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H製作所採用内定取消事件

事件の分類
採用内定取消
事件名
H製作所採用内定取消事件
事件番号
横浜地裁 - 昭和45年(ワ)第2118号
当事者
原告 個人1名
被告 株式会社
業種
製造業
判決・決定
判決
判決決定年月日
1974年06月19日
判決決定区分
認容
事件の概要
被告は、横浜市所在ソフトウェア工場他の工場を有する株式会社であり、原告(昭和26年生)は、いわゆる在日朝鮮人であり、昭和45年3月に高校卒業と同時にT社に、更にH社に入社したが、同年8月に被告の入社試験を受け、同年9月2日付で赴任日を同月21日とする採用通知を受け取った。更に同月4日、被告の採用係は、原告に対し、入社試験に合格したので入寮希望の有無を確認する電話をし、原告はこれを希望する旨回答した。そこで原告は、被告に入社するため同月15日限りH社を退職した。

被告の面接担当官Aは、原告に面接した際、履歴書、身上書及び身上調書に記載された本籍、氏名等について真偽を問うたところ、原告は真実である旨答えたが、その際、Aは身上調書と履歴書の現住所の記載に齟齬があること、職歴欄に職歴を記載しなかったことを問い質したのに対し、原告は「新しい会社にとって職歴は良くないと思った」旨回答した。採用通知を受けた原告は、同年9月15日の通知書と他の郵送書類とで入寮先が異なっていることに気付き、入寮先を被告に確認したが、その際原告は応対した採用係主任Bに対し、自分は在日朝鮮人なので戸籍謄本は取れない旨告げたところ、Bは「採用通知は留保して欲しい。明日連絡する」と答えた。翌16日、Bは総務部長に原告のことを報告したところ、被告として原古の採用を取り消すことに決定した。翌17日、被告から連絡がないので、原告がBに電話で結果を問い合わせたところ、Bは「当社は一般外国人は雇わない。迷惑したのは私の方だ。貴方が本当のことを書いたらこんなことにはならなかった」と答え、原告が「どうしても入社できないか」と尋ねたのに対し、Bは「今回はあきらめてください」と言って、採用を取り消す旨伝えた。同日被告は、原告の高校時代の担任教諭に電話して、原告が在日朝鮮人であることを確認した上、同教諭に被告入社を断念するよう説得方を依頼した。

これに対し原告は、憲法14条、労働基準法3条の趣旨に照らし、在日朝鮮人をその国籍故に採用を拒否すること、一旦成立した労働関係から排除することはできないとこと、原告は採用内定通知を受けたことにより被告との間に正社員としての労働契約が成立していること、通用名を使用したり、在日朝鮮人であることを申告しなかったことが懲戒解雇事由には当たらないことを主張し、被告の従業員としての地位の確認と賃金の支払を請求するとともに、慰謝料50万円を請求した。これに対し被告は、本件内定は労働契約の予約に過ぎず、労働契約は成立していないこと、仮に労働契約が成立していたとしても、原告による本籍、氏名の虚偽記載は懲戒解雇事由に当たると主張して争った。
主文
1原告が被告に対し、労働契約上の権利を有することを確認する。

2被告は原告に対し、金172万6224円及び内金50万円に対する昭和45年12月17日以降支払済みに至るまで年5分の割合による金員並びに昭和49年2月1日以降本判決確定に至るまで毎月25日限り、月額金3万2104円の割合による金員を支払え。

3原告の請求のうち、本判決確定の日の翌日から毎月25日限り月額3万3500円の割合による金員の支払を求める部分は、これを却下する。

4原告のその余の請求を棄却する。

5訴訟費用は被告の負担とする。

6この判決は、主文2項に限り、仮に執行することができる。
判決要旨
1労働契約の成立

被告が従業員募集の新聞広告を掲載したことは労働契約申込みの誘引と解すべきであり、原告がこれに応募して被告の採用試験を受験したことは原告から被告に対する労働契約締結の申込みになるというべきである。そして、「種々の選考の結果あなたをソフトウェア工場として御採用申し上げることに決定致しました」として、寝具等の送付を手配させ、転出先を入寮先の住所にした転出証明書等の持参を要求していること、被告においては、昭和45年9月1日発信の電文では「サイヨウナイテイ」としながら、採用通知書においては「御採用申し上げることに決定」として、「内定」と「決定」とを使い分けているとみられること及び被告はかなり厳格な採用試験を行い、この試験の過程を通じて必要な資料をある程度蒐集しており、更に本件採用がいわゆる中途採用であり、採用通知書発送から実際の就労日まで20日足らずの期間しか存しないなど、被告が労働力を緊急に必要としていた事情が推認できること等を考慮すると、被告から原告に対し前記採用通知書が発送されたことにより、被告の原告に対する労働契約締結承諾の意思表示がなされたものと解するのが相当である。したがって、原告・被告間の労働契約は、承諾の通知を発した昭和45年9月2日に成立したというべきである。

被告は、採用試験の合格者のうちその指示した日時に必要な書類等を持参して出頭した者について、採用の要件を満たしていればその者との間に労働契約書を取り交わし、ここに初めて労働契約が成立する旨主張するが、右必要書類の提出は労働契約締結の不可欠の要件とはみなすことができず、更に労働契約書の署名押印も一種の確認行為に過ぎないというべきである。次に被告は、採用通知書を発送した段階では賃金額以外の労働条件の詳細は一切合意に達していない旨主張するが、採用通知書発送までに、労働条件のうち最も重要な賃金額、職種、就労場所は既に決定しており、しかも被告のような大企業と一労働者との間の労働契約は、特殊な例外を除いてはいわば一種の附合契約であって、その詳細な内容が個々の労働者との間で区々に定められるものでないことは明らかであるから、その他の原告の労働条件の細目についてまで合意がないからといって、採用通知書発送時をもって労働契約が成立したとすることの妨げとなるものではない。更に被告は、採用通知書受領者のうち約半数の者しか指定日時に出頭しないのであるから、右採用通知書発送をもって労働契約が成立したとするのは不合理である旨主張するところ、本件採用が中途採用であることや採用手続きの一連の経過から考えると、不出頭の応募者については、成立した労働契約の権利を放棄したもの、あるいは義務を履行しなかったとしても被告がこれが責任を不問にする取扱いにしているものと解し得ないわけではない。特に原告に関しては、当時稼働していたH社を退職したい気持ちが強く、被告の採用試験に合格すれば是非被告に就職したいと考えており、事実昭和45年9月15日限りでH社を退職していることが認められるから、前記採用通知書の発送が労働契約締結の承諾と解することに支障はない。

2臨時員としての労働契約か

被告の従業員募集の新聞広告には「登用制度あり」とする以外、臨時員の募集であることは何ら明示されておらず、また前記採用通知書には臨時員であることを窺わせるに足りる記載が何らなされていないことを認めることができ、しかも、右新聞広告の「登用制度あり」という文言が、それのみによって直ちにいわゆる「臨時社員」の募集であることを明瞭に表現する言葉として社会一般に通用しているとは断定し難いところがある。しかし、被告の意図としては、原告ら学校既卒者を臨時員として採用しようとしたものであることは明らかであるところ、従業員採用試験の際、筆記試験の開始前に担当者が本件採用試験が臨時員のそれであって契約期間は2ヶ月である旨説明し、更に面接試験中にも同旨の説明がなされていることが認められるのみならず、原告と同時に被告に採用された6名が、いずれも臨時員として入社し、その後雇用期間を更新されて従業しているから、これらの事実から考えれば、原告は雇用期間2ヶ月の臨時員として採用されたというべきである。

3解雇の有効性

原告が試験当日に被告に提出した身上調書には、偽り、誤り、重要な記入漏れがあった場合は採用取消しの処置を受けても異議を述べない旨明記されており、原告もこれを承知で必要事項を記載し署名捺印したことが認められるので、これによれば、原告が虚偽の記載をし、真実を秘匿してこれを詐称したような場合は、被告においてこれを原因として原告との労働契約を解約し得る旨の合意があったものと推認できる。そうすると、原・被告間の労働契約には解約権が留保されているもので、被告は右留保解約権を行使しているものと解すべきである。

一般に留保解約権に基づく解雇は、通常の解雇の場合よりも広い範囲における解雇事由が認められているのであるけれども、留保解約権の行使は解雇権留保の趣旨・目的に照らして、客観的合理的で社会通念上相当の場合にのみ許されるものといわなければならない。そして、本件では前記のとおり、身上調書等の書類に虚偽の事実を記載し或いは真実を秘匿した場合における解雇権留保が定められているのであるが、被告の臨時員就業規則には、労働者に経歴詐称等の不都合の行為があったときは懲戒解雇の一事由とされているのであるから、右の解約権留保の特約は懲戒解雇と同一或いは類似の要件をもって解約権行使の原因としたものと解することができる。したがって、本件における解約権行使の趣旨・目的及びその解約権行使の要件は、単に形式上「身上調書等に虚偽の事実を記載し或いは真実を秘匿した」事実があるだけでなく、その結果労働力の資質・能力を客観的合理的にみて誤認し、企業の秩序維持に支障を来すおそれがあるものとされたとき、又は企業の運営に当たり円滑な人間関係、相互信頼関係を維持できる性格を欠いていて企業内に留めておくことができないほどの不信義性が認められる場合に解約権を行使できるものと解すべきである。そして、右不信義性は、詐称した事項、態様、程度、方法、詐称していたことが判明するに至った経緯等を総合的に判断して、その程度を定めるべきものと解する。

原告が履歴書、身上書に真実の現住所及び職歴を記載しなかった点について考えると、その後原告自ら進んで身上調書に真実を記載した上で採用面接を受験しており、しかも被告においてもこれを了解した上で原告の採用を決定しているばかりでなく、真実の現住所を記載しなかったのは真実の職歴を記載しなかったことの一事に尽きることになる。ところで、原告がH社に勤務していた期間が5ヶ月余、その前のT社に勤務していた期間は約2週間であり、その職種も経理要員、プレス工であって、いずれも被告において勤務を予定されているソフトウェア要員とは職種が異なるばかりでなく、被告自身原告の前職歴をさして重要視していないこと等を考え合わせると、原告が履歴書等に真実の現住所及び職歴を記載しなかったことは、原告に対する解約権行使の事由としては重要性に乏しいものとせざるを得ない。

次に、原告が履歴書等に本名、本籍について真実の記載をせず、採用試験受験に当たって真実を申告しなかった点について検討すると、在日朝鮮人である原告にとって日本名「甲」は、出生以来ごく日常的に用いてきた通用名であり、これを「偽名」とすることはできないばかりでなく、原告が氏名に本名「乙」を使用し、本籍につき真実を申告することはとりもなおさず原告が在日朝鮮人であることを公示することになるのであるから、原告が被告に就職したい一心から、自己が在日朝鮮人であることを秘匿して、日本人らしく見せるために氏名に通用名を記載し、本籍に出生地を記載して申告したとしても、在日朝鮮人が置かれていた状況や歴史的社会的背景、特に我が国の大企業が特殊の例外を除き、在日朝鮮人を朝鮮人であるというだけの理由で、これが採用を拒み続けているという現実や、原告の生活環境等から考慮すると、原告が右詐称に至った動機には極めて同情すべき点が多い。一般に私企業者には契約締結の自由があるから、立法、行政による措置や民法90条の解釈による制約がない限り労働者の国籍によってその採用を拒否することも必ずしも違法とはいえないものである。しかし、被告は表面上、又は本件訴訟における主張としても、原告が在日朝鮮人であることを採用拒否の理由としていないほどであるから、原告が「氏名」、「本籍」を詐称したとしても(その結果、被告は原告が在日朝鮮人であることを知ることができなかったとしても)、これをもって企業内に留めておくことができないほどの不信義性があるとすることはできない。以上によって、原告に、被告の臨時員として引き続き留めておくことができないほどの不信義性がないことが明らかになったのであるから、前記留保解約権の行使は許されない。

被告の就業規則には「経歴を詐り又は詐術を用いて雇い入れられたとき」、「その他前各号に準ずる程度の不都合な行為があったとき」は懲戒解雇事由になり得るものと定められている。しかしながら、留保解約権に基づく解雇は通常の解雇よりも広い範囲における解雇事由が認められており、加うるに、留保解約権に基づく解雇が許されないことは上記のとおりであるから、通常の解雇も懲戒解雇も許されないこと、これまた自明というべきである。

更に進んで、被告がいかなる理由で原告を解雇するに至ったかを考察すると、右解雇の事情、特に昭和45年9月15日以降17日までの間の原告と被告との電話による交渉の経緯、すなわち、原告が在日朝鮮人であることを告げるや直ちに被告は採用を留保して欲しい旨述べたこと、その後会社側から連絡する旨約束しておきながら被告は原告から問い合わせがあるまで回答せず、その回答の内容も一般外国人は雇わない旨告げて原古の採用を取り消す旨話していること、右取消をするについても、できうればこれを救済して採用の取消を避けるよう配慮した形跡が見受けられないこと、及び同日被告は原告に対し採用しないことにした旨告知した後に、原告の高校時代の担任教師に連絡をとって原告が在日朝鮮人であることを確かめ、被告への入社を断念するよう説得を依頼している等の事情を併せ考えると、被告が原告に対し採用取消の名のもとに解雇をし、あるいはその後格別の事情もないのに本訴において懲戒解雇をした真の決定的理由は、原告が在日朝鮮人であること、すなわち原告の「国籍」にあったものと推認せざるを得ない。そうであるとすれば、被告の原告に対する留保解約権による解雇及び懲戒解雇は、労働基準法3条に抵触し、公序に反するから、民法90条によりその効力を生じない。

4賃金及び慰謝料

原告が遅くとも昭和45年10月1日以降被告に対し労務の提供を申し出ており、被告がその就労を拒否していることは当事者間に争いがないから、原告は被告に対し、同月以降の賃金債権を有する。

被告による原告の解雇は、労働基準法3条、民法90条に反する不法行為に当たることは明らかである。原告はこれまで日本人の名前を持ち、日本人らしく装い、有能に真面目に働いていれば、被告に採用されたのち在日朝鮮人であることが判明しても解雇されることはない程度に甘い予測をしていたところ、本件解雇によって、在日朝鮮人に対する民族的偏見が予想外に厳しいことを今更のように思い知らされ、在日朝鮮人に対する就職差別、これに伴う経済的貧困、在日朝鮮人の生活苦を原因とする日本人の蔑視感覚は、在日朝鮮人の多数の者から真面目に生活する希望を奪い去り、時には人格の破壊にまで導いている現状にあって、在日朝鮮人が人間性を回復するためには、朝鮮人の名前を持ち、朝鮮人らしく振る舞い、朝鮮の歴史を学び、朝鮮民族としての誇りをもって生きていく外に道がないことを悟った旨その心境を表明していることが認められるから、民族的差別による原告の精神的苦痛に対しては同情に余りあるものといわなければならない。したがって、原告の地位確認及び賃金請求が認容され、労働契約成立時以降の賃金相当額の支払いを受けたとしても、なおその苦痛を償い切れるとは認められない。そこで、本件解雇に至った経緯等諸般の事情を斟酌するとき、その精神的損害を償うには、被告は原告に対し、少なくとも金50万円を慰謝料として支払うのが相当である。
適用法規・条文
憲法14条。労働基準法3条、民法90条
収録文献(出典)
その他特記事項