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タイピスト頸腕症候群事件
- 事件の分類
- 職業性疾病
- 事件名
- タイピスト頸腕症候群事件
- 事件番号
- 東京地裁 − 昭和44年(ワ)第10947号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 放送協会 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1973年05月23日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(双方控訴)
- 事件の概要
- 原告(大正7年生)は、昭和9年に女学校を卒業し、昭和13年から14年にかけて、経理女学院本科、日本タイプライター邦文タイピスト養成所を卒業し、昭和16年6月、被告の前身である社団法人日本放送協会に雇用され、昭和16年9月から昭和31年2月20日まで(昭和25年6月被告設立に伴い被告職員となる)、専らニュース原稿のタイプ作業に従事していた。
原告が被告報道部に在勤した間の戦時下において、報道部タイピスト12名前後が、1週日勤(午前9時から午後5時まで)週3日、夜勤(午後3時から午後10時まで)3日、休暇1日の二交替勤務を取り、デスクから廻って来るニュース等の放送原稿をタイプしていたが、例外的な場合を除き、残業や休日出勤はなかった。原告は、戦後も引き続き報道部においてタイプライターを打ち続けていたが、昭和26年4月に短大に入学して昭和28年に卒業、更にその後大学3年に学部入学し昭和31年9月卒業したが、この通学中の5年間はほとんど夜勤をして昼間大学に通っていた。原告は、昭和31年2月からテレビプロデューサーに転じて後、勤務時間は不規則で、週に2、3度も朝10時から夜12時まで勤務をし、残業時間も月間数十時間に及ぶこともあり、この状態は昭和36年7月まで続いた。
原告は、昭和34年12月31日、突然首が右を向いたまま回らなくなり、その後首の痛みが肩・腕・背中まで広がったため、マッサージ・超短波等の治療を受け、首の運動は可能になったが、痛みは取れなかった。原告は、昭和37年3月12日から同年7月13日まで温泉病院に入院してマッサージ・温浴・赤外線等の治療を受け、同年8月8日まで別の病院に入院して治療を受けた。右入院中の同年8月1日、T病院整形外科で、「第4、5椎体間間接形成、第6、7頸椎鈎突起、第5腰椎半仙椎骨化に原因する難治性の頸腕神経症」との診断を受け、同月8日入院した。原告は、昭和38年8月5日に復職した後も肩・腰の痛みを訴え、昭和39年5月頃から民間療法を試みたが症状は消退せず、昭和40年から42年にかけても入院・通院治療を受けたが症状は余り変わらなかった。
そこで原告は、右症状は、14年8ヶ月の長期にわたり被告のタイピスト作業に従事してきたことに起因するものであること、被告も団交の席で原告の疾病の業務起因性を否定できないと認め、昭和44年9月3日以降業務上災害として取り扱っていること、被告は被用者の生命・身体・健康を保持すべき義務を負っており、職業病の予防・早期発見に努めるとともに健康回復に必要な措置を講ずる義務があること、しかるに被告はこれらの義務を怠ったため原告の症状は更に悪化したことを主張し、精神的苦痛に対する慰藉料として、500万円を請求した。 - 主文
- 1 被告は原告に対し金100万円及びこれに対する昭和44年10月23日から右完済に至るまで年5分の割合による金員の支払をせよ。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを5分し、その4を原告の、その1を被告の各負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性
昭和30年頃からキーパンチャー等を中心に腱、腱鞘の障害が発生し、労働省では「キーパンチャー等の手指を中心とした疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第1085号)を出して職業病認定の問題を処理していたのであるが、その後他の職種にも同種の障害が拡大し、しかもその症状も手指だけでなく頸肩にも及ぶことが次第に明らかとなり、昭和40年位からこれを総称して「頸肩腕症候群」と呼ぶようになったが、右疾病の病理・診断・治療方法等は未だ十分に解明されるには至っていない。このため、労働省労働基準局長は、昭和44年10月29日付通達(基発第723号)「キーパンチャー等手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」を発し、これをもってその認定基準としたことが認められる。
右通達によれば、「頸肩腕症候群というのは、頸部・上腕・前腕・手・指に、慢性の疼痛・しびれ感・だるい感じ・肩凝り・知覚鈍麻・知覚過敏・異常知覚・手指の冷感・堯骨動脈拍の変化等のうち、疼痛に加えるに、他の一つ又は数種の症状を合併し、それらの症状が頸部・項部・肩・上腕のみに限局して存在するものに対して、便宜的に与えられる名称である。したがって、頸肩腕症候群は、発痛原因となるべき疾患の明らかな広義の頸肩腕症候群と、それの詳らかでない狭義の頸肩腕症候群に区別されるので、認定に当たっては、頸肩腕症候群の原因疾患と考えられる頸部脊椎骨軟骨症・斜角筋症候群・胃腸等の内臓疾患に起因する関連痛等ではないかをまず検討すべきである。その上で、原因疾患の詳らかでない狭義の頸肩腕症候群について、手指を過度に使用する業務に相当期間従事した労働者であって、その業務量が他と比較し過重又は大きな波がある場合等において頸部、肩及び当該上肢に手指作業に起因する自覚的症状に加え明らかに医学的に他覚的所見が認められるものを「業務上」として取り扱うべきである。しかし、右のような原因的疾患を完全に除外することは医学上困難な場合も少なくないので、作業内容、労働者の肉体的条件及び作業従事期間等からみて、当該疾患の症状発生が医学常識上業務に起因するものとして納得し得るものであり、かつ医学上療養を必要とする場合のみ、「業務上」として扱うこととしていることが認められる。
医学上、原告の症状は和文タイプ作業者の頸肩腕症候群としての性格も備えていることは否定し得ないから、その全てを頚椎変型症に起因するとするのは相当でないところ、原告は14年8ヶ月間にわたって被告の和文タイプ業務に従事し、そのうち12年半はニュース原稿のタイプライティングを行っていたのであり、中には重いタイプを使用した期間もあったのであるから、被告の和文タイプ作業が、頚椎変型症と並ぶ発病の一因として作用したことを否定することはできない。ただ、症状の発生に寄与した割合においては、頚椎変型症に比し遙かに少ないものということを妨げず、当裁判所は一切の事情、ことに作業従事期間・作業内容・肉体的条件(年齢・要因等)、職務外の生活方法・発病と治療経過等を考慮し、原告の疾病に対するタイプ作業の寄与率は2割が相当と判断する。
2 被告の責任
使用者は、労働基準法42条・43条・51条・52条(注:1972年の労働安全衛生法制定による改正以前)、労働安全衛生規則47条4号等の趣旨に基づき、その被用者の健康安全に適切な措置を講じ、職業性及び災害性の疾病の発生ないしその増悪を防止すべき注意義務を負っているところ、労働基準法・労働者災害補償保険法等の法意に鑑み、労働者の疾病につき業務起因性が肯定される以上は、特段の事情がない限り、使用者側に右注意義務の不遵守があったと一応推定されて差支えなく、右の推定を争う使用者の方で特段の事情を証明する責任を負うものと解すべきであるが、被告は毎年1、2回の胸部疾患を中心とする定期健康診断を実施してきたほか、診療所を設け、その職員の健康管理にも注意を払ってきた事実が認められるけれども、右事実だけでは被告がタイピスト等事務機械労働者に対して適切な職業病予防対策を講じてきたことの証拠とはならないし、他に適切な措置を講じたと認めるに足りる証拠はなく、結局右特段の事情が立証されたとはいえない。そうすると、被告は原告に対する健康保持・職業性疾病予防の注意義務を怠ったと断じ得るから、被告は原告が前記疾病によって受けた損害を賠償する責任があるというべきである。
3 原告の損害
被告は昭和38年8月に原告が復職して以来、原告の自覚症状の訴えを容れて、勤務の軽減を図り、勤務カードに押印するという作業を与え、昭和39年2月からは週2回の早退を許し、昭和41年8月以降は半日勤務を認め、昭和44年8月には原告を業務上災害として取り扱うこととし、昭和40年11月1日に遡及して療養補償・休業補償・傷病見舞金(期間3年)合計57万5503円の支給をし、その後も補償規定に準じて治療費・通院交通費を支給していることが認められ、原告主張の被告は原告の職業病を理解せず、冷遇してきたと認めることは困難である。そうすると、本件慰藉料請求としては、100万円が相当である。 - 適用法規・条文
- 02:民法415条、418条、709条、722条2項
- 収録文献(出典)
- 判例時報706号10頁
- その他特記事項
- 本件は双方から控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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