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空港職員インターフェロン治療自殺事件
- 事件の分類
- その他
- 事件名
- 空港職員インターフェロン治療自殺事件
- 事件番号
- 大阪地裁 − 平成19年(ワ)第9070号
- 当事者
- 原告個人3名 A、B、C
被告貨物運送事業会社 - 業種
- 運輸・通信業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2010年02月15日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却
- 事件の概要
- 被告は、貨物運送事業、旅行業等を営む株式会社であり、甲(昭和25年生)は昭和44年4月被告に入社し、添乗業務に従事した後、平成7年9月からE社に出向してX空港事務所に勤務し、平成12年10月から同社Y空港事務所に勤務となり、平成13年12月から被告の子会社であるF社に出向し、Y空港で勤務した後、平成16年4月からX空港の勤務となった。
甲は、平成4年6月の人間ドック受診時に、C型肝炎抗体陽性と診断され、その後通院治療を受けていた。甲はインターフェロン治療のため、平成16年6月8日に入院し、同年7月8日に退院した後、平成17年3月8日まで週3回のインターフェロン治療を継続した。甲は入院前の面談で、次長らから、疾患を抱えたまま転勤し、異動直後に入院することにつき問い質され、退院後も同様な発言が繰り返された。また、甲が更に半年間通院が必要と伝えたところ、次長から退職を示唆するような発言を受け、自宅療養の指示を受けた。甲はこれらの対応に不満、不安を抱いて非常に落ち込み、解雇される、生活できないなどと家族に話したほか、自宅待機中の給与に不満を抱き、平成16年7月にユニオンに加入した。
甲は、同年10月にW支店に配転され、旅行関連業務に従事したが、同支店の保健指導員と面談した結果、インターフェロン治療の3ヶ月につき業務軽減措置が施された。甲は平成17年2、3月頃から死にたいなどと言うようになり、神経科を受診したところ、うつ病と診断され、同年3月8日から4月25日まで入院した。甲は同年5月27日から復職し、W支店で入金確認、予約受付等の業務に従事し、しばらくして午後7時ないし7時半頃まで残業するようになった。
甲は、復職後は入院前に比べ徐々に快方に向かっていたが、平成18年10月頃、宿泊手配のミスが発生し、課長から「イエローカード」と題するメール(本件メール)での叱責を受け、それに対するお詫びのメールを同年11月2日に課長に送信し、同月5日、自宅で自殺した。
甲の妻である原告A、甲の子である原告B及び同Cは、甲の自殺は、甲のC型肝炎を知りながら重労働させるなど被告の安全配慮義務違反と、出向先での人格を傷つけるような退職強要等によるものであるとして、被告に対し、逸失利益2234万1651円、慰謝料2800万円等を請求した。 - 主文
- 1,被告は、原告Aに対し、金165万円及びこれに対する平成19年8月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2,被告は、原告Bに対し、金83万円及びこれに対する平成19年8月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3,被告は、原告Cに対し、金83万円及びこれに対する平成19年8月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4,原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
5,訴訟費用は、これを15分し、その1を被告の負担とし、その余を厳酷らの負担とする。
6,この判決は、第1項ないし第3項に限り、仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 本件発症前の被告の安全配慮義務違反について
原告らは、C型肝炎患者にとって、長時間労働や激しい肉体労働が禁忌であるにもかかわらず、被告は何の配慮もしないで甲を配転させ、過酷な職務に従事させた安全配慮義務違反があった旨主張する。しかしながら、C型肝炎に罹患しているからといって当然に就業制限を要するものとは認められない。そして甲の出向先での勤務が、甲の健康状態に照らして過重なものであったと的確に認めることはできず、C型慢性肝炎の状態が、一般的な病状の推移を超えて勤務状況により悪化したことを認めるに足りる証拠はない。
また、原告らは、甲がE社Y空港事務所に転勤した直後、同社社長から「君は49歳だからもう行くところがない。どこも雇ってくれない」などと言われたと主張するが、仮にそのような発言がなされたとしても、それが直ちに甲の人格を傷つける違法な発言であるとか、退職強要等の違法行為があったと認定することはできない。
原告らは、賃下げが労働者に致命的な不利益をもたらし得ることからすれば、本件賃下げは違法であり、労働者に対する安全配慮義務に違反すると主張するが、単に減収があることをもって直ちに被告の安全配慮義務違反ということはできない。
原告らは、甲がインターフェロン治療のため入院する旨告げたことに対する上司の対応が不当であり、上司らの発言が甲に相当の精神的衝撃を与えたなどと主張する。これについては、被告は甲の病状を把握した上で出向を決定したものであるし、治療経過等は被告にとっても十分に把握可能であったと考えられ、これらによれば、平成16年4月の甲のX空港への異動時に、甲がC型慢性肝炎に罹患していたことや、その病状について引継ぎをしなかったことは、専ら被告の不備というべきである。そして、次長が異動後間もない甲に対し、インターフェロン治療を受けることを非難するような発言をしたことは不適切な対応であったといわざるを得ない。その上で、次長が面談の際に、甲が治療に専念するため退職を示唆する発言をしたことは、退院直後の甲の不安を増大させ、精神状態を悪化させるものであって、精神面を含む健康管理上の安全配慮義務に違反するものということができる。
インターフェロンの副作用としてうつ状態等の精神症状を生じ得ることは、当時の医学的知見として一般的であること等に照らせば、被告は、次長らの発言や甲に対する対応が、治療中の甲に対し、うつ状態等の精神症状を発症させる危険性があることについても、予見可能性、予見義務があったということが相当である。
2 被告の安全配慮義務違反との相当因果関係等について
被告の安全配慮義務違反行為は、甲の不安症状を強め、その頃発症した不安・抑うつ状態を持続・長期化させ、うつ症の発症に相当程度の寄与をしたものというべきであるから、本件発症との間に相当因果関係を認めることができる。しかしながら、甲に精神疾患を発症させた原因が、専ら被告の安全配慮義務違反にあるとまではいえず、甲のうつ症状はインターフェロンの副作用を重要な要因として発症したとみることが相当である。
3 本件発症後の被告の安全配慮義務違反について
原告らは、被告が神経科入院中の甲に対して面談を強要したことが安全配慮義務違反である旨主張するが、従業員が入院したことを知った場合、保健指導員が、状況把握のため、可能な限り本人との面談を求めることは、通常の業務の範囲内というべきであり、これが直ちに安全配慮義務違反と断じられるべきものではない。
原告らは、甲の残業が、特に平成18年3月以降急増し、就業制限が守られていなかったなどと主張するが、C型慢性肝炎に罹患しているとはいえ、その具体的症状や職種等に鑑みれば、同月以降就業制限措置が取られていなかった甲に対する一切の残業が当然に禁止されるべきものとまではいい難い。
本件メールは、甲らの手配ミスに対する上司の注意、叱責として送付されたと認められるところ、その文字は「2度目はありません」などの厳しい表現はあるものの、必ずしも解雇の最後通牒の趣旨と解されるものではなく、「イエローカード」というタイトルも、警告等の意味があることは格別、「退場の予告又は退場を迫る趣旨」とまで当然に理解されるものとはいえない。なるほど、本件手配ミス及び本件メールの送付が、結果的に甲の自殺のきっかけになったことは否めないが、本件手配ミスは、業務上の基本的なミスを原因とするものであって、営業店等関係方面に与えた影響も決して軽微とまではいえないから、上司である課長が甲に注意ないし叱責することは、通常の業務の範囲内の行動として許容される事項であり、本件メールの送付もその範囲を逸脱したものとはいえないというべきである。
原告らは、本件メールの送付は、解雇を最も恐れてうつ病に罹患していた甲の精神面の健康保持に対する安全配慮義務違反である旨主張するが、甲は被告に対し、うつ病に罹患していることや治療経過等を報告していないから、甲が平成18年10月以前に、特に就業制限や就労上の配慮を要する状態であったと認めることはできないし、被告が甲につき、そのような状態と認識すべきであったとは認められない。更に、甲の精神状態が明らかに悪化したのは、同年11月2日の本件メール送付の頃であったことも認められる。そうすると、被告において、本件手配ミスが発覚し、課長が本件メールを送付する時までに、甲の精神疾患の症状が、自殺の危険性を有する状態であり、業務上のミスに対しても特別の配慮をもって対応すべきであったとまではいえない。
以上、本件メールの送付に関し、被告が甲に対し、解雇に対する恐れからうつ病に罹患していることを前提とした処遇をしたり、自殺の危険性等も予見した対応を取るべき義務があったということはできないから、甲の職務上のミスに対し、課長が本件メールを送付したことが、威嚇や退職強要の違法行為に当たると認めることはできない。
4 被告の安全配慮義務違反と甲の死亡との相当因果関係について
被告の安全配慮義務違反と甲の本件発症との間に相当因果関係を認めることができるが、これが直ちに、被告において、甲がうつ病により自殺することまでの具体的予見可能性、予見義務があったとまでいうことはできない。甲は本件発症後、大きなうつ症状の悪化等もなく、徐々に快方に向かっていたにもかかわらず、本件手配ミスによる業務上のトラブルにより精神状態が悪化し、本件メールの受領等も加わって急激に落ち込んだ状態になったことが自殺のきっかけとなったものと認められる。このような経過の中での甲の自殺は、被告の前記安全配慮義務の違反行為を原因とする通常の因果の流れにある事実と認めることは困難であり、結局、被告の安全配慮義務違反と甲の自殺との間に相当因果関係を認めるには至らないというほかない。
5 損 害
甲は、被告の安全配慮義務の違反により本件発症を生じたことにつき精神的損害を被ったものということができる。そして被告は、甲の健康に関する情報の把握や、入院治療後の甲に対する配慮を怠ったことにより、甲の抑うつ状態を悪化させて本件発症に寄与したものであり、本件発症に相当の影響を与えたものということができる。もっとも、その一方で、本件発症はインターフェロンの副作用を重要な要因とし、インターフェロン治療自体に対する甲の不安、医療ミスに対する疑いや胆嚢炎等による体調の悪化等、他の複数の要因が寄与していることなども認められる。結局、これら諸般の事情を総合考慮すると、甲の本件発症に対する慰謝料としては、300万円が相当である。
原告らは甲の相続人であるから、その法定相続分に従い、原告Aが150万円、原告B及び同Cが75万円ずつ相続し、弁護士費用は、原告Aにつき15万円、原告B、同Cにつき各8万円の限度で被告に負担させることを相当と認める。 - 適用法規・条文
- 02:民法415条、709条,
- 収録文献(出典)
- その他特記事項
- ・法律 民法
・キーワード 慰謝料、配慮義務
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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