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長野県職員頸肩腕症候群公務外認定処分取消請求控訴事件
- 事件の分類
- 職業性疾病
- 事件名
- 長野県職員頸肩腕症候群公務外認定処分取消請求控訴事件
- 事件番号
- 東京高裁 - 昭和55年(行コ)第114号
- 当事者
- 控訴人地方公務員災害補償基金長野県支部長
被控訴人個人1名 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1986年06月23日
- 判決決定区分
- 原判決破棄(控訴認容)
- 事件の概要
- 被控訴人(第1審原告)は、高校卒業後の昭和34年4月、S村役場職員として採用され、その後の合併により長野市職員となった女性である。
被控訴人は、市民係、戸籍係として各種届の受付け、証明書の交付、お茶の接待などを行っており、はボールペンで届出人複写式の届出書をなぞり書きすることもあって手指の負担が増大した。被控訴人は、昭和42年に篠ノ井支所仮庁舎勤務になってから、肩凝り、後頭部、足腰の痛み、手指・腕の痺れ、生理痛などの症状を覚え、昭和46年4月から中学校で一般事務に従事するようになったが、同年11月に「神経症、頸肩腕症候群」との診断を受けて、昭和47年3月まで自宅療養した。その後一旦は復職したが、「頸肩腕症候群、背腰痛症、自律神経不安定症」と診断され、昭和49年9月末まで自宅療養した。
被控訴人は、昭和48年2月22日、控訴人(第1審被告)に対し公務上の災害であることの認定を求めたが、控訴人は同49年4月10日付けで公務外の災害と認定する処分(本件処分)をした。被控訴人は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却されたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
第1審では、頸肩腕症候群が公務上の災害と認められる要件としての業務量の相対的過重とは、作業量と個体の体力のアンバランスから発生したと認められればそれで足りるとして、被控訴人の疾病を公務上の災害と認めたことから、控訴人はこれを不服として控訴に及んだ。 - 主文
- 原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。 - 判決要旨
- 1 公務災害の認定基準
地方公務員災害補償法にいう災害が公務により生じたものとは、災害と公務との間に相当因果関係のあること(公務起因性)が必要であると解するのが相当である。そして、労働省労働基準局長が、労災保険における業務上外認定基準として「キーパンチャー等手指作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達を昭和44年10月29日に発し、更にその後右通達を再検討して昭和50年2月5日付通達をもって右認定基準の改定を行ったところ、地方公務員災害補償基金理事長は、前記通達の趣旨に則り、地方公務員の公務上の災害認定業務における認定基準並びにその細目を設け、同基金の各支部長に対し認定業務の指針を与えていることが認められる。而して、本来、公務員の災害(疾病)と私企業における業務上の疾病との間に本質的差異がある道理はないし、かつ、前記通達ないし理事長通知は、現時点において最も新しい医学的常識に即した認定基準を設定したものと考えられることからすれば、これを合理的認定基準として斟酌するのを相当と考える。もっとも、被控訴人の従事した公務の内容は、右通知・通達のいうところの「キーパンチャー等その他上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主とする業務」には該らないが、
右通知・通達等が掲げる相当因果関係判定上の合理的基準(例えば、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び業務量、身体的条件等についての具体的数値)そのものについては、本件においても可能な限り斟酌されるべきであると解するのが相当である。
2 業務量の過重の有無
一般的な事務作業に従事する者であっても、前記通知・通達の趣旨に沿って考えてみると、業務量が同種の他の公務員に比較して過重である場合、又は業務量に大きな波がある場合には、当該公務と疾病との間に因果関係を肯定すべき場合のあり得ることは否定できないから、このような観点から被控訴人の従事した公務の作業量について検討する。
先ず、篠ノ井支所市民課市民係1人当たりの担当業務量は1日当たり30件前後であり、住民異動届におけるカーボン5枚複写等の作業量は2件前後であって、いずれも決して過重な作業量とはいえない。中学校図書館司書勤務は、どちらかといえば閑職ともいうべきであって、他方学校事務は補助金申請事務が4、5月に集中するが、これも時間外勤務を要するほどの業務量とはいえない。被控訴人の同中学校勤務期間中の時間外勤務は、昭和45年6月に6.25時間、同年10月に6.75時間に過ぎなかったことが認められるから、被控訴人が支所及び中学校において従事した公務の業務量は、同種の他の公務員に比較して特段過重であったと認めることはできない。
被控訴人は、本症の公務起因性の判断に当たっては、標準的業務量ではなく、認定を受けるべき者にとって適切な業務量を基準として過重であったかどうかを判断すべきであると主張する。確かに、現実の業務量とそれに従事する者にとっての適切な業務量との間の不均衡が原因となって当該公務に潜在する危険性が顕在化し発症ないし増悪に至ったと明らかに認められる場合には公務起因性が肯定されるべきであるとする一般論をいう限りでは、所論は必ずしも失当とはいえない。しかし、業種にもよるが、標準的な業務量に比較して過重な業務負担認められる場合の発症例については、その負担過重が有力な発症原因となったものと推認し易いが、逆に、単に公務従事期間内に発症し、他に発症原因と思料される事由を見出し得ないことのみから、発症原因として指摘するに足る程の業務量の過重性を遡って推認するわけにはいかないことは、頸肩腕症候群についての発症の機序が必ずしも十分に明らかではなく、医学上原因不明とされる症例も極めて多いことに思いを致すとき、見易い道理というべきである。そういう職種にそういう分量・態様で従事していれば、発症してもなるほど無理はないと納得し得る場合であって初めて、疾病の公務起因性、公務との間の相当因果関係が肯定されることになるのであって、かかる一般的基準によらないで、標準的業務量とは無関係に、業務の個体にとっての不均衡を個別的に認定し、相当因果関係を肯定しようとすることは、一般とは明らかに異なる加害要素を指摘し得る特段の事情の存しない限り、困難となることはやむを得ないところである。そして、業務の内容が一般的混合事務の域に留まり、その業務量においても時に多少の繁忙さはあるにせよ全般には格別の加害性は認め難い本件においては、積極の結論を導き出し得るには至らなかったところである。
3 本症と公務との関連性について
いわゆる「頸肩腕症候群」とは、種々の機序により、後頭部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれか、或いは全体にわたり「こり」、「しびれ」などの不快感を覚え、他覚的には当該部所筋の病的な圧痛及び緊張若しくは硬結を認め、時には神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全などの症状をも伴うことのある症状群に対して与えられた名称である。従って、それは確定診断を意味するものではなく、それを目指す仮の診断とされるのが一般である。ところで、昭和30年以降社会問題となりつつあるといわれるタイピスト・キーパンチャー等に多いとされている頸肩腕症候群は、上肢を主として使用する作業労働者に見られる障害であって、全身を均等に使わない状態が持続したときに不定愁訴が加わって心身共に不健康な状態を来した病理といわれている。
本症について被控訴人を診断・治療した医師の1人であるU医師が、本症につき公務起因性を肯定すると判断した理由として、(1)被控訴人が従事した公務が上肢作業であること、(2)同人が従事した業務量、(3)同人の従事した職場環境並びにこれらに加え、本人の病歴、治療内容等を総合して判断したというものである。しかしながら、公務災害認定上、上肢作業従事者とは、その従事する作業が主として手指作業その他上肢を過度に使用する業務に従事する者をいうと解すべきであって、被控訴人については、本人の従事した公務に一部上肢作業の含まれていたことは疑いないところとはいうものの、それは全業務のうちの一部であって、主たる内容をなすものではなく、業務全体としては、種々の業務が満遍なく包含させられるところの一般混合事務に属するというべきであって、本人の従事した公務を上肢作業というのは当たらないのである。
次に、M医師の証言によると、被控訴人の従事した公務は一般普通事務ではあるが、長期にわたる労働負担が本人に過労状態をもたらしたこと、更にそのことが本人の精神緊張と筋緊張を助長し、それらの複合的な集積が本症の発現を促したものと認められるから、被控訴人の本症は同人の公務に起因するものであるというのである。しかし、本症につき公務起因性の有無が問題とされているのは、公務と本症との間に医学上の関連性があるかどうかということにとどまらず、公務が本症発現の主たる原因ないし相対的に有力な原因となっているかどうかという観点からの判断でなければならない。そうだとすれば、当該本人の従事した公務の内容、量、執務環境等が果たして本症発現の有力な原因となし得る程度に達しているかどうかの判断が重視されるべきところ、同証人が本症の公務起因性を肯認し、その理由付けの基礎資料としたとされる被控訴人の業務量、執務環境、疲労度等は、本人の言い分をそのまま取り入れたに等しいものであって、そこに十分な吟味の加えられた形跡は認め難く、同証人の証言もたやすく採用し難い。
本症の発病ないし治癒の各経路は現在なお臨床上必ずしも明らかとはいえないとされているところであって、患者の自覚的愁訴のみ多彩・頑固で、しかも他覚的所見を欠くことが少なくなく、確かに上肢を繁用する集団に本症がより頻発していることは確実であるが、臨床統計上、本症患者のうち、学生・主婦の占める比率が却って高いことを示しているのであって、本症発病の因子として肩甲骨屋上肢への過重負荷以外の要素を考慮しなければならないといわれる。一般に、30歳前後の未婚の女性に本症発症率が極めて高いが、従事する作業内容が各種の動作を含む職種、いわゆる一般混合事務従事者にはむしろ本症の発病は考えにくいものとされている。更に、本症発病後、職場で配置転換されたにもかかわらず3ないし6ヶ月経過してもなお本症の障害を訴える者は、労働の過重によるというよりも本人の病的素因を重視するのが妥当であること、換言すれば、当該本人はその種の労務に従事しなかったとしても本症が発症し、継続した可能性がはるかに大きいといえるものである。また、本性の発症と診断された患者を10年後再検診したところ、背部症状や上肢症状を除いて実に5割ないし6割以上の人が症状の不変ないし増悪を訴えている臨床統計が発表されていること等からみても、本症については、治療期間を延ばせば治癒するという関係にはなく、或いは症状内容と疾病の重症度(難治性)との間にも関連性がないというのが本症の特徴であると臨床医家の指摘するところである。
右に認定したことに加え、被控訴人の従事した公務における作業の態様及び作業量、執務環境等並びに本症発症の経緯等につき既に認定した事実関係に照らすと、本症の発症原因に公務の関連していることを全く否定することはできないが、公務への従事が、相対的に有力な発症ないし増悪の原因としての意味を持つ程のものとは到底認め得ず、ひっきょう、本症は、本人の身心上の資質・因子を主たる基盤とし、これに公務への従事その他日常生活上の諸要因が肉体的・心理的に絡み合って発症したものとしか受け止められない、いわゆる狭義の頸肩腕症候群の一症例に過ぎないといわざるを得ないのである。すなわち、本症の発症と公務との間には相当因果関係は認められないとするのが相当である。 - 適用法規・条文
- 99:その他 地方公務員災害補償法26条、45条
- 収録文献(出典)
- 判例時報1208号126頁
- その他特記事項
- 本件は上告された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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長野地裁 - 昭和52年(行ウ)第2号 | 認容 | 1980年05月30日 |
東京高裁 - 昭和55年(行コ)第114号 | 原判決破棄(控訴認容) | 1986年6月23日 |