判例データベース
S社(思想差別)事件(パワハラ)
- 事件の分類
- 職場でのいじめ・嫌がらせ
- 事件名
- S社(思想差別)事件(パワハラ)
- 事件番号
- 静岡地裁浜松支部 − 平成12年(ワ)第274号(第1事件)、静岡地裁浜松支部 − 平成13年(ワ)第384号(第2事件)
- 当事者
- 原告 個人7名A、B、C、D、E、F、G
被告 株式会社 - 業種
- 製造業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2005年09月05日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(控訴)
- 事件の概要
- 原告らは、被告の従業員又は元従業員であり、S社労働組合の組合員と元組合員であって、昭和33~43年に入社後日本共産党に入党した。
原告らは共産党員であることを理由に被告がら不当な考課査定を受け、その結果、昇格・昇給において著しい差別を受けたとして、原告Aについては平成9年7月から16年8月まで、原告Cについては平成10年10月から12年12月まで、原告B、D、E、Fについては平成10年10月から14年4月までの間、差別がなかったら得られたであろう賃金、賞与及び退職金と実際に支給された賃金、賞与及び退職金との差額、賃金差別をされてきたことに対する慰謝料及び弁護士費用、総額約1億5768万円の支払を請求した。 - 主文
- 1 被告会社の対応
昭和47年頃から、原告らが会社正門前において、被告を批判するビラを配布したことや、同所で行った演説に対して、被告が阻止行動を行っていることが窺える。この点被告は、その施設外であっても、施設付近から施設内に向けられた拡声器による演説は施設内で行うのと大差なく、構内に入っていく従業員に正門付近でビラを配ることは施設内で配るのとほとんど変わらないとして、これらを規制することは施設管理権の行使として許されるなどと主張している。しかしながら、原告Aらによってビラが配られた昭和47、8年当時、被告がこのような説明をしていた事実は窺えず、後から考えた理由に過ぎないし、少なくとも、ビラの配布については公道で行われている以上、これが就業規則違反になるとはいい難いから、当時被告が原告Aらによるビラ配りや拡声器による演説を阻止した理由は、このような行為を被告に敵対する公道若しくは少なくとも好ましくない行動としてとらえて嫌悪し、阻止したいと考えていたからというほかない。また、監督者教育に際しては、反共教育と受け取られるような教育を施すなどしていることが窺える。更に労働組合における支部委員選挙にあっては、被告の職制が相当程度介入しており、このことからも、被告としては、被告として共産党の労働組合への進出を嫌悪、警戒していたことが窺える。
2 給与体系及び考課査定について
平成8年までの給与体系では、終身雇用を前提として、年功序列的な要素を多分に含んでいることは明らかである。しかしながら、平成8年までの給与体系では、「1」と評価された場合、考課点は0であるため、これを取り続けると全く昇格する可能性すらないことになってしまう。被告としては「1」の割合を5%に止めるよう配慮しているとはいえ、必ず5%いるとも言い切れず、「1」の査定を受けることが他の従業員との比較においてそれなりの合理性を有しているといえるか甚だ疑問である。被告の就業規則においても、昇給停止は、譴責、減給、出勤停止、降格などと並んで懲戒の一事由とされている。しかも、平成8年までの給与体系は、考課点の累積で年功的に昇格させていくシステムであることからすれば、全く考課点のつかない「1」の評価をつけるに当たっては、被告に人事考課の裁量権があることを考慮したとしても、単に相対的な評価だけで5%の従業員の位置に置くことは許されず、そのような劣位な考課査定をするには、何ら正当な理由なく出勤して来ないなどといった著しく劣悪な勤務態度にあることが必要である。
もっとも、平成8年の給与体系の改定では、年功序列賃金の見直しが行われた結果、より能力が反映するようになっており、能力給としての側面が強くなっている。またこの給与体系では、経験を積んだことによる能力アップは職能等級の中で評価することとし、従来の年功的な勤務給は廃止されている。このような平成8年の能力給としての側面を強化した給与体系改定の趣旨からすると、そこでの考課査定の判断は、被告の裁量に相当程度委ねられているというべきである。
3 原告ら各人の勤務態度等について
原告Aの一連の活動に対して嫌悪した被告が、そのことをもって原告Aの考課査定を昭和47年度及び昭和52年度から平成6年度まで「1」としたことは、原告Aに対する賃金差別というほかない。これに対し原告Aは、昭和47年及び同48年に譴責処分に処せられており、それに対する始末書の提出命令が昭和49年7月頃まで出されていたことからすれば、昭和48年度から昭和50年度にかけては、その勤務態度が著しく劣悪と評価されてもやむを得ず、この間の「1」ないし「2」の考課査定について、賃金差別ということはできない。また、昭和51年度及び平成7年度以降の「2」については、「3」の考課点の半分ではあるものの、全く考課点が累積しないわけではないし、そもそも人事考課については被告に裁量が認められていること、その裁量は平成8年の給与体系の改定に伴い拡大していること、原告Aは仕事ぶりに全く問題がないとはいえないこと、時間外労働や交替制勤務に就いていないことなどからすれば、そのような考課査定が賃金差別の結果行われたものとまでいうことはできない。
原告Bの一連の活動に対して嫌悪した被告が、そのことをもって考課査定を昭和48年度から昭和50年度まで「1」としたことは、原告Bに対する賃金差別というほかない。これに対し昭和51年度以降の「2」は「3」の考課点の半分ではあるものの、全く考課点が累積しないわけではないし、そもそも人事考課については被告に裁量が認められていること、その裁量は平成8年の給与体系の改定に伴い拡大していること、原告Bはフライス盤加工以外については積極的に行わなかったことや仕事中の私語が目立ったことなど仕事ぶりに全く問題がないとはいえないこと、時間外労働や交替制勤務に就いていないことなどからすれば、そのような考課査定が賃金差別の結果行われたものとまでいうことはできない。
原告Cの一連の活動に対して嫌悪した被告が、そのことをもって考課査定を昭和48年度、昭和50年度、昭和54年度及び昭和59年度から平成6年度まで「1」としたことは、原告Cに対する賃金差別というほかない。これに対し昭和49年度、昭和51年度から同53年度まで、昭和55年度から同58年度まで及び平成7年度以降の「2」は「3」の考課点の半分ではあるものの、全く考課点が累積しないわけではないし、そもそも人事考課については被告に裁量が認められていること、その裁量は平成8年の給与体系の改定に伴い拡大していること、原告Cにはコンピューター制御された機械に対応し切れなくなり、仕事に時間を要するようになるなど仕事ぶりに全く問題がないとはいえないこと、時間外労働や交替制勤務に就いていないことなどからすれば、そのような考課査定が賃金差別の結果行われたものとまでいうことはできない。
原告Dの勤務状況としては、昭和46年頃から昭和49年にかけての営業出向中の勤務態度は、営業に不慣れであったことを考慮しても、上司の指示には従わず、連絡をとることなく外出した状態が頻繁にあったことからすれば、この間は低い査定になったとしてもやむを得ないというべきである。しかし、その後磐田工場に戻ってからは、少なくとも「1」となるまでの劣悪な勤務態度であったということはできない。もちろん、被告には考課査定に当たって裁量が与えられ、その範囲内では自由に査定することができるが、平成8年までの給与体系においてはその裁量は限定されている上、原告Dが昭和60年に骨折した際に、同人に清掃作業を行わせたことなどからすれば、被告の原告Dに対する昭和51年度以降平成6年度までの「1」査定は裁量を逸脱したものというほかない。このような著しく低い効果査定がなされたのは、この間、原告Dが労働基準監督署に申入れを行ったり、共産党員としての活動を積極的に行うなどしていたこと以外にその理由は見当たらない。そうすると、原告Dに対する昭和51年度以降平成6年度までの「1」査定については違法というほかない。
原告Eが昭和51年度及び同52年度に「2」と評価された理由については必ずしも明らかでないものの、被告Eが公然と共産党員としての活動を行うようになったのは昭和59年頃以降であることからすれば、原告Eが共産党員としての活動を行ったことによるものではない。また昭和51年度以降「2」と評価されるようになった理由については、原告Eがその経験を生かすことなく、積極的な行動がなく、機械を作動させた後は仕事中に帰ってしまったり、上司の指示に従わないなどといったことによるものと思われる。そして「2」は「3」の考課点の半分ではあるものの、全く考課点が累積しないわけではないし、人事考課については被告に裁量が認められていること、その裁量は平成8年の給与体系の改定に伴い拡大していることなどからすれば、そのような考課査定が賃金差別の結果行われたものとまでいうことはできない。
原告Fが昭和47年度から同49年度までと昭和59年度から同63年度まで「1」とされた点については、原告Fが共産党員として目立った活動をしていたことに対する差別の現れと考えるほかないが、その後の「1」については、原告Fの勤務態度に起因するものとも考えられ、差別の現れということはできない。
原告Gは、仕事を堅実に行っており、さまざまな治具を考案するなど、仕事に責任をもって行っていたことが十分窺える上、残業・休日出勤も他の従業員と遜色なく行っていることが窺える。このような原告Gの勤務状況からすれば、少なくとも平均的な考課査定は与えられてしかるべきである。原告Gの考課査定が「2」や「1」になったのは、専ら昭和40年代後半から昭和50年代前半と原告Gが55歳になった平成10年度以降と言うことが出来る。このように平成10年度以降は年齢により考課査定が低くなったという事情も考えられることからすれば、その考課査定が著しく裁量を逸脱しているとは直ちにいえないものの、昭和40年代後半から昭和50年代前半にかけてはそのような事情は特段窺えず、考課査定が低く抑えられた原因は、会社において共産党員としての活動を行っていたことしか考えられない。したがって、被告が原告Gを昭和46年度から昭和54年度にかけて「2」ないし「1」の考課査定をしたことは不当な差別といわれても仕方がない。
4 賃金差別相当損害金(賃金、賞与、退職金)の請求について
原告Eを除く原告ら(原告ら6名)には、被告による差別の結果と考えられる低い考課査定がなされているために、昇給ができなかったり、昇給が著しく遅れてしまっており、本来差別されなければできたであろう昇給に伴って支給されるべき賃金を受給できなくなってしまっている。
本来差別されていなければできたであろう昇格に伴って支給されるべき原告ら6名の賃金の算出に当たっては、原告ら6名各自の同期・同学歴の標準的な従業員の平均賃金をもってこれに当たると考えることが一つの目安になるものと考えられる。その際、日本共産党員であることが明らかになっている従業員について除外しておくのが相当である外、原告ら6名はいずれも男性従業員であることからすれば、女性従業員を除外することもそれなりの合理性が窺えるし、被告の関連子会社で雇用された従業員についても、当初の雇用条件等が異なることを考えると除外することに合理性がある。原告ら6名は被告に長年勤務してきたのであるから、標準的な従業員の平均賃金算出に当たり、中途退職者を含めることは妥当でない。なお、原告ら6名が差別されることなく考課査定されていた場合には、そのうちから役職に就く者が出ることも考えられないではないところから、標準的な従業員から役職者を除外すべきではない。
(各自の認定額略) - 判決要旨
- 適用法規・条文
- 労働判例907号87頁
- 収録文献(出典)
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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静岡地裁浜松支部 − 平成12年(ワ)第274号(第1事件)、静岡地裁浜松支部 − 平成13年(ワ)第384号(第2事件) | 一部認容・一部棄却(控訴) | 2005年09月05日 |
東京高裁 − 平成17年(ネ)第4922号 | 1審被告控訴認容、1審原告ら控訴棄却(上告) | 2006年12月07日 |