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地公災基金静岡県支部長(県立高校教諭)脳出血死事件(過労死・疾病)

事件の分類
過労死・疾病
事件名
地公災基金静岡県支部長(県立高校教諭)脳出血死事件(過労死・疾病)
事件番号
静岡地裁 - 平成元年(行ウ)第6号
当事者
原告個人1名

被告地方公務員災害補償基金静岡県支部長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1994年11月10日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 N(昭和14年生)は、昭和39年4月に静岡県公立学校教員に採用され、昭和55年4月から県立Y高校に英語教諭として勤務していた。Y高校は、普通科の他に専門課程として英語科が併設されており、英語科の単位は普通科の倍近くあり、Nは普通科とともに英語科の授業も担当するほか、昭和59年度は英語科クラスの担任も務めた。Nは、昭和58年、59年とも、PTA、同窓会等の渉外、国際理解教育、校内誌の編集等を担当し、特にY高校が国際交流等に力を入れていたことから、交換留学生の派遣及び受入れ、そのための生徒の選抜、準備教育、相手先の受入家庭の調査等の業務に従事するとともに、外国の教育関係者が視察訪問をした場合には通訳なども行っていた。

 Y高校では、毎年新入生を対象に入学直後に集団宿泊訓練を行っているところ、昭和59年度も4月23日から25日までの間行われ、Nも同僚教員13名と共に生徒を引率してこれに参加した。また、同年5月7日には、恒例のクロスカントリー大会が行われたが、同大会は、全行程約20kmの起伏あるコースを4、5人の班に分かれて歩くもので、Nは例年通り生徒と一緒に全行程を歩いて指導に当たった。

 同年5月17日、Nは通常どおり午前8時頃出勤し、全校集会及びホームルームに引き続き、1時限目、3時限目に授業に従事した。Nは昼休みを挟んだ5時限目に授業に従事したが、その際生徒に対し頭痛を訴え、6時限目にも頭痛を押して立った姿勢で授業を行ったところ、体調が悪化したため、椅子に座って授業を続け、生徒の連絡により保健室に運ばれたが容態は悪化し、病院に搬送されたが、急性肺浮腫及び脳幹部に多量の出血が認められ、手術も不可能な状態に陥っていた。病院では、Nに対して治療を続けたが、Nは同月23日午前4時01分に死亡した。

 Nの妻である原告は、Nの死亡は公務に起因して発生したものであるとして、同年6月26日付で被告に対し地方公務員災害補償法に基づき公務災害の認定を請求したところ、被告は昭和60年10月2日付でNの死亡は公務外災害であると認定(本件処分)した。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却されたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 公務起因性の要件及び判断基準

 地方公務員災害補償制度は、使用者の支配下で労務を提供する過程において、その業務に内在ないし随伴する危険が現実化し、被用者がそのために負傷し又は疾病に罹った場合等に、使用者の過失の有無にかかわらず、その危険が現実化したことによる被災者の損失を定型的・定率的に補償しようとする労働者災害補償制度と同趣旨の制度であり、そこにおける使用者である地方公共団体の責任は、危険責任ともいうべきである。そうすると、地方公務員災害補償法31条、42条の「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいうが、公務と死亡との間に公務起因性があるというためには、公務がなければ疾病が発生しなかったという条件関係が必要であることはもとより、負傷又は疾病と公務との間に、負傷又は疾病が業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化であると認められる関係、すなわち相当因果関係があることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない。

 公務とそれ以外の原因が競合して本件脳出血のような脳血管疾患が発症した場合における公務起因性としては、医学的に見て右脳血管疾患の発症に公務が有意に寄与したとの条件関係が存することに加えて、相当因果関係として、当該脳血管疾患の発症について、公務に内在ないし通常随伴する危険がそれ以外の発症の原因と比較して相対的に有力な原因となったと認められることが必要であり、公務が単に当該脳血管疾患の誘因ないしきっかけになったに過ぎない場合には、公務起因性は認められないと解すべきである。そして、公務が相対的に有力な原因であるというためには、公務の内容が、通常の公務に比較して過重であり、それに内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められるに足りるものであること、換言すれば、公務が当該血管病変等を自然的経過を超えて急激に増悪させるに足りると認められる程度の過重負荷となっていることが必要というべきである。

 ところで、右にいう相対的有力な原因と認めるに足りる公務過重性とは、当該被災者において発症の原因となったというだけではなく、それが他の事案においても発症の原因となるであろうという程度のものとして、客観性を有することが必要というべきである。そして、右公務過重性は、通常の勤務に従事して差し支えない程度の基礎疾患等を有するものの、現に特に支障なく通常の勤務に就いている職員を基準として(基準職員)、かつ被災者の公務の内容が右基準職員の公務に内在ないし通常随伴する危険性を超える過重負荷であると認めるに足りるか否かを基準として、社会通念によって判断すべきである。

2 公務の過重性

 Nの体重、血圧については特に異常は存せず、脳動静脈奇形については診断対象とはされていなかったことから、知る由もなく、Nは右脳動静脈奇形のほかには、脳出血を招来するような特段の基礎疾患の存在を窺わせるような事情はなかったから、Nの死亡の原因は、専ら右脳動静脈奇形の増悪及び破綻出血の発症に帰着するということができる。

 Nは本件発症当日、登校後朝から頭痛を訴え、特に昼休み頃からは激しい後頭部痛を訴えていたが、これはその頃に脳室部分に露出している脳動静脈奇形から小規模な出血発作が生じていたと推測されるが、右小出血についてはその契機が明らかでない。他方、致命的出血となった午後2時40分頃の大出血については、激しい頭痛を押しての授業がストレスになって血圧を昂進させるものと認められ、N本人も異変を感じており、自主的な治療の契機も存在していたことによれば、少なくとも、公務遂行がNの発症の条件の一つとなっていることは否定できない。

 しかしながら、疾病の発症につき公務起因性が認められるためには、右条件関係をもって足りるものではなく、当該公務に通常内在ないし随伴する危険が当該疾病の発症に相対的に有力な原因となったと認められることが必要であり、この認定のためには、前記基準職員を基準として、(1)疾病の発症前及び発症時の公務内容が同職員に過重負荷となって、(2)これにより当該疾病を発症させたものと判定される必要がある。

 本件発症当日の公務の内容は、何ら日常業務と異なるところはないから、特に過重なものであったと認めることはできない。前年度のNの担任学級は、卒業を控えた3年生であり、かつ非行等の問題を抱えた生徒がいたというのであるが、進路指導及びその関係の書類の作成は3年生の担任であれば誰しも従事する業務である。また問題生徒に対し適宜家庭訪問等を行い指導することも、かなりの頻度で問題が勃発したことが認められるが、常時その処理に追われていたとまでは認められず、同人は教員歴20年を有する経験豊かな教諭であることを考慮すると、特に過重な業務であったとはいえない。Nは、被災前年度から引き続いて学級担任をしているが、2年連続して学級担任を担当すること自体が直ちに過重負荷であるということはできない。英語の担当授業時間は週17時間で、教員の平均的な担当授業数であるから、特に過重な負担ということはできない。更に校務分掌についても、交換留学生の派遣・受入や見学者等の応対などに当たっては、他の教諭に比して重かったものと評価でき、Nがその中で中心的な役割を果たすことも少なくなかったことも窺われるが、同人はこの事務に精通していると窺われるほか、事務処理自体も教諭間で分担が図られていたと認められるから、Nのこれらの負担が殊更に重いものであったとまでは認められない。また、記念誌編集のための写真整理、英語科パンフレット作成についても、自発的準備作業に留まること、勤務時間内に同僚と相談しながら進められていたこと等から、これをもって過重な負荷というに足りない。更に、集団合宿訓練及びクロスカントリー大会は、通常の学校行事であり、Nは他の同僚教員と役割を分担し合ってこれに参加したものであること、昭和58年度はNを含めて8人の教諭がコースを歩いているが、その重点は遅れがちの生徒の指導であって、速歩が要求されるものではなく、いずれの行事も無事に終了することができたものであること等に照らすと、確かにクロスカントリー大会については相当程度の負荷であると認められるものの、基準職員を前提としても、やはり過重な負荷とまではいえない。

 Nの仕事に取り組む姿勢は熱心かつ丁寧で責任感が強いタイプと評価されており、これは公務の遂行について精神的負荷を強める要因と解することができるから、基準職員を基準に公務の過重性を検討する場合に考慮に入れるのが相当であるが、この点を考慮しても、Nの発症前の業務内容は、全体として高校の英語教諭としての日常業務の枠を超えるものではなく、春休み中には研修日として相当期間日常の業務から離れる機会も存したこと、かつ被災年度についてみても、特に新規に未開拓の領域の職務を担当するに至ったなどの特段の事情は認められないのであって、特に過重なものということはできない。

 また、そのような公務の負荷がNの脳動静脈奇形を自然的経過を超えて急激に増悪させたかという観点から検討するに、脳動静脈奇形の破裂の発症率は、それ自体相当に高率である上、発症するか否かの予測に必ずしも高血圧等が関係しているわけではないこと、定期健康診断におけるNの血圧はいずれも正常値であり、いわゆる高血圧症等の異常所見はないこと、このような者の場合は、血圧の変動も通常は極端には及ばないと考えられること、そうであれば、公務外の日常生活上の動作や感情の起伏等による血圧の変動と有意の差を見出し難いこと、証人は、Nの本件発症前の集団合宿訓練やクロスカントリー大会への参加及び連続した家庭訪問等が脳動静脈の奇形を増悪させた要因と考えるべきであるとする一方、脳動脈奇形は職業生活上のストレス等の外、日常生活のあらゆる動作、感情の起伏によって生ずる血圧を含む内圧の変化も増悪、破綻出血の原因となり得るのであって、Nの病状からすればいつ破綻出血をしてもおかしくない状態にあったとし、Nの右奇形の形成の過程について数年で発症時の大きさまでに発達したものとは考えられないとしていること等、Nの基礎疾患の特異性及びその程度を併せ考慮すれば、前示程度の公務遂行に伴うストレス等による血圧の変動ないし昂進が存するとしても、脳動静脈奇形それ自体の増悪に自然的経過を超えて急激に悪化させたものとまで認めることはできない。

 したがって、Nの死亡につき公務起因性を否定し、原告に対し公務外認定をした本件処分は適法である。
適用法規・条文
99:その他 地方公務員災害補償法31条、45条、
収録文献(出典)
判例タイムズ959号101頁
その他特記事項
本件は控訴された。