判例データベース
郵便事業みだしなみ基準事件
- 事件の分類
- その他
- 事件名
- 郵便事業みだしなみ基準事件
- 事件番号
- 神戸地裁 − 平成21年(ワ)第149号
- 当事者
- 原告個人1名
被告郵便事業株式会社 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2010年03月26日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(控訴)
- 事件の概要
- 被告は、郵政公社が解散したことに伴って新たに設立された郵便事業を目的とする株式会社であり、原告(昭和27年生)は、昭和45年10月に郵政事務官に任命され、それ以降、神戸貯金事務センター及び大阪貯金事務センター神戸貯金課で勤務していた。原告は、平成17年8月、灘郵便局(灘局)の郵便課主任に配転となったところ、その後郵政民営化に伴い、平成19年10月以降、郵政公社との間の勤務関係は、被告との雇用関係に引き継がれた。
原告は、昭和60年頃からひげを伸ばし始め、遅くとも平成17年以降、口ひげ(唇の幅)及びあごひげ(唇の幅で長さ約1cm程度)を生やしており、また阪神大震災をきっかけに髪を伸ばし始め、遅くとも平成17年頃以降は、伸ばした髪を後頭部でゴムで束ねる髪型(引き詰め髪)にしていたが、灘局へ配転が決まるまでは、ひげ及び髪型について管理者等から注意を受けることはなかった。原告は、灘局への配転が決まった後の平成17年夏頃研修を受けたが、それに先立ち、上司からひげを伸ばしたままでは研修を受けられないと注意されたものの、結局、ひげを剃ることなく研修に参加した。
原告が灘局に着任した後、A課長らは月に1回以上、原告を呼んで、ひげを剃り、長髪を切るよう指導したが、原告はこれに応じなかった。平成18年4月にA課長の後任となったB課長も、原告に対し、2ヶ月に1回程度、ひげを剃り、髪を切るよう指導を行ったが、原告はこれにも応じなかった。また原告は、平成19年7月31日及び同年8月1日に受けたパワーアップ研修において、近畿郵政局研修所の教官から約50分にわたって、ひげを剃るよう指導された。
被告(郵政公社)では、平成17年8月19日付けで、初めて公社全体の統一的な「みだしなみ基準」を定めたところ、髪型及びひげに関する規定(公社基準2)は、「長髪は避ける」、「ひげは不可とする」とされ、灘局はこれを受けて「灘局身だしなみ基準」を定め、髪型、ひげについては公社基準と同様に定めた。
被告における郵便課(内務)の業務内容としては、「窓口」、「発着」、「特殊」、「通常」の4種類があり、勤務時間帯については「早出」、「日勤」、「夜勤」、「深夜勤」の4種類があり、それぞれ職員間でローテーションを組んで業務内容と勤務時間が指定される取扱いとなっているところ、原告は平成18年4月以降は「特殊」業務の「夜勤」勤務のみ命じられており、平成19年10月1日以降は窓口業務に就いていなかった。
原告は、「ひげを生やす自由」及び「髪を伸ばす自由」は憲法13条で保障されており、それが著しく非常識であるとか、業務に支障を来す場合はともかく、長髪及びひげを不可と定める公社身だしなみ基準及び灘局身だしなみ基準は、顧客に不快感を与える「整えられていない長髪、ひげ」のみを禁ずる限度で効力を有し、原告は身だしなみ基準に違反していないこと、原告を「特殊」業務のみ、「夜勤」勤務のみに就かせることは差別で、人事権の濫用であること、違法な人事評価により2年連続で70点以下となり、職能調整額の支給を停止されたこと、灘局に配転が決まってから管理者らから執拗にひげを剃れ、髪を切れと責め立てられたことを主張した。そして、違法な人事評価により、職能調整額支給停止規定に基づき、合計7万5600円が停止され、損害を被ったこと、違法な担務差別により、職場では心を痛め、「夜勤」勤務により、家庭内ではすれ違いが起こり、地域活動ができないなどの被害を被ったほか、ひげを剃るよう執拗に迫られて精神的苦痛を被ったとして、国家賠償法1条に基づき、慰謝料150万円を請求した。 - 主文
- 1 被告は、原告に対し、37万5600円及びこれに対する平成21年1月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを4分し、その1を被告の、その余を厳酷の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 原告のひげ・髪型が身だしなみ基準に違反するか
使用者が、事業の円滑な遂行上必要かつ合理的な範囲内で、労働者の身だしなみに対して一定の制約を加えることは、例えば、労働災害防止のため作業服やヘルメットの着用を義務付けたり、食品衛生確保のため髪を短くし、爪を整えることを義務付けたり、企業としてのイメージや信用を維持するために直接に顧客や取引先との関係を持つ労働者に服装や髪型等の身だしなみを制限するなどの場合があり得るところである。
ただし、労働者の服装や髪型等の身だしなみは、もともと労働者個人が自己の外観をいかに表現するという労働者の個人的自由に属する事柄であり、また髪型やひげに関する服務中の規律は、勤務関係又は労働契約の拘束を離れた私生活にも及び得るものであることから、そのような服務規律は、事業遂行上の必要性が認められ、その具体的な制限の内容が、労働者の利益や自由を過度に侵害しない合理的な内容の限度で拘束力を認められるというべきである。
これを本件についてみるに、被告(郵政公社)が、新たな公社身だしなみ基準を定めたことは、郵政公社が郵政民営化を控え、一般の私企業と同様に、顧客に対する満足度の向上を図り、郵政公社に対するイメージを向上させるための企業努力の一環として行われたものと認められ、これを定める必要性と一定の合理性が認められるというべきである。
しかし、労働者が自己の髪型やひげ等に関して行う決定は、本来は個人的自由に属する事柄である上、これに対する制約が勤務時間を超えて個人の私生活にも影響を及ぼすものであること、これに加えて、原告は20年以上にわたってひげを生やしており、また10年以上長髪の髪型であったが、灘局への配転が決まるまでは、上司からひげ等の外貌について注意を受けたことがないなど、被告における男性職員の髪型やひげについては、従来は概ね個人の自由に委ねられていたこと、これに対して平成17年8月に全職員に対して一律に適用される身だしなみ基準が初めて設けられたものであることが認められる。更に郵便窓口の利用者は、通常の礼儀正しい応対を期待しているとはいえ、職員が特別に身なりを整えて対応することまでは予定していないというべきである。そうすると、被告における服務に関し男性の長髪及びひげは不可とする灘局基準1・2並びに窓口業務を担当する男性職員のひげは不可とする公社基準2は、いずれもこれを長髪及びひげについて、一律に不可と定めたものと解する場合には、過度の制限を課すものというべきで、合理的な制限とは認められないから、これらの基準については「顧客に不快感を与えるようなひげ及び長髪は不可とする」との内容に限定して適用されるべきである。したがって、整えられた原告の長髪(引き詰め髪)及び整えられたひげは、いずれも、公社身だしなみ基準が禁止する男性の長髪及びひげには該当しないというべきである。
2 担当業務を限定したことの違法性
灘局郵便課においては「窓口」業務以外に、「発着」(郵便物の受入及び発送)、「通常」(通常郵便物の区分)、「特殊」(一般書留郵便や特別送達郵等特殊郵便物の区分)の業務があり、これらの業務と「早出」、「日勤」、「夜勤」、「深夜勤」の4種類のローテーションを組んで業務内容と勤務時間が指定される取扱いになっているところ、原告は平成18年4月以降、夜勤のみが指定されており、「窓口」業務を指定されることはなかった。
被告の職員の担務の指定は、被告が業務の必要に応じてその裁量に基づいて行うことができると解するのが相当であるが、その指定につき、業務上の必要性が欠ける場合や専ら不当な目的で行われた場合には、裁量権の濫用又は逸脱した違法なものとなることが認められる。
被告は、平成18年4月以降、原告に「特殊」業務の「夜勤」のみに限定して担務指定しているが、そのように指定した理由は、原告が公社身だしなみ基準及び灘局身だしなみ基準(以下「身だしなみ基準」)に違反してひげを生やし、長髪の職員が窓口業務を担当することはできないとの判断に基づくものであると認められる。しかし、身だしなみ基準は、顧客に不快感を抱かせない整えられた長髪又はひげの職員が窓口業務を担当することは禁止していないというべきであるから、上記被告の判断基準は誤ったものであり、そのような判断に基づいて、原告に「特殊」業務の「夜勤」のみの担当を指定したことは、被告の裁量権を逸脱した違法なものというべきで、被告は、原告がこれによって被った損害を賠償する責任を負う。
3 本件各人事評価の違法性
被告の職員に対する人事評価の実施に関しては、各規程が置かれているが、実際の評価は、様々な要素を総合的に考慮して行われるものとはいえ、評価の内容については評価権者の裁量が認められるというべきである。もっとも、その評価が事実に基づかずにされたものであってり、評価の基礎となった事実について誤認が存する場合の他、人事評価において、本来考慮すべき事項を考慮せず、また考慮すべきでない事項を考慮した場合や、不当な目的・動機に基づいて評価が行われた場合等には、その評価は裁量権を濫用し又はその範囲を逸脱した違法なものといえることになる。そして、身だしなみ基準は、顧客に不快感を感じさせない整えられた長髪及びひげを禁止するものではないと解されるから、原告について、身だしなみ基準を遵守していないことを前提として行われた本件各人事評価は、誤った前提に基づいてされたものというべきであるから、評価権者が有する裁量権を逸脱したものとして違法となる。
他方で、B課長の後任のC課長及びD課長は、原告に対してひげ及び長髪の点に関し注意を行っておらず、また原告においてひげ等の外貌を変更しておらず、担当業務にも変化がないにもかかわらず、C課長及びD課長による人事評価は70点を上回っていることに照らせば、本件各人事評価の合計点が70点以下になったことは、評価の際に、B課長において原告のひげ及び長髪がみだしなみ基準に違反するという点を考慮して評価を行ったことに基づくものと認められるのであるから、本件各人事評価は評価権者に付与された裁量権を濫用又は逸脱するものであって違法というべきである。
4 原告の上司らがひげを剃るよう求めたことの違法性
一般に、職場で上司が部下に対し、客観的には誤った事実認識に基づいて注意や指導を行ったとしても、そのような指導を行っただけで直ちにその指導等が違法と評価されるわけではなく、その指導等の方法、回数及び態様が、社会通念上相当と認められる範囲を超える場合に初めてその指導等が違法と評価されると解するのが相当である。
A課長及びB課長ら灘局における原告の上司による指導は、再三にわたって行われたもので、またその指導内容は、原告が身だしなみ基準に違反していることを前提として、長髪及びひげは一切認めないとして、ひげを剃り、髪を切るよう繰り返し求めるものであったと認められるところ、原告のひげ及び長髪は身だしなみ基準に違反するものとはいえないから、上記の上司らの指導は、原告に対し義務のないことを行うよう繰り返し要求したものであって、違法というべきである。
5 原告に生じた損害及びその額
原告のひげ及び長髪が被告の身だしなみ基準に違反するとの誤った前提で行われた本件各人事評価は裁量権を逸脱した違法なものというべきであり、原告は、本件各人事評価の点数がいずれも70点以下であったことにより支給を停止された職能調整額合計7万5600円相当額について損害を受けたものと認められる。
原告が「特殊」業務以外の様々な業務を経験する機会を失ったとする点については、原告自身が本音では窓口業務はしたくないと述べ、窓口業務を積極的に希望しているわけではないものの、担務の広がりがないことは、被告の人事評価項目でマイナスに評価されるものであるから、被告が原告のひげ及び長髪を理由として他の郵便課職員の通常のローテーションとは異なり、原告に「特殊」業務のみを担当させて、他の業務を担当させないことは、原告が職務経験を拡げ、業務知識を増やす機会を喪失させるものといえ、これにより原告は一定の精神的損害を受けたものと認められる。原告は、灘局で上司らからひげを剃り、髪を切るよう繰り返し求められたことにより、一定程度の精神的損害を受けたものと認められ、原告が受けた精神的損害を慰藉するには、30万円が相当と認められる。 - 適用法規・条文
- 02:民法709条
- 収録文献(出典)
- 労働判例1006号49頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
神戸地裁 − 平成21年(ワ)第149号 | 判決 | 2010年03月26日 |
大阪高裁 - 平成22年(ネ)第1345号(控訴)、大阪高裁 - 平成22年(ネ)第1900号(附帯控訴) | 控訴棄却、附帯控訴認容 | 2010年10月27日 |