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地公災基金神戸市支部長(神戸市保母)脳動脈瘤破裂死控訴事件(過労死・疾病)

事件の分類
過労死・疾病
事件名
地公災基金神戸市支部長(神戸市保母)脳動脈瘤破裂死控訴事件(過労死・疾病)
事件番号
大阪高裁 − 昭和62年(行コ)第4号
当事者
控訴人地方公務員災害補償基金神戸市支部長

被控訴人個人1名(原告訴訟承継人)
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1987年09月16日
判決決定区分
原判決取消(控訴認容)
事件の概要
 昭和49年4月から神戸市立保育所において保母として勤務し、5歳児を担当していたTは、昭和50年11月6日、他の2名の保母と保育実施(オルガン伴奏)中に突然意識を失って倒れ、約1時間後に脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により死亡した。

 Tの父親は、控訴人(第1審被告)に対し公務災害認定請求をしたところ、控訴人は公務外災害との認定処分(本件処分)をした。そこで、父親は本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。なお、その後Tの父親は死亡し、Tの母親も死亡したので、その長男である被控訴人(第1審原告)が本件訴訟を承継した。

 第1審では、Tの死亡は高血圧症及び脳動脈瘤の基礎疾病が公務によって急激に増悪し、公務遂行が相対的に有力な原因となっていたとして、本件処分を取り消したことから、控訴人がこれを不服とした控訴に及んだ。
主文
原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第1、第2審とも被控訴人の負担とする。
判決要旨
 地方公務員災害補償法31条に定める「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、公務と右負傷又は疾病との間に相当因果関係のあることが必要であり、単に右職員が公務の遂行時又はその機会に死亡したような場合は含まれないと解するのが相当である。そして、右の相当因果関係があるというためには、公務遂行自体が多かれ少なかれ精神的・肉体的な緊張又は負担を常時伴うものであるから、経験法則に照らして、当該公務遂行自体に当該負傷又は疾病を発生させ、死に至らしめる蓋然性又は危険性があったものと認められることを要する。もっとも、右死亡が公務遂行を唯一の原因とする場合に限らないのであって、被災職員に特定の疾病に罹患し易い病的素因や基礎疾病がある場合にも、公務の遂行によって過度の精神的・肉体的緊張又は負担を来たし、これにより右病的素因を刺激して発病させ、又は基礎疾病を急激に増悪させ、その結果死に至らしめたような場合には、右相当因果関係が肯定され、公務上の死亡と認められると解するのが相当である。

 Tはもともとピアノ又はオルガンの演奏が不得手であったので、昭和49年6、7月頃から週1回自宅で30分ないし40分間レッスンを受け、死亡直前頃にはバイエル70番台まで進んでいたが、ピアノ演奏の技量は初心者の域を出ず、ピアノ又はオルガンの技量にはかなり悩んでいたことが認められる。

 昭和50年11月6日、午前8時頃遅れて出勤し、乳幼児に自由遊びをさせた後、午前9時50分頃から10時45分頃まで同僚保母2名とともに2歳児14名を連れて設定保育を行った。その後所長が全国私立保育園連盟の役員である女性保母を連れて見学に訪れ、Tはその前でオルガンで「まつぼっくり」を弾き始めたが、その数秒後に突然意識を失って後方に倒れ、病院に搬送されたが、発病から約1時間後に死亡するに至ったものである。所長の証言の中には、Tがオルガンを弾き間違え、その後倒れたとの部分があるが、Tがオルガンを弾き間違えた後も演奏を続けたか、Tが弾き間違えた後意識的に演奏を中断したかについては、いずれも記憶がない旨証言する。結局所長の証言のみでは、Tが正常な意識のもとにオルガンの演奏を間違え、その後発症したものと認定するには不十分と言わざるを得ないから、「Tは誰にでも明白といえる曲の引間違いを犯し、急激な緊張の極みの中で、その数秒後に突然倒れたものである」との被控訴人の主張事実はこれを認めることができない。

 Tには、脳動脈瘤という基礎疾病があり、これが破裂したことが直接の死因になったものであるところ、Tの場合、脳動脈自体には動脈硬化が認められないで、本件においては、「一時的な血圧の上昇」により右破裂が生じたものと推認せざるを得ない。Tの血圧値は、昭和49年9月20日測定時に142‾80であったが、30ないし39歳の関西地区在住の女性の平均血圧値は、118.3‾72.7であったことから、Tは軽度であるが高血圧症と認められること、脳血管疾患で死亡した者のうち高血圧の既往のある者が相当数あり、動脈硬化が余り考えられない40歳以前の若年者では特に高血圧が破裂の有力因子となっていること、Tは先天的に血管壁に問題があり脳動脈瘤を生じたところ、前記のとおり軽度ではあるが境界域高血圧により脳動脈瘤は破裂し易い状態にあったことが認められるから、破裂の原因である血圧の上昇とTの高血圧とは全く無関係ということはできないというべきである。

 確かに、Tは昭和50年度に入り、5歳児担当から2歳児担当に変わったことにより、常時精神の緊張と乳児に対する安定した精神の対応が要求され、前年度に比し、より疲労度が増していたであろうことは推認するに難くない。しかし、Tのみが特に過重であったとは認められないし、一般的基準からみても、これが特に過重な労働であったものとは認められない。したがって、疲労自体が動脈瘤の悪化又は破裂にどのように影響するかについては明らかではないが、仮に全く無関係でないとしても、少なくとも右破裂が公務に基づく疲労による悪化であると認めることはできない。

 オルガン演奏の見学者はTの背後2メートルの位置に立って見学していたが、特に後からのぞき見るような動作をしたわけでもなく、他に異常な行動は全くなかったものであるし、所長については、途中でT以外の保母の保育方法に一部介入する行為があったが、これとても所長として当然の行動であり、Tにとって予想外のものではない。Tにとって見学者の見守る中での保育業務は初めてのことではなく、相当の経験を積んできており、当日の見学についても所長から予め知らされていたものであり、その保育内容も特別のものではなく、オルガンによる童謡の伴奏という通常の保育内容であるから、Tにとって特に精神的負担が大きかったものとは認められない。要するに、見学者に後方から見学されることによってTが多少の精神的緊張下にあったことは否定できないが、右状況下においては、Tにとっては通常の保育業務の遂行とほとんど変わらない雰囲気にあったものと認めるのが相当であり、これが極端な精神的緊張下に置かれたものとは到底認め難い。更に、精神的緊張自体が脳動脈瘤の破裂の原因となる可能性のあることは認定のとおりであるが、その割合は4.4%、2.0%又は2ないし6%程度であるから、精神的緊張を原因として右動脈瘤が破裂する可能性は一般的に極めて低いことが明らかである。よって、Tに急激な精神的緊張が襲い、これが原因となって脳動脈瘤が破裂したとする供述又は記載はいずれもにわかに採用し難く、結局Tの死因については、基礎疾病である脳動脈瘤が高血圧症と共に徐々に悪化し、これが自然発生的に増悪した結果、これが破裂するに至った可能性が大であると認めるのが相当である。

 以上の次第で、Tの死亡は、脳動脈瘤の存在及び高血圧症の基礎疾病が、その従事していた公務によって急激に増悪され、右動脈瘤の破裂という結果を招来したことにより発生したものとは未だ認め難く、結局、Tの死亡は公務に起因するものではないと認めざるを得ない。
適用法規・条文
99:その他 地方公務員災害補償法31条、45条
収録文献(出典)
判例タイムズ660号124頁
その他特記事項
(注)本件は、その他(過労死・疾病)「神戸地裁昭和53年(行ウ)16号、1986年11月26日判決」の控訴審