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関労基署長(鶏肉製造加工業)くも膜下出血死事件
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 関労基署長(鶏肉製造加工業)くも膜下出血死事件
- 事件番号
- 岐阜地裁 − 平成3年(行ウ)第8号
- 当事者
- 原告個人1名
被告関労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1996年11月14日
- 判決決定区分
- 認容(控訴)
- 事件の概要
- M(昭和7年生)は、昭和59年10月、鶏肉の製造加工業を営む本件会社に雇用され、以来同社敷地内にある従業員寮に単身で寄宿しながら、鶏の解体作業に従事していた。
Mは、発症当時、始業時から午前9時頃まで第一工程における首切り作業に、次いで第二工程における前処理作業、解体作業に、その後モモの骨抜き作業にそれぞれ従事していたほか、解体品等を原料保冷庫ないし製品冷蔵庫に入庫する作業にも従事していた。これらはいずれも単純な作業であり、冷蔵庫内での作業時間もごく短いものであったが、全て立ち作業であり、首切り作業、前処理作業、解体作業は、鶏を吊して流れるシャックルの速さに合わせて遂行することを求められ、その作業環境は、第一工程は温度・湿度とも高く、第二工程は冬場も暖房を入れずに冷却した鶏を扱うため温度が比較的低かった。また、Mの終業時間後の残業の労働内容は、モモの骨抜き作業が中心であり、他に出荷のための準備作業、冷凍品を解凍のため並べるなどの作業もあり、午後8時を超える残業の場合は、30分間の夕食時間が取られていた。
Mの発症前7ヶ月間の拘束時間の合計は約2450時間であって、年間に換算すると、約4200時間となり、Mは右期間、日曜、祭日も含めて年間を通して毎日12時間近くの時間、会社に拘束されていた。また、この間の実労働時間は2145時間で、年間に換算すると約3677時間となり、当時の日本の労働者の平均の約1.74倍の時間の労働に従事していた。発症前1ヶ月間(昭和61年2月1日から3月3日まで)の拘束時間の合計は約294時間、実労働機関の合計は約252時間、時間外労働時間の合計は66時間48分であったが、発症前1週間(同年2月25日から3月3日まで)の実労働時間の合計は約58時間であって、早出時間はいずれも1時間程度に止まり、ほとんど定時に退勤していた。
Mは、昭和61年3月4日午前9時40分頃、柱の角にもたれかかるような状態でいるところを発見され、救急車で病院に搬送されて治療を受けたが、同日午後4時20分にくも膜下出血により死亡した。なお、Mの昭和57年5月から昭和60年10月までの血圧値は、最高値が178、最低値が90であり、本件発症の直近である平成60年は、7月が158‾92、9月が150‾90、10月が168‾90であった。
Mの妻である原告は、昭和62年3月31日、被告に対し、Mの死亡は業務上の死亡であるとして、労災保険法による遺族補償年金及び葬祭料を請求したところ、被告は同年6月29日付けで、業務上災害とは認められないと不支給の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対して昭和62年6月29日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償年金給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- Mの作業内容はいずれも単純作業であるが、機械の動きに規制される作業が多く、自ら作業の速さを制御できないことから、ストレスが生じ、同じ作業を繰り返す単純反復作業もあって仕事に対する働きがいなどの低下、欠如によるストレスも生じ得る。また、Mの1日の作業環境は、ボイラーで湯を沸かして水槽へ給湯する作業、温度と湿度の高い第一工程における首切り作業という温熱暴露作業と、室温が低い中での冷却した鶏の解体作業や製品冷蔵庫、急速冷凍庫への解体品等の搬入・搬出作業という寒冷暴露作業環境が混在しており、このような温度差の存在は血圧上昇の一因となる。
Mは、昭和60年9月まで、月平均130時間を超える時間外労働に従事していたことになり、昭和60年度の日本の労働者の月間平均時間外労働は約15時間であるから、Mはこの期間、過剰な時間外労働に従事していたといえる。更にMの発症前7ヶ月間の実労働時間数が全労働者平均の約1.74倍であるというのは、非常に長時間の労働を行っていたといわざるを得ない。また、その拘束時間が年間を通して1日当たり約12時間であったということは、日々の疲労回復の時間が確保できなかったといえるし、それに加えて休日出勤による労働日の連続のため、ますます疲労回復のための十分な休息を取ることができなかったといえるから、Mは右期間の業務遂行により相当程度の疲労を蓄積させたことが推認される。特に、昭和60年12月9日から同月31日までの23日間にわたる連続勤務はMの疲労の程度を増大させたと認められる。
Mの発症前1ヶ月間の拘束期間数、実労働時間数は、それ以前に比較して少なくなっている。しかしながら、右期間においても、その実労働時間は約252時間で、日本の労働者の平均の約1.4倍余であり、発症前1ヶ月間のMの時間外労働時間数の合計は66時間48分である。発症前1週間の勤務状況は、早出作業時間、残業時間共に、それ以前に比べるとかなり少なくなっているが、1週間の労働時間数が50時間を超えると、朝起きたときに疲労感を訴える労働者が急増する旨の調査結果があるところ、右期間のMの実労働時間数は約58時間である。これらの事実及び疲労の蓄積の程度などを総合すると、Mは右期間において、疲労の蓄積を解消することができないまま発症当日に至ったことが認められる。
発症当日において、Mは、水槽への給湯作業、第一工程での首皮切り作業の後、第二工程での鶏掛け作業、前処理作業に従事し、その後鶏を水槽からかごに移し替える作業を行ったが、右作業環境は、温熱環境の後に寒冷作業を行うものであり、そのような作業環境は血圧上昇の一因となる。そして、発症直前に行った鶏を水槽からかごに移し替える作業による負荷は、同人の血圧を相当程度に上昇させるに足りるものであったと認められる。
前示のとおり疲労の蓄積ないしストレスが脳動脈瘤破裂の危険因子となるところ、Mの業務が同人に対し相当程度の疲労の蓄積ないしストレスを与えたと認められるから、Mの業務と脳動脈瘤破裂の発症との間には条件的因果関係があるというべきである。そして、発症前1週間以前の業務がMに相当程度の疲労の蓄積を与えたといえること、そのため、Mは相当長期の休養を取らなければ疲労が回復しない程度に至っており、僅かな刺激によって血圧が上昇しやすい身体的状態のまま発症1週間前に至ったのみならず、疲労の蓄積を解消することができないまま発症当日に至ったこと、発症直前の作業は同人の血圧を相当程度上昇させるに足りるものであったこと、右作業の直後に脳動脈瘤破裂が発症したこと、同人の高血圧の状態及び未破裂の脳動脈瘤の予後に照らすと、同人の基礎疾病の状態は、同人の年齢(53歳)、肥満度(身長163.8cm、体重69.5kg)、喫煙(1日平均20本)を考慮しても、それだけで脳動脈瘤破裂を発症させるようなものではなかったといえること、同人の業務外の生活において、血圧上昇の発生原因となるような精神的、肉体的負荷をもたらす事由の存在が認められないことを総合すると、脳動脈瘤破裂の発症は、Mの業務に内在する危険が現実化したことによるものとみることができ、両者の間には相当因果関係があると認めることができる。 - 適用法規・条文
- 07:労働基準法79条、80条、
99:その他 労災保険法7条、16条、17条 - 収録文献(出典)
- 判例タイムズ937号141頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
岐阜地裁−平成3年(行ウ)第8号 | 認容(控訴) | 1996年11月14日 |
名古屋高裁 − 平成8年(行コ)第30号 | 控訴棄却 | 1998年10月22日 |