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地公災基金愛知県支部長(市役所職員)自殺控訴事件

事件の分類
その他
事件名
地公災基金愛知県支部長(市役所職員)自殺控訴事件
事件番号
名古屋高裁 − 平成20年(行コ)第56号
当事者
控訴人個人1名

被控訴人地方公務員災害補償基金
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2010年05月21日
判決決定区分
原判決破棄(控訴認容・上告)
事件の概要
T(昭和21年生)は、昭和47年4月にA市に採用され、土木、税務、教育委員会等を経て、平成14年4月、初めて福祉系の部署となる健康福祉部児童課長となった。児童課は、多くの難しい課題を多数抱えるなど、他課に比べて格段に仕事の種類が多く、仕事の難易度も高かった。

 Tの上司である健康福祉部長はTと同期生で、同期のトップで部長に昇進し、仕事には精通していたが、その一方、感情的・高圧的に部下を叱りつけることがしばしばあった。

 Tが着任した当時、児童課が担当する総合的な保育システム(本件保育システム)の計画に遅れが生じており、Tは早急に対応を迫られることとなったほか、A市では、同年7月から育児の援助を行うファミリーサポートセンターの開始を予定していたが、その準備も遅れていた。また、JC(青年会議所)では、同年5月26日に予定されていた祭において、保育園に対しアンケートを実施すべくA市に協力依頼していたが、児童課はその協力を見合わせていたところ、同月23日にJC幹部2名がA市役所を訪れ、応対したTと補佐に対し強い調子で抗議した。

 Tは同年4月上旬頃、簡単な間違いをするようになったほか、妻に対して仕事がわからない、辞めてもいいかなどと言うようになった。Tは4月後半になっても不眠と食欲不振が続き、同年5月27日午前4時頃、自宅居間で縊死した。Tの自殺前約6ヶ月間における時間外労働は、本件異動前の平成13年11月から平成14年1月にかけては0であり、同年2月が18時間、3月が24時間45分、4月が32時間、5月が34時間であった。

 Tの妻である控訴人(第1審原告)は、Tの死亡は公務に起因するものであるとして、被控訴人(第1審被告)に対し地公災法に基づき公務災害認定の請求をしたが、被控訴人はこれを公務外災害と認定した(本件処分)ことから、控訴人は本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。

 第1審では、Tは公務上強度の精神的負荷を受けたとは認められない一方、個体側の要因により大きな発症の原因があることが窺えるとして、Tの自殺と公務との間の相当因果関係を否定し、請求を棄却したことから、控訴人はこれを不服として控訴に及んだ。
主文
1,原判決を取り消す。

2,地方公務員災害補償基金愛知県支部長が控訴人に対して平成16年12月22日でした地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分を取り消す。

3,訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
判決要旨
1 Tのうつ病発症の時期について

 Tは、4月下旬頃から遅くとも5月6日頃までの間には、ICD-10における「F32.2精神病症状を伴わない重症うつ病エピソード」を発症したものと認められる。したがって、平成14年4月上旬から半年前までの間にTに過重な心理的負荷を与えるような状況にはなかったことを理由として、Tのうつ病発症が公務とは関係がないとの裁決の理由は是認できない。

2 公務起因性の判断基準について

 地方公務員災害補償法に基づく遺族補償は、「職員が公務上死亡した場合」に行われるものであるところ、地方公務員災害補償制度が、公務に内在又は随伴する危険が現実化して職員に死亡や傷害等の結果をもたらした場合には、使用者の過失の有無にかかわらず職員の損失を補償するとともに、職員及びその遺族の生活を保障する趣旨から設けられたものであると解されることからすれば、職員の死亡についての公務起因性を肯定するためには、公務と死亡の原因となった傷病等との間に条件関係が存在することのみならず、社会通念上、その傷病等が公務に内在ないし随伴する危険が現実化したものと認められる関係、すなわち相当因果関係があることを要するというべきであり、この理は、その傷病等が精神障害等の場合であっても異なるものではない。そして、うつ病などの精神障害については、その発症や増悪は、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で決まり、環境由来のストレスが強ければ個体側の脆弱性が小さくとも精神障害が起こる一方、個体側の脆弱性が大きければ環境由来のストレスが弱くとも精神障害が起こるとする「ストレス脆弱性理論」が医学的知見として広く受け入れられており、妥当な考え方であると解される。そして、公務と精神障害の発症、増悪との間の相当因果関係の判断に当たっては、精神障害の発症の原因と見られる公務の内容、勤務状況、公務上の出来事等を総合的に検討し、当該職員の従事していた公務に、当該精神障害を発症させる一定程度以上の心理的負荷が認められるかどうかを検討することが必要である。そして、公務の内容、勤務状況及び公務上の出来事等による心理的負荷の有無及びその強度を検討するに当たっては、何を基準にそれを判断するかが問題となるところ、地方公務員災害補償制度の趣旨からして、基本的には、同種の平均的職員、すなわち、職場、職種、年齢及び経験等が類似する者で、通常その公務を遂行できる者を一応観念して、これを基準とするのが相当であると考えられるが、そのような平均的職員は、経歴、職歴、職場における立場、性格等において多様であり、心理的負荷となり得る出来事等の受け止め方には幅があるところであるから、通常想定される多様な職員の範囲内において、その性格傾向に脆弱性が認められたとしても、通常その公務を支障なく遂行できる者は平均的職員の範囲に含まれると解すべきである。

3 公務の内容自体からくる心理的負荷の過重性

 Tが異動した平成14年4月当時は、本件保育システムの完成遅れの問題やファミリーサポートセンター計画遅れの問題があり、しかも、いずれもTが児童課に異動してから知らされた問題であり、早急の対応が求められる事案であって、対応を間違えると重大な問題となりかねない事案であったことが認められ、これによる心理的負荷は相当なものがあったと認められる。

この点、被控訴人は、課長職にある者が従来経験したことのない部署に異動することは通例行われるものであること、課長の職務は職員を指揮監督することであって、自ら事務に従事することはまれであること、時間外勤務時間数からもTの職務がそれほど過重でなかったことなどを主張する。しかし、もともと児童課は重要な課題を多数抱え、関連法令の制定改正も頻繁であり、他の課に比べて難易度も高いことが認められるだけでなく、Tが課長に就任した当時は、異例にも早々に4月23日までの報告書提出及びヒアリングの実施を部長から指示され、また本件保育システムの完成の遅れやファミリーサポートセンターの計画の遅れという重大な問題が特別に生じていたものであって、このような職務を課長として担当すること自体、平均的な職員にとっても心理的負荷は大きいものであったと認められる。そして、その職務の困難性は質的なものであることに鑑みれば、Tの時間外勤務時間が従前に比してさほど長くないからといって、心理的負荷の大きさが否定されるものではない。また、一般的に従来経験したことのない部署に異動した事自体が特別な負荷といえるものでないことは被控訴人主張のとおりであるが、本件の場合の問題は、当時の児童課における具体的な職務が特別に負荷の大きいものであったというものであり、しかも、部長のような上司が待ち構えている状況下での児童課長への異動による心理的負荷の大きさは格別なものであったといえるから、被控訴人の主張には理由がない。

更に、被控訴人は、本件保育システムやファミリーサポートセンター計画の問題は、それぞれ主任、補佐の担当であり、いずれも間もなく解決されていることであって、JCからの苦情も、脅迫というほどのものではなく、問題は解決していることなどを主張し、児童課での出来事がいずれも大して心理的負荷の生ずるようなものではなかった旨主張する。しかし、本件保育システムやファミリーサポートセンター計画が最終的に解決されたのは結果論であって、Tがうつ病を発症した4月下旬ないし5月初旬頃においては未だ解決しておらず、担当課長としての不安はむしろ募る一方の時期にあったこと、しかも、Tは着任早々、これらの問題の他に、複雑多岐にわたる児童課の仕事内容を前倒し的に把握しなければならない状況に迫られていたところであり、これらは複合的相乗的にTに対する心理的負荷として作用したものと判断するのが相当である。加えて、JCからの苦情は、客観的にはそれ自体が脅迫に及ぶようなものではなかったと認められるが、既にうつ病に罹患しており、事情を知らずに対応したTにとっては、うつ病の増悪をもたらすに十分な出来事であったということができる。

4 人間関係からくる心理的負荷の過重性

 部長の部下に対する指導は、人前で大声を出して感情的、高圧的かつ攻撃的に部下を叱責することもあり、部下の個性や能力に対する配慮が弱く、叱責後のフォローもないというのであり、それが部下の人格を傷つけ、心理的負荷を与えることもあるパワーハラスメント(パワハラ)に当たることは明らかである。また、その程度も、このままでは自殺者が出ると人事課に直訴する職員も出るほどであり、部長のパワハラは市役所内では周知の事実であった。Tは、この部長の下で質的に困難な公務を突然担当することになったものであって、55歳という加齢による一般的な稼働能力の低下をも考え合わせると、部長の下での公務の遂行は、Tのみならず、同人と同程度の年齢、経験を有する平均的な職員にとっても、かなりの心理的負荷になったものと認められる。

 なお、確かに、部長が仕事を離れた場面で部下に対し人格的非難に及ぶような叱責をすることがあったとはいえず、指導の内容も正しいことが多かったとはいえるが、それらのことを理由に、これらの指導がパワハラであること自体否定されるものではなく、ファミリーサポートセンター計画の件においては、補佐の起案が国の基準に合致していたにもかかわらず、部長はそれを超えた内容を求め続け、高圧的に部下を強く非難、叱責したものであって、このような行為が部下に対して与えた心理的負荷の程度は大きいものというべきである。また、部長の部下に対する非難や叱責等は、直接Tに向けられたものではなかったが、自分の部下が上司から叱責を受けた場合には、それを自分に対するものとしても受け止め、責任を感じるというのは、平均的な職員にとっても自然な姿であり、むしろそれが誠実な態度というべきである。そうであれば、Tはその直属の部下が部長から強く叱責等された際、これにより心理的負荷を受けたことが容易に推認できるのであって、そのことはTが部長のことを「人望のない部長、人格のない部長、職員はヤル気をなくす」と書き残したメモからも明らかである。

 以上のとおりであるから、部下に対する指導のあり方にパワハラという大きな問題のあった上司の下で、児童課長として仕事をすることそれ自体による心理的負荷の大きさは、平均的な職員にとっても、うつ病を発症させたり、増悪させることについて大きな影響を与える要因であったと認められる。

5 全体としての検討

 以上を総合すれば、Tは、これまで経験したことのない福祉部門の部署であり、重要問題も多く抱えた児童課に異動となったのみでなく、当時の児童課には本件保育システムの完成の遅れ、ファミリーサポートセンター計画の遅れなどの重要問題を抱えており、しかも異動後に事情を知らされ、課長としては早急に対応を迫られる問題であったこと、しかも当時の上司は、パワハラで知られた部長であり、現実に、Tが児童課に異動後すぐに課別の検討課題についての報告書の提出やヒアリングを求められたり、ファミリーサポートセンター計画に関する文案について部長の決裁がなかなか得られず、Tの部下であり担当者である補佐に対して大きな声で厳しく非難するような事態が生じたことなどによる心理的負荷が重なり、そのためにTは平成14年4月下旬頃から5月6日の連休明け頃までの間にうつ病を発症したことが認められ、発症後も、管理職研修での事前準備が間に合わなかった不全感、本件ヒアリングにおける部長からの厳しい指導や指示、JCからの苦情などにより、更に病状を増悪させるに至り、それにより、Tは同年27日に自殺するに至ったものと認められる。そして、上記心理的負荷は、平均的職員を基準としても、うつ病を発症させ、あるいはそれを増悪させるに足りる心理的負荷であったと認めるのが相当である。

 これに対し、被控訴人は、Tのうつ病の発症の主たる原因は、同人のメランコリー親和的性格、執着性格といった病前性格にある旨主張する。しかしながら、Tがそれらの病前性格を有していたことは認められるが、Tにおいても同人の家族においても、うつ病発症の前歴はなく、またTは児童課に異動するまでは約30年間にわたり多くの部署を大過なく歴任し、しかもその中にはクレーム対応の仕事も含まれていたことからすれば、本来異動に耐える職務遂行能力を十分に有していたといえるところであり、これらからすれば、Tの病前性格は、平均的職員が有する性格特性として通常想定される範囲内のものというべきであって、それを超えて特別にストレスに対する脆弱性が大きかったとは認め難く、被控訴人の主張は採用し難い。

 以上のとおりであって、Tが児童課に異動した後に勤務に関して生じた一連の出来事は、通常の勤務に就くことが期待されている平均的な職員にとっても、社会通念上、うつ病を発症、増悪させる程度の危険を有するものであり、Tのうつ病の発症、増悪から自殺に至る過程は、これらの業務に内在又は随伴する危険が現実化したものというべきであるから、本件におけるTの自殺には公務起因性が肯定される。
適用法規・条文
05:地方公務員法地方公務員災害補償法31条、42条,
収録文献(出典)
労働判例1013号102頁
その他特記事項
本件は上告された。

 ・法律  地方公務員災害補償法、労災保険法
 ・キーワード  配慮義務、パワーハラスメント