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電気通信工事会社現場監督自殺事件

事件の分類
その他
事件名
電気通信工事会社現場監督自殺事件
事件番号
福岡地裁 − 平成20年(ワ)第205号(第1事件)、福岡地裁 − 平成20年(ワ)第206号(第2事件)
当事者
原告個人1名 A

原告個人2名 B、C

被告株式会社K電工
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2009年12月02日
判決決定区分
第1事件 一部認容・一部棄却、第2事件 認容(控訴)
事件の概要
T(昭和48年生)は、大学卒業後の平成10年4月、電気通信工事等を目的とする被告に入社し、被告福岡支店空調管技術部において空調衛生施設工事等の現場監督業務に従事していた者である。 被告では、時間外労働時間及び休日労働時間については自己申告制が採られており、時間外労働時間が月30時間を超える場合は三六協定の手続きが必要とされていたことから、Tを含む被告の社員はその範囲内の時間数しか申告しておらず、申告のための勤務票の記載と時間外労働時間数とは相当な隔たりがあった。Tの上司もこうした状況を認識しており、会議などの場でできる限り時間外労働をしないよう指導するなどしていたが、具体的な業務分担は現場施工管理者に任せていた。 Tは、平成15年8月から、J建設から請け負った空調設備工事及び衛生設備工事(本件工事)の現場施工管理者として配置され、元請・下請との交渉、作業工程の管理・調整、安全品質管理(現場巡視)、施工図の作成・修正などを担当したところ、施工図の作成・修正作業の多くは現場作業が終了する午後5時以降に行われていた。平成15年8月から平成16年7月までの1年間のTの月間時間外労働時間数は、123時間台から176時間台にのぼっていた。 平成16年3月22日、Tの手違いからJ建設の課長がTを激しく殴打する事件があり、それ以降、Tは妻に対し、自殺を窺わせるような発言をしたり、会社を辞める相談をするようになったが、Tの上司や同僚等は原告の変化に気付かなかったところ、Tは、同年9月6日、自宅マンションの5階から投身自殺した。 労働基準監督署長は、Tの自殺を業務災害と認定し、遺族補償給付及び葬祭料を支給した。被告の就業規則には、従業員が業務上死亡した時は有配偶者について2500万円(故意・重過失がない限り500万円を加算)支給する旨の規定が置かれていたが、被告はTの死亡はその要件に該当しないとして不支給とした。 一方、Tは男性不妊治療を受けていたが、深刻に悩んでいる様子はなく、夫婦・家族との間にトラブルはなく、経済的な問題も抱えておらず、Tもその家族及び親族も精神疾患に罹患したことはなかった。 Tの妻である原告A、Tの両親である原告B及び同Cは、Tは過重な労働に起因してうつ病を発症し、それによって自殺したものであるところ、被告には安全配慮義務違及び不法行為責任があるとして、逸失利益、慰謝料等として、原告Aにつき5744万4492円、原告B及び同Cにつき各1595万3726円を請求する(第1事件)とともに、原告Aに対し被告の就業規則に基づく弔慰金3000万円を支払うよう請求した。
主文
1,被告は、原告Aに対し、4351万3082円及びこれに対する平成16年9月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。2,被告は、原告B及び原告Cに対し、それぞれ1276万8527円及びこれらに対する平成16年9月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。3,被告は、原告Aに対し、3000万円及びこれに対する平成20年2月9日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。4,原告らのその余の請求をいずれも棄却する。5,訴訟費用は、被告の負担とする。6,この判決は、第1項から第3項までに限り、仮に執行することができる。
判決要旨
T(昭和48年生)は、大学卒業後の平成10年4月、電気通信工事等を目的とする被告に入社し、被告福岡支店空調管技術部において空調衛生施設工事等の現場監督業務に従事していた者である。 被告では、時間外労働時間及び休日労働時間については自己申告制が採られており、時間外労働時間が月30時間を超える場合は三六協定の手続きが必要とされていたことから、Tを含む被告の社員はその範囲内の時間数しか申告しておらず、申告のための勤務票の記載と時間外労働時間数とは相当な隔たりがあった。Tの上司もこうした状況を認識しており、会議などの場でできる限り時間外労働をしないよう指導するなどしていたが、具体的な業務分担は現場施工管理者に任せていた。 Tは、平成15年8月から、J建設から請け負った空調設備工事及び衛生設備工事(本件工事)の現場施工管理者として配置され、元請・下請との交渉、作業工程の管理・調整、安全品質管理(現場巡視)、施工図の作成・修正などを担当したところ、施工図の作成・修正作業の多くは現場作業が終了する午後5時以降に行われていた。平成15年8月から平成16年7月までの1年間のTの月間時間外労働時間数は、123時間台から176時間台にのぼっていた。 平成16年3月22日、Tの手違いからJ建設の課長がTを激しく殴打する事件があり、それ以降、Tは妻に対し、自殺を窺わせるような発言をしたり、会社を辞める相談をするようになったが、Tの上司や同僚等は原告の変化に気付かなかったところ、Tは、同年9月6日、自宅マンションの5階から投身自殺した。 労働基準監督署長は、Tの自殺を業務災害と認定し、遺族補償給付及び葬祭料を支給した。被告の就業規則には、従業員が業務上死亡した時は有配偶者について2500万円(故意・重過失がない限り500万円を加算)支給する旨の規定が置かれていたが、被告はTの死亡はその要件に該当しないとして不支給とした。 一方、Tは男性不妊治療を受けていたが、深刻に悩んでいる様子はなく、夫婦・家族との間にトラブルはなく、経済的な問題も抱えておらず、Tもその家族及び親族も精神疾患に罹患したことはなかった。 Tの妻である原告A、Tの両親である原告B及び同Cは、Tは過重な労働に起因してうつ病を発症し、それによって自殺したものであるところ、被告には安全配慮義務違及び不法行為責任があるとして、逸失利益、慰謝料等として、原告Aにつき5744万4492円、原告B及び同Cにつき各1595万3726円を請求する(第1事件)とともに、原告Aに対し被告の就業規則に基づく弔慰金3000万円を支払うよう請求した。○主文1 被告は、原告Aに対し、4351万3082円及びこれに対する平成16年9月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。2 被告は、原告B及び原告Cに対し、それぞれ1276万8527円及びこれらに対する平成16年9月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。3 被告は、原告Aに対し、3000万円及びこれに対する平成20年2月9日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。4 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。5 訴訟費用は、被告の負担とする。6 この判決は、第1項から第3項までに限り、仮に執行することができる。○判決要旨1 Tが本件精神障害を発症したと認められるか Tには、精神の変調を示す一連の言動があったことに加えて、本件署長が本件自殺に係る業務上外の判断をするに当たって医学的判断を求めた地方労災医員協議会精神障害専門部会は、事実経過を踏まえた上で、ICD10診断ガイドラインに照らして、一部は、平成16年7月頃、F32「うつ病エピソード」を発病したと判断しており、Tは、遅くとも平成16年7月末頃には本件精神障害を発症していたと認めるのが相当である。2 業務と本件自殺との相当因果関係の有無 うつ病の発症原因の判断については、医学的に、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が決まり、環境由来のストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に個体側の脆弱性が大きければ環境由来のストレスが小さくても破綻が生じるというストレス脆弱性理論が用いられていることから、業務と精神障害との間の相当因果関係の有無の判断に当たっては、業務による心理的負荷、業務以外の心理的負荷及び個体側要因を総合考慮して判断するのが相当である。 Tが本件工事に携わった平成15年8月から本件精神障害を発症した平成16年7月までの1年間におけるTの月間時間外労働時間数は、いずれも100時間を超えており、特に平成16年1月以降は月平均150時間を超えたものとなっていて、この時間外労働時間数は、本件三六協定に定められている1ヶ月当たりの時間外労働時間数30時間を著しく超過するものである。また、同協定においては、労使協議の上で1ヶ月当たり130時間まで延長することができるものとされているが、これとの関係でも、上記期間内で130時間を超えていないのは平成15年8月だけである。そして、被告においては土・日曜日が休日となっていたが、Tは、日曜日は休みを取っていたものの、土曜日は月に1日ないし2日のみしか休みを取ることができておらず、極めて長時間にわたる労働による疲労を回復するに足りるだけの休息が十分に取れていなかったといわざるを得ない。 以上からすれば、Tの時間外労働時間数は、Tにとって極めて大きな肉体的・心理的負荷であったことは明らかである。 Tの業務遂行について一定の裁量があったことは否定できないが、Tは日中は現場巡視やJ建設や下請との間で協議・連絡のほか、現場作業員への対応を行っていたため、施工図の作成・修正作業を午後5時以降に行うことを余儀なくされていたところ、施工図の作成・修正作業はかなりの時間と労力を要する作業と評価できるから、同作業は、Tにとって相当程度の肉体的・心理的負荷になったものといえる。 Tが担当していた業務のうち、作業工程の管理・調整は、元請等との工程会議で定められる工程表に従って、作業が安全に行われるよう下請に対して作業の指示・連絡を行ったり、機械や車両の現場への出入時間を調整するものであり、その面だけを見れば比較的単純な業務であったということもできる。しかしながら、上記工程会議には、J建設や他の1次下請約30社が参加しており、Tはこれらの会社との間で、1ヶ月先の工程まで管理し、人や物の手配までしており、課長からよく叱られ、その対応に苦慮していたというのである。したがって、大手企業であるJ建設を含む多数の1次下請との間で作業工程を管理・調整するという作業は、精神的な緊張等を伴うものであり、Tにはこの面での心理的負荷が一定程度は存在したというべきである。 Tは、妻である原告Aと同居しており、同人と円満に過ごし、ある程度の貯蓄があるなど、同人との関係に何ら問題も窺われない。同様に、両親や同僚、友人などとの関係も良好であり、業務以外の人間関係等に何らかの心理的負荷の原因となる要因を見出すことはできない。Tは、男性不妊症及び精子減少症と診断され、平成16年1月から8月までの間投薬治療を続けていたが、同月13日には治療の限界として投薬治療が中止されており、男性不妊症及び精子減少症に罹患して治療を行っていたことは、Tにとって一定程度の心理的負荷になっていたことは否定し難いところである。しかしながら、不妊治療に関し、Tと原告Aとの間でトラブルになった事実はなく、Tが男性不妊症について深く悩んでいたことを窺わせる事情も見当たらない。他方、Tは主治医の説明に納得して人工授精の方法への切替えを選択して、説明会への参加を希望していたというのであり、これらの事実によれば、Tが男性不妊症及び精子減少症に罹患していたこと及びその治療等の経緯が、直ちに本件精神障害を発症させるほどの心理的負荷となったとは考え難い。 更に、Tは、周囲の者から、真面目、几帳面、責任感が強い、約束事に厳しいなどと評価されていたことなどに照らすと、その点のみを強調すれば、必要以上に心理的負担を抱え込みやすい性格であったとの評価があり得ることもあながち否定できないものの、Tには精神障害の既往歴は認められず、これまでの生活史、発達史においても特段の問題はない上、Tに同種の労働者として通常想定される範囲を逸脱するような性格の偏りがあることを窺わせる証拠は全くないから、上記の点をもってTに本件精神障害の発症に寄与する個体側要因と捉えることはできない。 以上を総合すると、Tは、本件工事に携わった平成15年8月以降、平成16年7月まで1年間という長期間にわたって過重な長時間労働に従事したことによって著しい肉体的・心理的負荷を受け、十分な休息を取ることができずに疲労を蓄積させた結果、平成16年7月までには本件精神障害を発症し、それに基づく自殺衝動によって本件自殺に及んだというべきであり(一般に業務繁忙のピークを過ぎてから自殺に至る例も多く見られる)、Tが従事した業務と本件自殺との間に相当因果関係があることは明らかである。3 安全配慮義務違反又は注意義務違反の有無 被告は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、労働者の労働時間、勤務状態等を把握して労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないよう配慮するのみならず、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当である。 これを本件についてみるに、本件自殺前には、Tの時間外労働時間が長期間にわたって極めて長時間に及んでいたことに加え、被告においては自己申告制が採られていたのであるから、厚生労働省が策定した基準に照らして、Tに対し、労働時間の実態を正しく記録し、適正に自己申告を行うことなどについて十分に説明するとともに、必要に応じて自己申告によって把握した労働時間が実際の労働時間と合致しているか否かについて実態調査を実施するなどし、Tが過重な時間外労働をすることを余儀なくされ、その健康状態を悪化させることがないように注意すべき義務があったというべきである。それにもかかわらず、被告は、Tを含む労働者が時間外労働及び休日労働をする際に正規の手続きを採っておらず、かつ、自己の勤務票に記載した時間外労働時間及び休日労働時間数と実際の時間外労働時間及び休日労働時間数が一致していないことを認識しながら、現場において工事の進捗状況や内容を確認したり、労働時間について労働者から話を聞いた上、労働者に対して口頭でできる限り残業を行わないことや土曜日は交替で休むことを指示したに留まり、Tに対して労働時間の実態を勤務票に正しく記録し、適正に自己申告を行うよう指導したり、労働者の労働時間に関する実態調査をすることもなく、その結果、労働者の心身の健康に悪影響を与えることが明らかな極めて長時間に及ぶ労働の状況を何ら是正しないで放置していたものである。したがって、被告には、不法行為を構成する注意義務違反があったというべきである。 被告は、Tの業務は過重なものではなく、仮にTにおいて心身の健康が損なわれるような事実があったとしても、被告には予見可能性がないと主張する。しかし、長時間労働の継続などにより疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると労働者の心身の健康を損なうおそれがあることは広く知られているところであり、そうすると使用者としては、上記のような結果を生む原因となる危険な状態の発生自体を回避する必要があるというべきであり、事前に使用者側が当該労働者の具体的な健康状態の悪化を認識することが困難であったとしても、これだけで予見可能性がないとはいえないのであって、当該労働者の健康状態の悪化を現に認識していたか、あるいは就労環境等に照らして労働者の健康状態が悪化するおそれがあることを容易に認識し得たというような場合には、結果の予見可能性が認められると解するのが相当である。 これを本件についてみるに、被告が、本件自殺までにTの具体的な健康状態の悪化を認識し、これに対応することが容易でなかったとしても、Tの時間外労働時間数が、1年という長期間にわたって連続して100時間を超えており、十分な支援体制が採られないまま、Tは過度の肉体的・心理的負担を伴う勤務状態において稼働していたのであるから、被告において、このような勤務状態がTの健康状態の悪化を招くことは容易に認識し得たといわざるを得ない。したがって、被告には、上記意味での予見可能性があったものといえるのであって、被告の主張は採用できない。4 過失相殺 Tの両親である原告B及び原告Cは、鹿児島県に居住していたというのであるから、Tの勤務状況等を随時把握し、これに対応できる立場にはなく、Tに病院を受診させたり、被告に訴えたりすべきであったということはできない。また、Tは自分がうつ病かも知れないとの疑いをもって原告Aに漏らしたことがあり、原告AもTのうつ病あるいはその予兆ともいうべき症状に気付いていたことが窺われるが、うつ病の発症や治療の要否の判断は容易ではなく、T及び原告Aがうつ病に関する十分な知識を有していたとも認められない。むしろ、Tの就労状況からすれば、使用者である被告が当然に労働時間の抑制その他適切な処置をとるべきであったといえるから、T及び原告Aに過失を認めることはできない。本件において、業務以外の心理的負荷あるいは個体側要因による寄与度に基づく減額を認めることは相当ではなく、被告の責任を軽減すべき事由を認めることはできないから、過失相殺をすることは相当ではない。5 損害額(1)第1事件 Tの平成15年における年収は443万9228円であるところ、これを死亡による逸失利益の基礎収入とするのが相当である。Tは妻である原告Aと生活しており、子供がいなかったことから、生活費控除率は40%とするのが相当であり、Tは死亡当時30歳であり、37年間就労可能であって、ライプニッツ係数は16.7113であるから、逸失利益は4451万1162円となる。Tが死亡するに至った経緯、Tと原告Aの生活状況等諸般の事情を総合すると、Tの死亡による慰謝料は2400万円、葬祭料は150万円が相当である。相続額は、原告Aが4667万4108円、原告B及び原告Cが各1166万8527円となる。 原告Aは、遺族補償年金として合計641万3626円、葬祭料として64万7400円の各支給を受けているところ、これにより、各給付の対象となる損害と同一の事由に当たる死亡逸失利益及び葬祭料について損害の填補がされたと認められ、その価額の限度で被告は賠償責任を免れる。したがって、原告Aの損益相殺後の損害は、3961万3082円となる。本件と相当因果関係が認められる弁護士費用は、原告Aにつき390万円、原告B及び原告Cにつき各110万円と認めるのが相当である。(2)第2事件 被告の業務上災害補償規程28条1項によれば、被告が原告Aに支払うべき弔慰金の額は2500万円である。そして、本件自殺につきTの故意又は重過失を認めるに足りる証拠はないから、被告は、原告Aに対し更に500万円を支払うべきである。
適用法規・条文
02:民法415条、418条,
収録文献(出典)
労働判例999号14頁
その他特記事項
本件は控訴された。 ・法律  民法 ・キーワード  配慮義務、慰謝料