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大野労基署長(じん肺)自殺事件

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
大野労基署長(じん肺)自殺事件
事件番号
福井地裁 − 平成18年(行ウ)第9号
当事者
原告個人1名

被告国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2009年09月09日
判決決定区分
認容(確定)
事件の概要
 K(大正10年生)は、昭和28年から昭和46年までのうちの約7年3ヶ月間、各地の隧道工事現場で坑夫として就労し、粉じん作業に従事したところ、昭和59年6月及び7月の健康診断の結果、じん肺と診断された。

 Kは、平成3年12月頃、ICD10において心気障害を発症し、平成4年5月26日以降、同人が罹患したじん肺が労災保険法の「業務上の疾病」に該当するとして、療養補償給付及び休業補償給付を受給するようになった。福井労働基準監督署長は、平成4年12月2日付けで、Kのじん肺管理区分を管理4と決定し、Kは平成5年12月以降、療養補償給付及び休業補償給付に代わり、じん肺により傷病補償年金を受給するようになった。

 Kは、平成6年5月頃、本件うつ病を発症し、平成9年6月あるいは11月以降、本件うつ病により中等度以上のうつ状態にあり、同年12月17日、急性肺炎によって危篤状態となり入院したところ、急性肺炎は平成10年1月末に治癒したものの、その後も入院を続けた。Kは、同年5月2日、食事の際刺身を気管に入れて窒息状態(誤嚥事故)になり、それ以降うつ病が増悪したところ、同月30日、外泊許可を受けて自宅に帰り、翌31日、自宅車庫において首吊り自殺した。

 Kの妻である原告は、大野労働基準監督署長に対し、Kの死亡は労災保険法にいう「業務上の災害」に当たるとして、遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、同署長は、いずれも支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消を求めて本訴を提起した。
主文
1 大野労働基準監督署長が原告に対し平成13年2月26日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断基準

 労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の死亡等について行われるところ、労働者の死亡等を業務上のものと認めるためには、業務と死亡との間に相当因果関係が認められることが必要である。また、労災保険制度が、労働基準法上の危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることからすれば、上記の相当因果関係を認めるためには、当該死亡等の結果が、当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得ることが必要である。そして、「精神障害等の労災認定に係る専門検討報告書」及び「「過労自殺」を巡る精神医学上の問題に係る見解」によれば、精神障害の成因、すなわち精神障害の発症の原因については、環境からくるストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で、精神的破綻が生じるかどうかが決まるという「ストレス脆弱性」理論が広く受け入れられていると認められることからすれば、業務と精神障害の発症との間の相当因果関係が認められるためには、ストレス(業務による心理的負荷と業務以外の心理的負荷)と個体側の反応性、脆弱性を総合考慮し、業務による心理的負荷が、社会通念上、精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合に、業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして、当該精神障害の業務起因性を肯定するのが相当である。

 更に、上記専門検討会報告書等によれば、ICD10F0ないしF4に分類される精神障害の下で遂行される自殺行為については、精神障害により正常な認識、行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されていたと推定する取扱が医学的見地から妥当と判断されているところであるから、業務により発症したICD10のF0ないしF4に分類される精神障害に罹患している者が自殺を図った場合には、原則として、当該自殺による死亡につき業務起因性を認めるのが相当である。その一方で、自殺時点において正常な認識、行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されていなかった場合や、業務以外のストレス要因の内容等から、自殺が業務に起因する精神障害の症状の蓋然的な結果とは認め難いなどの特段の事情が認められる場合には、上記推定を覆し、業務起因性を否定するのが相当である。

 業務上の疾病であるじん肺の病状やそれに伴う療養による心理的負荷は、業務により生じた心理的負荷と評価することが相当である。したがって、じん肺により療養中の者に発症した精神障害については、ストレスと個体側の反応性、脆弱性を総合考慮し、じん肺の病状やその療養による心理的負荷を含む業務による心理的負荷が、社会通念上、精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合には当該精神障害の業務起因性を肯定するのが相当である。

2 本件うつ病の業務起因性

 Kは、昭和59年6月及び7月の健康診断の結果じん肺と診断され、当時の自覚症状としては、呼吸困難、胸部痛程度であったものの、同人はじん肺が呼吸器系の疾病で、不治(不可逆性)の死に至る病であることは認識していたから、Kが自らの将来についての不安や死への恐怖を覚えたであろうことは想像に難くない。

 Kは、じん肺の発症から10年近くが経過した平成6年5月頃までには、病状の最も進行した管理区分4と決定され、呼吸機能障害を有し、この障害のため「常に労務に服することができない」状態になっているとして障害補償年金を受給するようになっていた。そして、Kは、昭和59年頃以降のじん肺による胸部痛、更に呼吸機能の悪化などの身体的症状により、次第に増大する身体的な苦痛を平成6年5月頃までの約10年間感じ続けるとともに、死に近づきつつあるという不安や死の恐怖を具体的・現実的に認識するようになっていたということができる。以上のとおり、平成4、5年頃から平成6年5月頃までに、Kがじん肺の病状やその療養により受けていた心理的負荷は、相当程度に過重であったと認められる。

 本件うつ病の発症前において、じん肺以外の要因による心理的負荷がなかったことは当事者間に争いがない。Kは、神経質、几帳面、頑固、真面目で責任感があり、自己主張をする性格であったことが認められる。しかしながら、精神障害の発症に係る個体側要因として考慮すべき性格傾向とは、病前性格を指すと解されるところ、各供述に係るKの性格がいつの時点のものか判然とせず、Kが本件心気障害発症前において粘着気質であったとは認められない。

 Kについては、平成6年5月当時、その個体側要因として、本件心気障害を発症したこと、慢性活動型C型肝炎に罹患していたことが認められるものの、平成4、5年頃から平成6年5月頃までの間にじん肺の病状やその療養により受けていた心理的負荷は、相当程度に過重であったと認められ、上記個体側要因を考慮しても、この心理的負荷は、社会通念上、本件うつ病を発症させる程度に過重であったというべきである。したがって、本件うつ病については業務起因性を肯定するのが相当である。

3 本件自殺の業務起因性

 本件自殺時において、正常な認識、行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されていなかったことを窺わせる事情は何ら認められない。

 被告は、Kのうつ状態を増悪させ自殺の直接の原因となった可能性の高い誤嚥事故とじん肺との間には相当因果関係がないと主張するが、仮に誤嚥事故の原因が、体力の消耗や抗精神剤の残留ないし副作用によるものであるとすれば、誤嚥事故は、じん肺自体や本件うつ病によるものともいい得る。したがって、誤嚥事故を業務以外のストレスとして考慮すべきではない。自殺が業務に起因する精神障害の症状の蓋然的な結果とは認め難いなどの特段の事情を認めるに足りる証拠はない。以上により、本件自殺は業務に起因するものであると認められる。
適用法規・条文
99:その他労災保険法12条の2の2第1項、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例990号15頁
その他特記事項