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地公災基金秋田県支部長(公立小学校教員)脳卒中死事件(過労死・疾病)

事件の分類
過労死・疾病
事件名
地公災基金秋田県支部長(公立小学校教員)脳卒中死事件(過労死・疾病)
事件番号
秋田地裁 − 昭和55年(行ウ)第12号
当事者
原告個人1名

被告地方公務員災害補償基金秋田県支部長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1986年12月19日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 Y(大正14年生)は、昭和18年4月教員として採用され、昭和51年4月から大館市立の本小学校に教諭として勤務していた。

 Yはそれまで小学校1年生の担任を持って経験がなかったが、本小学校で初めて1年生の担任を命ぜられたところ、単に教科の指導のみならず、生活指導の面でも神経を遣う必要があった。Yの受持ち学級の生徒数は31名で、週に教科23校時、道徳1校時、学級会1校時、及び正課クラブ1校時の合計26校時であり、勤務時間は週44時間であって、授業日数は、1学期95日、2学期103日、3学期49日の合計247日であった。

 Yは、1年生の担任以外に、図書委員、研究推進委員会委員、学級指導部長の職を担当した(他の教師と比して平均的)ほか、教育委員会の委嘱を受け、昭和51年10月には公開研究会を行うことになっており、自己の教材研究等を自宅に持ち帰って処理するなどしていた。昭和52年度、Yは持ち上がりで2年生の担任となり、多忙な時期は自己の教材研究等を自宅に持ち帰ってすることもあったが、本小学校の勤務にも慣れ、大きな行事もなかったことから、勤務による全体的な負担は前年度より軽減した。昭和53年度、Yは編成替えした3年生の学級を受け持ったほか、研究主任、放送部指導等を担当していた。

 Yは、昭和53年8月19日午前7時50分頃本小学校に出勤し、午前8時30分頃から10時過ぎまで行われた職員会議に出席した。同会議は、二学期を迎えるに当たり、予定されている研究会、行事等について話し合われ、始業式直後の児童会への参加、土曜日における遠足の実施の可否等が議論となった。職員会議でのYの席は、南東の窓際にあり、会議の途中日射が強くなり、Yの背後からガラス越しに日が当たり、Yがカーテンを引こうとしたが、破損していてその目的を達することができなかった。職員会議終了後、30分ほど図書視聴覚部指導部会、更にその後午前11時頃から学年部会が開かれたところ、同部会開始後10分程したところで、Yが突然顔面蒼白になり、直ちに入院したが、同月30日、脳出血のため死亡した。なお、当日の気象条件は、本小学校のプール付近で、午前9時が28度、午後0時20分が30度と測定されていた。

 Yの妻である原告は、Yの死亡は公務に起因するものであるとして、昭和53年9月26日被告に対し、地方公務員災害補償法に基づき公務災害の認定を請求したところ、被告は昭和54年1月4日付けで、本件疾病は公務に起因したものとは認められない旨の決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却されたため、本件処分の取消を求めて本訴を提起した。
主文
1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
 Yは、昭和51年度は他学年の担任と比較して一般的な生活指導や給食指導等に手間のかかる1年生の担任を初めて担当し、しかも同年度は公開研究会の準備等にも意欲的に取り組み、そのため教材研究等を自宅に持ち帰って処理したこともあったというのであり、同人が小学校教師として高年齢であったことを考えると、同年度は公務のため同人に相応の精神的・肉体的疲労が生じたこともあったものと推認することができる。また、昭和52年度、53年度も、研究会の準備等で忙しい時期は教材研究等を自宅に持ち帰って処理することもあり、担任以外にも研究主任等の責任ある校内分掌事務を担当し、昭和53年度の夏休み期間中も各種研究会等に参加していたというのであるから、忙しい時期には同人には相応の精神的・肉体的疲労が生じていたことは推認し得る。

 しかしながら、Yの昭和51年度から53年度までの受持学級の児童数、受持校時数、校内分掌事務の割当は他の教師と比べて格別重い負担を負わせるものではなく、かえって、低学年の担任は高学年の担任より児童を下校させた後の勤務終了までの時間に余裕があり、低学年児童の取扱いも、児童が学校に慣れるに従って軽減されるものと思われ、また右研究会等の準備に忙しい時期は年間を通じて常時あったわけではなく、授業のない日も年間の約3分の1程度あり、加えてYは右期間を通じて病気で学校を休んだことはほとんどなく、自宅から毎日約6キロメートルの道程を自転車で通勤し、毎朝約30分間のジョギングを行い、校内スポーツ試合にも参加するなど外観上は極めて健康的な生活を送っており、同僚や家族の中にも同人の健康状態に異常を認めたものはいなかったというのである。そして、Yは夏休みに入ってから自宅で休養を取り得る日もかなりあり、夏休み期間中に研究会等に参加することによって生じた疲労が、休日等において回復されることなく蓄積していたとも考えられない。更にYの血圧測定値を見ても、本小学校への転勤前後で急激な変化は認められず、Yは高血圧の治療を受けながら、自らの意思で治療を止めており、医師からも労働軽減の注意はなされていないのであって、これらの事情を考慮すれば、Yの本小学校での右の期間の公務が、同人の高血圧症を増悪させるような内容、程度であったこと、すなわち過度の長時間にわたる精神的緊張を伴うものであったり、過激な勤務ということはできないというべきである。

 原告は、昭和53年8月19日の会議の緊張、興奮及び酷暑下で直射日光にさらされたことにより、高血圧症の基礎疾病を有するYにおいて、極度の不快感とストレスを高じさせ、脳卒中を発症させた旨主張する。Yの職員会議での主な発言は、教頭の提案に対する反対意見であり、また当日は蒸し暑さのため不快感を感じさせる気象状況であったところ、職員会議の最中Yの背後からガラス越しに同人に日が当たったこともあったというのであるが、他方、右職員会議は二学期の行事予定等の打合せを目的にしたものに過ぎず、殊更緊張を強いるような状況で進行していたとは考えられない上、Yと教頭との間で議論の応酬があったわけではなく、結局始業式の日程についてはYの意見が採用され、遠足の件については生活指導部による後日の検討に委ねられたのであるから、Yが特に激しい精神的緊張、興奮に陥っていたものとは考えられず、また当日の気温は夏の日としては格別高かったものとはいえず、全般的には薄曇りであり、右職員会議から本発症まで約1時間20分を経ている上、右会議中も含めてYが体調の異常を訴えたこともなく、外見上も特に変わった様子も見られなかったのであって、右気候条件のもとでYの背後に日が当たったことが、Yの体調に何らかの影響を与え、本発症に至らしめたとは考えられない。

 本態性高血圧症については、降圧剤の服用を中止すると、かえって高血圧症が増悪するという、いわゆるリバウンド現象が生ずることもあるといわれているところ、Yは昭和53年3月を最後に、自らの判断で通院を止め、以降降圧剤の服用をしていないこと、Yは昭和49年に薬物療法を受けるまでは治療を受けたことはなかったこと、更に脳卒中の発症には個人差があり、通常脳卒中発症の直接の要因については医学的に判定することは困難であるとされていること等の事情もあり、Yの脳卒中の発症は、同人の長年にわたる高血圧症が動脈硬化等の脳血管の病変を形成し、こうした病的素地の自然的推移の過程において、たまたま公務遂行中に起こったと推認されるのであって、Yの脳卒中による死亡を公務に起因するものと認めることはできないというべきである。

 以上によれば、Yの死亡を公務に起因したものとは認められないとした被告の本件処分は適法である。
適用法規・条文
99:その他 地方公務員災害補償法24条、25条、31条、45条
収録文献(出典)
判例タイムズ629号143頁
その他特記事項
本件は控訴された。