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D印刷採用内定取消事件

事件の分類
採用内定取消
事件名
D印刷採用内定取消事件
事件番号
大津地裁 - 昭和44年(ワ)第84号
当事者
原告 個人1名
被告 株式会社
業種
製造業
判決・決定
判決
判決決定年月日
1972年03月29日
判決決定区分
認容(控訴)
事件の概要
被告は総合印刷を業とする株式会社であり、原告は昭和44年3月にS大学を卒業した者である。被告は、昭和43年6月頃、S大学に対し、昭和44年3月卒業予定者で被告への入社希望者の推薦を依頼し、原告はこれに応募して昭和43年7月12日に採用内定通知を受領した。その際、被告は右通知書に同封して誓約書用紙を送付したので、原告はこれに従って、期限である同月18日までに同誓約書を被告宛に送付した。同誓約書では、卒業後は間違いなく入社することのほか、1)履歴書身上書等書類の記載事項に事実と相違した点があったとき、2)過去に於て共産主義運動及び之に類する運動をし、又は関係した事実が判明したとき、3)本年3月学校を卒業できなかったとき、4)入社迄に健康状態が選考日より低下し勤務に堪えないと認められたとき、5)その他の事由によって入社後の勤務に不適当と認められたときには、採用内定取消をされても異存はない旨記載されていた。

原告と同時期に被告に応募した大学卒業予定者に対する採用試験については、採用内定者のうちから辞退者の出ることを予想して、被告では20名位を採用内定する計画で、面接試験には約50名を受験させたが、内定者を決定する段階で約3名の不足があり、このため当初不採用の予定であった原告を採用内定としたが、原告に対する調査をしている段階で原告が従業員として不適格であると判断し、昭和44年2月12日頃、理由を付すことなく採用内定取消しの通知をした。

これに対し原告は、入社試験の受験が被告に対する労働契約の申込みであり、採用内定通知はその申込みに対する承諾であって、ここに労働契約が成立しており、誓約書の提出は労働契約成立の確認行為であって、採用内定取消は解雇に当たるところ、本件解雇は思想信条を理由とするものであり、仮にそうでないとしても公序良俗に反するとしてその無効の確認と賃金の支払を請求するとともに、精神的苦痛に対する慰藉料200万円を被告に対し請求した。
主文
1原告が被告の従業員たる地位を有することを確認する。

2被告は、原告に対し昭和44年4月1日以降本判決確定に至るまで、毎月28日限り1ヶ月金33,500円の割合による金員を支払え。

4訴訟費用は、これを2分し、その1を原告の、その1を被告の各負担とする。

5本判決主文第2項は仮に執行することができる。
判決要旨
企業が大学の新卒者を雇用するについて、早期に採用試験を実施して採用を内定するような方式は、我が国において広く行われているところであり、これは終身雇用制度の下における企業間の優良な従業員獲得競争の結果であり、一方においては、企業は一応確保した者に対してなお調査を補充して従業員採用についての危険をなくしようとしているものであることが認められ、公知の事実でもある。したがって、本件においても、被告が採用内定を採用決定(労働契約の成立)と区別して取り扱うことも首肯できる。

しかし、一方、大学の新卒者にとっては、自己の希望する大企業に就職することが必ずしも容易でないことは容易に窺うことができ、かつ各企業が早期に採用者を内定する方法を採るときは、その段階で採用の内定を受けないと、大企業に就職する機会を失うおそれがあり、このようなことから、学生を推薦する大学は二社制限、先決優先の方法をとり、採用内定者としては、内定を受けることによって、就職が決定したと考えるのも無理のないところである。このように、採用者側と被採用者側との間に、採用内定の性質、効果等に対する認識についての差異があり、本件において、原告はなお大学の学生であったこと、また採用内定通知書において、被告は「採用を内定致しました」と「内定」なる文字を用いて決定と区別した表現をしていること等からして、右採用内定の通知によって直ちに労働契約が成立したものと解することは困難である。

しかしながら、昭和43年11月20日付けで原告に送付されたこれらの書面のうち「D印刷株式会社の近況」には、被告の近況とともに、入社までの予定、入社日等について詳細に記載されているのであり、これらの書面によれば、被告としては原告を単なる採用予定者としてではなく、原告が大学を卒業したときは当然に被告の従業員となるものとの意識のもとにこれを取り扱っていたものということができる。更に、被告の昭和44年度新入社員(大学卒)については、同年3月初旬に入社式の通知がなされ、同入社式が同年3月31日に大学新卒採用者全員が東京に集められて入社式典が行われ、新入社員は、その日式典終了後に学校の卒業証明書と最終学年成績証明書、家族調書並びに試用者としての誓約書を提出した。式典後、新入社員は2週間の導入研修を受けた後、各事業部へ配置され、若干期間の研修の後にそれぞれの労務に従事し、2ヶ月の試用期間を過ぎた後の同年6月下旬に、更に本採用者としての誓約書を保証人と連署して提出し、社員としての辞令を受けた事実を認定できる。右の事実からすると、採用内定者が試用者として入社する経過において、採用内定の通知とこれに対する誓約書の提出以後には、双方から特別な意思表示がなされたわけではない。このようなことは、被告においても、採用内定者は、内定が取り消されない以上は、大学卒業後において当然に被告に入社するものと意識し、現実にそのように取り扱っていたものということができる。このようなことから、採用内定が将来労働契約を成立させる予約ともいうべきもので、労働契約成立のためには、更に別個の意思表示を必要とする、との被告の主張も採用し得ない。

以上の各事実を合わせ考えてみると、本件においては、被告から原告に対する採用内定の通知をなし、原告から被告に対して誓約書を提出した段階において、将来の一定の時期に、互いに何ら特別の意思表示を要することなく、原被告間に試用労働契約を成立させるとの合意、いわば採用内定契約ともいうべき一種の無名契約が成立したものと解するのが相当である。ところが、昭和44年2月12日、被告は採用内定を取り消した。採用内定契約が採用内定契約の取消ということを当初から予定していたものではあるが、その取消は当然に契約の失効を招くものであるから、その取消は、採用内定契約の性質、目的からして何らかの合理的理由に基づくことを要することは理の当然である。

そこで、被告のなした採用内定取消の事由について考えるに、被告は、その取消事由については、誓約書の1)ないし5)のいずれかの事由によるというのみで、その具体的事実、理由を主張せず、ただ、当時大学新卒予定者採用に関する事務を主宰していた取締役が、原告は陰うつな性格と感じたことから、当初は採用内定者に入れなかったところ、前記の事情の下における部下の進言もあり、原告が大学体操部のマネージャーをしていたことから、案外積極性があり明朗かも知れないと考え採用を内定するに至ったが、その後の調査により、大学体操部の実体が期待したような積極的な鍛錬をしているものではないことが判明したので内定を取り消した旨証言するのみであり、他に原告に対する採用内定を取り消した合理的な理由を発見することができないから、被告は取り消すべき理由なくして右採用内定を取り消したものであり、その取消の意思表示は効力を生じないものと断ぜざるを得ない。そうすると、前記採用内定契約に基づいて、被告の昭和44年度新入社員の入社式の行われた同年3月31日頃に、原告と被告との間に試用労働契約が有効に成立し、遅くとも同年4月1日以降は、原告は被告の従業員たる地位を取得したものというべきである。原告が右期日以降被告に対し労務に服する旨申し出るのに被告はその就業を拒否しているから、原告は被告に対し右期日以降の賃金債権を有し、毎月33,500円が支払われるべきである。

被告が正当な理由なくして原告に対する採用内定を取り消したことによって、原告は大学を卒業しながら他に就職することなく本件訴訟を提起し、維持したことについて、相当な精神的苦痛を重ねてきていることは推察するに難くないが、本訴において原告の主張が容れられ、就職時以降の賃金相当額の支払いを受けるときには、その精神的苦痛も一応は治癒されるものと解すべきである。その他に、被告が労務の受領を拒否したことによる精神的損害なるものは通常考えられず、他に原告に対し特に慰藉料請求を認めるべき合理的理由もないから、原告の慰藉料請求は理由がない。
適用法規・条文
民法709条、労働基準法3条
収録文献(出典)
その他特記事項
本件は控訴された。