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看護助手C型肝炎罹患事件

事件の分類
職業性疾病
事件名
看護助手C型肝炎罹患事件
事件番号
大阪地裁 - 平成11年(ワ)第6678号
当事者
原告個人1名

被告医療法人K会
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2004年04月12日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(控訴)
事件の概要
 被告は、被告病院を設置・経営する医療法人であり、原告(昭和48年生)は、平成4年3月に被告に雇用され、被告病院の脳外科及び外科において看護助手として勤務する傍ら、同年4月から看護専門学校准看護科に通学していた女性である。

 平成4年9月17日午前11時頃、被告病院の集中治療室において、脳内出血を発症して救急搬送されてきた男性患者(本件患者)がせん妄状態に陥り、ベッド上で激しく暴れたため、主任看護師の指示により原告が数人の看護師とともに本件患者の体を押さえつける作業をし、本件患者の左肩と左肘関節付近を手で押さえたところ、いきなり左前腕部を噛まれ、出血するという傷害を負った(本件事故)。

 同月19日、本件患者がC型感染ウィルス(HCV)に感染していることが判明したため、原告は上司の指示により採血検査を受けたところ、HCV検査の結果は陰性と判断され、更にその3ヶ月後の再検査でも陰性と判断された。しかし、原告は、平成5年3月上旬頃から高熱、倦怠感といった症状が出始め、同月9日に入院したが、翌10日劇症肝炎と診断され、翌11日、K大学附属病院においてC型肝炎を発症していると診断された。原告は、平成5年10月19日から平成7年2月14日までK大学附属病院に入院した際、敗血症を発症していると診断され、以後、発熱、腹痛等の症状を訴えて、複数の医療機関に長期間入院して治療を受け、平成14年2月26日まで入院した。

 原告は、労働基準監督署長から、平成6年6月20日、C型肝炎罹患が業務上災害に当たると認定され、労災保険から、療養補償給付713万円余、休業補償給付231万円余、傷病補償年金969万円余のほか、障害厚生年金1045万円余の支給を受けた。

 原告は、本件疾病は被告の過失又は安全配慮義務違反により発症したものであるとして、主位的には不法行為に基づき、予備的には安全配慮義務違反を理由に、原告に生じた損害について、被告に対し、休業損害、逸失利益、入通院慰謝料、後遺障害慰謝料、弁護士費用等合計1億2300万円余の損害賠償を請求した。
主文
1 原告の主位的請求を棄却する。

2 被告は、原告に対し、2556万5405円及びこれに対する平成11年7月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3 原告のその余の予備的請求を棄却する。

4 訴訟費用はこれを5分し、その1を被告の負担とし、その余を厳酷の負担とする。

5 この判決は第2項に限り仮に執行することができる。
判決要旨
1 被告の不法行為責任(主位的請求)について

 原告は、主位的に、法人である被告に対して、民法709条の不法行為に基づく損害賠償を請求している(原告は被告の使用者責任を請求するものではなく、民法44条に基づく被告の理事の故意又は過失について主張・立証もしていない)が、法人の不法行為責任については、我が国の実定法上、民法44条ないしは715条によるほかないと考えられ、法人について同法709条による直接の不法行為責任を認めることは困難と解される。したがって、原告の主位的請求は失当である。

2 被告の債務不履行責任(予備的請求)について

 使用者は、雇用契約上の付随義務として、労働者が労務提供のため設置された場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、その職種、労務内容、労務提供場所等の具体的状況等に応じて、労働者の生命、身体等を危険から保護するように配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っている。そして、原告が勤務していた病院等の医療現場においては、医療機関としての性質上、様々な身体・精神症状を呈する患者を受け入れ、その治療のために種々の医療器具や危険な薬品を使用したり、急患等の緊急事態にも対応する必要があるなど、患者のみならず、診療・看護に従事する職員にも危険が生ずる場合があり、特に、常に病原体による感染の危険に晒されているのであるから、使用者にあっては、管理体制を整え、適切な感染予防措置を講じるなど、被用者が安全に業務に従事できるように配慮すべき義務があるというべきである。

 患者の抑制は、医師の指示に基づき、看護師(ないしその指示に基づく准看護師)が行うのが原則であるが、本件においては、原告は、主任看護師の指示に従い、他の看護師とともに本件患者の身体の一部を抑えるという抑制作業の補助をしたに過ぎないものと認められ、したがって、原告に本件抑制作業の補助をさせたことをもって、保健師助産師看護師法31条1項あるいは32条に違反するものとは認められない。しかしながら、抑制は、その手段・方法を誤ったり、患者が抑制に抵抗した場合には、当該患者のみならず、抑制作業従事者にも危険が生ずるおそれがあり、また錯乱状態に陥って暴れている患者を抑制する場合はもとより、無意識状態にある患者を抑制する場合にも同患者が思わぬ行動に出て、抑制作業従事者が危害を加えられるおそれもあるというべきである。そして、患者の中には病原体に感染している者もいるのであるから、抑制作業中に創部に触れて感染する等、抑制作業に従事する職員が病原体に感染するおそれも否定できない。したがって、使用者としては、このような抑制作業に伴う危険性に配慮し、看護師・准看護師以外の知識・経験を有しない被用者に抑制作業の補助を命ずるに当たっては、あらかじめ抑制の方法やその際の基本的な注意事項を説明するなどの教育を施し、また抑制作業に習熟していない無資格者に対しては、重大な感染症に罹患している患者やせん妄状態にあって暴れている患者等、その抑制作業に伴う危険が大きい患者に対する抑制作業については、その補助を命ずるべきではないと考えられる。

 本件においては、原告は、本件事故当時、看護専門学校に通学する傍ら被告病院に勤務してから約半年しか経過しておらず、それまで抑制作業に従事したこともなく、また看護専門学校で抑制の方法やその場合の注意事項等を学んだこともなかったのであるから、このような原告に対しては、せん妄状態に陥りベッドで激しく暴れている本件患者に対する抑制作業の補助を命ずるべきではなかったと認められる。そして、被告において、このような患者に対する抑制作業に原告を従事させれば、原告が本件患者から暴行を受けて傷害を負い、それにより何らかの感染症に罹患することもあり得る事を十分に予見できたと認められる。

 以上によれば、被告は、被用者である原告に対する安全配慮義務を怠り、原告をして本件患者に対する抑制作業の補助をさせた結果、本件事故が発生したのであるから、民法415条に基づき、本件事故によって原告が被った損害を賠償すべき責任がある。

3 本件事故と原告のC型肝炎、劇症肝炎、敗血症発症との因果関係について

 原告は、C型肝炎ウィルスに感染していた本件患者に左前腕部を噛みつかれて出血を伴う傷害を負い、その傷口から本件患者の唾液に含まれていたC型感染ウィルスが原告の体内に侵入し、その結果、原告がC型肝炎を発症したものと推認することができる。なお、原告が本件事故によりC型肝炎ウィルスに感染したとすると、本件発症は約180日後であり、C型肝炎ウィルスの通常の潜伏期間を超えたものといえる。しかしながら、(1)稀ではあるが、潜伏期間が6ないし9ヶ月という症例も報告されていること、(2)C型肝炎発症患者については、発症前1ないし6ヶ月間の輸血、注射・手術、針刺事故、鍼治療歴等、血液との接触に関わる病歴の聴取の重要性が指摘されていること、(3)唾液中のC型感染ウルスの量は血液中のそれよりも少ないことから、被感染者に免疫反応が起こるのに必要なウィルス量に増殖するまで時間を要した可能性があると指摘されていることを考慮すると、感染から約6ヶ月後にC型肝炎が発症することも十分あり得ると認められ、発症までの期間をもって本件事故との因果関係を否定することはできないというべきである。

 前記症状の経過に加え、発生頻度は多くはないものの、C型肝炎が劇症化することがあるとされていること、原告については、平成5年3月11日にK大学附属病院において行われた検査で、A型肝炎及びB型肝炎の罹患は否定されており、C型肝炎以外に劇症肝炎発症の原因は考え難いことなどを考慮すると、本件劇症肝炎は、原告が本件事故により感染したC型肝炎が劇症化したものと認めることができる。

 原告は、劇症肝炎発症に引き続いて敗血症の症状を呈するようになったものであり、それ以前には敗血症と診断されたことも、敗血症を窺わせるような症状を発症したこともなく、食事も普通に摂れていたところ、(1)K大学附属病院において原告の発熱の原因について検査が行われた際、注腸等で異常は認められず、発熱時に下痢や腹痛といった消化器症状は認められなかったが、肝臓免疫機能低下による敗血症及びそれによる発熱と診断されたこと、(2)O大学附属病院において、原告の敗血症について、肝臓も何らかの形で関与していると考えられていたこと、(3)その後受診した病院において慢性活動型C型肝炎、免疫力低下による炎症性腸疾患と診断され、劇症肝炎後肝機能障害、敗血症、劇症肝炎免疫不全症等と診断されたことなどを考慮すると、本件事故によりC型肝炎に罹患し、それが劇症肝炎となり、更にそれが原因となって敗血症を発症したものと推認できる。

4 原告の後遺症害の内容・程度について

 原告は、前記症状固定時において、主としてC型慢性肝炎、敗血症の症状を残して症状が固定したものであるが、その後においても、敗血症に伴う発熱、免疫機能の異常低下等の症状を再発させたり、神経因性膀胱が原因と考えられる慢性尿路感染症を発症するなどして入院又は通勤治療を続けていること、C型肝炎については慢性肝炎に移行後は自然治癒する例は極めて稀となり、その症状は徐々に進行して肝硬変に進行する確率が高く、肝硬変に至った場合は肝細胞癌を合併することが多いとされていること、原告が受けているインターフェロン療法の治療効果は、HCVの遺伝子型、治療開始前のHCV量等と関連し、効果を発揮しない場合が少なからずあることが認められる。

 一方、原告については、平成14年3月にO大学付属病院の医師から、血液検査上も著変が認められず、看護専門学校への復学も可能と診断され、重労働以外の作業であれば就労可能とされたこと、また同病院神経科の他の医師は、原告について、心因性疼痛等の精神疾患に罹患しており、原告の就労能力は、通常人に比し、一定の制限を受けていると判断していたことが認められる。以上の外、原告は長期間の入院生活のために身体的には老人のレベルと変わらないと指摘されたことがあることなどを考慮すると、原告の前記後遺障害は、後遺障害等級表第9の7の3(「胸腹部臓器の機能に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」)に相当すると認められる。

4 素因減額について

 原告は、本件事故によりC型肝炎ウィルスに感染して以来、長期間の入院等の治療を受けた後、後遺障害を残して症状が固定するに至ったものであるが、原告については、(1)入院中、錯乱状態に陥ったり、治療を拒否し自殺を図ろうとするなどの問題行動を起こしたりするなど、その抑うつ傾向、情緒不安定、神経症的ヒステリー等の精神的側面が問題視されていたこと、(2)O大学附属病院の医師から、心因的疼痛、虚偽性障害、人格障害、詐病等の疑いがあると診断されたこと、(3)平成14年3月の時点において、O大学附属病院の医師から、原告の就労能力に関しては、身体的な面よりも精神的な面が問題であると指摘されていたこと、(4)一部の入院については、自傷行為による可能性を指摘されたり、神経因性膀胱が原因と考えられる尿路感染症を発症したことなどを考慮すると、前記の原告の気質、性格傾向といった心因的要因が原告の症状及び治療の遷延化並びに後遺障害として残存する症状の内容・程度に影響を及ぼしていることは否定できないと認められる。したがって、本件においては、損害の公平な負担を図るため、民法418条を類推適用して、素因減額をするのが相当と判断するが、前記諸事情に加え、18歳ないし19歳という若さでC型肝炎ウィルスに感染し、それが劇症化して一時は生命も危ぶまれる状態に陥り、そこから回復したものの、治癒することがほとんど期待できず、しかも肝硬変、肝臓癌に進行するおそれの強いC型慢性肝炎となったほか、慢性的な敗血症の症状が続き、入院及び通院が長期化したことなどから、投げやりな気持ちとなったり、治療に非協力的になったりし、あるいは精神的疾患の症状を呈するようになったこと等を一概に非難することはできない側面があることを考慮すると、本件においては、原告に生じた損害の全体から20%控除するのが相当である。

5 損害額について

 治療関係費7170万6677円(原告請求分240万1255円、労災支払分6930万5422円)、入院雑費266万2400円、休業損害1708万9148円、後遺障害に伴う逸失利益2607万1496円、入通院慰謝料800万円、後遺障害慰謝料600万円が相当である。原告については、前記のとおり、20%の素因減額を行うのが相当であり、労災保険から療養補償給付の支給を受けており、これと同一事由に基づく損害と認められる治療関係費及び入院雑費は補填されたことになるから、素因減額後の損害額は、総額2326万円、弁護士費用は230万円と認めるのが相当である。
適用法規・条文
02:民法 415条、418条、709条
収録文献(出典)
判例時報1867号81頁
その他特記事項
本件は控訴された。