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N社タイピスト解雇事件
- 事件の分類
- その他
- 事件名
- N社タイピスト解雇事件
- 事件番号
- 東京地裁 - 昭和51年(ワ)第9886号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 株式会社 - 業種
- 卸売・小売業・飲食店
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1980年12月17日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却
- 事件の概要
- 被告は、レコード、図書、運動用具、教育用機材等の委託製造及び通信販売を主たる業務とする株式会社であり、原告は昭和37年5月、被告の前身であるV社に和文タイピストとして雇用され、それ以来、営業譲渡、会社組織の変更の前後を通じてタイピストとして勤務してきた女性である。
原告は、入社後昭和41年5月頃までの間ステンシルカードにタイプ打ちする作業、同年6月から昭和42年12月まで社内配布用文書をタイプ打ちする作業、昭和43年1月から同年3月末までの間タイプ打ち作業にそれぞれ従事したが、昭和43年1月頃から肩の凝りや頭痛、目がかすむといった自覚症状を覚えた。原告は、昭和45年初めから昭和47年1月頃までの間校正の作業に従事したところ、その間は肩凝り、頭痛等の症状を感じなかったが、同年2月から5月頃までの間、筆耕担当者としてカードの手書き作業、翌6月から11月頃までラベルの宛名書きの作業に従事したところ、手首の痛みや肩の凝りを感じるようになった。原告は同年11月半ばから昭和48年3月末まで産前産後休暇を取り、産休明けの同年4月からカードの手書き作業、ラベル書き、校正の作業に従事したところ、同年5月半ば頃から再び手首の痛みを感じるようになり、その痛みが激しくなった。そのため原告は、同年8月31日以降会社を欠勤して診察を受けたところ、右拇指腱鞘炎との診断を受け、同年9月8日から療養生活に入った。同療養生活に入ってからの治療後の経過は順調で、同年12月下旬には半日勤務での職場復帰が可能な状態となり、昭和50年7月下旬には前記各症状はほとんど消失して、毎週1回治療を受け、連続手指作業は1時間以内とし適度の休憩時間を設ければ通常の勤務も可能な状態となった。
被告就業規則では、業務外の傷病にて引き続き1ヶ月以上欠勤したとき会社は休職を命ずることができ、1年の休職期間が満了したときは、30日前に予告するか30日分の平均給与を支給して解雇することができるとされているところ、被告はこれらの規定に基づいて、昭和49年3月14日付けをもって原告を解雇した。
これに対し原告は、本件疾病は業務上の事由によるものであるとして、雇用関係の確認及び賃金の支払いを請求するとともに、業務上の疾病のため欠勤したときに支払われるべき疾病手当の支払いを請求した。なお、原告は、昭和49年1月26日、労働基準監督署長に対して労災保険法に基づく保険給付の申請を行い、同署長は同年6月13日、保険給付の支給決定を行っている。 - 主文
- 1 原告が被告に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを2分し、その1を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 原告の疾病とその発症時期
原告は、昭和48年5月頃から肩や背部の痛み、手首、右拇指の痛み等が発症し、初診時においても右拇指手根部分の自発痛及び圧痛が認められていたほか、自覚症状として、右肩の痛み、右頸部の凝り・だるさ、右背部のだるさ・痛み、目のかすむこと等が訴えられており、また他覚症状として両肩筋硬結が認められていたものであって、右拇指部の痛み以外の症状はいわゆる頸肩腕症候群の症状と一致すると認められる。そして、原告の症状は初診当時から「右拇指腱鞘炎及び頸肩腕症候群」と診断名を付するのが正確であったが、整形外科で拇指腱鞘炎を集中的に行ってもらうため、診断名を「右拇指腱鞘炎」と記載することになったこと、治療に当たった医師も専らその治療に当たったこと、その結果1ヶ月経過した10月下旬頃には腱鞘炎の症状は軽快したが、なお頸肩腕症候群の症状が強く残っていたのでその治療も行うようになったこと、また診療録の傷病名欄には9月26日付けで「頸肩腕症候群」の病名が付されていることが認められる。これらの事実によれば、原告は昭和48年9月5日の初診時以来、「腱鞘炎及び頸肩腕症候群」に罹っていたと認めるのが相当である。
2 原告の疾病と業務との関係
腱鞘炎は日常の家事労働によっても発病する例が多く、特に産後の主婦に発病例が多いこと、原告は昭和47年12月25日に第一子を出産し、産後休暇の間の育児・家事労働は主として原告が担当していたこと、同年6月下旬第二子を妊娠2ヶ月で流産していることが、それぞれ認められる。したがって、原告の本件疾病が、これらの育児・家事労働に起因するものであって、第一子出産ないし第二子懐胎を契機として発症するに至った可能性のあることは否定できない。また、本件疾病について業務に起因する疾病である可能性を示唆する事実が存在するだけでは、いまだ原告の本件疾病が被告における業務に起因すると積極的に認定することもできない。
労働省労働基準局長昭和50年2月5日通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(基発第59号)によれば、頸肩腕症候群について業務上の疾病と認定すべき基準として、(1)上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業を主とする業務に相当期間継続したこと、(2)業務量が同種の他の労働者と比較して過重であるか又は業務量に大きな波のあること、(3)頸肩腕症候群の症状の見られること、(4)その症状が当該業務以外の原因によるものでないと認められること、(5)当該業務の継続によりその症状が持続するか又は増悪の傾向を示すことを挙げている。
これを原告についてみると、原告は昭和47年11月13日から昭和48年3月末日まで産前産後休暇を取っており、本件疾病発病前に継続して筆耕作業に従事した期間は5ヶ月足らずであり、ボールペンを用いた複写式伝票記入作業に2ないし4ヶ月従事したことにより頸肩腕症候群に罹った事例もあることから、原告の本件疾病が被告の業務に従事したことにより発病した可能性を否定することはできないにしても、なお右程度の期間をもって積極的に業務に起因すると認定するについて十分な作業従事期間があったというには疑問がある。
産休明けの昭和48年4月以降、それ以前と比較して筆耕作業量が増加していることは認められるものの、被告における標準作業量との対比においては、なお原告の作業量ははるかにこれを下回るものである。また、被告においては筆耕担当従業員に対し一定期間内(1時間又は1日、1週間当たり)における業務達成寮を義務付けることは行われておらず、原告ら筆耕担当従業員は、各人の業務量が昇給、一時金支給等の査定に影響するという点を除けば、過重な筆耕作業を強制されるといったことはなく、残業して筆耕作業に従事することもなかったことが認められる。したがって、原告の従事した業務量が頸肩腕症候群発症の原因となったといい得るほど過重なものであったかどうかについては、なお疑問が残る。
欠勤後(昭和48年8月31日以降)、同年9月中旬から右拇指腱鞘炎に対し局部注射等の治療を行い、同年10月中旬からは肩筋硬結に対する鍼・灸治療を併用したもので、右治療の結果、右拇指付根部分の疼痛は同年10月中旬に軽快したが、本件疾病の症状がほとんど消失したのは昭和50年7月中旬であって、全く業務を離れていたにもかかわらず、症状消失に至るまで欠勤以後1年10ヶ月を要している。したがって、なお他の原因を疑う余地がないわけではない。以上のとおり、原告の頸肩腕症候群について、前記認定基準に従って検討を加えた場合、これを業務上の疾病と認定することができるかどうかについては、なお多分に疑問の余地がある。以上検討したところによれば、原告の本件疾病と業務との関係については、これを被告における業務以外の事由に起因すると認定することも、また被告における業務に起因すると認定することもできないといわなければならない。
右のとおり、原告の疾病についてはこれを業務外の疾病と認めることはできないのであるから、本件休職処分は、原告の本件疾病の原因についての判断を誤ってなされたものであって、就業規則に定める要件を欠き無効である。したがって、右休職処分が有効であることを前提にしてなされた原告に対する本件解雇処分もまた無効であり、原告は被告に対し雇用契約上の地位を有するものといわねばならない。
3 金員請求について
原告が給与規定によって疾病手当を受けるためには、原告の欠勤が業務上の疾病に基づくものであることが必要であるところ、原告は欠勤直後の昭和48年9月5日当時「腱鞘炎及び頸肩腕症候群」に罹っていたものであるから、結局原告の前記疾病手当請求が理由があるというには、右疾病が被告における業務に起因するものと積極的に認定されることが必要である。しかしながら、原告の本件疾病については、これを積極的に業務上の疾病と認めることもまたできないのであるから、原告の疾病手当の支払請求は理由がないものといわなければならない。(なお、本件疾病が完治して原告が通常勤務に就労可能となった時期以降の賃金については、被告が原告の従業員たる地位を否認してその就労を拒否していたため就労義務の履行ができなかったものであるから、原告はなお賃金請求権を失わないものと解するのが相当である。) - 適用法規・条文
- 99:その他 労災保険法
- 収録文献(出典)
- 労働判例354号22頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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