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静岡(女性銀行員)頸腕症候群事件

事件の分類
職業性疾病
事件名
静岡(女性銀行員)頸腕症候群事件
事件番号
静岡地裁沼津支部 - 昭和51年(ワ)第360号
当事者
原告 個人1名
被告 株式会社
業種
金融・保険業
判決・決定
判決
判決決定年月日
1983年04月27日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 原告は、昭和37年4月、商業高校卒業と同時に被告に入行した女性で、入行直後から健康保険組合(組合)に約8年間出向した後、昭和45年4月10日、被告N支店に転勤となった。

 組合における原告の担当業務は、預金会計機を操作して通帳、元帳等に記帳すること、卓上計算機を用いて毎日の出入金の利息計算を行うことなどであり、昭和37年6月中旬頃からだるさを感じるようになったが、約3週間にわたり通院治療を続けた結果、右症状は軽快し、以後8年間再発することなく経過した。原告は組合から被告N支店に転勤となって間もない昭和45年6月中旬頃から身体にだるさを感じるようになり、同年12月末頃には背中から腰にかけて激しい痛みを覚えるようになって、昭和46年1月被告の嘱託医の診察を受けたところ、頸腕症候群と診断され、3週間の休業を要するとされた。そのため原告は、翌14日から同年2月3日まで休業し、その後勤務に就いたが、症状は軽快せず、その後5ヶ月にわたり休業して治療を受けたが、腕の痛みがひどくなった。その後原告は鍼と灸による治療を受け、一時症状が軽快したものの、昭和47年3月に第二子を出産した後には再び症状が悪化し、休業を続けざるを得なくなった。原告は同年7月に労働基準監督署長に対し、本件疾病につき労災保険法に基づく休業補償給付の申請をしたところ、同署長は同年10月21日、本件疾病を業務上疾病と認定し、休業補償給付を支給するに至った。

 原告は、被告は使用者として原告の生命、身体、健康の安全を保証する安全保証義務を負っているところ、原告が頸腕症候群に罹患したことがあることを知りながら、最も再発しやすい会計機操作の作業に従事させたこと、原告の妊娠に配慮せず会計機等の操作をさせたこと、銀行業務について十分な教育訓練をしないで普通預金係に配置したこと、労働組合所属の原告に対し「ゴキブリ」、「ウジ虫」などと言ったこと、第一子出産後の育児時間取得等について嫌がらせをしたこと、リハビリ勤務を認めなかったことなど、同義務に違反したから、これによって原告に生じた損害を賠償する責任があるとして、昭和46年1月分から昭和57年9月分までの賃金及び一時金の合計額2614万3300円、慰謝料500万円を請求した。
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
 原告は、組合に出向して約2ヶ月を経過した昭和37年6月頃から手のだるさを感じるようになり、被告の嘱託医で約1週間通院治療を受けたが、その症状が頸肩腕症候群かどうかは必ずしも明らかではなく、原告の症状は約1週間程度の通院治療で軽快し、その後約8年間は何らの兆候も現れなかったことが認められるから、原告の昭和46年1月18日からの休業とは因果関係がないと考えられる。したがって、組合における業務について被告に債務不履行あるいは不法行為責任があるとする原告の主張は理由がない。

 原告は、少なくとも最初の診断を受けた昭和46年1月13日当時には頸肩腕症候群に罹患していたと認められるところ、頸肩腕症候群の業務起因性の判断に当たっては、労働省労働基準局長通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(昭和50年2月5日)により行うよう指導されていることが認められる。ところで、右通達は、本来は労働基準監督署長が業務上外の認定を行う際の基準となるものであるが、本件疾病についてその業務起因性を判断する場合においても重要な認定基準となり得るというべきである。

 前記通達は、頸肩腕症候群が業務に起因して発症したとの認定を行う基準として、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び業務量からみて、その発症が医学常識上業務に起因するとして納得し得るものであることが必要と定めるとともに、その作業態様については、主として手、指の繰り返し作業等上肢の動的筋労作又はほぼ持続的に主として上肢を前方或いは側方挙上位に空間保持するとかの上肢の静的筋労作であることを要するとしていることが認められる。原告の、会計機を操作して通帳、元帳等への記帳を行い、また卓上計算機を用いて毎日の出入金についての利息計算を行う業務が、前記通達のいう上肢の動的筋労作に該当することは明らかであるから、その作業態様は、頸腕症候群を発症させる要因となり得るものであったことが認められる。

 前記通達によれば、頸腕症候群が業務上発症したとの認定を行うに必要な発症までの作業従事期間は、一般的には6ヶ月程度以上のものであることを要すると定めているところで、原告の昭和45年4月10日から昭和46年1月18日までの勤務日数が、昭和45年4月は16日間、5月は22日間、6月は11日間、7月16日から8月12日までは21日間、12月1日から翌年1月18日までは32日間であること及び原告が昭和45年6月15日から7月15日まで急性腎盂炎のため休業したこと、同年8月13日から11月30日まで産前産後休業をしたことが認められ、原告の作業従事期間は右通達の定める基準には達していなかったとみるのが相当である。前記通達によれば、業務起因性を認定するためには、業務量が過重であることか、業務量に大きな波があることが必要とされていることが認められる。ところで、原告が勤務する支店の行員1人当たりの口座数は、全店平均より1、000口座程度少なかったこと、原告が担当していた業務は、上肢にそれほど大きな肉体的、精神的疲労を与えるものとは考えられないこと、会計機の操作は、卓上計算機と比較すると上肢に肉体的、神経的な負担を与えるものではあるが、当時の支店にはベテラン行員がおり、会計機の操作量の少なくとも過半数は同人が行っていたため、原告の操作量は特に過重というほどではなかったこと、原告の昭和45年4月から12月末までの残業時間数も、4月5時間、5月5時間、6月4時間、12月2時間30分の合計16時間30分であって、女性同僚の合計61時間45分、64時間25分と比較しても著しく少なかったこと、原告は同年12月1日以降はほとんど午後4時に育児時間を取って退行していたことがそれぞれ認められ、これらを総合すると、原告の業務量は、前記通達の定める業務量の基準に達していないことはもちろん、むしろ、女子行員としての通常の業務量の範囲内に過ぎなかったと認められ、決して過大なものではなかったと考えられる。

 以上によれば、原告の業務は、その作業態様については前記通達の定める基準に該当するが、作業従事期間及び業務量の点において明らかに右通達の基準には達しておらず、本件疾病が右業務に起因して発症したことを肯定するのは困難というべきである。なお、原告は、被告に入行後全く銀行業務に従事していなかったから、原告の業務量を判断するに当たってはその特殊事情を考慮すべきであると主張するが、原告の業務は習熟するのに長時間を要するほど困難な作業ではなかったこと、被告は原告が右業務に従事しながら徐々に銀行業務に習熟するように指導したことが認められ、こうした点からすると、原告に銀行実務の経験のなかったことを業務量の判断に当たって特に考慮するほどの必要性はないと考えるのが相当である。また、原告は支店に転勤した当時、妊娠4ヶ月であったが、作業態様、作業従事日数、残業時間等からみると、原告が妊娠中であったことを考慮しても、原告の業務量が過重であったとは認め難い。

 原告の主治医が昭和46年5月19日から昭和47年7月29日までの7回にわたり診察した診断書には、いずれもその病名を「頸腕症候群」とし、「向後1ヶ月の休業療養を要する」との記載がなされていることが認められるが、原告は昭和46年1月18日以降は業務を離れて治療を受けていたのであるから、原告の本件疾病が業務に起因するものであるならば、右疾病は少なくとも原告が業務を離れてから数ヶ月を待たずに治癒したはずであり、医師の診断通り業務を離れた後もずっと右症状が治癒せずに続いていたとすれば、その業務起因性は極めて疑わしいというべきである。

 (1)原告が昭和45年6月15日から同年7月15日にかけて急性腎盂炎により休業していること、(2)同年10月に第一子を出産し、その前後である同年8月13日から同年11月30日まで産前産後休業をしたこと、(3)昭和47年3月には第二子、昭和48年10月には第三子をそれぞれ出産し、原告が昭和45年11月には骨盤神経痛に罹患していること、昭和46年1月から4月にかけての受診時の症状はいずれも椎間板ヘルニアの症状であり、その治療も腰部マッサージ、骨盤牽引などの椎間板ヘルニアに対する治療だけが行われたことが認められ、これらの事実を総合すると、原告が同年1月18日から長期にわたる休業をせざるを得なくなったのは、頸腕症候群によるものではなく、むしろ椎間板ヘルニア(あるいはこれと同系統の疾病)に罹患したことが原因ではないかと考えられる。

 以上によれば、本件疾病が被告の業務に起因して発症したものであると認めることはできず、本件疾病と被告の業務との間に相当因果関係(業務起因性)があることを前提として被告に債務不履行あるいは不法行為に基づく損害賠償を求める原告の本訴請求は理由がないというべきである。
適用法規・条文
02:民法415条、709条
収録文献(出典)
判例時報1087号136頁
その他特記事項
本件は控訴された。