建物の明渡しを申し入れたが、原告はこれを頑強に拒絶したため、被告AはM社時代の知人で、原告の勤務先であるD社のF専務に助力を求めた。同専務は、翌57年1月4日、原告に対し本件建物の明渡しを説得するとともに、被告Aとの話合いを求め、これを受けて原告は被告Aと面談し、条件が良いところがあれば移転することとして一応の合意をみたが、その後被告Aが探した多数の物件に対して原告は何らの反応も示さなかった。

 F専務は、同年3月8日、原告に対し重ねて被告Aとの話合いを勧告し、更に同日、原告の直属の上司である開発管理部次長である被告Bは、原告を呼び、左遷もほのめかしながら、本件建物の明渡しを強く迫った。また、F専務から依頼を受けたD社の関東事業本部人事部長であった被告Cは、調査の結果、原告が借上社宅を無断で出て本件建物に転居しながら住宅費の補助を受け続けていたことが判明したため、同年4月19日に原告を呼び、明渡して解決すべき旨強く勧告し、更に同年5月10日、原告と面談して再度同様な話をしたが、被告Cと原告との直接的な接触はそれに止まった。

 被告Bは、その後も、同年4月17日頃から同年8月31日頃までの間、前後8回位にわたって、原告に対し、人事上の不利益取扱いを示唆しながら、執拗に本件建物の明渡しを強く迫った。しかし、同年8月下旬頃から原告が従来以上に態度を硬化させたこともあって、D社の関係者らによる本件建物明渡しの説得は終わった。

 昭和58年3月、原告はD社の多角化事業本部拡販推進タスク関東に配置換えとなり、これと同時に、被告Bも右拡販推進タスク関東主席に配置換えとなり、同じ部署の直属上司と部下の関係は変わらなかった。

 原告は、7等級の副主事で管理職であるところ、管理職に適用される人事考課には、DBP考課(賞与額決定のための業績考課)とMAS考課(昇給昇格のための総合考課)があり、原告のDBP査定は、昭和57年5月がD(極めて不満足)、同年10月がC(やや不満)、昭和58年5月がC、同年10月がB(ほぼ満足)、昭和59年10月がDであり、MSA考課表の総合判定は、昭和58年2月がC(やや劣る)、昭和59年2月がBc(不満な点はあるがほぼこなしている)、昭和60年2月がD(極めて劣る)というものであった。

 原告は、被告B及び被告Cがその地位を利用して、人事上の不利益をほのめかしながら本件建物の明渡しを迫ったこと、両者が共謀して原告をそれまでの管理部門から不得手な営業部門に不当な配転をしたこと、不当な人事考課をしたことを挙げ、賞与額減少及び昇給額減少による損害769万8100円、本件建物明渡強要による精神的苦痛に対する慰謝料200万円、不当な人事考課及び配転命令により将来の昇格・昇進の道を断たれ、D社における生命を失ったことによる精神的苦痛に対する慰謝料1000万円を、被告らが連帯して支払うよう請求した。
主文
1 被告B及び同株式会社D社は、原告に対し、各自金30万円及びこれに対する、被告Bについては昭和60年12月25日から、被告株式会社D社については昭和61年4月9日から、各支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告の被告B及び同被告株式会社D社に対するその余の請求並びにその余の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用のうち、原告に生じた分の10分の1は被告B、同株式会社D社の連帯負担とし、右被告らに生じた分の各10分の1はそれぞれその被告らの負担とし、その余の費用はいずれも原告の負担とする。
判決要旨
 企業内において上司ないし序列上上位にある者が部下ないし下位である者の私生活上の問題につき一定の助言、忠告、説得をすることも一概にこれを許されないものということはできない。部下が会社とは関係なく個人的に賃借している住宅につき、家主との間で紛争状態にある場合、本来賃借人たる部下が自らの判断と責任において決定すべき問題である。けれども、上司が部下から当該紛争につき助言・協力を求められた場合は勿論、そうでなく会社若しくは上司自身の都合から積極的に説得を試みる場合であっても、それが一定の節度をもってなされる限り、部下に多少の違和感、不快感をもたらしたからといって、直ちに違法と断ずることはできない。しかしながら、部下が既に諸々の事情を考慮した上、自らの責任において、家主との間で自主的解決に応じないことを確定的に決断している場合は、上司がなおも、職制上の優越的地位を利用して、家主との和解ないしは明渡請求に応じるよう執拗に強要することは、許された説得の範囲を超え、部下の私的問題に関する自己決定の自由を侵害するものであって、不法行為を構成するものというべきである。

 これを本件についてみるに、被告Bは、原告に対し、原告が本件建物の明渡しを頑強に拒んでいることを知った上で、人事上の不利益をほのめかしながら、少なくとも2ヶ月間前後8回にわたり執拗に本件建物を被告Aに明け渡すことを説得し続けたというのであるから、上司として許された説得の範囲を超えた違法な行為というべきであり、被告Bは、このことにより原告が受けた精神的苦痛を慰謝すべきものというべく、これを慰謝するには金30万円の支払をもってするのが相当である。また、被告Bの右不法行為が被告D社の事業の執行に関してなされたことは明らかであるから、被告D社は民法715条に基づき、使用者として被告Bと連帯して原告に対する損害賠償義務を負うというべきである。

 しかしながら、被告Cの原告に対する説得は、その回数、態様からして未だ許された説得の範囲を逸脱したとまでいうことはできないし、同被告が被告Bの逸脱行為についてまで予見していたことを認めるに足りる証拠もないから、共謀による不法行為を肯定することもできない。

 また、被告AがF専務に対して本件建物の明渡問題解決のため協力を依頼したことが認められるが、被告Aについて共同不法行為が成立するためには、同被告において、F専務の部下らが許された説得の範囲を逸脱し、違法な強要をすることにつき予見していたことが必要と解されるところ、この事実を認めるに足りる証拠はないから、同被告に対して不法行為責任を問うことはできない。したがって、被告Aの使用者であるM社について使用者責任が成立する余地もない。

 企業において、部下の人事考課や賞与の査定をする者は、その人物・資質及び能力や対象期間における業績を客観的かつ適正に査定して、公平無私な評価をすべきことは当然であり、いやしくも与えられた裁量権を濫用して個人的な恨みを晴らしたり、職務と無関係な事項につき自分の意に沿わぬ行動を採ったことに対して報復するなど不当な目的をもって、不当に低い考課や査定をし、あるいは配置換えにつき不利益な意見を具申することは許されず、かかる行為をした結果、部下に経済的損害ないし精神的苦痛を与えた場合には、違法な法益侵害として不法行為責任を負うものと解すべきである。

 これを本件についてみると、本件建物の明渡問題に関連して被告Bと原告の間にかなり深刻な感情的対立が生じたこと、原告にとって拡販推進タスク関東への人事異動は不本意なものであったこと、昭和57年以降のDBPの査定、昭和58年2月からのMSAの考課が芳しくないことに着目すれば、本件建物の明渡問題を巡って被告Bと原告との間に生じた感情的な対立が、同被告の原告に対する人事考課、賞与査定及び配転に関する意見具申について何らかの影響を与えたのではないかとの疑念も生じないわけではないが、他方、人事考課や配転に関する意見具申等に当たって考慮すべき事項は多岐にわたり、その判断基準も単純でない上、原告はかつて部下を持つ課長から部下のないスタッフに格下げになったこともあり、職務経歴がかなり偏っているなど、問題とされるべき点もあって、前記事情のみでは、被告Bが人事考課をするに当たり、原告が自分の意向に反する言動を続けたことに対する報復としてその裁量権を濫用したとまで断定するには、なお躊躇を感ぜざるを得ない。
 また、被告Cは、関東事業本部の人事部長として、被告Bのなした考課、査定を上位者に提出するに当たって、自らが掌握している範囲の従業員間の考課、査定の調整をする地位にあったが、その裁量権を濫用ないし逸脱して調整をしたことを認めるに足りる証拠はない。したがって、この点に関して、被告B及び被告Cについて不法行為責任を認めることはできず、また右不法行為を前提とする被告D社及び同M社の不法行為責任、使用者責任も認めることはできない。
適用法規・条文
02:民法709条,715条,719条
収録文献(出典)
判例時報1367号131頁
その他特記事項
本件は控訴された。